次期当主の意地


「……………………」

 暗号文の映ったわたしのスマホ画面と、紙とペンを前にして、蒼衣ちゃんが固まる。


 時折蒼衣ちゃんがペンを走らせて紙に何か書き込むけど、すぐ手を止める。

 その繰り返し。


 横に座る虎子ちゃんからも声は出ない。

 きっと蒼衣ちゃんや虎子ちゃんの頭の中では、暗号解読のパターンを色々試して、ああでもないこうでもないとやっているのだろう。


 ――だけど、この暗号はそのパターンを、ちょっとひねっている。



「…………蒼衣、わかる?」

 10分ほど経って、ようやく虎子ちゃんが口を開いた。


「…………悔しいけど、全くよ」

 蒼衣ちゃんは紙の上をペンで色々叩きながら答える。悩んでいることが、表情から丸わかりだ。


「文字をずらすのと、ローマ字に直すのは試した。あとは……数字か、それとも他の何か……」

「並び替えでは無さそうね。そうだとしたら、この文字数で並び替えをするすずめさんに拍手しかないけれども……」


 虎子ちゃんはわたしの方をちらりと見る。

「虎子、すずめから何か情報を引き出そうとしても無駄だぞ」

 すかさず隼くんがつぶやく。


「……わかってるわよ。これも、すずめさんが考えた問題?」

「うん。……今日のために、考えてきた」

「ちなみに、俺は解けなかったぜ。隼も」

「ああ。今日すずめが用意した一番の難問だ」


 隼くんが言うように、今日わたしが考えてきた問題の中で一番難しいのがこの最終問題だ……と思う。

 暗号解読にすごい特殊な作業が必要なわけではない。


 けど、暗号のパターンを知っている人ほど、このやり方は思いつくまでに時間がかかるはず。

 蒼衣ちゃんや虎子ちゃんに、謎解きの力があるほど、難しい。

 そしてここまでで、少なくとも蒼衣ちゃんは、それぐらいの力がある……



「……か行やさ行ばかりなのが、気になると言えば気になるけど……」

 ……あっ、でも蒼衣ちゃんも気づいてはいる。


「やっぱり。は行より後ろは全く無い。使われてるのは、『あ』〜『の』だけ……」

「でも、例えば『い』や『う』もないのよね」

 虎子ちゃんも声を上げる。

 そこまで気づいてるのなら、もう少しで答えにたどり着くかもしれない。



「――けど、数字だとしても、上手くいかないなあ……」

 何か書き込みながらつぶやく蒼衣ちゃんの手元の紙を見る。『55354335』から始まる数字の羅列。


 きっとこれは、暗号文を数字に変換したもの。

 例えば『の』は、五十音表で右から5行目の上から5段目にあるから『55』。

 次の『そ』は、右から3行目の上から5段目なので『35』。

 ひらがなと数字を変換する最もありふれた方法の一つだ。

 蒼衣ちゃんも虎子ちゃんも、これぐらいは当然やる、というところだろう。



 ――でも、このやり方ではこの暗号は解けない。

 数字に直した後、その次の手段がないのだ。



「どうだ、蒼衣。諦めて降参したほうがいいんじゃないのか? もう20分は考えてるぞ」

 鷹くんが、いたずらっぽく蒼衣ちゃんの顔をのぞき込んで喋る。ちょっとうれしそうだ。


「嫌よそんなの。龍沢家次期当主のあたしに、解けない謎があって良いわけないでしょ……」

「あら、解けないものは解けないじゃないの。わたしも色々考えているけど、正直行き詰まっているわ」

 虎子ちゃんはあっさりと息をつく。

「何よ、あんた解けなくて悔しくないの?」

「解けないことへの悔しさと、解けない謎に対して意地悪く悪あがきするのは別問題よ。わたしは白井家次期当主として、そんな恥ずかしいことはしない」

「でも……このままじゃ、あたしの負けに……」


 気づくと、蒼衣ちゃんの目が潤んでいる。

 ……それぐらい、悔しいんだ。



「……わかった。ではあと5分で解答が出なければ、審判であるわたしの判断で時間切れ。勝負はすずめさんの勝ちとします」

「何よそれ!」

「じゃあ、蒼衣はいつまで考えるつもりなの? 1時間? 1日? きりがないわ。数時間考えて確実にわかるというのなら、それでもいいけど」

「偉そうなこと言うんじゃないわよ。虎子だってわかってないくせに」

「ええ、わたしもわかってない。だから諦めて、すずめさんに教えてもらうことにしましょう」


「…………」


 蒼衣ちゃんは、何も言わなかった。


 

 ――そしてそのまま、5分が過ぎていった。


「……時間切れ。蒼衣、諦めなさい」


「…………うん」

 虎子ちゃんに促され、消え入りそうなか細い声でようやく蒼衣ちゃんが声を上げた。


「ではすずめさん……わたしたちに、答えを教えていただけないかしら」


「わかった。……この暗号は、ひらがなをローマ字に変換するもの」

「でも、それは……」

 わたしに初めて会ったときのあの強気な姿勢からは信じられないほど、蒼衣ちゃんの声には勢いがない。

「つまり、変換方法が問題だったということなのね」

 蒼衣ちゃんの言葉を引き取るように虎子ちゃんがわたしに質問する。

「そう。そしてその方法は……そんなに難しいものではない」


 わたしは蒼衣ちゃんが使っていた紙の余白に、ペンで少し書き込む。


『あいうえおかきくけこ……

 ABCDEFGHIJ……』



「……えっ……」

 わたしの書き込んだものと暗号文を見比べる蒼衣ちゃん。

「……本当ね。わたしとしたことが、見えてなかったわ」

 ため息をつく虎子ちゃん。

「すずめの言う通りだったな。シンプルなやり方だけど、シンプルすぎて逆に思いつけない。蒼衣だけでなく虎子にまで一杯食わせることができるとは……」

「それだけすずめがすげえってことだよ隼」

 隼くんと鷹くんはそう話し合っている。


 隼くんの言う通り、本当にシンプルだ。

 五十音順で◯番目のひらがなと、アルファベット順で◯番目のローマ字が対応している。『あ』と『A』から始まって、『は』と『Z』まで。

 ま行とか、後ろの方のひらがなが出てこないのはアルファベットが26個しかないからだ。


 でも、普段ひらがなの順番を『あ』から通しで意識することはあまり無い。

 例えば『の』は25番目のひらがなというよりも、な行(5行目)の5段目と言う方が普通だ。

 だからこの変換方法は、ひらがなの変換を色々やっている人ほど――つまり、暗号に慣れた人ほど――すぐには出てこないはず。

 蒼衣ちゃんも虎子ちゃんも、きれいに引っかかってくれた。


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