7.悪役令嬢は失敗する1
小説と設定が違う。
だって、小説では『予知の力』でネリネの嫌がらせからヒロインを守るシーンだってあった。
まさかまだ発現していないとか……と考え、首を振る。そもそも教師の話では五歳までにはその力を発現させると習ったし、小説でも力の発現については変わらず習った通りの説明だった。遅れて開花させたなんてことも説明がなかったはず。
それよりも……設定が違うのなら、バッドエンドだって変えられるんじゃない?
どくんと鳴る心臓を抑え、先ほど慌てて仕舞った引き出しからノートとペンを引っ張り出す。
まず、悪役令嬢ネリネからヒロインのジャスミンへの嫌がらせの発端は、ウィリアムとジャスミンの逢瀬に激怒するところから始まるわけだから、ウィリアムとの婚約をしていない今、私が嫌がらせする理由はなくなる。
そして、ウィリアムとジャスミンの死ぬ確率も下がる。
もしもウィリアムが別の婚約者と……となった場合だけど、そこは考える必要がありそうだ。
そして最後に、これが一番私にとってネックなことでもある、ヒースのとあることについて。
大好きな推しが最愛の兄を失ってしまう。これについては回避できるだろうけど……。
実はジャスミンの自殺の理由には、もう一つ無視できないことがある。
それは、ヒースに兄を裏切らせてしまったと思い悩むというもの。
小説の中で、ヒースはジャスミンを好きになる。ヒースから告白を受けるジャスミンのシーンがあり、その時点でジャスミンとウィリアムは気持ちとしては結ばれていて、ヒースに兄を裏切らせてしまったと思い悩むのだ。
結果的に、ジャスミンはネリネのことを裏切り、ヒースさえも裏切らせてしまう原因となってしまう。それに耐えられなくなり、自ら命を絶つという選択をしてしまう。
「ぐぁああ……」
改めて思い出して、HPが削られる。ヒースがジャスミンを好きになったら……想像するとぐつぐつ何かが煮え立つような気持ち悪さに支配される。
……でも今はそんなことより、もしもまたこの展開を辿ってしまった場合、親友である私を裏切り、ジャスミンを好きになったヒースに対しても、ネリネを裏切らせてしまったと思い悩んでしまうのではないだろうか。
そんな展開になってしまえば、結局バッドエンドは繰り返されてしまう。
『全員、ハッピーエンド!』
そう大きく書かれた文字が目に入る。そうだ、全員ハッピーエンドが目標だ。
私はスーッと息を吸い込むと、決めた。
ヒロインであるジャスミンと出会わないようにしよう。
そもそも出会わなければ、ウィリアムに恋することもないし、ヒースが好きになることだってなくなる。私だって、処刑の可能性が全くなくなるのだから安心だ。
「それから……」
ヒースを思い出して、少し俯く。
――「君が好きだよ」
顔合わせの時のヒースの言葉。思い出して胸がきゅんっと高鳴ると同時に、寂しさも湧き出てくる。
あの時のヒースの好きだよ、はファンサービスと同じようなものだ。なんとなくだけど分かる。あの言葉は恋心からくるものではない。きっとまだ私のことなんて信用するに値しないのだろう。だって、記憶が戻る前の私の噂だって耳にしているのだから。
だから、と心に再び決める。
信じてもらうために、今の私を知ってもらうために、もっと仲良くなる!たくさん好きを伝えていく!
そうやってたくさん努力して、あわよくば私のことを好きになってもらえたら……。別に恋愛の好きじゃなくてもいい!いや、もちろん恋愛として見てくれたら嬉しいけど、さ。
そして、万が一ジャスミンに出会ってしまったとき、私がヒロインよりも魅力的ならヒロインになんて見向きもしないかもしれない。
よし、と頷いた。決めた、私のこれからの方向性を。打倒!バッドエンド!
私はさらに考え出し、色々と策を練る。ということで、私は次の休息日に作戦を実行し始めた。
作戦その一!『お菓子作りで「おもしれぇ女……」☆大作戦』
令嬢は基本的に自分で料理をするなんてことは、ほとんどない。私の家にも料理専属の侍女や料理人がいるし、そもそも必要がないからだ。だけど、あえて自分で作ることによってそこら辺の令嬢と違う!面白いじゃん!を狙っていくという作戦だ。
早速スーザンを呼び、お菓子作りの協力を仰ぐ。スーザンは兄弟もたくさんいると言っていたし、もしかしたら何か作ることができるかもしれない。聞いてみたら簡単なクッキーなどは教わったことがあるという。
「まだ覚えて日も浅いですし、きちんと作ったことはないのですが、レシピなら分かります!」
その言葉に全幅の信頼を預ける私。……前世の記憶はどうしたのかって?ケーキがないならコンビニで買えばいいじゃない。とか思ってる人間がわざわざ作るわけがない。転生する全ての女の子がお菓子作り得意なわけがないでしょ。
「ではまず、バターを溶かしましょうね」
そう言ってスーザンが私に指示を飛ばす。お母様に台所の使用をお願いしてみたら、案外あっさり許可が下りた。その代わりと言ってはなんだけど……
「頑張れ!リリー!」
お姉様がついてきた。お母様のお姉様に対する信頼ってどこからきてるんだろう。
「よいしょっ」
材料を思い切り混ぜ合わせながら、私は美味しくなぁれと心の中で唱えていく。気持ちを込めれば込めるだけ美味しくなるような気がして、力いっぱい混ぜる。お姉様はその横で手を振りながら応援してくれている。正直邪魔だ。
「あとは少しの間寝かせます」
「おやすみ、また後でね」
作っているうちに自分の子供のように愛着の湧いたクッキー生地にしばしの別れを告げて、私たちはここで一度休憩を取ることにした。
「私のクッキーもこんな風にしっとりできるかしら」
「えぇ、きっとできますよ」
そう言って微笑むスーザンが心強い。
「もしも爆発しても、全てお姉様が食べて差し上げるわ!」
ニコニコ言うお姉様のことは無視して、紅茶を楽しむ。こうして改めて思うけど、クッキーと紅茶って相性がいい。これは絶対にヒースにも味わってもらいたい。
「王子はいついらっしゃるの?」
「この後、いらっしゃる予定なの」
そう、この後ヒースが家を訪ねてくる。クッキーを作ることは報せていないけど、これも作戦のうちである。何も言わずに時間には余裕もあるし、今からとても楽しみだ。
「そうなの、それならやっぱりお着替えもしないとよね」
「え、えぇ。まぁ粉まみれのままでは笑われてしまいますもの」
「ではお姉様がとびっきりの可愛いドレスを選ん」
「それには及ばないわ、お姉様」
言いかけるお姉様の言葉を遮って、私は冷たく言い放つ。どうせまたピンクのケバいドレスを着させようという魂胆だろう。
「ひどいわぁ、しくしく」
お姉様のウソ泣きの完成度の方がひどい。こちらをちらりと覗く視線を気にしないようにしながら、私は少し怒り口調で言った。
「そもそも!お姉様はどうしてあのドレスにこだわるのですか!」
「それはぁ……うふふ」
「どうせ、私の顔に似合わないと分かっていて勧めるのでしょう?」
笑って誤魔化すお姉様に私は更に追撃をする。
「お姉様!それにもうドレスのことはいい加減、しつこいですわ」
ふんっと口にした途端、お姉様の笑顔が固まった。その途端、しくしくとまた泣き出すお姉様。
「もう!ウソ泣きはやめ……って、えっ!本気泣き!?」
ぽろぽろと涙を零すお姉様に私は少し慌て出す。側で見守っていたスーザンも慌ててハンカチを取り出すと、お姉様に手渡した。
「いくらなんでもひどいわ、リリー」
ぐすりと鼻を啜るお姉様に罪悪感が募る。
「確かにリリーのお顔には少しだけ劣るドレスだけど、私は悪い男に寄り付いてほしくなくて……」
……言葉を変えれば、「全然似合わないドレスで、出会いをシャットダウンしたい」ということだろう。はぁと呆れながら溜め息を吐いたところで、スーザンがはっとした表情で言った。
「クッキー!そろそろかもしれません!」
お姉様のせいで忘れかけた存在に私まではっとする。足早にオーブンの前まで向かい、クッキーを取り出すと、私は顔を顰めた。
「……なんだか思っていた完成と違うのだけど」
少し歪な形の不格好なクッキーに、私はお姉様を睨んだ。涙の止まったお姉様も、少しだけバツが悪そうに笑う。
「で、でも可愛らしいクッキーじゃない!ねぇ!スーザン?」
「は、はい!初めてでこれなら、殿下も喜ばれるかと思います」
にこにこと褒め始めた二人に、今度は私が涙を浮かべ始める。これじゃあ出せないと思いながら作り直しの時間があるか確認するが、この後の自身の身支度を考えたら作り直すほどの時間は残っていなかった。
「今日は諦めるわ……」
そう言って私はとぼとぼと自室に戻り、後から追いかけてきたスーザンに慰められながら身支度を整えた。
「やぁ、久しぶり」
「お久しぶりです、ヒース様」
ヒースはそれから暫くして私の家へやってきた。クッキーの件で気落ちしたままの私は、それが顔に出てしまわないように気を付けながら挨拶を返す。
「……なんだか疲れているようだけど、やっぱり休み足りていないんじゃない?」
しかし目聡いヒースにはすぐにバレてしまったようだ。まさかクッキー作りが失敗してだなんて言えない私は、満面の作り笑顔で軽く否定した。
「そんなことないです!」
「あまり無理しないで」
優しいヒースの言葉に涙腺が緩みそうになるのを堪えて、お礼を言う。そこへ紅茶が用意され、次の瞬間目に入ったものに心臓が飛び出そうになった。
「な、な、な!!」
「……どうしたの?」
心配そうにこちらを見るヒースは、テーブルの上のとんでもクッキーは目に入っていないらしい。
こんなもの見られるわけにいかない。今のうちに!と、クッキーの入ったお皿を持ち上げようとしたところで、まさかの声が耳に入る。
「お初にお目にかかりますわ、殿下。私、ネリネの姉のローザと申します」
いつものおちゃらけた様子と違い、ばりばりに余所行きをキメたお姉様が微笑んでいる。
これにはヒースも少し驚いた様子で挨拶を受けていた。
「ところで、このクッキーとても美味しそうに見えませんか?」
「クッキー?」
お姉様の言葉にとうとうヒースがクッキーに視線を落とす。
誰もいなければ、なんてことしてくれてんだこの野郎!と叫び出すところだった。だらだらと流れる冷や汗に拭うこともできず、クッキーのお皿を掴もうとして固まったまま何も反応できずにいる私に、ヒースはクッキーと私を交互に見て、にこりと笑った。
「うんうん、美味しそうだね」
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