第13話 透明人間
「ほどなくしてジョンから最後の届け物が送られて来たので、私は脱出を決行したのです。あの家でアンと最後に言葉を交わした日は、トーマスとの別れの日でもありました。彼が部屋にやってきたとき、私はある薬を与えました。これもジョンが持ってきてくれた持ち物にあったもので、記憶が現実か仮想か、区別がつかなくなるものです」
「もしかしてトーマスは……」
リリーが問うと、オリバーはにっこりとほほ笑んだ。これまでにない、どこか作り物のような笑みである。
ほとんどの質問に答えてくれたオリバーだが、こればかりは聞いてはいけないということだろう。
リリーはその先に続く言葉を「いえ、何でもありません」と言って飲み込んだ。
「その後、私は窓から外に出て雨どいを伝い、何とか下に降りました。下には
彼の言っていることは分かるが、「実際に存在はしていない」と思ったリリーは半信半疑に尋ねた。
「『背景と溶け込む布』……ってことですか?」
オリバーは迷いなくうなずく。
「ええ。ちなみに『光学迷彩』については、多くの企業や研究機関で開発がおこなわれていて、二〇一九年にはカナダの軍服メーカーで精度の高いものが作られています。しかし私が使ったのは六十年前のことですから、『メルトシート』の技術が地球のものではないことはお分かりですね?」
確認するように聞かれ、リリーは肩をすくめると、冗談半分に「はい、先生」と言った。
オリバーは調子を合わせて「さすが、優秀ですね」と言うと、言葉を続ける。
「最後に『メルトシート』の下に隠されていた、大きめの通信用の鳥を放ちました。ジョンに脱出できたことを報告するためです」
祖母がオリバーを最後に見た日に、「白い鳥を見た」と言っていたので、きっと彼が放った鳥を見たのだと、リリーは思った。
「すべてのやるべきことを終えた私は、その場を離れました――というところまでが六十年前に起きた出来事です。いかがでしたか?」
祖母に話を聞いていたとはいえ、思いがけず唐突な終わり方だったために、リリーは反応に数秒遅れてしまった。
「え? あ、あの、えっと……その……」
感想を聞かれるだろうとは思ったが、上手く言葉も出てこない。
リリーは少し時間を稼ごうと、ちょうど目に入ったグレーズドドーナツを手に取った。
「すみません、お答えする前に、これをいただいても構いません?」
オリバーは寧ろ嬉しそうな顔をして、首を縦に振った。
「ええ、もちろん。そうだ。コーヒーが冷めてしまいましたね。入れ直しましょうか?」
「あ、いえ、それなら、もう一杯いただいてもいいですか? 喉が渇いていて、このコーヒーは飲むのに丁度良くて」
「どうぞ」
オリバーは組んでいた足を
リリーはその間、どういう感想を言ったらいいかを、あれやこれやと考えていたが、口いっぱいに含んだ甘いドーナツを飲み込む前に、オリバーが椅子に戻り再び足を組む。
「さて、クロエがコーヒーを持ってくるまでに、私はリリーさんにお話しなければならないことがあります。食べながらでいいので聞いてください」
リリーは冷めたコーヒーを少しずつ含み、口をもぐもぐさせながら、こくりとうなずいた。
「まず、このお話は他言無用でお願いしたいということです」
「それは構いませんけど……。あれ、それならどうして私に話してくださったんですか?」
口の端についたシュガーシロップを指で拭って時間を稼ぎながら、ようやくドーナツを飲み込んだリリーは、小首を傾げながら答える。
他言無用であるなら、何故自分はこの話を聞いたのだろうかと疑問に思ったのだ。
「事情があるのです。実は、塔の管理者の高齢化が進んでいましてね。新たに数人候補者を募らなければいけない状態になっているんです」
「はあ……」
自分は何の話をされているのだろうと、リリーは目を
「私もその一人でして、後継者にリリーさんもよくご存じのアスラン君に頼むことにいたしました」
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