2.月桂樹

9.悪役令嬢は小説の記憶を夢に見る1

 【『翁草』より 第二章 ゲッケイジュ】



 彼女の家に着いた私は、ひたすらに誤解だと謝った。それでも彼女は私の声に耳を貸さない。どうして門を通してくれたのかというくらい、彼女の心は怒りで染まっていた。



 「もうあなたとは友達ではないの。あなたが裏切ったのよ」



 冷たく告げる彼女に、私は首を振った。



 「いいえ!いいえ、ネリネ様!本当に違うのです!あの方を好きではありません!信じてください!」



 私の言葉に、彼女はおもむろに着けていた髪飾りを外す。留め具を失ったシルバーの髪がぱさりと広がる。



 「どうせこれも私へのオベッカだったのでしょう!?」



 そう言って床へ投げつけた髪飾りが根元から壊れた。オレンジ色の花びらがまるで散ってしまったかのようだ。今日も私が着けている物と瓜二つだったはずの砕けた髪飾り。片割れを失くしてしまった髪飾りが私の髪を悲し気に飾っている。



 「捨てておいて」


 「ですが……」


 「いいから捨てなさいと言っているの!」



 髪を乱しながら言う乱暴なその声に、最初は躊躇った侍女も弾かれたように動いて床の飾りを回収していく。

 私のことを一切見ないその横顔は、口をきゅっと結んで何かに耐えているようだ。その後も一切私の言葉を受け入れない彼女に、とうとう最後は部屋を閉め出されてしまった。どうして、こんなことに……?


 溢れる涙もそのままに、私は彼女の屋敷の前で顔を覆って泣き伏していた。迎えの馬車が来るまでまだ時間がかかるかもしれない。先ほどまでの彼女とのやり取りは、五分だったかもしれないし一時間だったかもしれないし、全く時間の感覚が分からない。


 どうしてこんなことになってしまったのだろう。私がいけなかったの?そうよ、私がいけなかった。だけどあんまりだ。と、心の中で自問自答する。本当に違うのに、どうして何も聞き入れてくれないのだろう。誤解させるような軽率な行動を取ってしまった私が悪い。だけど、だけど!



 「……危ないから、おいで」



 突然掛けられた声に私は身構えた。相手を見れば、そこには見知った顔が居た。



 「ヒース様……」



 外に一人で、しかも周りを気にせず泣いているだなんて、心配をかけてしまったかもしれないと悔やむ。せめて、もう少し外から陰になっているところで迎えを待つべきだった。



 「あ、なんでもないんです!少しネリネ様と……喧嘩して、しまって」



 言いながら再びぽろぽろと零れ出す涙を乱暴に拭って、ぐしゃりと笑った。きっと上手く笑えてないかもしれないけど、今の私にはこうする他ない。



 「お茶でも飲んでいく?」



 その顔じゃご両親も心配するでしょと差し出された手を掴むか悩んで、私はそういえばと思う。



 「こんなところに一人で、どうされたのですか?」


 「少し散歩だよ。庭園だけでは飽きてしまって」



 周りに馬車も護衛もいない彼に疑問を感じたけど、確かにネリネ様のお屋敷は王城からすぐのところだ。一人になりたい時もあるのかな?と彼の言葉に理解すると、私は彼の手を掴んだ。



 「僕とじゃなくて兄上との方が良かった?」


 「そ、そんなことは!」



 思いがけない言葉に慌ててから、私は俯いた。静かになった私の横で、彼もまた静かに歩調を合わせてくれる。

 やっぱりもやもやと先ほどの自問自答が浮かぶ。彼は何も聞かずに私の側にただ居るだけだった。それが今は有難くて、甘えてしまう。


 こうして暫く歩くうちに、いつも四人で集まっていたガゼボへと辿り着いた。侍女が紅茶を用意する間も、何も口を開かない彼を覗いながら私は俯く。

 その後も長い長い沈黙が続いていた。私はどうして良いか分からずに、辺りに目線をやる。最初にここへ来た頃には蕾だったはずの低木に、いつの間にか花が咲いていた。相変わらず綺麗な花々で飾られた庭園は、私が訪れることのない場所だと思っていた頃がなんだか懐かしく感じてしまう。



 「君は、花は好き?」



 突然沈黙を破ったその声にぴくりと体を動かした後、私は沈んだ声で答えた。



 「はい……好きです」



 昔から花が好きだった。母は私に花の名をくれたし、いつだって庭には色とりどりの花が季節によって違う顔を覗かせていた。その庭園で両親と過ごす時間が大好きだった。幼い頃から身近にあったからなのか、それともこの名前の影響なのか、私には花を愛でる機会が多かったと思う。



 「何故好きなの?」



 意図の読めないその質問に、私は少し考えてから答える。



 「記憶に、残るから……」



 途端に綺麗ね、と微笑む母の顔を思い出す。その隣で一緒になって笑う父の姿も。つい昨日のことのように感じていたこの記憶も、既に二人の顔には霧がかかり始めているような気がする。それでも頭の中の両親は、いつだって花のように弾けた笑顔を見せてくれて、私にとっては絶対に忘れたくない記憶だ。



 「記憶……か。僕も花は好きだよ」



 綺麗だよね、と頷く彼に私は尋ねた。



 「何の花が好きですか?」


 「そこにある蕾の花……」



 彼の指し示す方を見れば、小さな蕾が垂れている。



 「鈴蘭に似た花で花びらの先が桃色の、白い花が咲くんだ」



 穏やかに言う彼の表情は髪に隠れていて見えないけど、微笑んでいるような気がした。それくらい穏やかな口調だった。

 もうすぐ咲く頃だけど、今年は見れるかなと呟く彼に私は言う。



 「きっと元気に育ちますよ」



 彼は笑ってそうだといいな、とこちらを向いた。少し伏し目がちの彼に意外だと感じながら、私も少し目を伏せた。きっと何かを思い出していたのかもしれない。きっと私に悟られたくないことなのだろうと思った。私がそうだというように。



 「君は、何の花が好きなの?」



 私は……、答えようとしてあの人の顔がちらつく。



 「ジャスミン……です」


 「そっか、君の名前だね」



 頷いた。あの人が言ってくれた言葉を思い返す。その途端、心がぎゅっと絞られた。



 「私は、名前の花のように美しい女性になりたいです」


 「なれるよ」



 あの言葉のような女性に……それだけは心の中で呟く。私にとっていくつかあるうちの大切な記憶の一つだ。なれる、絶対に。と続ける彼を見れば、少し悪戯っぽい笑顔で私を見た。



 「予知の御神力がある僕が言うんだ。説得力あるでしょ?」



 そんな言葉に思わずくすくすと笑いが込み上げる。きっと元気のない私を気遣ってくれたのだろう。彼はそういう人だ。



 「ふふ。はい、とっても」


 「それに幸せになれる。君も、兄上も」



 そう言って真剣な眼差しで蕾を見つめる彼の目には、何が見えているのだろう。

 私はありがとうございますと呟いて、低木の黄色い花を見つめた。

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