第二章 赤い石(ヤークート)の謎 9



屋敷からの目が届かないことを確認できるまで待って、メブレビはアインの元へ走り前へと回り込んだ。


「ねえ、アイン。このまま帰っちゃうの?」


「いいや。自領の民が死んでいるんだ」


アインはそこで言葉を切った。最後まで言わなくても彼の強い意思は伝わって来る。


「メブレビ、宗主のことをどう思った?」


「『余計な問題を持ち込んでくれるな』って感じだったね。うちの統治にケチつけるなよって怒ってた。……アイン。水の魔物が居ないのは確かなんだろう?」


「ああ。そのはずだ」


「宗主っていつもあんな感じなのか?」


「世には聖人として名が通っているんだがな、そう思っているのは宗主と深く会話したことの無い者だけだと思うぞ。あの人は一族代々の有り余る金で、他所の災害や魔物の被害からの復興を経済的に支援するのが好きなんだ。人助けとして金を出し、感謝されることが。ただ、金ではなく自分が動いたり、自分に責が及ぶ面倒ごとに対処したりは嫌いなんだよ。目下の者にケチをつけられるのも」


「それで務まるの?」


「務まるのが世の闇だ。実際、恩がある魔術師も多いから強く出れない」


「アイン、落ち込んでる?」


「いいや?」


「でもちょと、疲れた顔をしてる」


「はは。バレたか」


「ねえ、水の魔物が居ないと水が腐るって本当? 腐った水を飲んだらどうなる?」


「肺がやられる」


「胃じゃなくて?」


「ああ。腐ると言っても水の見た目が変わるわけじゃ無い。見た目はそのままだが、悪い気をび始めるんだ。水を飲むときに吸い込むと気道を通って肺に入る」


「気になったことがあるんだけど、例えば咳が出たりする?」


「咳?」


「ああ。最初に気にかかったのは牢番の爺さんだった。それから、亡くなった奥さんの娘さん。地下牢で会った日に小さく咳をしていた。それで、『あ、女の子が居る』と気づいた。他には昨日、山の麓で挨拶したお婆さんとその孫。そう考えると子供とご老人ばかりだな」


「……メブレビ」


「なん…… ちょ、ちょっと、アイン、顔が近い」


「昨日から感じていたんだがな。お前、目の付け所がいいな。関係あるかもしれない。助かった」


長躯ちょうくを屈ませたアインの琥珀色の瞳がきらりと輝く。その中に映る自分はどこか気恥ずかしそうにしていた。


「よし、気合が入った! もう一度、今度はあの川の水源までたどって、それから他の川も見に行こう。そっちには水の魔物がいるかもしれない。今夜は野宿でも問題ないか?」


「わかった」


そうだ。宗主など居らずとも、ブルトカールの魔術師が力を貸してくれずとも、きっと問題ない。


元気に歩き出したアインの背に、メブレビはほっと息を吐いた。


「ただなぁ、メブレビ。問題なのは宗主のさっきの話だと水源がこっち側、つまりブルトカールの屋敷の方角。カマルの東部にあるってことなんだ。あちこち結界が張ってあって案内役が居ないと歩きづらいんだよ。ブルトカールの魔術師に聞かないとこの山のどこに他の川があるのかもさっぱりで」


「え?それ、詰んでるんじゃ。この先、どうする?」


そのときだった。


「お待ちください!」


「お、来たな」


振り向くと木立こだちの中、アインをまっすぐに見つめる少年がいた。

年の頃はメブレビと同じくらいに見える。

黒髪の短髪、薄青の瞳をした白衣の少年は風に橙色だいだいいろの肩掛けをそよがせていた。

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