第12話 トーマスの闇
リリーが
「全てが嘘なわけではありません。それはアンの優しさです」
「優しさ……?」
小首を傾げると、オリバーは目を細める。
「あの日の詳しいことは申し上げられませんが、重要な点は『私がトーマスから暴力を受け、アンがドアの隙間からそれを見たこと』です」
「詳しいことは言えない」というからには、きっと話したくないことなのだろう。
しかし、リリーにはまだ疑問が残っていた。
祖母が
つまり、リリーに話さなければいけないことが、雨の日にあったということだろう。
それは何なのか?
リリーは一旦その疑問は胸の内にしまい、彼の話に耳を傾けた。
「背中は噛まれていませんでしたが、確かに私は暴力を振るわれていました。トーマスは『塔』や『塔の管理者』の話はアンに聞かれたくないけれども、『その現場を見られても構わない』と思っていたのです」
トーマスの気味の悪い思惑に、リリーはくっと眉を寄せる。
「じゃあ、祖母の泊まる部屋を、オリバーさんの部屋の近くにしたのは……」
「私が彼に暴力を振られているところを見せるためです。私が助けを求めるとしたら、アンしかいませんからね。トーマスと妻は、折り合いが悪かったようで時々しか帰って来ていなかったようですし、料理人は彼に従順。子どもたちは親の言いつけをきちんと守って、私がいる部屋の周辺には絶対に近づきませんでした。そもそも頼りにはしていませんでしたが」
「そう、だったんですね……」
家族や料理人がいるなかで、何故これほどまでにトーマスが自由にできたのか、言われてみると上手く行き過ぎである。だが、話を聞いてリリーは納得した。
時々しか帰ってこない妻は、夫のしていることに干渉せず、料理人はトーマスに服従していたのならば相手が鳥だろうが人だろうが、主人の言われた通りの料理を作るだろう。
十歳にも満たない子どもたちには、部屋に近づかないように言い含めておく。子どもなので「入っては行けないよ」というと逆に気になるも子もいたかもしれないが、彼らが部屋に興味を持たないように、気を逸らしていたのだろう。トーマスならその辺りのことも手を打っていそうである。
そしてアンは、お小遣い稼ぎで来ただけのハウスキーパーであるため、働いた分だけの給与とチップをはずめば、余計なことはしないだろうと思っていたに違いない。
つまり、全てトーマスの手のひらの上で物事が進められていたということである。
「トーマスはきっと、アンが私に多少の興味を持ったことを知っていたのだと思います。ですが、私は彼女に危害が及ばないように、ほとんど何も話しませんでした。ただ、アンの一方的なおしゃべりは、気晴らしになりましたし、
アンにとってオリバーは「何も話さない青年」であり、トーマスは「気前のいい雇い主」だった。
この二人の関係がよく分からないまま、トーマスが彼に暴力を振るっているところを見れば、アンでなくとも「どうして?」と驚くに違いない。
仮にアンが屈強な男だったならば、部屋に入って止めることもできたかもしれないが、か弱い女の子である。しかも相手はチップを沢山くれる、気前のいい雇い主だ。自分の安全を考えるのであれば、何もしないに越したことはない。
一方で、トーマスは、どうやってオリバーの精神的苦痛を与え、口を開かせるかを考えていた。
人のことを観察し、どうすれば心が折れるのか巧妙に考えられている。
「もし、私がジョンとやり取りをしていなければ、アンにあのときの状況を見られたことを知った瞬間に、きっと心が折れていたと思います。トーマスは、彼女が警察に通報しないだろうということも分かっていたでしょうしね」
お小遣い稼ぎのためにハウスキーパーをしに来た女の子が、危険を顧みずに警察に通報するのは難しい。
地下を覗きに行くくらいはできたとしても、事が大きくなったあとに、
「しかもあの日は、彼にとって都合が良かったのです。彼は私に暴力を振るうとき、いつも口に布を噛ませていましたが、それでも多少の声は漏れるものです。ですが、悪天候だったためそれらがかき消されていましたから」
「酷い……」
「彼は目的のためなら手段を選ばない。そういう男です」
オリバーはただ静かにそう言って、目を伏せた。
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