5.悪役令嬢と白いアネモネ
甘い香りが漂う庭園で、私は周囲に咲き誇っている花々を見ながら、微笑み……という名の仮面を被っていた。会えて嬉しいのに、緊張と恥ずかしさで感じる帰りたい衝動と闘いながらも優雅に紅茶に口をつける。
目の前には、何度も盗み見ては心をぎゅっと鷲掴みにしてくる相手、この国の第二王子であるヒースが穏やかな表情を浮かべて紅茶を嗜んでいた。
「今日も来てくれてありがとう」
「い、いえ。とんでもありませんわ」
ここ、王城の庭園に設けられた一角では、顔合わせという名の帳尻合わせが行われている。
先日ウィリアムとの顔合わせの際に作成されていた書類の破棄と、新しくヒースとの婚約の手続きが整ったと連絡を受けた私は、二度目の王城に居た。
「でも、ごめんね。“仮”なんてことにされてしまって」
「仕方のないことです……」
継承権第一位の兄であるウィリアムの婚約が未定のいま、第二位であるヒースの婚約を正式に決めてしまうと、外聞をはばかる……という大人の事情だそうだ。
だから私たちの婚約については、大々的には発表されない。その代わり噂としては広がっていくんだろうけど。
婚約については色々と難しい事情があるようだ。
小説内でも、ウィリアムからネリネとの婚約破棄を国王に願い出ていたけれど認められることはなかったし、今回のことを考えると体裁的なものを重要視しているのかなと思う。
そういえば婚約破棄……。何かを思い出しかけたところで、ヒースが言った。
「今日は何をしようか」
「そうですね……お散歩になさいますか?」
顔合わせといえば二人でお話ししながらお茶を楽しんだり、庭園の中を二人並んで散歩するというくらいしか思い浮かばないけど……と思いつつ、少しドキドキする気持ちを堪えて提案してみる。
っていうか、推しと一緒に過ごせるだけでも私にとってはご褒美以上なんだけどね。
「このまま座って話すのも、ここら辺を散歩するのもいいんだけど、もっと何か別のことをしたいと思わない?」
「えっと……では、ヒース様がお好きなことはなんですか?」
そう言われても、何をしたらいいのか浮かばない私は少し考えてから聞いてみる。
「んー、特に好きなことはないかな。僕の好きなことより、君の好きなことは何かない?」
「わ、私ですか!?」
では、このままあなたを眺めていたいです。なんて心のままに言えるわけないよね。
好きなこと、なんて言われてもヒースと二人でできるような楽しいことがパッと浮かぶような気の利く頭を持ち合わせていない私は慌てる。
私が好きでいつもやっている遊びといえば、お父様に買ってきてもらった木彫りの人形を使った人形遊びだ。
お人形のお洋服なんかを侍女に縫ってもらったりして着せ替えてみたり、お人形をお客様に見立ててお茶会ごっこをしてみたり……こんなことヒースに言うのは少し恥ずかしいし、っていうか男の子が楽しめるような遊びに思えない。
専ら室内で静かに遊ぶ今の私ではダメだ!そう思って、前世の記憶も引っ張り出す。
私は九歳で、ヒースは七歳。この年の子供が男女でわいわい遊べることと言ったら……かけっこや、おにごっこ?あとは、色鬼……それから、高鬼なんかもやった覚えがある。
「かけっこなんて、いかがですか?」
果たして令嬢が誘う王子様との遊びとして正解なのかは謎だけど、こんなことしか浮かばないのだから仕方がない。
「でも、君のドレスでは難しくない?」
そう言われて自分の格好を見る。前回着ていたピンクのひらひらと違い、今回のは青緑色の生地に控えめなレースのついた落ち着いたドレスだ。お姉様には、年齢に合ってない!ピンクに変えましょう!と言われたけれど、見ていて目に優しいこの色のドレスは譲れなかった。
しかし、確かにヒースの言う通り、外遊びに向いているとは言えない。それなら……。
「では、色鬼はいかがですか?」
色鬼なら、かけっこと比べても走る場面が少ないし、何よりこの色とりどりの花が咲く庭園でやる遊びとしてぴったりだ。
「いろおに……?どんな遊びなの?」
あっ!確かにこの世界に色鬼なんて、なかったかもしれない。
「ルールは簡単ですよ!じゃんけんをして負けた方が鬼になります。鬼は好きな色を言って、勝った方を追いかけます。勝った方は鬼に指定された色を見つけるのですが、見つける前に鬼に捕まれば負けというゲームです」
「へぇ、面白そうだね!やってみよう!」
乗り気になったヒースが椅子から立ち上がり、私も一緒に立ち上がる。
「まずは試しにヒース様が色を指定してくださいますか?私が掛け声を言いますので、それからお願いします!」
お茶会スペースから距離を取り、私が言えばヒースが頷いた。
「いーろーいーろーなぁにいろ!」
「え、えっと……それじゃあ青?」
私の掛け声に少し困惑しつつも指定した色に、私はヒースから距離を取りつつ周りを見回した。
青…青……あった!見つけた青色の花びらに近づき、触ろうとして躊躇った。代わりに指をさして「みっけ!」と叫ぶ。
さすがに花びらを触って散らせてしまうのもいけないと思い、ここではルールを指差しに変えようと思い至る。初めてやるゲームのせいか、その場で私の動きを見つめていたヒースに私は笑いかけた。
「こんな風に言われた色を指差すのです!慣れてきたら、もう少しルールを追加していきましょう。どうですか?」
「よし、そうしたらまた僕が色を指定してもいい?」
良かった、続けてくれそうだ。私はもちろんと頷いて、掛け声をあげる。
「うーん、緑!」
「緑で良いんですか?」
指定された色にふふふと笑いながら、側に合った花の葉を指差した。
「緑、みっけです!」
「……あっ!」
思わずというように眉を上げたヒースに、私はえへへと笑う。
悔しそうに口を結んだヒースが可愛い。もう少しこの顔を見たい気持ちを抑えつつ、次は私が鬼になりますねと声を掛けた。せっかくやる気になってくれたのに、面白くないと思われてしまったら悲しい。
「ヒース様、掛け声をお願いします」
「え、えっと……いーろーいーろーなぁにいろ?」
「では、ピンクで!」
そういえば地域によって掛け声って色々あるんだよなぁなんて思いながら、適当に思いついた色を指定した。一瞬けばけばドレスが頭を横切るけど、動き出したヒースに頭を切り替える。
「あ、あった!えっと、みっけ!!」
そうして指を差した花を見れば、ピンクというよりは赤紫色の花びらだった。
「ヒース様、それは赤紫の花のようですが……」
「え、赤紫?」
きょとんと言うヒースは、さらに続ける。
「これはピンク色だよ。そんなことを言ったら、君だってさっき指さした緑の葉は、黄緑色に近いと思うけど?」
おっとぉ……?ここで食い下がるヒースの言葉に、そう来たかと目を細めて笑う。
「まぁ、ヒース様がそれをピンク色だと言うなら、この色はピンク色なんでしょうけど」
「悔しいの?」
にやりと笑うヒースに、私は込み上げる何かをぐぐっとしまう。私の方が前世の記憶も含めたら一回り以上も大人ですから?悔しいなんてこと全くありませんけど?えぇ、本当に、全く。
「つ、次ですわ!」
そう叫ぶ私に、ヒースは得意げな表情で身構えた。
暫く色鬼が続き、時折その色はとお互いに待ったを出しつつ楽しんだ。こういうやり取り、私が前世で遊んだ時もあったなぁなんて少し懐かしさも感じる。
「つ、強いですわね。ヒース様」
「君が弱いだけだと思うけどなぁ」
こ、小生意気な……!と思いながら、私は冷静になるべく深呼吸をした。
落ち着け、私!そう、相手はこの国の第二王子!何より私の推しであり、年下なんだから!
慣れてきたヒースに連敗をする私は、だんだん苛立ちが湧いてくるの感じて自分に言い聞かせる。
「それじゃあ、そろそろ別の遊びにしてみようか」
どうにもこの体では感情のコントロールが難しいらしく、抑えていても顔には出てしまったらしい。
くすくすと笑うヒースに気遣われてしまったような気もしなくはないが、私は少し考えてこれなら!と提案する。
「では今度こそかけっこにしましょう!」
自分の方が二歳も年上だし、体力的にも私の方が有利だろう……とは、決して思ってなどいない。
「君がいいならいいけど」
そう言うヒースは、今度はドレスについて言及しなかった。
まぁもう既に色鬼で私は全速力をキメているのだから、意味がないとでも思ったのかもしれない。
「では、私が逃げますわ!捕まえられたらヒース様の勝ちです!」
そう言ったかと思えば、私は素早く走り出した。
ちなみに私の前世での運動能力は、小学生でリレーの選手に選ばれるほどの足の速さである。そう、意外と走るのは得意なのだ。これでヒースにも負けない!と得意げになっていると、後ろからふわりと何かに止められた。
「ひっひぇっ!!」
「捕まえた」
動きを止められた私は、勝ち負けよりもこの状況に気が動転する。
お腹を見下ろせば、ぎゅっと力の込められたヒースの腕が回っている。抱きしめられていると理解した途端、わたわたと身じろいだ。
「ひ、ヒース様!何をして!」
「捕まえれば勝ちなんでしょ?」
「タッチすればいいのです!抱き着くのではありません!」
あわあわと慌てる私から腕を緩めると、私はくにゃりと地面に膝を付けた。くすくすとおかしそうにヒースが笑う。
「ふーん、じゃあ僕の負けかな?」
「そ、それは……」
「僕の勝ち、だね」
ゼェゼェと息を上げながら睨む私に、ヒースは再度くすくす笑ってから手を差し出す。その手を取って立ち上がると、自然にエスコートされる形となりながら先ほどお茶を楽しんでいたスペースへと連れてこられた。
「少し休もうか」
また気遣われてしまったなと思いながら、素直に頷く。さすがに疲れてしまった。今回の敗因は、前世での身体能力を信じてしまったことだろう。だって今の私は、温室育ちのご令嬢なのだから。
同じように走って遊んでいたはずのヒースは、読書でもしていましたというような涼しい顔で向かいに腰を下ろす。
「君さ、別人みたいだよね」
「えっ……?」
従者が冷たい水を注ぐ音がする中、想像もしていなかった言葉に固まる。まさかヒースも記憶を……?転生?と勘繰り始めたところで、ヒースはグラスの水を一口飲んで言った。
「噂で聞いたんだ」
「どんな噂ですか?」
あぁ、と少しホッとして私もグラスの水に口をつける。自分が前世の記憶を思い出したばかりに、少し過敏になってしまったようだ。口に含んだ水はひんやりと冷たくて、飲み込めば体温の上がった体に心地よく沁みた。
「わがまま、自分勝手、すぐ怒る」
ヒースの直球な言葉に思わず掴んでいたグラスを落としかけながら、慌ててテーブルに置く。そしてすぐに乾いた笑いが漏れた。まさにその通りでした、先日までは。
「ただの噂なの?それとも僕の前で猫被ってる?」
これまた直球の質問に、私は首を振った。
「まさに噂の通りです。でも、このままじゃいけないと思って心を入れ替えたところですわ」
以前までの行動が頭に浮かんで少しいたたまれなくなる。
ヒースまでこの噂が届いているということは、当然ウィリアムだって知ってのことだろう。そりゃあ、あんな冷たい視線を受けるのも仕方がない。
「何かきっかけがあったの?」
「きっかけ……そうですね。このままでは大切な人たちが傷付くと知ったからですわ」
さすがに全てを話すことはできないけれど、できるだけ誠実になるように言った。極力嘘は吐きたくない。
私は知ってしまった。私の行いが今後周囲を不幸にしていくことを。
「そっかぁ」
そう言いながら、ヒースは静かに席を立つ。呆れられてしまったのかなと少し寂しく思いながら、そうだとしても仕方ないなとも思う。王族に届くほどひどい性格だった私の発言を、たったこれだけの時間過ごしたくらいで信じてくれるとも思えない。
自業自得だと思いながら顔を伏せる私に、ヒースは顔を上げてと言った。ゆっくり視線を上げると、目の前には綺麗な白い花。驚いて顔をぱっと上げると、微笑みを浮かべたヒースが私を見ていた。
「そんな君に、僕からプレゼント」
笑って差し出された花に、私は反射的に手を伸ばす。
「この間、君が僕に綺麗って言っていた花」
確かに私が話題に困った時に言った花だけど……。まさかちゃんと覚えていてくれたことに、心臓が跳ねる。
「この花は、僕からの気持ち。アネモネっていう花だよ」
アネモネ……白いアネモネの花言葉を思い出して、私は気持ちが明るくなるのを感じた。
「う、嬉しいです……嬉しいです!」
王子様みたいなその行動に、一気に元気になってくる。……相手は、王子様なんだけど。
「君が好きだよ」
「えっ……」
「ん?」
たった今貰った花をぎゅっと握りしめそうになって、緩める。
「いえ……大好きです」
出かかった言葉を飲み込んで、私も自分の気持ちを告げた。
笑った自分の表情に、今度こそ本心が出ないよう気を付けながら。
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