第五章 都市の終焉

第22話 実行

 夢を見た。


『ゆうと。見て。とっても綺麗ね』


 真っ白に染まっていく町を窓から眺めながら、母がはしゃいだ声を上げる。

 おいで、と呼ばれてそばへ行くとぎゅっと身体を引き寄せられた。肩に顔を擦り寄せられて、こそばゆいよ、とユートは笑う。


『窓を通して絵本の世界を見てるみたい。ゆうともそう思わない?』


 そう言って少女のように母が笑う。もちろん外に出なければの話だけど、とユーモアたっぷりに付け足して。


 この街の冬は雪に閉ざされる。日照時間は短くて、真っ暗な外を見ながら母が仕事から帰ってくるのを待つ時間は、実を言うと少し寂しい。


『この前学校で雪の結晶を見たよ』


 だから母が家にいる時はたくさんお話をすることにしている。


『あんなに小さいのにとても細かくて綺麗な模様をしていた。お母さん、すごいね。窓の外のあの白い景色は全部があのキラキラした欠片で出来てるんだ』


 ユートの言葉に、何かを思い出したように母がパッと顔を明るくする。そうだ、と声をあげて。


『今ゆうとの言葉で思い出したわ。おばあちゃんの故郷の言葉で雪は『六花』って言うらしいの。六角形をしたお花みたいだから? そう言うんですって』


 意味はよく分からないんだけどね、と母が笑う。


『でも綺麗なものって事でしょう? お母さんね、女の子が生まれたら六花って名前をつけようと思ってた』

『……リッカ』


 口の中で転がす。今日見た雪の結晶にとても似合う、凛として、可愛らしい響きだった。同時に学校で見た雪の結晶を思い出す。あの綺麗なものの名前は『六花』と言うのだ。

 

 と、ふと思いついてユートは母を見上げる。


『じゃあ、僕の名前ももしかしておばあちゃんやおじいちゃんの故郷の名前なの?』


 母がキョトンとして、それからうん、と嬉しそうに笑う。母の手が優しくユートの頬を撫でた。


『ゆうとの名前はね──』


 その続きを、ユートは思い出せない。だから夢はいつもそこで途切れて、もうその答えを、ユートが知ることはない。



   ◇



 街頭テレビに集まる人達を横目に、ユートは壁に持たれて中継の音に耳をすましていた。

 本来であればユートはヴィルヘルムと共に第一区画にいるはずで、今日の中継もヴィルヘルムの隠れ家で視聴していたはずだ。ユートがこうして第二区画に出られるのは、ヴィルヘルムの監視員がすでにオーガストの命じた監視の役割を果たしていない証拠でもある。


 ヴィルヘルムは今朝早い段階で家を出ており、軽く顔を合わせただけだ。


『オーガストの演説が始まってしばらくしたら回線をジャックする。その後速やかにオーガストは拘束するから、お前は隠れてろ』 


 ヴィルヘルムにはそう指示されたものの、市民の反応は気になるしずっと潜って隠れているのも落ち着かない。


 ヴィルヘルムのコテージは元々外界から切り離された場所にあるし、さらに現在第一区画は無人になっているのだ。申し訳なく思いながらも外に出たいと監視員に断りを入れたら、ヴィルヘルムもユートを閉じ込める気はなかったらしく案外簡単に家から出してもらえた。


 リッカには姿を消してもらっている。

 目下オーガストの目的はリッカで、それが周知されていないとも限らない。本当ならオーガストの近くに行きたかったが、ユートはオーガストがどこで演説するのかを知らず、近くには研究員達もいることだろう。そうなると発見される危険性が高いので避けたのだ。


 今もヴィルヘルムのクローゼットから拝借したキャップを目深に被り、出来るだけ目立たないように街頭テレビ前に集まる住民の会話に耳を澄ませている。


(……アイノとコルム、心配してるかな)


 ふと連絡が取れていない二人のことが頭を過ぎった。一昨日から帰っていないユートを心配しているだろうか。


(いや、そうでもないか)


 アイノがもし本当にオーガストと繋がっているのであれば、連絡がいっているはずだ。ヴィルヘルムには気をつけろと言われたが、ユートは別に傷つけられたわけじゃない。


 アイノとコルムはユートにとって家族みたいなもので、他人の言葉ひとつで嫌う気にはなれなかった。


「お、始まったぞ!」


 と、集まっていた住民から声が上がる。ザワつく声が少しずつ萎んでいく。やがて、聞き慣れた声がテレビから流れ出た。


『ティルナノッグの皆さん、おはようございます。市長のオーガスト・アンダーソンです』


 皆何が話されるのかと固唾を飲んで見守る中、オーガストは口火を切った。


 昨日の第一区画での騒動のこと、人々を不安にしていることの謝罪を口にする。

 説明される原因は、やはり浄化システムの不具合という曖昧模糊とした内容だった。住民の間から上がる不安と不満の声は当然で、きっと画面の向こうにいるオーガストも承知しているだろう。重ねて詫びを入れ、やがてオーガストの声のトーンが変わる。


『そして、本日はもっと大切なお話をしなければいけません。他でもない、皆さんの命を維持するこの都市の浄化システムについての大切なお話です』


 来たか、とユートは目線を上げる。ヴィルヘルムも浄化システムに限界が来ていることは説明せざるを得ないと言っていた。


『兼ねてより何度も起きていた浄化システムの緊急メンテナンスに不安を感じていた方も多いと思います。無論、責任者である私もその一人です。そして本日は皆様に厳しい事実を告げねばなりません。先日発覚したことですが、現在浄化システムの長期の維持が難しい局面に来ています』


 集まっていた住民が一斉にザワついた。口々に不安の声が飛び交う。聞こえるでもないのに、どう言うことだ! とテレビに向かって叫び出す人もいた。概ね予想通りの反応だ。


『無論お伝えするかは議論に上がりました。ですが私には市長として皆様を守る責務があり、すぐにこれを全市民に開示する必要があると判断しました』


 オーガストは冷静に言葉を重ね、怒りも不安ももっともであること。


『元より空間侵蝕は予測不能な天災です。この浄化システムの不調を受け、我々は新たな決断を下さねばならなくなりました。私は十二年前に頓挫したこの都市からの移住計画を再検討しようと思っています』


「──!」


 思わずユートは顔を上げた。

 オーガストはこの都市の維持に固執している、とヴィルヘルムは言っていた。オーガスト自身も移住計画は困難だと言っていたのだ。だが今オーガストはティルナノッグの市民全員に対して移住計画を再検討する、と断言したのだ。もしオーガストが本当にそのつもりであれば、事情が変わってくる。

 

 今まさに控えているであろう友人をユートが案じる一方で、オーガストは朗々と演説を続けている。


『私はこの都市を愛しています。だが皆さんには家族がいる。市民の命と、営みを維持することこそ私の使命です。だからこそ、私は再び移住計画を実行に移すことを決めました』


 オーガストは移住計画は困難を極めること、またその間は浄化システムを維持することでしか、生き残る道はないこと。どうか市民の協力をお願いしたいとの旨を呼びかけた。

 浄化システムの限界でざわついていた住民が、少しずつ落ち着いて市長の言葉に聞き入っていく。


『私一人の力では出来ることは多くない。だけど皆さん一人一人の力があれば違います。そう──』


 不意にオーガストが口を噤んだ。


「……?」


 その沈黙が演出なのか、ただ言葉に詰まったのか。かすかに住民がざわめき始めそうになったその時、オーガストが厳かに口を開いた。


『私はこの場を通して、君に問いかけたいと思っている。その通り、君だ』

「──」


 その瞬間、言葉を無くしてユートはテレビ画面に釘付けになった。テレビの向こうのはずなのに、オーガストの目は確かにユートを見据えているように錯覚する。


『きっと君は、この都市を見捨てることは出来ないはずだ。君の勇気を、決断を、協力を、私は心から期待している。同じ都市に生きる一人の人間として』


 周囲の音が遠くなる。


 オーガストの言葉は、ともすれば市民の一人一人に問いかけているように聞こえる。だがその実態はたった一人に向けたメッセージだ。すなわち、ユートに向けての。


『──かの災害に呑まれた町の悲劇を、繰り返さないために』


 ドクリと心臓が音を立てる。背筋がゆっくりと冷たくなっていく。口の中が乾いて、頭の中を不意に遠い昔の光景が回る。


 灰色の景色。

 染み出した黄色と赤。

 無気力に投げ出された四肢。

 かすかな呻き声が、ノイズのように響く町を一人で歩いた──あの。


(僕、は……)


 ──ユート!


 瞬間、不意にプツリと演説が途切れた。


「……っ」


 気付けば、自身の肩をギュッと握られている感覚があった。リッカ、と小声で呟くと、ユートは恐る恐る肩の上に手を重ねる。そうして自分を落ち着かせるように深呼吸する。


「どうした?」

「え? なに断線?」

「線繋がってるのか誰か見てこいよ⁉︎ 店の裏は?」


 該当テレビの前では住民達がにわかにざわつき始めている。映像が途切れたからだ。


「……大丈夫。僕は大丈夫だ、ごめん……」


 傍にいる妖精に、それ以上に自分に言い聞かせるようにユートは繰り返す。大丈夫だ。確かに予想外の事はあった。だが今考えるべき事は別のことだ。

 すなわちオーガストの移住計画の真偽。それが提示されるのは当初の想定外だがヴィルヘルムは大丈夫だろうか。そう言うことを心配しなければいけない。


 と、にわかに街頭テレビ前の住民達がまた騒がしくなる。途切れていた映像が繋がったのだ。


 映像はオーガストの代わりに、スーツを着た一人の青年を映し出していた。遠目で見ても呆れるくらいに様になっている。もちろん集まった住民はざわつき始めたが、その中から違う種類の戸惑いの声が漏れるのが聞こえてきた。

 

「ねぇあなた、あの子ヴィレ君じゃない⁉︎ うちのお店にたまに来てくれるのよ」

「あの坊主! あんなとこで何してんだ⁉︎」


 ザワつく住民達の前で、映像のヴィルヘルムがスッと口を開く。 


『突然大事な場をお借りして申し訳ありません。まずはご挨拶を。みなさま、初めまして。僕の名前はヴィルヘルム・ライネと申します』


 人前で話すのが初めてとは思えない堂々とした振る舞いだった。

 予想外の出来事が起きたとは思えない落ち着いた声は理知的で誠実で、ざわついていた住民の声が自然と収まっていく。そしてすぐにヴィルヘルムは爆弾を投下した。

 

『現市長オーガスト・アンダーソンに殺された、前市長ヨハネス・ライネの息子です』



 

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