第6話「セヴァヤク」

 時間が経つのはあっという間で、テムとの特訓はもう五日も前の話になっていた。


 今日も明るく大地を照らしていたシャヘルが、役目を終えて去ろうとしている。シャレムが主役になろうとする時分、王都の中央通りには多くの人々がいた。


 一日の仕事を終えて慌ただしく家に帰ろうとしている者、手を繋ぎながら幸せそうに微笑む親子、抱擁を交わす男女など、様々な色の翼を持つ民の姿が見受けられる。


 西方へと沈んでいくシャヘルを背景に、街灯に照らされた色鮮やかな翼が羽ばたくその光景は、とても神秘的で、シュカの大好きな光景の一つである。


 やがて、シャヘルが完全に隠れて闇がもたらされると、人通りも少なくなってきた。


 そこでシュカは、朝に母から告げられていた言葉をふと思い出した。


「やばいっ! 今日は絶対に寄り道しないで、早く帰って来いって母さんに言われてたんだった……。叱られる!」


 シュカは大慌てで飛び上がり、中央通りを後にした。早く帰らなければと焦るあまり、通り過ぎる全ての人に謝罪をしながら、とにかく急いだ。




 そして、一軒の家を前にして立ち止まる。


 目の前に立っている四角い白屋根の家は、シュカが帰るべき自宅だ。


 しかし、帰宅早々、母カーシェに叱られてしまうのではないかという嫌な予感のせいで、裏口からこっそり入ろうかどうか迷う。


 結局は表から入ろうが裏から入ろうが、怒られてしまうことに変わりないだろう。そうして腹をくくったシュカが玄関の扉を開けた。


「やあっと帰って来たね! 主役の登場だ」


 足を踏み入れた直後に聞こえて来たのは、母カーシェの声。待ち侘びていたとばかりの大声だった。


「え、主役?」


 母の言葉に動揺するシュカの目に映ったのは、飾り付けがされた祝宴の席だ。


 碧空の民は何かの節目の度にお祝いをする。それはこの国には争いが無く、平和であり、豊かという証でもあった。


「ほら、主役なんだから、さっさとお座り!」


 二度目の主役の言葉を聞いてようやく思い出す。今日はシュカの誕生日だったのだ。


 カーシェに促されて、シュカは案内された席に腰を落ち着ける。


 シュカは今日の誕生日を迎えて、ついに大人の仲間入りを認められる年齢になった。今まではそれが待ち遠しいと思っていたはずが、テムとの特訓以来忘れていたのだ。


 母のカーシェが持つ薔薇のように華やかで真っ赤な翼には、一家の中心人物であることを示すような威厳が漂っている。


 母の言うことに大人しく従った方が良いことは、父のダンシュがいつも良い見本を見せてくれるので、シュカも逆らわないようにしていた。


 シュカが椅子に座ると、目の前に大小二つの小包があった。これはシュカへのお祝いだろう。この国ではセヴァヤク(この国における成人のこと)の祝いで親戚や友人を呼び、盛大にお祝いすることが慣習なのだ。


 隣の席で大人しく座っていたドルナが、落ち着いていられなくなったのか立ち上がった。


「こっちのが私で、そっちの小さいのがうちのお母さんからね」


 と言って小包を交互に指差し、それから自信満々の笑みを向けてきた。彼女はまるで私のことを褒めてと言わんばかりに胸を張っている。


 正直に言うと、嬉しくないわけではないが、ドルナのことだから何か仕掛けがあるのではと疑ってしまい、心の底から喜んで良いのかわからない。


「こんなに可愛い子からセヴァヤクのお祝いを貰えて、うちの子は果報者だねえ」


 せっせと料理を運んでいるカーシェが言った。確かに母の言う通りではある。中身はさておき、彼女がプレゼントを贈ることはまず無いだろう。


「もう、叔母さんったら。私がってそんなに褒めないでくださいよー」


 カーシェに褒められたと思っているドルナは、照れ隠しなのか大袈裟に反応して、顔を赤らめている。実は既にお酒を飲んでいたのだろうか。


 さすがのカーシェも、ドルナの反応には苦笑いを隠せなかったようだ。


 しばらくして、忙しなくしていたカーシェの動きも落ち着いてきた。どうやら祝宴の準備が整ったようだ。


「おめでとう、シュカ」


 最初に祝福の言葉をくれたのは、父のダンシュだ。


「シュカのセヴァヤクを祝して、乾杯!」


 大海原のように爽やかな青色の翼を持つダンシュが椅子から立ち上がり、皆の準備が整っていることを確認して、乾杯の音頭を取った。


 ダンシュの音頭に続いて、この場にいる全員の声が響き渡る。


 セヴァヤクは大人になる誰もが通る道だが、子供だと思っていた自分が一人の大人になるというのは、とても感慨深いものだった。


「心優しいシュカは、きっと立派な人になれるよ。おめでとう」


 乾杯の興奮が冷めないうちに、兄のカロムがお祝いの言葉をくれた。


 藤の花のように気品がある紫色の翼を持つカロムは、生まれつき身体が弱い。普段家にいることが多い分、読書の鬼だったカロムは、知識の分野で並ぶものはいないと言われている。


 たまにカロムを馬鹿にする者もいるが、周りの声を全く気にせず、常に凛としている兄の姿にシュカは憧れた。少なくとも自分には真似できないと思っている。


「シュカ兄……。おめでと」


 シュカと目を合わせず、お祝いの言葉を呟いたのはジュナだ。危うく聞き逃してしまいそうなほどか細い声だった。


「ジュナも、みんなも、今日は本当にありがとう!」


 皆で囲んでいるテーブルには、美味しそうな料理ばかりが並べられている。きっとカーシェやドルナが、腕によりをかけて作ってくれたに違いない。もしかすると、ジュナも少し手伝ったのだろうか。


 いずれの料理もシュカの食欲を刺激して、目移りしてしまう。その中にはシュカの大好物であるアグニュス(羊のような獣)のステーキもあった。


 部屋の飾り付けはダンシュとカロムが準備してくれたのだろう。少しだけずれているように見える飾りは間違いなくダンシュが飾ったものだ。父は大雑把であり、カロムは対照的に几帳面な性格をしているからこそ、それが誰の仕業かシュカにはわかった。


 決して豪勢とは言えないかもしれないが、すべて手作りで、手間をかけて準備してもらったことがわかる。


 皆のお祝いの気持ちが伝わって来て、とても温かい。


「僕はもう、大人なんだ……」


 そんな中、シュカはセヴァヤクを迎えたことをしみじみと感じていた。自分に自信を持てないまま大人になって良かったのか、その想いが胸を締め付ける。


 喜ばしい祝い事の最中にも関わらず、先日のテムとの特訓を思い出さずにはいられなかった。


 全く変わらない自分へのやるせなさと親友を失望させてしまったことの後悔がシュカに付き纏い、どうしようもなく悲しみが込み上げてくる。シュカは涙を流すまいと俯いた。


 すると、不意に脇を小突かれる。


「ちょっと。お祝いの場なのに、なんで悲しそうなの?」

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