16.悪役令嬢は社交界デビューする1

 「はぁ……」



 季節は巡り巡る。暖かな陽気に包まれながら、私は溜め息の相手を前におずおずと紅茶に口をつけた。

 こっそり盗み見ると、変わらず不満げな顔のヒースが私を何か言いたげに見つめている。つんと突き出した唇に、まだまだ子供だなと思う。ため息混じり声はあの頃よりも低いし、私よりも小さかった背をぐんと伸ばした。きっと身長を抜かされるのも時間の問題だろう。着々と少年の時期を過ぎようとしている彼に、男の子の成長は早いなと少しだけ感傷的になった。



 「はぁ……」


 「ヒース様。……何か?」



 何度目かの溜め息に痺れを切らして私が声を掛けると、ヒースは子犬のようなつぶらな瞳でこちらに視線を向けた。



 「……本当に行っちゃうの?」


 「……は、はい」



 ヒースの甘えるような声に今度は私が溜め息を吐きたくなってしまった。

 私とヒースの仮婚約から、五年。あっという間なようで長かったような気がするこの期間。変わったことと言えば、ついに右手の薬指の指輪が正式なものになった。つい最近、正式な婚約を結ぶことが決まったのだ。ウィリアムは近隣国のお姫様との婚約が決まり、私とヒースの婚約についても延期する必要が無くなった。ウィリアムに関しては、近々発表を兼ねた祝賀パーティーが開催されるだろう。その後に頃合いを見て私たちも開催される。


 ヒースからは改めて指輪が贈られたけど、昔貰ったスカイブルーの宝石がついた指輪を今でも肌身離さず着けていた。もちろん今でも私の右手で光っている。一番のお気に入りだ。ちなみにヒースのお気に入りは、ヒースの誕生日に何気なくあげた小石すくいの白い石らしい。ネックレスにしてまで大切にしてくれるのは嬉しいけど、私的にはもう少し素敵なアクセサリーなんかをあげたくて複雑だ。


 それから変わったことと言えば……ヒースの束縛が日に日に増しているような気がしているというところだろうか。



 「本当に?」


 「本当です……」


 「僕の婚約者は社交の場なんて必要ないと思うよ?」



 不満げな顔をにこっと笑顔に変えて言ったその言葉に、思わず苦笑いが漏れてしまいそうになる。今日は、社交デビューの前日。一年ほど前から社交デビューの話題に触れる度に駄々をこねるようになったヒースとは、この会話を既に幾度と交わしているし最早鉄板になりつつある。



 「いえ、ヒース様のお隣に立つのですから、社交は大事な場ですわ」



 にっこりと心の中を隠した令嬢スマイルに、ヒースも負けじと口角を上げる。



 「いや、社交したいなら来させればいいんだよ。何故僕の婚約者のネリネがわざわざ出向かないといけないの?」


 「……ヒース様の駄々っ子」


 「何か言ったかな?」



 いいえ?と口元に手を当て何のことかしらと小首を傾げれば、ヒースも私の顔を追うようにして首を傾げて目を離さない。何、可愛い!と、思わず令嬢スマイルが崩れそうになるのを抑えて我慢した。ヒースに出会って五年も経つけど、まだまだ不意打ちの仕草に心がきゅっとするところだけは相変わらずだ。



 「殿下、私が目を光らせますのでご安心くださいませ」



 そこに現れた助け舟に、私は口角を上げた。ヒースが視線を移す先は、私のお姉様。今まで私に対しては魅了の王子様スマイルだったのに、お姉様にはなんだか少し悪い笑顔を向けている。



 「頼んだよ?」


 「なんなりと」



 まるで主君と家臣のような佇まいに私は今度こそ苦笑いを零した。

 攻撃的だったお姉様と、それに飄々と返すヒースの関係性は、最近では二人の距離もぐっと縮まったらしい。私が席を立っている間に盛り上がった楽しそうな話し声や笑い声が廊下まで漏れていることもあるくらい。何だか嫉妬してしまって、ある時侍女のスーザンにどんな話をしているか聞いてみたけど、ずっと私の話をしているとかなんとか……うん、あまり深く聞かない方がいいやつだね。



 「あーあ、どうして僕は二年早く生まれてこなかったんだろう」



 またもや最初の溜め息に戻りそうな気配を醸しながらヒースが再びむすっとした表情を浮かべた。

 社交デビューの場には王族も挨拶で少し出席するみたいだけど、社交デビューがまだのヒースは出席できない。この国では社交デビューの規則は、小さな子供を守る名目でルールがしっかり定められている。王族であるヒースももちろんそのルールは適応されていて、自分が主役の誕生祝いのパーティーだって挨拶を受けてすぐに退場するくらいだ。



 「いや、もっと早くに生まれていたらネリネのエスコートだって特別に許可が下りたかもしれない」



 基本的に社交デビューで参加する者のエスコートは親、もしくはデビュー済みの兄姉だ。婚約者は基本的には参加できないので、ヒースの言う特別は残念ながら叶うことはない。きっとヒースも分かっていて、それでも駄々をこねずにはいられないのだろう。ヒースは続けて、せっかく僕が用意したドレスなのに、僕が見れないなんて……と深く溜め息を吐いた。


 ヒースの用意してくれたドレスを思い出して私は顔が綻ぶ。

 デビューでは男女ともに白を基調とした衣装に身を包む。昔は真っ白と決まっていたらしいけれど、私たちの世代では装飾で彩りを加えたものが流行だ。今回ヒースが贈ってくれたドレスは、白い生地に水色のラメが散っていて、スカート部分は何層かのレースで膨らんでいる華やかな印象のでドレスだ。



 「ヒース様の用意してくださったドレスを着れば、まるでお傍にいてくださるように心強いですわ」


 「デビューが終わったら会いに行くからね」



 その言葉にもちろんですと頷く。この会話も何度目か分からない。

 可愛らしいドレスを着れることも、大人と認められる社交界への参加が認められることも、明日は特別な日になりそうだと心が少し浮き立つ。



 「そうだ!男に話しかけられても返事しないでよ。挨拶も無視でいいよ」


 「そんなことをしては、ヒース様にご迷惑がかかりますわ!それに私もどんな風に言われてしまうか……」


 「大丈夫、そんなこと言わせないから」



 笑っていない目が少し怖い。一体何を考えているのやら。



 「いっそのこと笑顔も禁止にした方がいいかなぁ。どうしたら笑えないようにできるか……」


 「そんなことより、女の子のお友達ができるのは嬉しいことですわ」



 いよいよ物騒なことを呟き始めるヒースに私は話題を変える。



 「うーん、ネリネは可愛いから女の子相手でも心配だよ」



 ふふ、と笑いかけたところで私はそういえばと思い出す。

 友達と言えば、小説『翁草』のヒロインであるジャスミンとネリネの出会いがまさに社交デビューだったと何かで見たような気がする。これが正しいのであれば、明日のデビューにはジャスミンも来るはずだ。



 「ネリネ?どうしたの?」


 「いいえ、少し緊張していて」



 いけないいけない、と表情筋に力を入れる。これからはヒースの隣に立つ婚約者としても誰かに感情を簡単に気取られてはいけないのだ。意識しながら、小説で説明されていたヒロインの見た目を思い出す。

 確か薄いピンク色の腰まで伸びた長い髪に、ピンク色の瞳だったはずだ。小説では穏やかな性格と雰囲気で、誰にでも親切な心優しいヒロイン。


 正直ヒロインは現実ではどんな子だろうと気になりもするけど、もしも出会ってしまえばバッドエンドに一歩近づくことになってしまう。それは絶対に食い止めなければいけない。



 「でもヒース様の婚約者として胸を張って来ます」



 私はテーブルの下で小さく拳を握り、心の中でそっと誓うのだった。

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