第27話 選択(2)

「これでもう、八区を救う手段はなくなったね。ユート」


 慈愛さえ感じる声音でオーガストが言う。


「育ての親として一つ君にアドバイスをしてあげなくてはね。中途半端にみんなに優しくすると、何も救えずに終わるよ。人間覚悟を決めることも時には必要だ。このまま皆を見殺しにしてもいいし、救いたいのならリッカに──」

「──嫌です」

「は?」


 倒れたリッカを抱きしめたまま、ユートは吐き出す。


(どいつもこいつも……っ)


 リッカを犠牲にすることしか考えられないのだろうか。

 無性に腹が立った。何もかも分かったふりをして、自分を都合よく動かそうとしてくることも。そう動くと確信されていることも。


「あなたの言うとおりだ、市長」


 ここ数日で、十分思い知った。


「中途半端に全員に優しくなんて出来るわけがない。僕は元々欠陥品なんだから」


 だから選ぶ。覚悟を決めろと言うなら決める。


「止める手段はないんでしょう。じゃあ仕方ありません」

「ユート、まさか君……」

「言ったでしょう。リッカは自由です。どこにでも行ける。僕は、あなたには協力しない」


 オーガストが息を呑む。今までのユートを知るなら当然の反応だ。リッカに出会う前なら絶対に折れていた。オーガストの思惑通り、きっと今腕の中にいる少女に頼み込んでいた。


「…………」


 オーガストは黙っていた。黙ってじっとユートを見ていたが、やがて深く息を吐き出した。


「──分かったよ」


 私の負けだ、そう呟いてオーガストは中央に歩いていく。そこはクラン・シー達の寝かされたポッドがある場所だった。中央にあるポッドにはもう表面上血の跡は見えなくて片付けられたのだと分かる。


「ユート。実を言うと君にはまだ選択肢がある」


 中央の操作盤に指を這わせて、オーガストがユートを振り返った。


「さっき壊したパネルは予備電源の方でね。実はメインは停止しているだけで、生きてるんだよ」


 ドクン、と心臓が脈打った。

 ユートの視線がオーガストの指先に吸い寄せられる。だがオーガストはそれ以上何も触ることはなく、後ろへ下がった。


「私は何もしない。選んだのなら君がスイッチを押せばいい」

「……」

「システムを再起動すれば、一度全浄化塔のクラン・シーの浄化反応を誘発する信号が流れる。彼らには強い衝撃だが、なに、いつものことだ。気にしなくていい」

「ユート」


 不意に耳にリッカの声が届いた。下を見下ろすとリッカの瞳と目が合った。さっきと違って少しずつ焦点が戻ってきている。良かった。


 クラン・シーの生死は肉体とあまり関係がないと言うのは本当なのだろう。そっと、リッカの頭を撫でた。指の間を美しい白い髪が滑り落ちていく。


「……」

「ユ……」


 ゆっくりとリッカを床に下ろして立ち上がる。そうして部屋の中央へと歩き出した。


 自分の呼吸が自分のものではないように聞こえる。足取りはまるで夢の中を歩いているみたいに現実感がない。パネルの前に辿り着きオーガストを一瞥すると、ユートは市長、と口を開く。


「何だい?」

「今後どう足掻いても貴方の失脚は免れません。あなたを市長と呼ぶことももうないでしょう。ヴィルヘルムであれば全てが終わるまであなたを自由にしないでしょうから」


 そしてヴィルヘルムなら嘘偽りなく聖域との交渉を再開してくれるはずだ。だから。


「妖精域にいたいなら、一人で残ればいい」


 オーガストは目を細めると、やがて『そうだね。仕方ない』と頷いた。


 目の前のパネルに視線を走らせると、再起動のボタンが目についた。震える指で操作ボタンを押すと、最終確認の『YES』と『NO』が表示される。


(これを、押せばいい)


 押すだけでいい。


(こうすると決めて、ここに来たんだ)


 脳裏に浮かぶのは虚ろな瞳のクラン・シーの姿だった。彼らの姿はユートにはまだ幼い子どもに見えた。妖精は個体の命を区別しないという。だけどユートにはそんな考え方は無理だ。あの一人一人が、本来であればコルムのように楽しんだり悲しんだり、大切な誰かを見つけたりしているはずなのだ。


 手が、震えた。

 ここまで来て迷う理由なんてないのだ。


 もう犠牲にすると決めたのだから。


(あぁ、やっぱり僕は)


 人と言うには烏滸がましい──。


「────っ」


 気付けば震えたユートの手に、白い手が重ねられていた。ユートの視界に美しい純白の髪が落ちる。ゆっくりと後ろを振り返ると、喉元を真っ赤に染めたままリッカが浮かんでいた。


「リッ……」


 次の瞬間、パネルが呆気なく音を立てて壊れた。


「え──?」


 呆然として目の前のパネルを見つめる。そして振り返ってリッカを。リッカはふっと笑うと、その触覚の先端が温かく明滅した。

 それは第七区画で見たあの光と相違なくて──。


「グレース!」


 瞬間、オーガストの鋭い声が飛んだ。間髪入れず不可視の刃が紅の残像を描いた。その一閃は間違いなくユートの首を狙って放たれたものだったが、意図も容易く真白の刃に弾かれる。


「無駄よ」


 まるで指揮でも取るように、リッカが美しく片手を振る。当然のように全ての斬撃を軽くいなしたリッカの顔が、しかしかすかに歪んだのを見た。


「リッカ!」


 伸ばそうとした手をリッカが制した。同時に脳裏に流れた思念にユートは目を見開く。大丈夫、というようにこちらを向いた少女の唇がかすかに微笑んだ。


「この……っ!」


 視界の端でオーガストが銃を構えたのが見えた。先程銃を拾った形跡はなかったからもう一丁持っていたのだろう。リボルバーの銃口がこちらを向いている。間違いなく当たる距離だ。だが──。


「何──っ」


 姿勢を低くすると、ユートはそのままオーガストの方へ踏み込んだ。同時にポーチのサバイバルナイフを引き抜く。オーガストは躊躇なく発泡したが、弾は空気の壁に弾かれた。


 不思議なほどに思考は澄んでいた。


 躊躇はない。

 恐れもない。


 この一瞬を逃すな、とユートの本能が言っていた。


「グレース!」


 避けられないと悟ったオーガストが愛しの妖精の名を呼んだ。そしてグレースは──。


「────」


 信じられない、というようにオーガストが目を見開いたのと、ユートがオーガストの懐に飛び込んだのは同時だった。


『大丈夫だよ』

『君のことは、私が守るからね』


 構えた刃がオーガストに食い込む寸前、過去かけられた言葉がユートの脳裏を過ぎった。それは確かにユートにとって救いだった。その裏側にどんな恣意的な思いが込められてようと、ユートがあの時オーガストに救われたのは事実だ。


(うん、感謝している)


 その上で、迷いなく今選ぶのだ。

 両手で構えたナイフを腰にかまえて、ユートはそのままオーガストの脇腹に突き刺した。


「…………っぐ」


 嫌な感触だった。料理で肉を切るのとは本質的に違う。とても嫌な、感触だった。

 突き刺したナイフから赤い液体がつっと伝う。ユートの指を濡らして、ポツ、ポツと床に落ちていく。


「ぐっ、ぁ……っ」


 オーガストが、ヨロヨロとユートから離れる。腹に刺さったナイフを信じられないように見下ろして、震える呼吸を繰り返しながらユートを見る。


『あいつを止めなさい』


 さっきの一瞬、ユートの思考に割り込んだ思念はとてもシンプルだった。


『お前はわたしが守るから』


 振り返るとリッカは床に座り込んでいた。その身を刻まれてさえ喋り動いた少女が、今は立ち上がる気力もないようだった。


「リッカ──ッ」


 駆け寄って支えると、リッカはそのままユートに体重を預けてくる。弛緩した体を受け止めると、力がほとんど入っていなかった。そしてオーガストは──。


「……なぜ、だ。どうして、グレース……」


 信じれらないように、少し離れたところに浮かぶ紅の妖精を見ていた。最後の瞬間、沈黙を守ったグレースは、オーガストを見てツッと唇を吊り上げる。


 ──だってワタシがアナタと一緒にいたのは、愉しませてくれるという約束があったからでしょう?


 グレースが小首を傾げる。


 ──アナタはシチョウだから愉しいことがたくさん出来たのでしょう? またシチョウになるから、とアナタは言ったけれど、さっきの一撃でユートをコロせなかったなら、もう無理じゃない?


 愉しくないなら要らないわ、と無邪気にグレースが笑う。

 オーガストの唇が震える。何度かわなないて、待ってくれ、と取り繕うように声を絞り出した。


「君が愉しめるように、もちろん、するとも……! 私が、必ず、君を愉しませてみせる……っ! もう少しだけ待ってくれれば──」


 異様な光景だった。腹にナイフが突き刺さったまま、オーガストはそれが見えていないかのようにフラリとグレースの方へ歩み寄る。


 ──もう少しって、どれくらい?


「それは……ッ」


 ──ガマンはしないわ。楽しくないから。ふふっ、でもアナタのその感情は出会ってから初めてね。別れのアイサツとしては十分よ。ありがとう、オーガスト。


 無慈悲に溢してクスクスとグレースが笑う。


「君は」


 思わずユートは口を開いていた。グレースがツッとユートに視線を向ける。


「何とも思わないのか……? 今までたくさんの同胞を、手にかけて来たんだろう……。クラン・シーは、妖精、なんだろう……っ⁉︎」


 無駄だと分かっている。グレースはまごう事なき妖精だ。無駄な質問だと分かっていて、聞かずにはいられなかった。


 クラン・シーを作るのに必要なのは素体である子どもと妖精核だ。必要な妖精核は一つだというが、妖精はクラン・シーと違い妖精核を一つを失った時点で霧散するのだという。


 例え彼らにとってそれが死ではなくとも、消滅することに変わりはない。つまり、これまで生み出されたクラン・シーと同数の妖精が消えているはずだ。


「罪の意識とか、ないのかよ──っ!」


 ──罪?


 グレースが心底不思議そうに首を傾げた。


 ──だって、愉しいから手を貸すのよ。心が踊るからワタシも踊るの。美味しいから蜜を垂らすのよ。罪とは間違いということでしょう。では間違いではないわ。だってワタシはとても愉しいもの。人の世界ではこれをセイギというのではなくて?


「…………っ」


 言葉が、通じなかった。ニコリと笑うと、グレースの姿が不自然に揺らぐ。


「まって……、まってくれ……っ! グレース!」


 腹から血を流しながら、その痛みさえ無視して這いずるようにオーガストがグレースの方へ足を向ける。

 だがグレースはこれまでずっとそばにいたオーガストに見向きもしなかった。興味を無くしたようにその存在を無視して、呆気ないほど簡単に姿を消した。


「あ、あぁ……」


 オーガストが倒れ込む。這うようにグレースが消えた場所に行って、その空気をかきいだく。


「あああああぁぁぁあああああ!」


 そして、絶叫した。


 いつ何時でも余裕の態度を崩さなかった男が、空気を未練がましくかき抱いて、狂ったように泣き叫んでいた。


「…………」


 見ていられなくて目を逸らした。

 リッカの血はもう止まっていたが、リッカ自身は指先にすら力が入らないようで、完全にユートに身体を預けていた。力の抜けた身体を横抱きで抱えると、ユートは立ち上がる。もうオーガストは脅威にはならない。ならリッカから少しでも遠ざけたかった。

 

 目を伏せて、オーガストに背を向けたその時──。


「あああああああああ、貴様ああああぁぁぁぁあああ!」


 怨嗟に彩られた男の慟哭が、響いた。

 声に引き寄せられるように振り向く。オーガストの手にはまだ拳銃があったのだ。


 38口径の銃口が真っ直ぐにユートを向く。リッカはユートの腕の中。その身体にはもう力が入っていなくて、ユートは庇うように腕の中にリッカを抱き込み──。


 銃声が、響いた。


「────」


 痛みはなかった。キツく閉じた瞳を開く。リッカは変わらず腕の中にいた。小刻みに震えた自分の手が目に入る。地面に血は、落ちていない。


 荒い息遣いが聞こえた。

 火薬の匂いがする。


 続いてドサッ、と重い音を立てて人の倒れる音がした。振り返るとオーガストが床に倒れていた。ゆっくりと頭部から血が広がっていく。そして──。


 入り口付近で、銃を構えたアイノと目が合った。


「…………」


 荒い息を吐き出して、アイノがゆっくりと銃を持つ手を下ろす。


「二人とも、だいじょうぶ?」

「あい、の……」


 震える声でユートとリッカの無事を確かめると、アイノは銃にロックをかけて、二人の所へ歩いて来る。リッカがゆっくりとアイノを見上げる。


「──アイノ」

「遅くなった……ごめん。スペアキー、取りに行ってて、すぐ、来れなくて……」


 ゼェゼェと肩で息をしながらアイノは近づいて、ユートとリッカをまとめて抱きしめた。


「……良かった、間に合った……っ。よか、った……っ」


 声は途中から涙声になった。苦しいくらいユートとリッカを抱きしめて、アイノは嗚咽を漏らした。


「ユー坊! リッカ!」


 コルムが遅れて駆けてきて二人のそばに座り込む。そしてユートの腕の中にいるリッカを見て、全てを察したのかユートを見る。


「アイノ。浄化システムの電源が、壊れて……」

「うん。大丈夫。各浄化塔にちゃんとスイッチがあるから。今から回ってすぐに再起動させるわ。そうすればリッカも──」

「……アイノ」


 弱々しくアイノの言葉を遮ったのはリッカだった。ゆっくりとリッカが首を振る。


「リッカ、何で……っ」

「アイノ。ユートと、話をさせて」

「リッカ!」


 怒ったようにリッカの名前を呼ぶ。ユートは納得していない。納得する気もない。だけどアイノは浅く息をついて、静かに入り口を指さした。


「……屋上への道、分かる? 下へ降りられると今は困るから上へ連れて行きなさい」

「アイノ!」

「こんな所でリッカと話がしたいわけじゃないでしょ」


 押し殺した声で言われて気付く。

 室内は幾度にも渡る攻防でめちゃくちゃだった。ピクリとも動かないオーガストに目を留めて、口を噤んだ。生きてはいないだろう。アイノの銃弾は的確に頭を撃ち抜いていた。


「後処理は私がするわ。片付くまで上にいなさい。あいつには──」


 チラリとオーガストを見てアイノが続ける。


「地獄に行くまでの間にたっぷり恨み言を聞かせてやるって決めてたの。でも、ユートには聞かれたくないから」


 そう言って、無理やりアイノが笑う。強がりだと分かった。


 彼女の手は今も震えていて、だけどその手をそばにいたコルムが握りしめた。大丈夫、とコルムが頷く。


 だからユートも頷いて、リッカを抱いたままゆっくりと立ち上がった。


 倒れたオーガストに、無意味だと分かってそれでも黙祷をする。

 そうして眠るリッカを抱えたまま、ユートはゆっくりと廊下へと歩き出した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る