第20話 李梅のアジトにて④


「ど、どういう、こと……いったい、なぜ、あなたが……ここに……?」


 野窓若葉。

 おっちょこちょいで、先輩からバカにされていて、いつもオフィスの隅でチェスに興じていた窓際族の女。


 李梅自身が、佐藤真希に扮していた頃から見ていた。彼女のことはよく知っている。

 だからこそ、そんなわけはない。

 だからこそ、そんなはずはない。


 あれが全部、演技だったなんて。


「──へっへっへっへ」


 若葉が笑った。

 いつもの朗らかな笑みとは違う。むしろ逆。

 欺いてやった、騙してやったと言わんばかりの、狡猾な嗤い。


 その笑い声で、李梅の疑心は確信へと至った。


「そんな、まさか、あれが全て、演じていたというの?私たちを、欺くために……?」


「そのアホヅラ拝めただけでも、ここにきた甲斐があったよ」


 彼女から出たとは思えない、低い声だった。まさか、声まで偽っていたというのか。

 わざわざ窓際族までやって──どうして、そんな真似ができる。

 李梅の隠しきれない動揺をよそに、久院のスマートフォンに送信されてきた動画が、ようやく再生された。


「……?」


 動画は短く、それでいてシンプルなものだった。

 女子トイレに、見覚えのある女が二人映っていた。


 そのうちの一人は若葉。もう一人は矢崎だった。あれは、彼女の先輩に当たる人物。


『矢崎さん!大丈夫ですか!?」

「ええ、あいつらは一体何な──」


 そこで矢崎の言葉は中断され、若葉に向かって倒れ込んだ。


「わわっ、矢崎さん!?」


 矢崎は彼女に抱き抱えられたまま、気絶している。

 素人が見れば、人質から解放された矢崎が緊張からほぐされ、安堵して気を失ってしまった。そう捉えるかもしれない。


「ま、まさか……!?」


 もう一度、動画を見直す。

 矢崎が話の途中で言葉を遮られ、気を失う──ここだ。若葉の方に注力しながら、もう一度再生した。


「──ッ!!」


 見間違いだと思った。

 単なる偶然だろうと思っていた。

 誰が信じるだろうか。一瞬、ほんの一瞬だが、確かに見えた。その目すらも疑った。

 まさか、まさか──


 ──若葉が、目にも止まらぬ速さで矢崎を気絶させているだなんて。


 その後、現れた聖に扮した2人目の殺し屋に、追い詰められたフリをして一瞬に気絶させた。

 殺し屋の声真似をして、李梅に若葉を殺したという嘘の報告をする一部始終が映り込んでいた。


「恐ろしく早い手刀……!?」


 若葉は「チッ」と、乱暴に舌打ちすると、


「監視カメラには映像残っちまったか。ま、あとでぶっ壊しときゃ問題ねぇだろう」


 凶悪な笑みを貼り付けたまま、「それよりも──」と李梅を睨みつける。


「──チェックだ。白痴テクノロジーズ」


「まさか、あなたが」

「そう、私がネクサクオンタムの企業救出課のリーダー。野窓若葉」


 若葉は「まぁ──」と、頰を吊り上げた。


「──コードネームだけどなァ」


「そ、そんな……」


 あの若葉が、あの窓際でチェスばかり遊んでいて、だらしなく笑う彼女が──いや、今なら分かる。あれは全て、彼女の作戦だったのだ。こちらを油断させるための。


「……か、鍵はどうしたのよ」

「鍵?」

「そこの鍵よ。厳重なロックがかかっていたはず」

「ああ──あんなものが、鍵?」


 若葉は指に摘んだハリガネを、くるくると回してみせた。


「ハリガネ……!?」


 ぞわり。

 全身を寒気が襲った。


 李梅は知っている。

 ハリガネ一本で、どんなセキュリティをも突破してしまう敏腕スパイを。


 針金姫──あらゆるセキュリティを針金一本で潜り抜けることから、そんな異名で呼ばれるようになった。


 そんな、そんなはずは。

 だってもう、『彼女』は姿を消したはず。


「嘘でしょう……まさか……!!」


 若葉は自らの首の皮を掴んだ。

 べりべりべりっ──と、若葉の「仮面」は剥がされた。


 若葉の顔の皮の内に潜んでいた、その「素顔」を晒した。


「──ッ!!」


 その顔を見た瞬間、李梅の脳裏に激痛が走った。

 彼女にとっての最恐のトラウマ。


 もう二度と、姿を現さないかと思っていた。

 あわよくば、死んでいないかと思っていた。


「紫閃、結芽ェ……!!」


 悪魔。

 悪夢。


 こいつさえ、彼女さえ、いなければ。


 若葉──もとい結芽は不敵な笑みを浮かべながら、つかつかと歩み寄ってくる。両手はジャケットのポケットに入れたままだ。いくらなんでも、こちらのことを舐め腐っている。


「くそ──動くなっ!」


 李梅は拳銃を素早く取り出し、人質の王野のこめかみに突きつけた。


「そこから一歩でも動くと、こいつの命はない」


「……」


 結芽は歩みを止めた。

 その動きを見るに、拳銃を隠し持っている様子はない。殺し屋から銃を奪うような真似もしていないようだ。


 紫閃結芽は確かに最強のスパイだ。情報の奪い合いで彼女に敵うはずはない。

 だが、あくまでそれは潜入という分野における話。決して体幹や腕力、肉弾戦の分野で優れているという話は聞いたことがない。


 もしかしたら、それは──紫閃結芽の弱点なのかもしれない。


 確信はない。むしろ、そうである確率の方が低い。だが、この局面でそれに賭けない理由はない。


「あれ?おかしいなあ……」


 結芽はこちらに来るでも、交渉をしてくるわけでもなかった。余裕すかした態度で小指で耳の穴をほじりながら、人質などどうでも良さげに、


「……言わなかったか?チェックだとな」

「は──?」


 ふーっ、と小指の耳垢を吹き消しながら「王野」と人質に呼びかけた。


「はい。承知しました。紫閃結芽さん」


「え──」


 反応する間もなかった。

 できるはずもなかった。


 王野の瞳に、無機質な赤い光が走った。


 そして、ゆっくり立ち上がった。

 ぶちぶちぶちぶちっ──拘束などはじめからないかのようにロープを引きちぎりながら。


 どれだけの怪力を持ち合わせていようとも、この拘束を立ち上がるだけで解けるはずがない。


 そう、人間である限り。


「ネクサクオンタムの開発部もやるよなぁ、まさか自分たちの生み出したアンドロイドを、総合事務部の部長として忍ばせるんだからよ」

「嘘でしょ……!」


 今の今まで、目の前で人質としてバカっぽく慌てふためいていたコイツが……。

 全て、プログラムされていた動きだったというのか。


「ネクサクオンタムの機密資料、見つかるはずはねぇよ。つーか、この世にねぇんだからな」


 結芽の「なぜなら──」という言葉に呼応するように、王野は笑った。人間の笑みなどではない。あまりに機械的で、不気味だった。


「──資料、製造過程は全て、王野自身の頭の中に全て入っている。こいつを作った当初、資料は全て燃やされたそうだ」

「く、くそがぁああああっ!!」


 李梅はヤケクソのように、王野に向けて発砲した。弾は顔に命中した。


 ぷっ──王野が口から吐き出したのは、ぐにゃりと噛み跡のある弾丸だった。


 鋼鉄の右腕が、李梅の腕を容赦なくへし折った。彼女の悲鳴が上がり、拳銃が床に落ちる。


 若葉はそれをつま先で拾い上げると、そのまま李梅の額に向ける。そして──


「──チェックメイト」


 弾丸は、まっすぐ彼女の額を貫いた。


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