第16話 女子トイレにて


「やめて……殺さ、ない、で」


 女子トイレの便器に座り込む矢崎。

 便座の上で両手を合わせて命乞いをする彼女に銃口を向ける神龍の女性は「はんっ」と得意気に笑う。


「あなたはあくまでも囮。あなたがトイレから戻ってこなければ、心配した若葉はここにやってくるでしょう」


 そこを仕留める──そして、この女も道連れだ。


「あなた、何者なの……!?」


 どうせこいつも殺すのだ。だったら最期くらい、教えてやってもいいだろう。


「私は神龍テクノロジーズの殺し屋。李梅さんの──いえ、こっちでは佐藤真希と言った方がいいかしら?」

「──佐藤、真希ですって!?」


 後輩の名前が出てきたことに驚きを隠せていない。


「そうよ。彼女のためにここの機密資料をいただくのが私たちの使命。野窓若葉はそのための、必要な犠牲というわけね」

「どうして、野窓さんを……」

「秘密を知ってしまった、というべきかしらね。あの子は不運にも」

「矢崎さーん!矢崎さん!」


 言い終わらぬうちに、トイレにやってきた若葉の声が響き渡る。「逃げ──」まで口にした矢崎の口は乱暴に塞がれる。

 殺し屋はそっとトイレの鍵を解くと、外を覗き見た。


「矢崎さーん!どこですか〜?返事してくださーい」


 洗面台の鏡には、矢崎を呼ぶ若葉の姿が映し出されていた──殺し屋は鏡を見ながら、そっと拳銃を取り出し、引き金を握った。


「ひゃあああっ!?」


 ばりんっ──若葉のすぐ横を通過した弾丸は、鏡を破裂させた。そのまま二発目、三発目を撃ち鳴らすがいずれも外れてしまう。


「悪運の、強い奴め」


 毒づきながらトイレの個室から出た殺し屋は、今度こそ……と強い殺意を抱きながら若葉に銃口を向けた。


「や、やめてくださあいっ!」


 若葉は慌てて個室の扉を思いっきり蹴り上げた。運悪く、殺し屋の頭に扉の角がぶつかった。


「ぐふっ……!」

「もういっぱーつ!」


 続いての扉の追撃。打ちどころが悪かったのか、殺し屋は意識が飛びそうになりながら仰向けに倒れる。


「くそ、が……!」


 朦朧とした意識の中、最後の力を振り絞って仰向けのまま拳銃を若葉に向ける。


「きゃああっ!」


 悲鳴を上げながら、若葉は殺し屋の頭を蹴り上げた。銃身が外れ、弾丸は蛍光灯を割った。

 今度こそ意識を失った殺し屋は、白目を剥く。


「はぁ、はぁ……矢崎さんっ!大丈夫ですか!?」


 若葉は、今にも泣き出しそうな矢崎のいる個室に駆け込む。


「こ、これって、どういうことなのよ……」

「矢崎さん、ここから逃げましょう。警察に行きましょう」

「わけ、分かんないわよ……ううっ!」


 そこまで言ったところで、矢崎は糸の切れた人形のように意識を失う。きっと、緊張がほぐれて気絶したのだろう。

 若葉はそんな矢崎に肩を貸して立ち上がる。


「若葉……!」

「ひ、聖さんっ!」


 トイレの入り口前に現れた彼女に向かって叫ぶ。


「ちょうどよかったです!矢崎さんとここを出ますから、肩を貸してくださいっ!」

「えぇ。それより若葉。悪い知らせが」


 聖は鎮痛な面持ちで「実は──」と口を開き、


「──王野さんが、誘拐されたの」


「えっ」


 言葉に詰まった。

 あの王野が、捕まった……?


「今、神龍テクノロジーに人質にとられているわ」

「そ、そんな!」

「でも安心して。今は久院が救助に向かっているわ」


 聖は「それにね」と、得意げな笑みを浮かべ、


「王野さんの救助に、いい作戦を思いついたの」

「作戦……?」

「大声では言えないから、隅に行きましょう」


 聖は若葉を連れて、トイレの隅にまで行った。

 部屋の端にまで追いやられた若葉の眼前には、彼女の顔が迫ってくる。


「あの、作戦というのは」

「ここなら監視カメラにも見えないわね」

「え、え……?」


 聖は胸元に手を入れると、そこから拳銃を取り出し、


「あの、聖さん。何を──」

「ほんとあんたってバカね。作戦なんてあるハズないじゃないの」


 その銃口を、若葉に向けた。ずるり、と金髪の『カツラ』が取れた。


「聖さんじゃ、ない……?」

「ようやく気付いたのね。でも、もう遅いわ」


 神龍テクノロジーズの『殺し屋』は不敵に笑った。




「一体いつから、殺し屋が一人だけだと錯覚していたの?」

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