第2話 学校院の来訪者
この時代、奈良から遠くはなれた九州にも都はあった。
筑前国のなかほどにある
平城京や、のちに建てられる平安京に似て、ややひらかれた平野にそれを囲む山並み、おだやかな風がたえず吹きゆく盆地に、その都はあった。
『続日本記』によれば、当時の大宰府は『此府、人物殷繁。天下之一都会也』とあり、大宰府政庁を起点に、都の条坊のような街区さえ出来つつあった。街路には振り売りの声が高く、そこかしこに市がならび、素焼きや麻布、書画骨董や工藝品まで売られて、紅塵たえまなく逆巻く西の都という景である。
しかし『
乱があったのだ。事もあろうに首謀者は
乱以前から巷で流行していた
それもここ数年で、ようやく過去の余塵をのこしつつも、ふたたび国際玄関口としての活力を取りもどしつつあった。
そんな大宰府の府大寺である。観世音寺では、坊主の見習いである若い
麻の巾着を肩にかけて、南大門をでて、
総勢は三十人ばかり。身なりは小綺麗で、その殆どが自分と変わらない十代の若々しい少年だとわかると、優婆塞は途端に口をへの字に曲げた。
「
彼らは西海道諸国九国二島に棲まう郡司の子弟で、国博士のもと五経や三史等の書物を教科書に、政治・医術・算術・文章など、役人としての能力を養っている。言うなれば地方公務員養成機関の生徒なのである。
その学生たちが徒党を組んで、観世音寺に向かってくる。
こうしたことはしばしばあった。それというのも学校院は観世音寺の隣にあり、二町の境に南北に走る幅一メートルばかりの溝を掘って境としていたが、雨風によって微妙に変動し、夜陰にまぎれて双方とも削ったり埋めたりをやるので、たびたび揉めていたのだ。
「おーい、皆様方。学生院の餓鬼共が来ましたぞ」
優婆塞は叫びながら、南大門にかけもどった。
「なに、郡司のうり坊が来ただと」
「閉めろ閉めろ。奴等など煮ても焼いても食えん」
坊主らしからぬことを言いながら、僧たちは直ぐさま門を閉めにかかる。
するとひとり、学童が跳ぶように駈けてきて、
「やい、国守様のおとないだぞ」
と、吠えたてた。
「なに国守様だと!?」
「国守様なら
僧たちは口々に喚きつつも、ふと門を閉める手をとめて、いぶかしげに学生院の一団をみやった。するとたしかにひとり、郡司のうり坊にまぎれて、
年は六十歳ちかく、皺とシミとが朽木のように顔に刻まれているが、人品卑しからず深沈茫洋として、男女の垣根を超越した仙人のような風格がある。
俗世をたった沙門にあっても滅多に見かけることのない老客に、みな霹靂に打たれたかのように茫然として立ち尽くした。だが、たったひとり、奥の講堂で我関せずと寝そべっていたひとりの僧侶だけが、この胡乱な雰囲気を嗅ぎつけて、眉をつりあげて、のそりと立ち上がった。
「なんじゃあ」
鯨の吠えるような声だ。素足のまま、雲集する坊主たちを手荒に掻き分けて、南大門までやってくると、今度は学校院の悪ガキ共が瞠目する番となった。
「わ、やつだ」
「観世音寺の六尺入道!」
悲鳴とも歓声ともつかない声があがる。紫衣の大入道は、背丈が六尺(一八〇センチほど)。粗食でならした当時の少年たちにとって雲を突くほど高い。五十ばかりの僧だが、肌は浅黒く四肢は頑強で、顎も力強くはって、彼だけ異国の風に吹かれて育ったような体格である。
事実、
外位だが位も有り、日本語も流暢に操るとあって、観世音寺だけではく大宰府や那の津でも下に置かぬ扱いを受けている。
その善意入道がふとい猪首を差しのばして、胡乱な老客をねめつけた。視線は刃のように振り下ろされ、ひと瞬きで体の一つ一つがもぎ取られそうなほど恐ろしい眼光は、老人の少ない余命を一跨ぎにあの世に送りかねないものだった。
しかし、何の効験か、善意入道の鬼面が、眉から目から、口まで崩れて、
「ああ! 貴方様は!!」
と、割れ鐘のごとき雄叫びをあげた。
「真備どの!!」
「善意殿、お久しぶりです」
老国司も顔をほころばせる。顔見知りであったようで、ぽかんとする僧と学生をその場にのこして、久闊を叙すると観世音寺に入っていった――。
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