第24話 アイノとコルム(1)
研究所に着くと、入り口の前に自転車を乗り捨ててユートとリッカは中に入った。
一昨日の騒ぎで施錠の余裕などなかったのか、扉は開いていた。内部を走り抜けてユートとリッカは浄化塔を目指す。
エレベーターホールにたどり着いて飛びつくようにボタンを押したが、エレベーターは何の反応も返してこない。
「あ」
そこでようやく思い出した。浄化塔のエレベーターは認証キーが必要なのだ。
「飛ぶ?」
ご飯行く? くらいの気軽さでリッカが尋ねてくる。この間の逆スカイダイビングを思い出すと遠慮したいのが本音だが、その手しかないだろう。
「そう、だな。そうするしか……」
「──認証キーならここにあるわよぉ」
と、突然耳に馴染んだ声が背後から割り込んだ。カツンと聞こえるはずのない人間の足音がホールに響く。
リッカと同時に後ろを振り返った。毎日繰り返し聞いた、艶やかな声。普段と変わらない呑気なテンションのままで、アイノが後ろに立っていた。予想外だったのはアイノの隣にコルムがいた事と、もう一つ。アイノの手に銃が握られていたことだ。
そして、銃口が迷いなくユートに向く。
「ユートったらダメよ。登録もしていない銃をポケットに放り込んだままだなんて。見つかったら一大事でしょ」
普段とは違いどこか沈んだ様子のコルムとは対照的に、アイノの口調はいつも通りあっけらかんとしていた。だがこちらを見る瞳は冷ややかだ。視線は真っ直ぐにユートを見据えたまま。向けられた銃口は少しも揺るがない。
「そうか。その、銃……」
思い出した。リッカと初めて出会った時に男から奪った銃。あの銃を入れたままリッカに上着を着せた。その上着をユートに返したのは、リッカと一緒に服を買いに行ったアイノだった。
アイノが銃を回収して、きっと今まで持っていたのだ。
「動かないで。特にリッカ。何かしようとしたら真っ先にユートを撃つわ。意味わかるわね?」
アイノの言葉に、背後のリッカが動きを止めた。どうする? とリッカの思念がユートに流れ込む。
──無力化することはできるけれど。
(いや、いい。話をするよ)
リッカを制して、ユートはアイノに向きなおる。
「アイノはどうしてここに?」
銃を向けられる理由には思い当たらない。アイノが目を細めて黙る。予想外にユートが落ち着いていることが不自然だったのだろうか。
「じゃあこちらから質問するよ。浄化システムが一斉に停止したみたいなんだ。アイノは何か知らないか?」
無表情だったアイノの表情にかすかに驚きが混じる。銃口をユートに向けたまま、何言ってるの、と呆れたようにアイノが笑う。
「アンタ、今の状況が分からないわけじゃないでしょう?」
「それは見ればわかるけど……、アイノは撃たないよ」
言い終わる前に、銃声が響いた。足元に一発。排出された薬莢がカツン、と微かな音を立てて硬い床を跳ねる。
「アイノ!」
普段聞いたことのない鋭いコルムの声がエレベーターホールに響いた。
「アイノ。今は本当にそれどころじゃないんだ。知ってるか分からないけれど、都市の浄化システムが……」
「えぇ、停止してる。知ってるわよ。だって停止させたのは私だもの」
「は?」
耳を疑った。呆然としてアイノを見るユートに、もう一度アイノは銃口を向け直す。
「浄化システムの異常にきっとリッカは気づくだろうから。そうしたらアンタここに絶対向かってくるでしょ? 気付かなくてもここに来るようにあの人保険はかけてたみたいだけど」
「……どうして」
掠れた声が溢れた。どうしてそんな事を、ともう一度呟く。
「システムが稼働しなくなったらここは人が生きられる領域じゃなくなる……っ。分からない訳じゃないだろ!」
「もちろん分かってるわ。私もオーガストも。だけど仕方がないじゃない。私はまだこの研究所の職員で、調停屋もあの男の持ち物なんだから」
「……っ」
覚悟はしていたが、本人の口から聞かされるとまるで重みが違った。
「そもそもまだ十五歳のアンタが働き口として斡旋された場所よ? マトモな職場の訳ないでしょ。調停屋は民間から妖精に関わるためのダミー機関で、私が行政と連携しているのもまぁスパイみたいなもん。分かる? あの男の駒なの私」
片側に垂らした髪を弄びながら、アイノは駄々っ子を言い聞かすような口調で説明する。
「どうして、って聞いたわね。簡単よ。オーガストはアンタをここに呼んで、否応なくリッカが浄化を行わざるを得ない状況を作りたかったの。浄化塔に呼んだのは効果範囲の問題ね。クラン・シーの浄化範囲は本人から円形に広がって下に落ちていくの。設置するのは高い位置が望ましいとされてる。第一区画はこの都市の中心だから」
「そんな確証のないことのために──ッ!」
「いいえ、確証はあるわ」
アイノのハッキリとした口調に、ユートはたじろいだ。銃口をユートに合わせたまま、アイノは続ける。
「リッカを連れてきているのなら間違いなくね。第八区の残り時間はもう半時間を切ってるの。それが分かったなら、アンタは見殺しにできない。絶対に」
「…………ッ」
呼吸が浅くなる。否定ができない。あの時別れれば良かったのに、結果的にユートのそばにはリッカがいる。
「一度でも機能してしまったらおしまいよ。クラン・シーの自発的な浄化反応は意図的に行える能力だけど、今都市を浄化しているレベルのものは無意識下の防衛反応によるものだから。防衛本能を利用したクラン・シーの浄化反応は彼らの自律を奪うの。例えリッカが規格外でも、都市レベルの浄化を能力の範囲内で行えるとは思えない」
「……そうね。否定はしないわ」
「リッカ──ッ!」
反射的にリッカの方を見る。リッカの表情は涼しいものだった。浄化はしないと約束してここまで来たのだ。ユートの必死な様子を嘲るようにアイノが笑う。
「分かる? 一度始めれば、オーガストはアンタを殺してでもその状態を維持するわ」
「……っ、アイノは! アイノはそれを僕に言ってどうしたいんだ……っ!」
自分で言葉にして、そして気付いた。今の言葉は、アイノが本当にオーガストの側に立っているなら言わなくても良い言葉じゃないだろうか?
(そうだ……。何で言うんだよ、そんなこと……)
言わなければユートは知らなかった。今だけだから、とリッカに頼んでいたのは想像に難くない。視線が合った瞬間、アイノがふっと笑った。
「……気付いちゃうか。まぁ、そうよね。確かにオーガストに第八区画の事は伝えろって言われてたわ。だけどそれ以降のことはハッキリ言われたわけじゃないから」
「アイノ?」
苦笑を溢して、アイノが銃口を下ろした。
「お願いがあるの」
「お願い?」
「このままコルムを連れてこの都市を出て欲しい」
予想外だった。唖然とするユートに、アイノは苦笑して続ける。
「アンタも知っての通り、この都市はもう長くもたない。あの坊ちゃんがクラン・シーの存在を公にした以上、人工クラン・シーの製造も難しくなるでしょうね」
「ヴィルヘルムの事を知ってるの? なら中継も聞いてたのか? それならアイノが市長の言うことを聞く理由なんて……」
「お気楽な子ね。オーガストがもう捕まっていようがどうでもいいのよ。市長の首が誰だろうと同じ。アンタがリッカを犠牲にする気がないなら、浄化システムは必要なの。否応なくね」
「…………」
それはユートも分かっている。分かっていたから、リッカを逃そうとしたのだ。
「多分ね。アンタと私が考えていることは同じ。この都市ではいつかはコルムが素材にされかねないし、この子はきっとそれを許容する」
傍にいたコルムがギュッと唇を噛む。何か言いたげに。でも決して言うまい、と決めているように。
「アイノは、ずっと知ってたのか? 浄化塔のシステムのこと」
「えぇ、ほとんど全部ね」
表情ひとつ変えずにアイノが同意した。ティルナノッグ市外、外周部に留まる人達のこともアイノは知っているのだろう。
「軽蔑してもいいわよ。罵ってくれても構わない。私は確かにアイツに協力していたから。ただコルムだけは譲らない。この都市の事情には巻き込まない。だから、ユートに連れて行って欲しい」
アイノの瞳に熱が宿る。今まで見たことがない真剣な表情で、アイノがユートに頭を下げた。
「今更だけど謝る。私がアンタを引き取ったのはアンタがファズだって知ってたからよ。だってファズならいつか何かあった時、コルムを連れて町の外に出られるでしょ。初めからそのつもりだった。ごめんなさい」
「…………」
連れて逃げれば良いんじゃないのか? と。
ふとそんな考えが頭を過ぎった。このままコルムの手を握って、リッカと一緒にティルナノッグを出た方が良いのではないだろうか?
(その方が、コルムも、リッカも──)
コルムはアイノに連れられたまま、先程から口を噤んでいた。話の最中も目を逸らしたままずっと地面を睨んで。だがその瞳が、星を宿す瞳が、不意にユートの方を向く。
──ユー坊。
聞こえた声に、ユートは目を瞬いた。
(コルム?)
──ユー坊、ごめん。借りる。
(え? 何を?)
瞬間、本当にかすかにポゥとリッカの触覚の先端が瞬いた。同時に、ポツリポツリと、シミを作るようにユートの頭の中に映像が浮かび上がる。
女の子が、泣いていた。
ぼうぼうに伸びた雑草に、赤と黄が混じる不自然な大地。間違いなく妖精域だと分かる大地の上に膝をついて、ユートと同い年くらいの女の子が泣いていた。
──きみはだれ?
コンコン、と閉じた戸を叩くように恐る恐るオイラが聞く。
女の子は声を出そうとして、つっかえて、突っ伏してまた泣き出した。どうしたら良いか分からなくて、丸まった背中をまあるい手がポンポンと叩く。
そうすると、ビクリと女の子の背中が震えた。悪いことをしたかな、ってびっくりして手を引っ込めて。けれど、女の子は逃げようとしなかったからもう一度叩いた。
ぽんぽん。ぽんぽん。
声をあげて、女の子がさらに泣き出した。
寂れた大地に、悲痛な泣き声が響く。
『……ごめん……ッ、ごめんね……っ』
誰にともなく謝って、謝って、謝って、女の子はずっと泣いていた。
不意に場面が変わる。
『弟がいたの』
ベッドの上で寝転んで、天井を見上げながら君が言う。
『でもね、死んじゃった。父と母がクラン・シーにするって連れて行って、適合できなかった』
でも大丈夫、と君が笑う。
『コルムのことは、私が守るよ。絶対に』
だからオイラは思ったんだ。きみのとってもあたたかくてやさしいこころは、オイラがまもるよ、って。
だけど大人になる君の心は、少しずつ少しずつ崩れていく。泣きながら首にナイフを当てた君は『死んでやるから!』と両親に叫ぶ。
『コルムまで連れていくなら、この場で死んでやるから──っ!』
君はとても頭のいい女の子だった。優しい女の子だった。その心を他でもないオイラの存在がぐちゃぐちゃに壊していく。君の両親がオイラの手を離すと、駆け出した君はすぐにオイラを抱きしめて、大声をあげて泣き出すんだ。
『お願い』
『もう死なないで』
『いなくならないで』
『ごめんね』
『守ってあげられなくて、ごめんね──』
君の中で幼い弟とオイラの存在は多分もう不可分になっていた。
ねえね、とあどけない声が時たまオイラの脳裏に響く。これはきっと、君の思い出の欠片。
それでも君は大人になっていく。壊れた心をつぎはぎみたいにくっつけて。
君の両親と同じ白衣を着て、薄暗い部屋に帰ってくる。そのたび心の亀裂は軋みをあげて、傷はどんどん深くなり、だけど君は見ないふり。
どんどん隠すのがうまくなって、内側と外側はチグハグなままだ。
『調停屋?』
『そ。もうコルムはこんなしみったれた場所にいなくてもいいし、私も自由に出来るわけ。その代わり面倒ごとは色々舞い込んでくるだろうけど。ま、大丈夫でしょ!』
オイラの為に色んなものを踏みつけて、自分の心を粉々にした君は、それでもオイラに向かって笑う。
オイラの大事な女の子。
たった一度もキミの心を守れなかった。
『──ねぇ、コルム。ユートと一緒にこの町を出て行ってくれない?』
一度は君が望むなら構わないと思ったんだ。でも分かってしまう。軋みをあげる心のどこかで、キミがオイラを必要としてくれていることを。
だから──。
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