第一章 猫目石の魔術師(マグス) 4




恐々、女の来た方を探ってみたが、およそ人が通れるような道は無く、そして女が消えた先にも道らしき道は無く。


「じゃあ、さっき見回していたのはなんだったんだ? 追いかけた方が良いのか? いや、でも、う〜ん」


首を傾げたメブレビの耳に川の流れる音が届く。

さっきから一応、聞こえてはいたのだが、改めて「ああ、あの人が向かった先は川だったのかなぁ」などと、ぼんやり思ったそのとき。

バシャン! と、何か重いものが水に落ちる音が聞こえた。

そこからはあっという間だった。

嫌な予感を打ち消したくて、夢中で草木を分けて音の方へと走った。

けれど、木々が途切れ開けた視界の中で水の中を揉まれて遠ざかる背中が見えたのだ。

メブレビは川に沿う崖の上を走った。なるべく女性の側に着水するように、水の深そうなところを狙って飛び込んだ。川幅は広い。流れも早く、足はどう頑張っても川底にかすりもしない。

それでもなんとか女性の体を引き寄せ岩に抱きつき、その身を引き上げた。

女性を両腕に抱え、ぜいぜいと息を吐きながら岸へと向かう。砂利を踏みしめ岸にたどり着いた頃には流石さすがに息も絶え絶えだったが、必死の思いで女性の気道を確保し体力の限り水を吐かせようとした。

それから先のことは、先ほど牢へやって来た男も見ていたのに……。


「精一杯だったんだけどな」


でも、助けることができなかった。

回想を終え、どこにともなく呟いたとき、右側の地面がボコっと盛り上がった。


「お、フラウウ」


「しっ。誰か来たみたいだ」




***




「あいつ暗がりで目が光ってたぞ。きっと、化け物に違いない。奥様を川へ突き落とし弱らせたところに近づいて襲うつもりだったのだ。そうでなければあんな細腕で軽々と、大人を抱えて歩けるものか」


ウマルは体をぶるっと震わせ地下牢の空気を肺から全て追い出そうと腹をへこませた。

人型の魔物は美しい容姿をしていると聞く。その姿で人間を誘惑し、食ってしまうのだ。

あの少年は正に、それに違いなかった。

となれば、奥様の亡骸を早々に引き離せたのは幸運だった。そうでなければ、考えたくも無いことだが、からのおかんを送り出すことになっていただろう。

奥様が日暮れ間近に山に入ったのもきっと、あの魔物のせいだ。奴が妙な力で奥様を山中におびき寄せたのだ。

ふもとのお婆が知らせてくれなかったら、皆と一緒に探しに行くことはできなかっただろう。

ただ、思うのだ。

もっと早くに知らせてくれていたら−

いや、違う。そうではない。自分がもっと早く、奥様を見つけられていたら良かったのだ。


「モゴリ様、今戻りました」


主人あるじに帰宅を告げるべく、ウマルは声を上げ、白地に蒼の草木が描かれた化粧煉瓦けしょうれんがの門を潜った。

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