第23話 条件
鮮やかな手並だった。
第一声で興味を惹き、ヴィルヘルムは浄化システムの内部構造・浄化の仕組みを分かりやすく、時に人の感情を煽りながら説明していく。いつ録ったのか、恐らく研究所の職員を抱き込んでいたのだと思うが、浄化塔内の映像が何の脚色も無しに映し出される。
結局のところオーガストは演説で浄化システムの説明は全く出来ていないし、打開策すら話せていない。このシステムを維持するのが難しい、と言い、協力を仰いだ矢先に回線を乗っ取られている。オーガストの演説がどれだけ優れていようと、不安を煽り、住民にギブを要求した状態で切られていることに変わりはない。
ヴィルヘルムの父親も失敗自体よりも、浄化システムの存在を隠していたことを非難された。ヴィルヘルムはこの都市の住民の隠蔽を嫌う体質を良く理解している。
『そして市長自身がおっしゃった移住計画は市長には不可能です。なぜなら当時移住計画の交渉は僕の父が行っており、今の市長はその約束を一方的に反故にした張本人だからです』
予想外の出来事さえシナリオに組み込んで、ヴィルヘルムは流れるように移住の道を提示していく。口上は完璧だった。
それは厳しい道のりですが、私たちは耐えることが出来るはずです。打ち破ることが出来るはずです。と静かな意志が感じられる言葉は流れるようにこの都市の住民の心に落ちていく。
(すごいな……)
内容を知るユートでも聞き入ってしまう語り口調。加えて整った容姿。
懐疑の声が上がる該当テレビの前では、先ほどヴィルヘルムを知っていると言っていた御仁が懸命に『人を騙すような子じゃないわ』と話していた。恐らくヴィルヘルムは幾年に渡って相当数の人間と関係性を築いている。末恐ろしい奴……と思いながら中継を聴いているユートの隣に、不意に人が並ぶ気配がした。
「ユート・オリミヤ」
名を呼ばれて振り返る。そこにはユートの見知らぬスーツ姿の男性が立っていた。一瞬警戒するが、男はユートの懸念に答えるように『ヴィルヘルムから伝言です』と静かに呟いた。
「別働班が市長の拘束に成功しました。ただどうやら浄化塔全体に不具合が起きたようでして……」
「え?」
寝耳に水の言葉にユートは眉を顰める。
「不具合って、どういう……」
「恐らくは第一区画のブレーカーが落ちたのではないかと……あそこは今妖精域となっているのでDDを消費しないと人を投入できません。予備電源は動いていますが、これが落ちると一斉に浄化塔の機能が止まります。ですから貴方に協力をお願いできませんか」
「協力?」
「えぇ。浄化塔全ての電力を束ねる総電源が第一区画の浄化塔にあるんです。浄化施設に制御パネルがあるはずなのですが、電源を起動してきて欲しいんです」
そういえば前回浄化施設内でオーガストが壁のパネルを操作していた気がする。アレか、と当たりをつけてユートは頷く。
「……分かりました」
「感謝します。それでは」
そう言ってスルリと男は雑踏の中に姿を消した。と、肩をふとくいっと強く引っ張られる。
(リッカ?)
何も見えない背後を肩ごしに振り返ると、囁くような思念が返った。
──ユート、今の人間は嘘をついてる。少し動揺していた。
「そうなの?」
──はっきりと読めたわけじゃない。人の意思は複雑で分かりづらいものだから。明確にわたしに向かって発されたものでなければ、表面上でしか受け取れない。だからどこが違うとは言えないけれど、嘘が含まれているのは確か。
頭痛がした。こういった化かし合いの類は得意じゃない。
あけすけな悪意を向けられることは多かったが、好意を装って近づいてくる人間とはあまり接したことがないのだ。
(そもそもヴィルヘルムの協力者なのか、それとも市長の?)
だとしたら、ユートを第一区画へ誘導したい理由があるはずだ。
──ユート、やっぱりおかしい。
と、リッカの声が少し鋭くなった。
今度は何が起きたのかと思いながらも、ユートは不自然にならないように、そっともたれていた壁から離れて歩き出す。未だ中継は続いていたが、聞かずともヴィルヘルムは多分大丈夫だ。囁くように何がおかしいんだ、とリッカに尋ねる。
──多分、都市の浄化が行われていない。
「どう言うこと?」
──この都市の浄化は同時刻に一斉に行われている訳じゃない。多分浄化エリアは被るように設計されていて、一定の間隔を取って順番に作動している。第一区画や第七区画のような出来事が起きたとしても、安全領域が残るよう計算されているのだと思う。だけどこの数時間は浄化が行われている気配がない。
「それって、つまり……」
──正確な時間は分からないけれど、効果が切れた区画から妖精域に呑まれていくわ。
血の気が引いた。そして即断する。
「第一区画に行くよ」
そう言うや否や、ユートは走り出した。
──罠かもしれないわ。
見えはしないがリッカは空中を並走しているのだろう。分かってる、とユートは声に出して答える。
「だけどどっちにしろ行かないと現状が把握できない。罠にしろ本当にしろ、本当に浄化塔が機能しなくなったら住んでる人達が危ない……っ」
途中で見つけた自転車を申し訳ないと拝み倒しながら無断で拝借して、ユートは研究所までの道を走り出す。
第一区画が近づいた辺りから、人の姿はパタリと見なくなった。主要な通路は閉鎖され、警備員が立っているのを知っているから、誰もいない裏道を抜けて第一区画に入った。
誰も人がいなくなった第一区画は元の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
今ここに人がいればそれは狂った人間だけだろうから、静かなのは当然であり幸いだ。人目を気にしなくて良くなったからか、何も言わずとも姿を現したリッカがユートの後ろを飛んでついてくる。
当然のようにそばにいる妖精の姿を横目で見た瞬間、不意にユートの脳裏にさっき聞いたオーガストの言葉がフラッシュバックした。
『きっと君は、この都市を見捨てることは出来ないはずだ。君の勇気を、決断を、協力を、私は心から期待している。同じ都市に生きる一人の人間として』
『──かの災害に呑まれた町の悲劇を、繰り返さないために』
キキ────ッ! と耳障りな音を立てて自転車が止まった。飛んでいたリッカが咄嗟に止まれずにユートから数メートル先まで飛んだところで驚いたように振り返る。
「ユート?」
軽い身のこなしで飛んで戻ってきたリッカが、急にブレーキを引いたユートの名を呼んだ。その顔をマトモに見れなくてユートはうつむく。そして──。
「リッカ。君は、もういい」
そう、口にした。
「もういい、って。どういうこと?」
そばにある気配が逆立ったのが分かる。だがユートは押し殺した声で再度繰り返す。
「もう、僕についてこなくて良い」
リッカが黙った。うつむいたままのユートの脳裏に、オーガストの言葉が繰り返される。何度も。
あなたの言う通りだ。
僕はこの都市を見捨てる事ができない。
「ユート。顔を上げなさい」
言われて、ユートはゆっくりと顔を上げる。
ユートを見下ろすリッカの瞳には温度がない。怒りも、悲しみも、何も。以前までの自分ならきっとこの時点で怯んでいただろう。だが今はまっすぐに、リッカの瞳を見返した。
「──良いわ。理由を聞いてあげる」
だが黙ることは許さない。そう、ユートを射抜く宙の瞳が言っていた。
「わかった」
自分を落ち着かせるように一度息を吐く。
「僕を第一区画に呼んだ理由が何であれ、市長はもうあの地位にはいられない。ヴィレの演説は見事だったし、アイツのことだから多分根回しも済んでる。僕にはどんぶり勘定しかできないけれど、住民の何割は動かすことができると思う」
そうでなくとも不信感を植え付けるには十分だ。
何せヴィレの演説にはクラン・シーの映像も含まれていた。信じない連中ももちろん出てくるだろうが、ほとんどの人間がオーガストに疑念を持っただろう。皮肉なことにオーガストの運営方針のおかげで、この都市の人間は妖精との親和性が高く、クラン・シーの映像を見た時の衝撃は普通の人間より大きい。
「加えて移住計画の再開は現実的な生き残る路線だ。きっとこの先、クラン・シーの扱いを巡って大きな騒動が起きる事くらいは僕にも予想できる」
「それが、何の理由になるの?」
リッカ、とユートは笑う。
「君やヴィレには及ばなくても、僕はそこまで馬鹿じゃないんだ」
少なくとも昨日ヴィルヘルムが敢えて答えなかった問いがあることくらいは分かっている。
「僕は君がこの都市を浄化できる可能性があるのを知っている。実際市長はそれが分かって、僕に向かってああ言ったんだろう」
君の勇気を、決断を、協力を、私は心から期待している。
そう、オーガストは言った。訣別したつもりだったけれどリッカは結局今ユートのそばにいる。オーガストにはそれが分かっていたのかもしれない。
「君の存在は今のティルナノッグにとってとても魅力的なんだ」
喉から手が出るほどに、皆が欲するだろう。
「……そしてそれは市長にとってだけじゃない。ヴィレにとってもそうだ」
「お前……」
唇を噛んだ。
ユートにだって分かる。数多のクラン・シーを犠牲にし続けるよりも、たった一人のクラン・シーを捧げたほうがずっと好都合だ。
数多の命は略取と映るが、一人のクラン・シーの犠牲は美談に仕立て上げる事ができる。何せ役者が揃っているのだ。
(僕という、役者が)
リッカ一人だけなら完成しない美しい物語は、ユートの存在で完成する。
もしかしたら、ユートがファズだと言うことが、更に物語性を加速させるかもしれない。
今までクラン・シーを略取してきたオーガストを住民は許さないだろう。だが同時に、移住が決まるまでの間彼らを犠牲にし続ける事でしか生きられないその矛盾をどうするのか。
方法はあるとヴィルヘルムは言った。だが動かし続けなければいけないシステムを前にクラン・シーの同意を取って、彼らをすり減らさないようコントロールすることは言うほど簡単ではないだろう。
「例えばそうだとしたらどうだというの? お前はまた新たなクラン・シーを犠牲に……」
「うん。するよ」
だから、ユートはハッキリと答えた。迷う事なく。目の前の妖精の瞳を真っ直ぐに見つめて、ユートは『ごめん』と謝った。
「僕は最後までヴィレを手伝うつもりだ。この都市の最後の一人の移住が終わるまで。だけど──」
譲れないものはある。
「君は、犠牲にしない」
リッカが黙ったままユートをじっと見ている。リッカ達が個を重視しないことは分かっている。彼女に取ってはきっとユートの選択は非合理的だ。
ポツリと、リッカが溢した。
「わたし一人で済むかもしれないのに?」
「逆だよ」
ユートは苦笑する。
「君だけは、犠牲にしたくないんだ」
オーガストの言葉を聞いた時、ユートは気付いたのだ。
自分はクラン・シーを犠牲にし続けるこの在り方を許容できない。交渉が長引けば長引くほど、市民を、クラン・シーを巻き込んで人の醜さは露呈する。
そうなった時、自分は耐えられるだろうか。
いつかどこかでリッカに縋ってしまうのではないだろうか。耐えきれずにリッカに犠牲になってくれと乞う自分が、ユートには想像できてしまった。
「お前の考えはあまりに狭量だわ。それに、お前あれ程他人に優しくすることにこだわっていたじゃない。その考えは、お前の規範に照らし合わせると──」
「うん、矛盾してる」
笑って答える。ヴィレにもオーガストを許すかどうかの話をした時に聞かれた通りだ。人間としての規範、ユート個人としての望み。その二つはすでにユートの中では分けて考えられないほど癒着している。だけど──。
「僕は最低な人間なんだろうな。だけどもう、最低でもいいんだ」
一度でも否定すればきっともう、ユートは自分が人であることを永遠に肯定できなくなるのだろう。それでもいい。だって。
「僕は、何万人の命よりも、見た事がないクラン・シーの命よりも、君が大事だ」
ユート自身を好きだと言ってくれた、たった一人が大事だ。だからどうか自由に生きてほしい、と言う。
「……それが、お前の答え?」
「あぁ」
「もう、変わらない?」
リッカの問いに強く頷く。しばらくリッカは黙っていた。黙ってユートを見つめて、やがて分かった、と短く発した。
「ただし条件がある。目的地へは一緒に行くわ。お前では絶対にグレースに敵わないから。オーガストを行動不能にしたら、お前の言う通りわたしは自由に生きるわ」
提示された条件に目を瞬かせる。
それ以上は譲らない、とリッカの顔に書いてある。それに実際のところグレースがいたらお手上げなのは本当だ。
「……分かった。甘えるよ」
苦笑してそう答えると、リッカは当然だと言うように笑ってみせた。
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