第5話「彼女には頭が上がらない」
市場に近付くにつれて、次第に賑やかな声が聞こえてくる。
王都で最も活気のある中央市場では、稀に大陸から持ち込まれた逸品が見つかることでも有名だった。
どうやって持ち込まれたのかはわからないが、浮島では自生しない植物や大陸の工芸品など、本来この国では手に入れることのできない物が店頭に並んでいるのだ。
三人は様々な出店を横目に眺めながら歩いている。
食欲を煽る香り、金銀に煌めく装飾品など、ジュナにとってはどの品も新鮮な物ばかりだろう。
あちらこちらに首を振って、疲れてしまわないかだけが心配だった。
そして、ある出店の前でドルナが立ち止まった。
「ねえ、シュカ。この織物、とても綺麗じゃない?」
「お! 嬢ちゃん、お目が高いね!」
ドルナが指をさした織物を売っている店主が、なかなか現れないお客を捕まえようと、前のめりになって接客してきたようだ。
「それは最近流行りの織物で、花の模様を所々に入れ込んでるんだ。なんでも樹液を混ぜることで、ちょっとやそっとじゃ破れない。本当は二百五十アーラだが、お嬢ちゃんたちは美人さんだから、特別価格! 二百アーラでどうだい?」
店主は自慢気な顔で人差し指と中指を立てている。
「え、二百アーラ!? そんなに高いの? それだけで十日分のご飯代が……。いくら魅力的って言っても、そんな高級品は誰も買わないんじゃないですか?」
そう言った後、ドルナは周りを見渡す。
まるでさっきから寄り付くお客すらいなかったでしょ、とでも言うかのように。
「う~ん、もう少しまけてくれたら、買えるかもしれないんだけどなぁ……」
「おじさん、まけてよー」
ドルナが値引き交渉を始めようとすると、それにジュナも便乗する。
店主は困り果てている。特別価格と言っていたが、それをさらに安くしろと言うのだ。今さらだが、声を掛ける相手を間違えたと後悔しているのかもしれない。
「じゃあ、五十アーラね」
とさらに強気になってドルナが価格を提示する。
「さ、さすがに勘弁してくれよぉ。百八十ならどうだ?」
店主も対抗してはいるが、ややドルナの方が優勢に見える。
「へえ、そう来るんだ。それなら、七十!」
ドルナはまだまだ余裕といった様子で、ニヤニヤと笑っている。
限界まで値切って、この織物を手に入れる気だろうか。
「百六十だ……。これ以上は赤字になる」
お互いに一歩も譲らず、店主とドルナが睨み合う。
しかし、ドルナは急に踵を返して歩き出した。
「ふんっ、話にならないわ。ジュナちゃん、帰りましょう」
「えー、帰っちゃうの?」
急にドルナが諦めてしまった様子を見せたことにジュナは戸惑っていたが、背中を押されてしまっては歩くしかない。
「……ちっ、百二十アーラだ。これが本当の本当に限界だからな」
店主の声を聞いた瞬間、ドルナが勢いよく振り返る。諦める瞬間を見計らっていたのだろう。
残念そうに見えていた彼女の顔は、満面の笑みに変わっていた。
「買うわ! やったね、ジュナちゃん」
「うん! ありがとう、おじさん! 優しいんだね」
目的の物を手に入れた二人が手を叩いて喜んでいる。
シュカはその様子を微笑ましく眺めていたが、ふと値切られた店主の方を見ると、がっくりと肩を落としている。
とはいえ、彼女たちの客寄せ効果があったのか、その後に人が集まり始めていたので、値引いた分の元を取ることができますようにと一礼して去ることにした。
それからもドルナは、各所で値引きの嵐を巻き起こし、数多の買い物を済ませた。ドルナとジュナは仲睦まじく手を繋いで、シュカの前を歩いている。
つまり、買った荷物はすべてシュカが持っているということだ。
二人は大満足の買い物ができて、とても幸せそうだった。きっとドルナの値引き術は、ジュナに引き継がれていくことだろう。
いつまでもこんな平和な暮らしが続くと良いなと何気なくシュカは思った。
そんな時、シュカは突然悪寒を感じた。誰かがまるで自分たちを狙っているかのような冷たい視線。
慌てて周囲を見渡したが、視線の先に見つけたのは、深々とローブを被り、歩き去っていく老人の後ろ姿だけだった。
「あれ? あの人、翼が無い……?」
疑問に思ったシュカは、老人が走る先を静かに見つめていた。
「シュカ、なんだか顔が白いけど?」
ドルナがシュカの頬を触る。だが、すぐに勘違いだと思ったのか、彼女の手が離れた。
「向こうの路地のほうから、嫌な視線を感じたんだけど……」
シュカはローブの老人が去った路地のほうを再び見たが、そこにはもう誰もいない。
「え? 私は何も感じなかったけど」
「シュカ兄、おかしくなっちゃったの?」
先ほどの悪寒を二人は感じなかったらしい。
「うん、ごめん。僕の勘違いみたい。早く家に帰ろっか」
あの老人は何だったのだろうか。翼の無い民がこの島にいないわけではないが、言葉で言い表せない嫌な予感がした。
ただ、周囲にいた誰もがそれを気にしている様子は無い。
漠然とした疑念を抱きながらも、今は帰宅するしかなかった。
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