17.悪役令嬢は社交界デビューする2

 そして朝はやって来た。いつもより早く目覚めた私は、不安と緊張を抑えながらやがてやって来たスーザン達によっていつも以上に時間をかけて磨かれた。湯あみから始まり、オイルマッサージや肌の手入れが念入りに施され、まるでどこかの花嫁のようだ。



 「ではドレスにお着替えしましょう」



 慣れた手つきで完成された化粧はいつもより少しだけ濃い気がするけど、五年前のけばけばを思い出せばまだ薄い方かなと心を落ち着かせる。今日は髪にも水色や薄紫といった瞳に合わせた寒色の生花を絡ませており、侍女たちの気合が伝わってくるようだ。

 やがてヒースから贈られたドレスに身を包み、私の支度が完成した。自分で言うのはどうかと思うけど、正直とっても可愛い。元々の顔はきついけど、それが凛とした雰囲気に変わっている気がする。



 「リリー!なんて可愛いの!!」



 そう言っていつの間にかそばに居たお姉様が胸の前で手を組んで目を輝かせている。そんなお姉様は、落ち着いた紺のドレスに身を包んでいて、普段より大人びて見えた。



 「お姉様もとても美しいわ!」


 「今日の私はリリーの引き立て役よ」



 そう言って淑女の礼をしたお姉様に私も倣う。その後でなんだか少し恥ずかしくなって、照れ笑いを浮かべた。今日から大人の仲間入りと言われてもピンと来なかったけど、じわじわと実感が湧いてきて少しだけ背筋を伸ばす。

 あっという間に出発の時間になり、私は両親とお姉様に寄り添われながら馬車へと乗り込んだ。ヒースに会うために何度も通ってきたはずなのに、いつもより新鮮な気がする道をあっという間に進み、馬車はお城へと到着した。今日はいつもヒース様と会うのとは別の宮にあるホールが会場だ。


 ヒースたちの住む宮とはまた違う調度品の数々が輝きを放っている。各国の来賓も来るこの宮は、国花であるすずらんをモチーフとした物が多い。どこもかしこもピカピカに磨かれていて、なんだか目がくらんでしまいそうだ。


 周囲には同じように両親や兄弟に連れられた子達があちこち目配せするように窺っているのが見て取れた。婚約者の私は普段からお城に通うことが多いけど、今日初めてお城へ来た子達ばかりだろう。

 華やかなドレスに身を包む周囲から浮いてやしないかとドキドキしながら改めて自分の装いに目線を落とす。あしらわれたラメが宝石のようにキラキラと輝いているのが目に入って、ふぅと息を小さく吐いた。ヒースが選んでくれたドレスなのだから間違いないと自分を奮い立たせる。



 「真っ直ぐ前を向いて。あなたが一番美しいわ。大丈夫よ」



 扇子で口元を隠しながら耳打ちするお母様の言葉にハッとして前を向いた。緊張と不安でいっぱいの心にスッと広がる安心感に背筋を伸ばして歩く。



 「やだわ、お母様。そんな当たり前のこと、逆にリリーに失礼だわ」



 振り返れば声のトーンを低くするお姉様が居た。表情だけは穏やかな笑顔を浮かべているのが少し怖い。お母様も負けず劣らずの優雅な笑みで対抗しているのを見て、思わず口元を引きつらせそうになりながら私も微笑みを浮かべる。


 そんな状態の中、私達は開かれた扉を抜けてホールへと入り込んだ。既に何人ものデビューの子達が親に連れられて挨拶を交わしているのが見える。

 すると私達の元にも挨拶をしに何人かの親子がやってきた。どの子も優雅な笑みを浮かべ、こちらに取り入ろうとしているのが分かる。これが社交界か……なんて考えているうちに、どんどん挨拶の相手が代る代る変わっていくのに目が回りそうになった。



 「国王陛下、王妃殿下のお見えです!」



 すると聞こえてきた声と共に、会場が拍手で溢れる。両陛下は今日もオーラが凄いなと思っていると、今まで挨拶を交わしていた子からごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。分かる、緊張するよね。

 二人が着席すると同時に目の前に列ができ始め、私も連れられるまま列に並ぶ。貴族の階級が高い順に挨拶することができると事前に聞いていたけど、私の番はすぐに回ってきそうだ。



 「お父様、あの方たちは並ばないの?」



 ふと、列から離れた場所で歓談している人たちが目に入り尋ねる。



 「階級が下の者は、挨拶をしながら待つ者が多いんだ。並んでいる時間も社交に費やした方が効率的だからね」



 なるほど、と思いながら周りを見回す。ここで忘れちゃいけないのが、ヒロインの存在だ。ピンクの髪なら目立つはずだけど……と思い見渡すものの、それらしい人物はいないようだ。注意深く探していると、陛下への挨拶の順番はすぐにやってきた。



 「国王陛下、王妃殿下にご挨拶申し上げます」



 そう言ってカーテシーをすれば、すぐに楽にしなさいと声が掛かった。



 「ネリネ嬢のことはよく知っているので堅苦しい挨拶は良い。それよりヒースとはどうかな?」



 優しげな笑みを浮かべるその顔は、ヒースを彷彿とさせる。親子なんだな、なんて思いながら私も笑顔で答えた。



 「とても素敵なお方でございます。お隣に並べるよう、これからも精進して参ります」



 その返事に満足気に頷くと、今度は王妃がニコニコとしながら扇子で口元を隠す。



 「うふふ、今度ぜひお茶でもどうかしら」


 「私でよろしければ、ぜひご一緒させてくださいませ」



 王妃の小声に、私もこそっと返事をする。婚約者だから贔屓されていると思われないための王妃なりの気遣いだろうか。そんな気遣いを有難いと思いながら、私達の挨拶は終わった。



 「閣下。ご挨拶させて頂いてもよろしいでしょうか」



 その途端、お父様を呼び止める声に私達は振り向く。そこには吊り上がり気味の目元をにこやかに緩めた男性と、少しこわばった笑顔の少女がいた。



 「これはこれは、ブラウン男爵」


 「私の娘も今日がデビューでして」



 そうして促されるように少女がおずおずと前に出る。



 「ブラウン男爵家、長女のマリーと申します」


 「カリプタス侯爵家、次女のネリネですわ。マリー、よろしくね」



 にこりと笑いかければ、少し安堵したようにマリーも笑顔になった。私達の挨拶を見届けると、ブラウン男爵に仕事の話を振られたお父様は、真面目な顔でなにやら話し始めた。それならば、と私はお父様に一言声をかけてマリーと共にその場を離れることにする。



 「向こうにケーキがあると聞いたの。良かったらどうかしら?」


 「も、もちろんです!」



 食い気味に返事をするマリーに、私なんかに緊張しなくてもいいのにと少し笑いながら私達は食事スペースへ移動した。一口サイズのケーキが何種類も並び、他にもクッキーやマドレーヌといった焼き菓子がたくさん置いてある。さすがに序盤ということもあってか、全然減っていないようだ。


 私はここでもマカロンを手に取る。それに倣ってか、マリーもマカロンを手にした。二人でぱくりと口に入れれば、その甘さに思わず感嘆の声が漏れる。



 「とっても美味しいわ」


 「はい!すっごく美味しいです」



 少し驚いたように目を開きながらむしゃむしゃと頬張るマリーになんだか和んでしまう。そして、少しは緊張も解けてきたみたいだと安堵する。緊張した時こそ甘いものだなんて思いつつ、早速二つ目を手にしたところでマリーが恐る恐るといったように話しかけてきた。



 「あ、あの……う、噂で聞いたんですけど。第一王子とご婚約したって本当ですか?」


 「んっ……!?ぐっ……けほっ。だ、第一王子?」



 まさかの言葉に危うくマカロンを丸呑みしかけそうになりながら、私は聞き返す。



 「はい。えっと……違いましたか?」



 私の婚約者であるヒースは第二王子だから、その噂は間違っている。一応正式な発表はまだではあるけど、さすがにここで濁せるような内容でもないためしっかり訂正することにした。



 「私は第二王子のヒース殿下と婚約しているわ。まだ正式な発表はされていないから、どこかで噂が混ざってしまったのかしら?」


 「あ!ご、ごめんなさい!」



 慌てて謝るマリーに首を振りながら、噂って信憑性に欠けるものなんだなと実感する。確かに最初に婚約しようとしてたのは第一王子のウィリアムだから、きっと伝わっていく途中で話が混ざってしまったのだろう。巨大な伝言ゲームみたい!だなんて他人事のように思いながら、新たにお菓子に手を伸ばす。



 「あ、あの、ネリネ様はどちらの仕立て屋で仕立てていらっしゃいますか?」


 「んー、私よく分からないのよね。後でお母様に聞いてみるわ」


 「あ、ありがとうございます!その、今日のドレス凄く素敵です!」



 そう言ってはにかむマリーに、私も微笑む。



 「ありがとう。でもこのドレスはヒース様から頂いたものなの。ヒース様にも伝えておくわ」



 そう伝えれば、マリーは途端に目を大きく開いてぎこちなく首を上下に振った。そんな様子が可愛らしくて、私は小さくくすくすと笑ってしまう。いつも関わっているのが、仕草だけは完璧淑女のお姉様や、小さい頃から徹底教育されてやけに大人っぽい雰囲気のヒースだから、普通の同年代のリアクションがとても新鮮だ。


 だからというわけではないけど、私も楽しくてついつい甘いものに手を伸ばすペースがいつもより早くなってしまう。マカロンの次はケーキを食べ始め、四つめを平らげて次はどうしようかしらと悩み始めたところで、それは急にやってきた。



 「それで私の末の妹がすっごくわがままで!……あれ、どうかしましたか?」



 急にもじもじと落ち着かない様子の私に気づいたマリーが話を止めて不思議そうに聞いてくる。



 「あ、えぇっと……おほほ、お花を摘んで参りますわ〜」


 「え、お花?……あ、ネリネ様!」



 隠語が伝わらなかったことを気にする余裕もなく、私ははしたなくならないギリギリのラインを攻めながらホールの出口を目指した。いつもより締め上げたコルセットの存在を忘れて食べすぎた結果……そう、今すぐトイレに行きたい!!


 事前に少し離れたところにあると聞いていたトイレは、通路の奥の方にあった。なんでこんなに遠いの!と少し苛つきながらも間に合ったことでふうと安堵しつつトイレを済ませて出ようとしたところで、突然の衝撃に少しよろける。



 「あ!!ごめんなさ……え!天使様!!……はっ!ごめんなさい!!」


 「て、天使様?」



 ぶつかってきた女の子は、白いドレスに身を包んでいる。同じデビューの子だろう。



 「え、えっと、天使様のような人がいると聞いたもので……突然ごめんなさい」



 誰から聞いたの?まさか……と思いかけたところで、明かりの少ない通路でも分かるほど血の気の引いた顔色に気づいた。



 「あなたとても顔色が悪いようだけど、大丈夫?」


 「……大丈夫です」


 「少し外で休みましょう。私も付き添うわ」



 その言葉に、丸く垂れた目元を大きく開いて驚いた様子の彼女を連れてホールの横にある庭へと連れ出す。

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