第一章 猫目石の魔術師(マグス) 8




「そこに座っていては姿が見えない。もっと格子の近くまで来てくれないか?」


アインが足にむかって声をかけると、意外にもその足は素直に動いた。

闇の中にすっと引っ込み、立ち上がる音がしたと思うとあかりの下に一人の少年が現れた。


背後がどよめく。


まさか屋敷からここまで、門外にたむろっていた者も含めて全員ついてくるとは思わなかったアインである。

野次馬やじうまたちは少年の囚われた牢から距離を取り、それが彼らに

とってどう言う基準なのかわからないが、とりあえず安全と判断できる場所からこちらを観察することに決めたようだ。


彼らが声を上げたのは一体、どういう理由からだろうか。

少年が、はっと目を引く可憐な容姿をしていたからか。

それとも、闇から姿を現した彼が本当に魔物に見えたからだろうか。

アインに言わせると目の前の少年のどのあたりが魔物であるのか、わからなかった。

魔術師の目から見てもこの少年には魔物がまとう独特の邪気が無い。つまりはただの人なのだが、先ほどのウマルの話もあるので油断は禁物だ。

アインは不思議と胸の内が騒ぐのを感じていた。


よどみ、濁っていた地下の気が動き出す。

急に空気が清浄になった心地がして、アインは少年を見つめた。


意志の強そうな眉。その下に蘭々と輝く、緑柱石りょくちゅうせきの瞳。

幼さの残る白く丸い額。すっと通る鼻筋。鼻先はつんと上を向いている。

髪は黒く、長く、一本の三つ編みにして右肩を通して胸元へと垂らしていた。

口は紅を引いたように赤く、ここが薄汚れた牢であることを疑うほどに生き生きとした美しさを誇っている。


「なんだ?あまり、じろじろ見るなよ」


腕を組み不機嫌に首を傾けた少年の耳元で耳飾りが揺れて光った。

縁は金製。瞳と同じ色の大粒の緑柱石がはまっている。首には丸型の黄金の板が連なった首飾りが光り、身につけた衣服の生地も多少、汚れてはいるが織り目が細かく上等だ。

ただ、旅人の装いとしては不自然かつ無用心だった。「ついさっき、身分ある者の屋敷から出てきた令息である」と言われた方が、よほどしっくり来る。


「よくそのままでいられたな。こういう場所には金目のものは奪われてから放り込まれるのが相場だが」


少年に尋ねたのに、返事は横の老人から返ってきた。


「わたしゃそんな下品なことはしませんよ。だいたいその坊主は、装身具に手を伸ばそうとすると歯を剥いて威嚇するんです」


「と言うことは、誰かに取られそうにはなったんだな?」


「ふんっ」


乱暴な態度を取りながらも、どこか品がある少年だ。

ふと、アインは少年の足下の地面に、わずかにだが不自然なくぼみができていることに気がついた。

背負っていた剣を抜き、抜いたままの流れで素早く窪みに剣を向ける。

剣先に小さな風が巻き起こり、隠れていたものが姿を現した。後方の人だかりが慌て出す。


「ひぃ! つ、土蛇つちへびだ! みんな、逃げるぞ」


「早くしろぉ!魔物がでたぞ! ライハーンの奴の隊商はアレに全滅させられたんだから」


逃げ出す人々に向かって牢の中の少年は悲壮な声で叫んだ。


「おい、こら!昨日、あんなに散々、説明したのに何度このやりとりをしたら気がすむんだ ……まさか、男前のお兄さん。俺はあんたにもまた、同じ話をしなきゃいけないわけ?」

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