第25話 アイノとコルム(2)

「────ッ」



 弾かれたようにユートは覚醒する。目の前のアイノに焦点を合わせるが、何も変わったそぶりはなかった。何百倍にも延ばされた時間の中で、コマ送りのように見せられた光景はきっと──。


 ──ごめんね。ユー坊。でも知って欲しかった。アイノは君を裏切ってるわけじゃないんだ。嫌ってるわけでもないんだよ。


 コルムの声が響く。普段発声以外の伝達手段を全く用いないコルムの思念は、弱くて、だけど温かい。


 ──どうか、アイノを許してあげて欲しい。


 オイラの願いはそれだけなんだ、と優しい声が心に落ちていく。


 ──あとはユー坊の望む通りにすればいい。考えたけど、オイラはやっぱりユー坊とは行けないから。ここはオイラが何とかする。


 何とかする?


「……コル」


 瞬間、コルムがアイノに飛びかかった。アイノの手から拳銃が弾かれて、カツンカツン──ッ! と高い音を当てて床を滑っていく。

 コルムの体格はアイノと一回り違うが、力が弱いわけじゃない。


「なっ──⁉︎」

「リッカ!」


 コルムが鋭く叫ぶ。その瞬間、コルムが投げてよこしたものを、ユートの背後から飛び出したリッカが空中で滑るようにキャッチした。同時にユートの手を引く。


(認証キー⁉︎)


 コルムが投げて寄越したのはエレベーターの認証キーだ。教えてもいないのに、リッカがパネルに認証キーを当てる。ピッ、と音を立ててエレベーターが稼働した。上階に止まっていたエレベーターが点滅して、降り始める。


「待ちなさい! ユート!」

「アイノ! もういい!」


 アイノの声がした。起きあがろうとしたアイノに馬乗りになって、コルムがその身体を押さえつける。


「コルム、どきなさ……っ」

「どかない! クラン・シーじゃなくてもアイノにも分かるだろ! ユートがこの町を見捨てるはずがないって分かるだろ──ッ!」


 コルムの言葉にアイノが言葉に詰まる。だが髪を振り乱してユートの方を向くと叫ぶ。


「上に行ってどうするっていうのよ! オーガストの思惑通りリッカを犠牲にするつもり⁉︎」


 一瞬言葉に詰まった。何度も何度も、誰もがその選択肢をユートの前に提示する。ユートだって何度も考え直してしまう。だけどもう、決めている。


「……しないよ」


 だから静かな声でそう答える。


「なら……っ!」

「浄化システムの電源を入れ直す」

「え──?」


 信じられない言葉を聞いたというように、アイノが目を見開いた。その瞳をまっすぐに見返して、ユートは答えた。


「アンタ、それは──ッ」


 電源を入れるということが、何を意味するのかなんて分かっている。だから何だ。


「システムの電源を入れ直して、まず目先の都市の安全を確保する。それからヴィレの移住計画の交渉を手伝おうと思っている。移住が完了するまでは出来るだけクラン・シーの命を犠牲にしなくてもいいように力を尽くすよ。僕の出来ることなんてたかが知れてるけど、やれるだけのことはやろうと思ってる」


 だけどリッカは譲らない。そうハッキリとユートは口に出す。


「……ユート」


 呆然として、アイノがユートを見ていた。


「そう決めたからアイノの気持ちは分かる。だけどごめん。アイノとは折り合えない」


 チン、とエレベーターが到着を知らせる。ドアがゆっくりと開き始めた。


「……それと、正直さっきのはちょっとムカついた」


 このまま上がっていこうかと思っていたが、やっぱり言ってやりたくなって、ユートは振り返って口を開く。


「さっきのって」

「軽蔑していいとか、罵ってもいいとかだよ。アホらしい。僕がアイノを恨めない事くらい分かるだろ。四年も一緒に住んでたんだ」


 確かに保護者として言うなら、アイノはちょっとどうかと思うほどいい加減だった。


 ただ打算があったとしても、居場所のない研究所にいたユートに『うちに住む?』と最初に言ってくれたのはアイノだった。リッカの事を研究所しに知らせずに、出来るだけ守ろうとしてくれたのは、アイノだった。


「少なくともこの四年間、僕はアイノとコルムを家族だと思ってた」

「……」

「……今もまだ、思ってる」


 こちらを向いたアイノの唇がかすかに震えていた。やがて、あぁクソ、とその唇が悪態をつく。


「何でこんな時に、そんなこと……っ。お人好しの馬鹿かアンタは……ッ」


 ぐしゃぐしゃと頭をかいて、アイノが大きく息をつく。エレベーターを閉めようとしたユートの手を、不意にリッカが止めた。


「リッカ?」

「アイノ」


 ユートの声を無視して、リッカがアイノを呼んだ。もう抵抗する気なんてないのか、アイノはコルムに押さえられたまま何よ、と恨みがましい声で返してきた。家にいる時と、ほとんど変わらない声音で。


「お前に悪役は無理よ」

「な……」

「だってお前のそばにはコルムがいるのだもの」


 リッカの言葉にアイノが目を瞬く。呆気に取られたようにリッカを見つめて、その視線が自分を押さえるコルムに向く。


「クラン・シーはそばにいる相手を選ぶわ。コルムがそばにいるのは、お前が悪役になんてなれない証拠よ。諦めなさい」


 淡々とリッカが告げる。


「だってさ。残念だったな」


 呆然とするアイノにユートは『また後で』と声をかける。エレベーターの扉が閉まっていく。降りてきたら、アイノにも協力を頼もう。とユートは思う。


 きっと渋りながらも、頷いてくれるはずだから──。



   ◇



 エレベーターのランプが上に上がっていくのを、床に転がったままアイノは見ていた。


(何よ……)


 当の昔に覚悟を決めてたのか、あのクソガキは。

 真剣に悩んで、心底病んでいた自分が馬鹿らしくなる。コルムだって一度は『分かった』って言ったくせに手のひら返して、と恨み言を呟いた瞬間上に乗っていたコルムがギョッとした。


「ご、ごめん……っ」

「いーわよ。もう」


 起きあがろうとすると、上に乗り上げていたコルムが慌てたようにアイノの上から降りる。


「いったた……」


 強かに打ちつけた腰をこすってアイノは起き上がると、転がった銃を拾いに行った。一瞬コルムが緊張したのを見逃さず、だーいじょうぶよ、とアイノは言う。


「こんな所に転がしとくわけにはいかないってだけ」


 もう撃たないわよ、と拗ねたようにこぼして、アイノはため息をつく。

 実際ちょっと拗ねていた。コルムが最後に味方をしてくれないなんて聞いていない。ちょっとどころか実は一番ダメージを食らった。


「アイノ、その……」


 アイノの心の動きを読み取ってるのか、コルムが申し訳なさそうに寄ってくる。先程の強気な態度は何だったのかと言うくらい、いつも通りのコルムだった。


「ごめん、オイラ……」

「いーって」


 ふっと笑う。アイノだってコルムの意思を聞かなかった。それでいいと思って、ユートにもコルムにも押し付けた。


 どかっとその場に座り込むと、寄ってきたコルムが隣に座る。


「違うんだ。アイノ」

「ん?」

「……僕はもう、アイノに誰も傷つけないで欲しくて」

「うん、知ってる」


 リッカはああ言ってくれたけれど、コルムがアイノのそばにいるのはコルムが優しいからだってだけだ。


 きっとこの優しい妖精はついてきた人間がとても酷い女だったことを当に気付いているはずだ。それでもそばにいてくれるのはコルムの優しさで、自分はずっとこの子に甘えているだけで──。


「違うよ!」


 と思ったら急に強く否定された。


「違うよ、アイノ。……オイラは君たち人間のような優しさは持ってない。これまでも今までもオイラは消費されるクラン・シーを可哀想だなんて思ったことはない。むしろリッカにびっくりしたくらいだ……」

「──え?」


 呆然としてコルムを見る。このクラン・シーは優しい子で、当然のように他のクラン・シーを悼んでいると思っていた。


(……あ)


 そして気づく。クラン・シーの本質は妖精だ。コルムだって例外じゃない。だけど研究所から戻ってきたコルムはいつも悲しそうな顔をしていて、だからきっと自分のしていることに傷ついているのだとそう思って──。

 

「違う」


 僕が誰も傷つけないでほしいって言うのは、とコルムが続ける。


「誰かを傷つけるたびに、アイノがたくさん傷ついてくからだよ……っ」


 ぐっとコルムが膝の上の手を握り締めす。


「オイラはずっと守られるばかりで、ずっとアイノの後ろに隠れてたから……っ。ユート達と一緒にアイノから離れたほうがアイノの為だとちょっとは思ったけど。だけどやっぱり離れるのは嫌だ。アイノには一緒にいてほしいよ……! オイラ、失敗ばっかりだったけど。次からはちゃんと考えるから……っ」


 泣きそうな顔で、コルムは続ける。


「アイノの心を守る方法を、ちゃんと、考えるから──っ」

「……コル、ム」


 その時初めて。

 守っていたつもりの子をずっと傷つけていたのだと気付いた。


 クラン・シーは相手の心をそのまま理解してしまう。

 だからきっと悲しい顔をしていたのはそのままアイノの痛みだ。ずっとアイノの痛みをコルムは同じように背負って生きてきたのだと、気付いてしまった。


(本当、馬鹿……)


 空回りばっかりして、ずっと立ち上がれないままで。


「うん、ごめん。そうだね、ごめん……」


 謝って、目の前のコルムを抱きしめる。ごめん、ともう一度呟いて。


(嫌になるなぁ)


 ずっとそばにいたのに、コルムのことを全然理解できていなかった。

 分かった気になっていた。これなら余程ユートの方が真っ当にリッカを見ていたかもしれない。だってさっきのユートはもう迷ってなかった。

 

(……いや、リッカのおかげか)


 男の子は一気に成長するというが本当だ。

 いつの間にかユートの事もちゃんと見れていなかった。


 十年前、研究所に保護されたその男の子は長い間部屋の隅で脅えて、震えているだけだった。妖精の声を異常に嫌がるくせに、妖精と同じ体質を持っている。アイノの目から見てもとても哀れな子どもだった。

 

 壊れるべき感情がないと評するには、それはあまりにちっぽけで繊細な人間の反応だと何故大人は気付かないのだろうかと思っていた。この研究所の人間たちは、無責任で残酷な発言をする者ばかりだ。


 そう思っていて、決して関わろうとしない自分も同じだったけれど。


『アイノ、君のところで働かせてほしい子がいるんだ』


 そうオーガストに持ちかけられた時、名前を聞いて初めはゲッと思った。


 研究所から折角逃げ出したのに、オーガストの息がかかった人間と仕事をするだなんて居心地が悪い事この上ない。それにアイノは声をかけなかったのだ。


 研究所では一番アイノが歳が近かったのに、きっと励みになるわよだなんて、したり顔であの両親に言われたからムキになって。でも断れるはずがない。あの男からのお願いは命令だ。


『初めまして、マキネンさん』


 初勤務の日、そう言って折り目正しく挨拶をした男の子は、あの時とは別人のようだった。よく笑い、よく話をする。家事にも一通り慣れていて、アイノよりよほど器用に洗濯や皿洗いをしてくれた。


 だけど一緒に働いている内に徐々に気づいた。この子はずっと脅えている。お前なんて人間ではないのだと言われた言葉にずっと脅えて、目を背けている。だから他人に優しいのだ。


 その哀れなくらい必死な優しさを、いつしか好ましく思っている自分がいた。


 どうしようもなく後ろ向きで、本当は怖くて仕方がない己の心を笑顔で誤魔化してしまう気持ちは、アイノにも分かったから。だけど──。


(あの子、自分が他人に踏み込もうとしない事をちゃんと分かってたのね)


 いつの間にか、自分の内側にある恐怖と向き合う事ができるようになっていたのだ。それならアイノよりもずっと、ずっと強い。


(私も、強くならないと──)


 ポトポト、と雫が床に落ちる。もっと強くならなきゃ、と思った。もっとしたたかに、あんな男に良いように使われるんじゃなくってこっちから使ってやるくらいにならないと。


(もっと、強く──)



 ──あんまり強くなられたら旨味がないわ。



 不意に思考に割り込んだ思念に、弾かれたようにアイノは振り返った。


 咄嗟にコルムを背後に庇う。そこにはこの場にいるはずのない妖精の姿があった。気配もなく佇む赤い華。紅の妖精。


「……グレース?」


 呆然と名前を呟いて、どうして、と呟く。グレースは先の言葉への返答と取ったのか、歌うように言葉を紡ぐ。


 ──アナタのそれ、ワタシとっても好きなの。いつもそばで聴いていたわ。嘆きの声。後悔の声。怨嗟の声。アナタの奥にあるココロはいつもぐちゃぐちゃでキレイで、とてもステキだと思うの。


 美しい瞳が、スッと細められる。


 ──えぇ。とっても美味しいわ。


 銃声が響いた。

 反射的に撃っていた。肩で息をしながら銃口をピタリと合わせて、目の前の妖精を睨みつける。


 ──あらイヤだ。


 削げ落ちた己の腹を眺めて、グレースはクスクスと笑う。埃を払うように焦げたそこを払うと、すぐに元通り。だって妖精の身体に実態はない。


 理性よりもっと深い所が警鐘を鳴らした。こんな時でも思考は回る。妖精はインスプリングを娯楽物質として摂取している。同様に、人間の感情を。だが今の所、彼らが人の感情を区別したという話は聞かない。だけど──。


(ダメだ。この妖精は、感情を選んでいる)


 ──ねぇ、そんなに怒らないで? ワタシ、別にアナタを殺しにきたわけじゃないわ。少しつまみ食いはしたけれどそれだけよ?


「じゃあ、どうして……」


 ヴィルヘルムの放送が聞こえた時点でオーガストは拘束されたものだと思っていた。彼が拘束されたのなら、グレースがここにいる理由はない。どうしてここに、と聞きかけたところでエレベーターが目に入った。


 ランプはクラン・シーが収容されていた階で止まっていた。

 きっともうユートは降りたのだろう。


 だが違和感がある。何かを忘れている。何かがおかしい。


 さっきユートはエレベーターホールで待っていた。

 降りてくるエレベーターを待って、乗り込んだ。


「…………グレース」


 震える声で、隣の妖精を呼ぶ。紅の妖精は、わざとらしく首を傾げてみせる。浅い息を繰り返しながら、アイノは吐き出す。


 さっきエレベーターは上階に止まっていたのだ。

 浄化システムの電源を落とした後、確かにアイノはエレベーターで降りてきた。ユートが来るまでの間は、エレベーターホールの近くの部屋で待機していて、その間は人は通らなかったはずだ。それは妖精の力でもなければ、誤魔化せない。


「オーガストは、どこ……⁉︎」


 それなのに停まっていたはずのエレベーターが、何故上で停まっていた──?

 クスリ、とグレースが笑う。その姿が揺らいだ。


「待ちなさい! グレース!」


 紅の妖精の姿が掻き消える。エレベーターの方を振り返る。


「ユート……!」


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