10.悪役令嬢は初めて旅行する1
「ということで、三日ほど家を空けることになりました」
「そっかぁ……気を付けてね」
そう言ってヒースは細い糸目をにこにことしながら、口角を上げた。
この世界に転生した記憶を思い出し、ヒースへの告白騒動を起こした顔合わせから半年が経った。春の暖かな日差しが、いつしか容赦ない照りつけるような日差しに変わり、ドレスも薄手の装いへと変わった。開けられた窓からは幾分か涼しい風が入り込むものの、やはりうだるような暑さが続いている。
「リリーは私が守りますので、ご安心ください」
にこりと笑いながら言うお姉様に、私は少し苦笑気味に冷たいレモネードに手を伸ばす。
実は数日後に、初めての家族旅行を控えているのだ。お父様の仕事の兼ね合いで、今回ある程度成長した私たちも連れて行ってもらえることになった。もちろん日中仕事をするお父様と、今回同行を任されたというお母様たちとは別行動だけど、その間私たちは侍女のスーザンも一緒にという条件で観光を楽しんでいいと許可が下りた。
「それは頼もしいや」
そう言って笑うヒースに、お姉様が挑発的に言う。
「えぇ、悪い虫は立場が何であろうと私が排除いたしますわ」
ふんっと笑うお姉様と、その言葉には返さずににこにこと相変わらず表情を崩さないヒース。
正直かなり居心地が悪い。こんなとき、どう反応すればいいのか分からない。大体ここ最近のお姉様は、私がヒースに会うとなれば必ずと言っていいほど付いてくるのだ。
さすがに王城まではついてこないけど、こんなにシスコンでこの先大丈夫なのかなと心配になってくる。お姉様は十三歳なので、社交界まではあと一年あるけど、もう既にカリプタス家の長女は綺麗らしいと噂になっているようだ。
妹大好きなあまり、この国の第二王子にまで果敢に吹っ掛ける性格がバレてしまえば婚約に響くのではないかと今から心配なところである。お姉様にそれとなく言ってみても、「私はリリーと結婚するわ」ととんでもない発言で話を逸らされてしまうのがいつもの流れだった。
「わぁ!綺麗!」
それから数日後、私たちはサンセベリア王国の南部ピラカンサへとやって来た。ここは海に面していて、夏でも冬でも観光客が多い。他国と比べても治安の良い王国の中でも、特に人気の観光スポットである。海の幸に恵まれていて、温かい気候による特産のフルーツでも有名だ。
到着してから今回滞在する別荘へと荷物を運ぶと、両親は早速領主への挨拶に出て行った。私とお姉様はスーザンを引き連れ、部屋の窓から見える海に向かう。そして私は、初めての海に目を奪われることになった。どこまでも続く水面の向こうには、水平線が広がっている。知識として分かっていても、あそこから更に遠くの地まで続いていることが不思議に思えた。
潮の香りに鼻をくすぐられながら浜辺を散歩していると、きょろきょろと辺りを不安そうに見回す男の子の姿が目に入る。どこかの貴族の子息なのか、上等な服に身に纏う少年は怯えたような様子だ。
「お姉様……」
「えぇ、どうしたのかしら」
ぱっと見る限り男の子に周囲に大人は居ない。いくら治安が良いとはいえ、この状況に万が一のことがあるかもしれないと思い、私は迷わず声を掛けることにした。
「どうしたの?ご両親は?」
初めはびくりと不安の色を窺わせた少年も、私の装いに安心したように体の力を緩ませる。かと思えば、目元いっぱいに涙を溜めながら弱弱しく首を振った。近くに居ないようだ。側で控えるスーザンも少年の隣にしゃがみ込み、背中をさする。
「お家は?ここらへんかしら?」
「ちが、うっ」
お姉様の質問に震える声で答えた少年に、どうやら観光か何かで訪れたらしいと考える。こんな知らない地に独りぼっちだなんて、さぞ不安だっただろうと少年の気持ちを考えて可哀想に思った。
「一緒に探してあげるわ!」
なるべく安心してもらえるよう、とびっきりの笑顔で提案する。すると少年もこくこく頷いて目元を拭った。そんな様子にお姉様が、それがいいわねと頷く。そして続けて、なんてリリーは優しい子なの?と感動したような声が聞こえたが構ってられず無視した。
この辺りを見回ってまいりますとスーザンが言い、私と姉もそれに頷く。本来ならば離れてしまうことは良くないのだろうけど、今回ばかりはこの少年の身の安全の方が優先だ。
「お姉ちゃんたちは、この国の人?」
人を探している様子の人がいないかときょろきょろ浜辺を見回す私とお姉様に、少年が訊ねる。
「そうよ。あなたは違うの?」
「うん。僕はトラデスカンティアの……貴族」
ぎこちないその言葉に、なるほどと頷いた。
トラデスカンティア帝国は、この国から見て南東に位置する大国だ。ちょうど周辺国について勉強中の私は記憶を引っ張り出す。確か、この国よりも色々と発展した国だと教わった。
あとは……まだ何か教わったような気がするけど、よく思い出せないまま少年を見る。目に入った服にバラのデザインが施してあるのを見て、ぴんと閃く。あぁ、そうだ!国花はバラの花だと聞いた。それにまつわる昔話なんかもあるらしい。
なんて思っていると、少年の瞳からぽろりと涙が零れた。やっぱり私たちが側にいてもこの状況は不安なようだ。
「大丈夫!絶対に会えるわ!」
明るく言う私に向かって眉を下げながらこくりと少年が頷く。
「私の……大切な人に、頭が良くて何でも出来てとっても格好いい人がいるんだけどね」
何か話題を、そう思って気付けばヒースのことが口から出ていた。
「勝負事に強くて私は負けてばかりだったのだけど、一度だけかけっこで勝ったことがあるの」
かけっこ?と不思議そうに訊ねる少年に頷いて見せる。
「いつも格好いいのに、その時だけは拗ねてしまってね。こーんな顔で」
その時の様子を再現するように私は頬をぷくりと膨らませた。すると、今までしゅんとしていた少年がぷっと吹き出す。
「面白いでしょう!いつも勝ってばかりなのに、一度負けたくらいで拗ねちゃうのよ!?」
「いや、君の顔が……ははっ……!」
てっきり私の話に笑ってくれたのかと思っていたら、どうやら私の顔に吹き出したようだ。
まさかの事実に私は、ひどい!と言って更に頬を膨らませる。するとますますツボに入ったように少年が笑い出した。
「こんなところにいらっしゃったのですか!!」
くすくす笑う少年に気を取られていると、後ろから慌てた様子で声を掛けられた。振り向くと、若い男性が額に汗を浮かべてやってくる。
「マックス!」
そう呼び、少年が男性のもとへ駆け寄った。どうやら従者のようだ。安心したように顔を綻ばせる少年に、私も安堵で顔が緩む。私たちに向かって、本当にありがとうございますとお礼を重ねる従者に、私もお姉様も笑顔で応じた。大事にならずに済んで何よりだ。
「また明日もここに居る?」
すると私たちに向かってそう聞く少年。それは……と覗う私に、お姉様がまた明日も来ましょうかと提案してくれる。その途端嬉しそうに弾ける笑顔を見せた少年に私まで気持ちが上がっていく。
「また明日ね!」
バイバイと手を振る少年は、ぺこりとお辞儀する従者に連れられて浜辺を去って行った。
それを見送ると、私もお姉様もお互い微笑み合う。まさかの初日のハプニングだ。けれど思わぬ明日の予定に、今から何をしようかとお姉様と話に花を咲かせるのだった。
少年が去ってからは暫く浜辺を散策し、ひんやりと冷たい海水に感嘆を漏らし、綺麗な貝殻を集めた後で、少し早めに別荘へと戻った。集めた貝殻たちはスーザンが綺麗に水で洗って干してくれたようで、窓辺に並べられ、日差しを受けてキラキラと輝いている。
それを眺めているうちにお父様たちも帰ってきて、夕方からは少し早めの夕食を取ることとなった。
ここの領主が勧めてくれたという、海が一望できるレストランへと向かう。ウェイトレスに案内されたテラス席からは、夕日に照らされた水面が良く見えた。さすがお勧めとあって、素晴らしい景色だ。
「とっても美味しいですわ」
出てくる食事に舌鼓を打ちながら、私はお行儀よく言う。本当ならば今すぐにでも小躍りしたいくらいだけど、さすがに怒られてしまうだろう。
どれも美味しいのだけど、特に私が気に入ったのは活けピラ海老の姿盛りだ。身はほんのりクリーム色をしていて、ぷりぷりジューシーな歯ごたえが前世の伊勢海老を彷彿とさせる。あとは私の顔くらいある大きさのどでかいピラ貝も、食べやすく一口サイズにカットされ、こりこりした歯ごたえが癖になる一品だった。普段あまり魚介類は食べてこなかったけど、今回の旅行でハマってしまいそうだと思う。
翌日、この日はお父様も午前中には仕事を終えるとのことで、それならと久しぶりにお母様と二人で出かけてはどうかと提案した。普段仕事で忙しいお父様とお母様が二人で出かけることはほとんどないため、この提案にお母様は浮き浮きしたように私とお姉様を別荘から送り出してくれた。
昨日と同じ砂浜に着くと、そこには既に昨日の少年が従者と共に待っていた。昨日とは違い、すっかり明るくなった表情に私も自然と明るくなる。
「待たせてしまったかしら?」
その言葉に全然待ってないと弾ませて言った少年は、今日は私たちと一緒にすぐそばに並ぶ出店へと行ってみたいと言い出した。それには私もお姉様も大賛成で、早速向かうことにする。
少し歩けば肉の焼ける良い匂いが漂い始め、だんだん人も多くなり、わいわいとにぎやかな声が響き始める。ざっと見回しただけでもたくさんの出店があるようだ。
「わぁ!可愛い形のパンね!」
そう言ってお姉様が指差した先には、魚の形や動物の形をした見るからにふわふわそうなパンだ。
その隣に出店では、魚介のスープがあるらしい。
「どれにするか迷ってしまうわ」
私の言葉に少年も頷くが、すぐにあっと声を上げて指を差した。
「あのフルーツ、美味しいよね!」
その先には、出店のカウンターに置かれたフルーツ。今まで見たことのないフルーツがかごいっぱいに詰められている。見た目はリンゴや梨にも見えるが、色が全体的に青紫色だ。
「食べたことないわ」
「じゃあ、あれにしよう!」
そう言って駆け出す少年の後ろを私たちも付いていく。店はどうやらフルーツ飴を売っているらしく、紫色の謎のフルーツは食べやすい大きさにカットされて串に差し込まれていた。断面はほんのりと紫がかっているものの、ところどころ綺麗な青色が混ざっている。正直見た目だけだと食欲の湧かない色だなと思うけど、せっかくなので私とお姉様で一ついただくことにした。
「んっ!本当だ!甘くて美味しいわね」
先に一口齧るお姉様が意外だというように声を上げた。私も恐る恐る口に運ぶ。
……うん!確かに甘くて瑞々しい!さっぱりとした舌触りに、果汁がじゅわっと溢れてくる。コーティングされた飴とも口の中で溶け合って、とても甘くて美味しい。
「あ!リリー!あれはマカロンですって!」
お姉様の言葉にすかさず顔を上げる。少し離れたところに並ぶのは、マカロンのイラストが描かれた看板を携えた出店だ。絶対食べたい!
「マカロン?どんな食べ物?」
「えっ!マカロン、食べたことないの!絶対食べるべきよ!」
そして今度は私がぐいぐいと進む番になった。
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