楊貴妃、死すべし

織部泰助

第1章 再唐

第1話 陰惨なる立ち話

 ある晴れた朝方の事である。

 昨晩まで降り続いていた雨のために、沿道の銀杏いちょうえんじゅが夜のうちに葉をおとして、黄金をまいたようにかがやく秋の二条大路を、泥濘を蹴りあげながら、一台の車駕が急いでいた。


 浮かない眉をひそめて揺られているのは、八字髭をぴんとこうでかためた四十がらみの男である。金冠に玉石を散りばめ、浅紫の大袖に白袴をはいて、五色の鮮やかな組糸の垂れる玉珮を右腰におびている。いくつか装飾を省いているが、即位式や朝賀でまとう、立派な大礼服姿であった。


 やがて男は一町四方におよぶ、広壮な邸宅に入った。

「叔母上は?」

 門前で待っていた下人は、車駕から降りた男の前で、泥を厭わず這いつくばった。

「南殿でお待ちです。ご案内します」

「いらぬ」

 男は平伏する下人を蹴散らすように進んで、南側に、ぽつりと建つひわぶきの屋舎に向かった。南殿は母屋が横長にとった一軒で、屋根の一段さがったところに板葺きの庇が広く架かっている。その能舞台のように広く開かれた軒下に、女人の一団が、朝陽を浴びるように立っていた。


「叔母上!」

 彼はその中に叔母を認めるや否や、大喝するように呼ばう。

 まわりに侍る女官たちは色をなして額づくが、当の叔母は愁眉を寄せて、塀の上を、ぼうっと眺めていた。


「叔母上」

「大納言、うるさし」

 ぴしゃりと、見向きもせず、犬を躾けのように叱る。

 大納言といえば、現代の国務大臣級である。それを犬猫のごとくあしらうのも恐ろしいが、また言われた当の本人も、気分を害した風もないのも奇怪だった。


しゃぶつですか」

「美しいものです」

 塀の上には、雲を突くような羅髪の巨人が、彼方でうすく目をほそめていた。


 聖武上皇が頻発する天変地異を憂い、大仏建立の詔を発したのが四年前。

 平城京の二条大路の東に位置する金光明寺は、その名を東大寺と号し、青銅の巨人の瞳が揮毫されるのを、今か今かと待ちわびていた。


「いずれあの青銅色が、黄金に荘厳されるのです」

 そういって目を潤ませ、恍惚とした息をはく叔母の横顔に、大納言はいつもながらドキリとさせられた。


 齢はとうに五十歳をすぎて、上代の感覚としては立派な老婆である。しかし仏の加護によるものか、彼女は時折、妙齢の婦人にもに袖をとおした乙女にも見えた。

 等しくこびりつく時間の汚穢が、この人だけは綿埃のようにふるまう。

 

 名を、こうみょう。人臣で始めて皇后になったこうみょうこうたいごうである。


なかよ、盧舎那仏は偉大であるな」

「ええ、まったく」

「然らば、加護は異国まで届こうな?」

「大使のことですな」

 すぐに合点がいった。皇太后が憂うのは、来年三月に控えた遣唐使のことだ。


 当時、二十一年を節目に、日本は唐に使節を派遣していた。世界情勢に目を配り、漢籍や礼法など、最新鋭の唐文化の輸入に励むのが目的だったが、今回の遣唐使に限っていえば、これらとは別に、ふたつの重要な任務があった。


 ひとつは伝戒師の招聘である。国家仏教の高まりが弥増す奈良の都にあって、僧尼の需要が高まり、人頭税が免除されることもあって希望者が殺到。縁故関係と奉仕労働だけで得度できるとあって、法華経や金光明最勝王経の一節すら暗誦できない不良僧がそこかしこにいた。


 こうした事態を踏まえて、本来の僧尼としての姿勢に立ち返るべく、三師七証の授戒をもって正式な僧尼とする戒律きはんと、それを施せる伝戒師の招聘が必要となった。


 二つめは黄金である。

 日本は『東方見聞録』で黄金郷ジパングと称されたほどに、金産出国として有名であるが、こと奈良時代にさかのぼれば、この頃ようやく陸奥から産出されたばかり。いま朝廷が所蔵している黄金では、十八メートルある青銅の大仏の、その仏頭を金色に化粧するのが関の山だった。


 仏教護持の象徴たる盧舎那仏を、国家の威信をかけて、黄金で荘厳したい朝廷にとって、一刻も早く黄金を買いつけたかったのである。


「重要な任です。だからこそ彼を大使した」

 仲麻呂が念を押すと、太后はしずしずと和歌を口にした。


「大船にかじ繁貫じぬこれ韓国からくに(唐国)へやるいわへ神たち――」

「よい歌です。旅立ちの良い餞別になるでしょう」

「あの子もそういってくれました」


 あの子というが、皇太后の子どもではない。長男のもといおうは夭折して、唯一の実子のないしんのうは、いまや大君おおきみとして平城宮の主人となっている。


きよかわは、わたしの兄のふさざきに似て、性根の優しい子です。お前の父、をよく補佐したように、いずれお前の右腕となるでしょう」


「ですから遣唐使の大使としたのです」

 仲麻呂は繰り返しいう。

 てんぴょうしょうほうけんとう使として派遣される大使は、藤原北家の四男であり、藤原大納言仲麻呂の従兄弟、光明皇太后の甥にあたる青年で名をふじわらのきよかわという。


「すでに国政にたずさわる従弟をして、遣唐使として向かわせることからも、今回の派遣が特別であることはお分かりのはず。まして度々遣唐使として活躍した地方豪族たちによって再三苦渋を舐めさせられた我々にとって、今回の栄誉を譲るわけにはいかない」


「わたしとて頑是がんぜない稚児ではありません。そのことは重々承知していますが──」


 仲麻呂はハッとした。

 いまだ抗議のように大仏をみつめる皇太后の白い頬に、一粒の涙がこぼれていたのだ。


「わたしは、もうこれ以上、愛すべき者達を失いたくないのです」

 

 始めて臣下の血筋で天皇の寵愛をうけた花嫁は、驕ることなき慈愛の体現者だった。夫と共に厚く仏教に帰依して、ときに皇后でありながら、施薬院にて無辜の民の垢を洗い落とし、重度の籟病らいびょう患者にも厭な顔ひとつせず奉仕したと伝えられている。そのような女性であるから、流れた涙に嘘はなく、ふかい愛情から汲み出される慈悲は尽きることはないだろう。


 ――だからこそ、仲麻呂は畏怖をおこたらない。


 ひとたび無尽蔵な慈悲が憤怒に変ずれば、その苛烈さは野を灼きつくす燎原の火だ。その火勢の凄まじさを物語る一例が、何を隠そう、この広大な屋敷なのだ。


 彼女は待望の長男であった基王が満一歳で夭折したとき、当時左大臣だった長屋王が厭魅によって呪い殺したと聞くや、異母兄の武智麻呂と共謀して、長屋王とその家族を自害に追い込み、屍骸を足蹴にするかの如く、長屋王の没官地に自らの中宮を構えた。


 この純情苛烈というべき聖女の耳に、長屋王のよからぬ噂を吹き込んだ張本人こそ、自分の父、武智麻呂ではないかと睨んでいた仲麻呂だったが、今回、とある企みを思いついたとき、着火材として注目したのも、やはりこの叔母だった。


「叔母上の煩い、他ならぬ仲麻呂が解決できまする」

「ほう」というが、いまだ仲麻呂には目もくれない。「どのように?」

「肥前守をお使いなされ」

「肥前守?」

びのそんまき殿でございます」

「ああ、とうぐうのだい


 春宮大夫とは、皇太子の家政機関の長官で、皇太子の教育や指導をおこなう家令である。吉備真備は今の孝謙天皇が、まだ阿部内親王であったときの家令であり、太后としてもその印象が強かった。


「肥前守は老境ながら、若き頃、留学生として十八年も在唐して唐文化百般に通じておられる。彼を今回の遣唐使の副使として抜擢してみるのは」

「春宮大夫をなあ」


 この日、始めて仲麻呂は皇太后と目があった。

 大仏のように細めた目は、仲麻呂の内心を見透かしているようだった。


 春宮大夫と言うのもそうである。仲麻呂は天皇が皇太子の頃から、吉備真備との信頼を厚くするのを怖れて、無理矢理自分の息のかかった者と差し替えている。それだけではない。阿部内親王が即位すると、すぐさま叔母を通じて吉備真備を筑前守に左遷、さらに肥前守まで左降させる念の入れようだった。――そして今度は遣唐使である。


「いかかでしょうか」

 彼は深々と頭をさげた。せめてもの誠意だった。

 夏の天日で肌を灼くような、焦れったい時間が過ぎていく。


「仲麻呂よ、お前は聴いたことがありますか?」

「な、なにをでございます」

「異域の鬼が、海を越えて復讐する話を」


 仲麻呂はがばりと頭をあげた。

 太后の片えくぼには、背筋が凍るほど美しい微笑が彫り込まれていた。

「在りますまい。けっして」

「で、あれば」

 それ以降、彼等がどのような密談を行ったか。歴史に知る術はない。ただ塀の上から顔を覗かせていた瞳のない大仏だけが、庇の下の陰惨な立ち話を聴いていた。

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