8.悪役令嬢は失敗する2

 あなたの目は節穴ですか?と、危うく不敬罪をぶちかましそうになりながら、ぐっと堪える。

 それでもあまりに見え透いた社交辞令に、ぷるぷると震えだす体を抑えられない。



 「一口、いただいても?」


 「いえ、あの、止めておいた方が」


 「いただいても?」



 止めようとする私に有無を言わさないその言葉に、私はとうとう観念して小さく頷いた。

 ヒースがクッキーをつまんで口に入れる。その瞬間を見ることができずに俯いていると、ヒースの明るい声が響いた。



 「うん、美味しいね。これはどこの店で買ったものかな?」



 お店……?はっとして顔を上げると、二口目を口に頬張ろうとするヒースが目に入った。



 「うふふ。殿下、これは私の最愛の妹が初めて作ったクッキーですわ」



 そう言ってすかさずお姉様が口を挟む。



 「そうなの?君、凄いね!」



 そう言われてまじまじと見つめる私に、ヒースは首を傾げながら微笑む。

 試しに私もクッキーを手に取り口に入れる。ぼそぼそした食感に、思わず眉が寄った。



 「全然美味しくありませんわ……」



 ヒースの言葉にもしかしてと一瞬奇跡を願ったけど、物事はそんな上手くできていない。



 「ん?もしかして僕の言葉が嘘だとでも?」



 紅茶を一口飲んだヒースが口を結んで私に言う。その言葉に、私は慌てて言った。



 「ヒース様が嘘を吐いてるとは言っていませんわ!でも私の作ったお菓子に気なんか遣わなくても」


 「僕は美味しいと言ってるんだけど」



 少し強めの口調の後で、うんうんと頷きながらもう一つに手を伸ばすヒースを見て、私の涙腺が緩む。



 「ヒース様……お優しすぎます……」


 「君が頑張って作ったんでしょ?不味いわけないよ」


 「うぅ……」



 とうとう堪えきれずに潤み出す目元を軽く拭う。その様子を見ていたヒースが糸目をふにゃりと垂れさせて、あははと笑う。



 「本当に君は可愛いなぁ。よしよし」



 そう言って向かいから手を伸ばす手が私に頭に触れた。その子供扱いに私の頬がむくれる。



 「もうっ私の方が年上ですわ」


 「でも可愛いんだもん」



 あなたの方が可愛いですけどね!と心の中で悪態をつきながら、それでもヒースの手の温もりを払うことはできなかった。その側でひとまず合格ですわと小声で言うお姉様は、何故か私以上に鼻高々なのであった。


 さて、今回のクッキー作り……大成功!と、言いたいところだけど!

 ただただヒースの優しさに一層気付いただけで、私の作戦は失敗に終わってしまった。本来ならあんなぼそぼそのぱさぱさクッキーなんて王子に食べさせて良い代物ではない。


 あの後私から思い切り苦情を言い渡されたお姉様は、だけど殿下は六つも食べたわ!とか言って聞く耳を持たなかった。食べた数が多ければ良いというわけじゃないのに!

 っていうか、あの後ちゃっかり私とヒースの茶会に居座り、ヒースに対して質問攻めをかましていたお姉様は、私よりもヒースとの会話が多かったかもしれない。それに快く答えるヒースもヒースだけど。あれがウィリアムなら、速攻帰宅コースだ。


 今回の敗因は、初めて挑戦した物をそのままヒースに出そうとした点だ。ならば……!次の作戦はすぐに思いつく。


 作戦その二!『愛の旋律!届け私の小夜曲セレナーデ☆大作戦』

 驚くかもしれないけれど、実は私は令嬢だ。そんな私の得意分野……ピアノでわぁっ!と言わせるのが今回の作戦である。一応幼い頃からピアノは習ってきているので、それなりに弾けるのだ。これなら初めての挑戦ということもなく、失敗することもないはず!


 ということで、私は早速休息日に王城へと向かう。今回はヒースから、クッキーのお礼に美味しいお菓子をご馳走になる予定なのだ。楽しみだなぁ!どんなお菓子が出てくるのだろう!わくわく!って、もちろん作戦が第一だけど。お菓子に気を取られて失敗なんて笑えない。



 「ようこそ」



 にっこり笑って迎えてくれたヒースにきゅんとする気持ちを抑えて挨拶を返す。通された客間には……よしよし、お目当てのピアノも鎮座していた。



 「ん~っ!このマカロン、とっっても美味しいですわ!」


 「君は本当にマカロンが好きなんだねぇ」



 暫し紅茶とお菓子を楽しむ私に、ヒースが言う。



 「な、なんで知っていらっしゃるの!?」


 「そんなこと、これだけ一緒に過ごしていれば分かるよ」



 ヒースの言葉に顔が赤くなる。気付けばヒースとの顔合わせからひと月が経っていた。確かにこう何度かテーブルを挟めば、私の好物にも気づかれてしまう……というか、記憶を遡っても私はいつもヒースの前でマカロンにばかり手を伸ばしていた気がする。やだ、恥ずかしい!



 「紅茶には三つ砂糖を入れるとか、実はミルクを入れて飲むのが苦手だとか……見ていたら気付くよ」



 そんな言葉にぎょっとして、ヒースを見る。好物だけでなく、苦手なミルクのことまで見抜かれていただなんて!その観察眼に恐ろしくなりながら、私は誤魔化し笑いを浮かべて本題を切り出した。



 「今日はヒース様に私から曲をプレゼントして差し上げますわ」



 にこりと淑女らしくなるよう微笑みを称えて、私はピアノを借りても良いか確認を取る。

 もちろんと頷くヒースに笑いかけてから、私はピアノに着席した。高さもばっちりな椅子に私は満足げに頷くと、少し深呼吸してからゆっくりとピアノを奏で出す。目を閉じながらピアノの音に身を委ねる演奏……何度もこの日のために練習したようには見えないだろう。


 こうして演奏を終わらせると、客間に拍手が響く。ヒースだけでなく侍女や従者までもが微笑んで拍手をくれたことに、私は少し得意げになった。



 「とっても綺麗だっだよ!」


 「そんなこと……でも嬉しいですわ」



 そうでしょう、そうでしょう!と心の中で伸び出す鼻の下を隠しながら、遠慮がちに微笑んだ。



 「それじゃあ僕もプレゼントしちゃおうかなぁ」



 そう言って侍女に指示を出すと、暫くしてヒースに渡されたのはバイオリンだった。



 「僕もピアノは弾くんだけど、今日はバイオリンね」



 えーすごーいと若干棒読みになりながら胸の前でパチパチと手を叩く。

 こうして演奏されたのは、本当に七歳なんでしょうか?という腕前のいかにも難しそうな曲だった。それをなんてことない顔で引き、時折私の方に視線を向けては口角を上げて微笑む。



 「ふぅ、久しぶりだったから少し手間取っちゃった」



 へへっと照れ笑いをするヒースに、周りの人間からは拍手喝采が巻き起こっていた。

 私は白目を剝きそうになりながらも負けじと拍手をする。それはもう当てつけのように。バイオリンまで弾けるなんて聞いてないんだけど!と心の中では地団駄を踏む勢いだ。


 こ、こうなったら次の作戦だ!かっこいいところを見せるどころか、逆に跳ね返されてしまった状況を打破するべく、私は臨時で次の作戦を練る。


 作戦その三!『理想に近づけ!ド直球☆大作戦』

 もうこれは、作戦名そのままである。ヒースの好きなタイプの女の子を聞いて、それに近づこうというもの。きっと回りくどくお菓子作りだーピアノだーとしていたのが敗因なのだ。そもそも王子のレベルに対抗しようとしたのが悪い。ヒースだって男の子。きっとタイプだって七歳の男の子らしく、可愛らしいものに違いない!



 「うーん。考えたことなかったなぁ」



 ヒースに早速質問をしてみたけど、返ってきたのは拍子抜けするような言葉だった。

 え、普通さ、何か一つくらいない?



 「例えばタイプってどういうものがある?」


 「えっと……そうですわね。クールな女の子とか、可愛らしい女の子とか……」


 「そういうのは特にないなぁ」



 ぐぐっとなる気持ちを堪えて続ける。



 「明るくて元気!とか、ご飯をいっぱい食べる!とか……」


 「あぁ、確かに美味しそうに食べる子は、一緒に食べていて楽しそうだよね」



 それか!心の中でガッツポーズしながら、私は目の前に広がるお菓子に目をやった。今すぐにでも私がそのいっぱい食べる子になってみせる!と、内心ほくそ笑んだ。



 「この残りのケーキも食べていいですか?」



 私の言葉にもちろんと頷くヒースに、私はえへへと笑いかけた。侍女に切り分けてもらったケーキをむしゃむしゃと食べ始める。一切れ…二切れ…三切れ……小さめに切り分けられたケーキは甘さが控えめで食べやすく、次々と私の胃袋へと収められていく。



 「あ、あんまり無理しちゃダメだよ」



 そう言って心配するヒースは少し引き気味な気がしなくもないけど、私は気にせずにこにこむしゃむしゃと食べ勧める。ホールケーキの半分を食べつくしたところで、とうとうそれはやってきた。



 「……うぅっ、お腹が痛いですわ」



 一度に食べたことのない量のケーキを頬張った結果、私のお腹は今にもはちきれそうだった。



 「だ、大丈夫?」


 「ちょっと……お花摘んできますわね!!」



 後ろで、花?と不思議そうな声を上げるヒースを無視して私はトイレへ駆け込む。今までにない腹痛が襲ってきて、顔面蒼白の私はギリギリセーフで間に合った。お腹からぐるぐると異様な音がする。

 暫くして落ち着いた私は、恥ずかしさと上手くいかない自分に半泣きで部屋へと戻った。



 「君さ」



 戻ってきた私に開口一番ヒースが呼び掛ける。うぅ、待たせてしまって怒ってるのかもしれない。少し身構えながら、ヒースの顔を見れずにいると思いのほか優しい声が響いた。



 「最近、少し無理してない?」


 「えっ……」



 その言葉に顔を上げれば、心配そうにこちらを覗うヒースが居た。



 「……だって、もっと好きになってほしくて」



 ぽつりと呟くように言った私に、ヒースはきょとんとした顔になった後、ぷっ!と噴き出した。



 「あははっ!そんなに僕のことが好きなの?」


 「だって!このままじゃ他の女の子に取られてしまいます!」



 涙目で言う私に更におかしそうに笑うヒースは、別の意味で涙目だ。目元を拭いながら笑うヒースに、私はだんだん苛立ちを感じる。



 「こんな私じゃヒース様は目移りしてしまいます!このままじゃダメなんです!!」


 「嬉しいなぁ。でも君の笑顔が見たいんだけど……な」



 叫びに近い私の言葉に、ヒースはソファから立ち上がると私の目の前にやって来て、私の涙を拭いながら優しく囁く。



 「でも……私はヒース様に釣り合いません。お菓子も満足に作れない、音楽だってヒース様の腕前の方が凄い、こうやって私のことを優しく包んでくれるヒース様に私は何もできません……」


  「そんなこと気にしてたの?」



 そう言って眉を垂らして笑うヒースは少し考えてから言った。



 「でも君が教えてくれたゲームで遊んだあの時、僕が生まれてから一番楽しい時間だったよ」



 思いがけない言葉に私はヒースを見る。



 「だって僕、今まで色鬼はおろか、かけっこだってしたことなかったんだもん」



 まさかの告白に私は眉を垂らした。遊んだことがないなんてこと、あるのだろうか?



 「記憶がある頃からずっと勉強の毎日で、外ですることと言えば剣術の習得だった。自由時間には読書をして、また勉強をする。だから遊んだのは、あの日が初めてだったんだ」



 凄く楽しかったんだよ!と再度強調するヒース。

 そうか、王族なら学ばなければならないことだらけだろう。この年齢じゃこっそり王城を抜け出して城下で秘密裏に遊ぼうなんてことも、きっと難しいに違いない。



 「君が僕に釣り合わないというのなら、僕だって君に釣り合わないよ」



 だって僕には君を楽しませられるようなこと、何も思いつかないからと寂しそうなヒースに私は首を振った。



 「それは違いますわ!私、いつもヒース様に会える時間が楽しみですもの。私はこうしてお話できるだけで楽しい時間に思っています」



 本当に?と聞くヒースに、大きく頷く。



 「ヒース様、今日も遊びましょう!」


 「うん!遊ぼう!」



 笑うヒースを見て、作戦は失敗してしまったけれど、こうして気持ちが知れたのでやって良かったと思った。それと同時に私はヒースについて全然知らないなとも思う。私について知ってもらうことも大切だけど、ヒースについてもっとたくさん知っていこうと考えを改めたのだった。


 体調について心配するヒースだったけれど、私の満面の笑みに安心した様子のヒース。お腹の中のケーキは全て綺麗さっぱり出し切ったので、絶好調だ。庭園に出て、私たちはヒースの希望でかけっこをすることにした。

 


 「今度こそ負けませんわ!」



 きゃっきゃと叫びながら走り出す私に、後ろからヒースの足音が響くのが聞こえる。

 一生懸命走っていると、なかなか捕まえに来ないヒースにあれ?と思う。そのまま私はゴールに設定した木にタッチをして振り返った。



 「やった~!勝ちましたわ!」


 「あっ……」



 大喜びする私に、ぽかんと口を開けたヒースが棒立ちになっている。そして慌てて言い訳を並べ出した。



 「い、今のは捕まえ忘れてしまったというか……!」


 「ヒース様?」


 「……何?」



 むっと口を尖らせるヒースに向かって、私は少し意地悪く微笑む。



 「もしかして、悔しいんですかぁ?実は負けず嫌いだったんですねぇ!」



 オーホッホッと頬に右手を添えて高笑いする私は、さながら嫌がらせをする悪役令嬢のようだ。

 そんな私の嫌味に、だから!本当に捕まえるのを忘れていて!と言い訳を繰り返すヒースに向かって、私は更に高笑いをする。この相手を負かす感じ、スカッとして癖になりそう……。



 「つ、次だ!次は勝つよ!!」



 そう意気込むヒースに私はじとりと笑う。できるものならやってみなさいなと、目だけで挑発する私。

 この後、ヒースにこてんぱんに負かされたのは言うまでもない。

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