第16話 提案

「ユート。お前、今すぐリッカを連れてこの都市を出ろ」

「え?」


 淡々と、まるで世間話のように、ヴィルヘルムはその言葉を口にした。絶句したようにユートは目の前の友人を見る。


 だってその言葉は──。



『ユー坊は、リッカと一緒にこの町を出てもいいんだよ』



 昨日コルムがユートの問いに答える代わりに告げた言葉とほとんど同じで。


「お前は食糧と水さえあれば妖精域でもしばらくは生きていけるだろ」

「何を、いきなり……」

「もちろん移住先は紹介するさ。聖域と呼ばれる地域は、お伽噺でも何でもなくてちゃんと存在する。地図だってある」

「待ってくれ!」


 ガタンッ、と椅子を蹴って立ち上がる。


「行き先を聞きたい訳じゃない! どうしてお前らは揃って僕に出て行けだなんて……っ」


 悪意を疑っている訳じゃなかった。

 ヴィルヘルムも、コルムも、アイノも。ユートがこの町で信頼している数少ない人間だ。だから二人が同じことを言うのであれば、そこには必ず理由があるのだろう。出て行け、なんて軽はずみに言う訳がない。悪意を疑うような関係ではないと、少なくともユートは信じている。


「……理由が、分からない」

「…………」


 ヴィルヘルムは黙っていた。黙ってユートを見て、やがて決まり悪そうに頭をかく。


「ま、普通そうだよな」


 とりあえず座れ、と言われて、ユートは納得できないまま座り直す。大きく息をついて、ヴィルヘルムは口を開く。


「ユート。今から言う事は俺の独り言だ。聞き流してくれていい」


 ユートが黙ったのを了承と見たのか、淡々とヴィルヘルムが続ける。


 

「多分この都市の浄化システムはもう長くもたない」



 初め何を言われたのか分からなかった。ただその声はやけに冷たく部屋に響いて、現実感のないままユートの中に落ちていく。


「……え?」

「元々計画自体に欠陥が多くてな。長期で維持できないのは初めから分かってたんだ。システムだけじゃない。人を生かす資源も、食糧も、全部だ。この土地面積で、外部の助けなしで今までもってるのが奇跡みたいなものなんだよ」


 本当ならそれは、とんでもない事実なんではないだろうか。少なくとも住民に黙ってていい事実ではない。


 口を挟もうとして、閉じる。独り言だ、と言われた。だったらそれは黙って聞いておけと言うことだ。


「当時の市長、俺の親父が強く反対した理由の一つはそれだ。もちろん全く別の問題もあったけどな。だけどもう都市は動いてしまって、難民を受け入れてさえいる。人口はいつの間にか膨らんで六万だ。止められる状態じゃない」


 今システムを止めれば都市に住む全員が死ぬ。さりとて外に逃す手段も、逃げる場所もない。八方塞がりだ。


「本当はもう随分前からこの都市を捨てた方がいいんじゃないかと意見も出ている。ただこの都市の権力はあのオッサンに一極集中しててな。議会はハリボテ、最後に召集されたのは三年前ときた。外にも中にも交渉余地がない、まるで手足をもがれたバッタだ。それでも生きるためにはシステムを回し続けなければいけない。だけどそんな時に、区画一つを丸ごと浄化してしまえる存在が現れた。そう、リッカだ。まさに救世主だよ。何としても手に入れなくてはいけない。この都市を生かすためにだ。初めからお前に選択肢を持たせる余裕なんてこの都市には残っていない」


 そこまで一気に話すとヴィルヘルムは一拍間を置いた。そして、全くトーンを変えずに淡々とユートが本当に聞きたかったことを口にする。


「研究所のクラン・シーがどうなっているか、本当にお前知りたいか?」

「──それは」


 コンコン、という軽いノックの音が響いたのはその時だった。弾かれたように扉の方を振り返る。ここにいるのは誰も知らないはずだ。そもそもヴィルヘルムはあの家から出ることを禁じられている。通りすがりとは思えなかった。

 ヴィルヘルムと視線を交わすと、ヴィルヘルムがリッカを指差して横に振る。意味は通じた。


「リッカ、姿消せる?」


 こくりと頷くと、リッカの姿が蜃気楼のように揺らいで消える。


「はーい、今使用中でーす」


 ヴィルヘルムが能天気な声を上げた。外の気配はピタリと止まり、やがて低い男性の声が応えた。


「確認したいことがある。ここを開けて欲しい」

「ちょっとだけ待ってくれ。今手が離せないんだ。すぐ出るよ」


 誰? と目線でヴィルヘルムを見るが小さく首を横に振った。知らない、と言うことらしい。


「そもそも君が返事をするのはマズいだろ?」

「いや、俺がいるのを知ってて来てるよ。マズいのはお前だろうな」


 ヴィルヘルムが声をひそめる。立ち上がると端に積んである段ボールを少し動かしてユートを手招きする。


「ちょっと隠れてろ」

「だって……」

「戻らなかったら勝手に帰れ」


 声を潜めて一方的に告げると、ヴィルヘルムは有無を言わさずユートを段ボールの隙間に押し込んだ。それから、と低い声で呟く。


「研究所の最高責任者の名前はオーガストになっているが、実質の責任者はヤルモ・マキネンとアンリ・マキネンで娘の名前は研究員の名簿から消えてはいない。意味は分かるな?」

「……っ」


 息を呑む。

 アンリ・マキネン。ユートの健康診断の担当者であり、職位は室長。そして彼女の娘は、アイノだ。


 ダンボールの向こうから、ガチャリとドアを開ける音が聞こえた。


「何か用? マズいな。俺ちょっとサボってたんだよね。ちょっと待って…………」


 パタリとドアが閉まった。シン、と静まった部屋で息を殺す。しばらくドアの前でボソボソと話し声が聞こえていたが、やがて足音は遠ざかっていった。


 ぐるぐると思考が回る。


(……アイノ)


 アイノはもう研究所とは切れている、と話していた。

 だがヴィルヘルムの言葉が本当なら、彼女はまだ研究所に籍を置いているのだ。疑いたくはなかった。三年前ユートを雇い入れてから、アイノは実の姉のようにユートに接してくれていたから。


(それに)


 もしアイノが研究所と繋がっているとしたら、リッカが研究所に見つからないようにする必要などないのだ。


 ヴィルヘルムともう少し話がしたかった。

 クラン・シー。全てそこに繋がっている。浄化塔のシステムがクラン・シーだとして、コルムやヴィルヘルムがここを出て行けという理由は恐らくそこにある。そしてそれはきっと、否定的な理由じゃないことくらいはユートにも分かる。


(ちゃんと、知らないと)


 クラン・シーが今どうなっているのか知って、判断しないといけない。

 そもそもどうしてアイノはコルムと一緒にいるのだろう。ヴィルヘルムの話が本当なら家族は研究所にいるのに、どうして彼女は研究所を出たのだろう。


(……三年も一緒にいたのに、僕は何も知らないな)


 アイノのことも。コルムのことも。

 深く関わってこなかったからだ。知ろうとしなかったからだ。


(僕が知ろうとしたら、何か変わっていたんだろうか)


 少なくともリッカとの関係はあの夜から変わったとユートは思っている。

 リッカからすると何も変わっていないのだろうけれど、ユートにとっては知ろうとして初めて見えるようになったものがたくさんあった。

 いつからか肩に温かな感触があった。姿は見えなくても、誰かはすぐ分かる。


(……ありがとう)


 一人なら、きっと何も出来なかった。

 知ろうと思えたのはリッカが来てくれたからだ、と今は素直に認められた。



   ◇



 半時間ほど経っただろうか。


 恐る恐る段ボールを避けると、ユートは部屋へと這い出した。腰が痛い。グッと伸びをすると棚に手がぶつかって顔を顰める。


「リッカ」


 ──なに?


 声はすぐに答えた。少し迷って、気になることを聞く。


「周りに人がいるか分かる?」


 ──扉の外にはいないわ。


 ふぅ、と息を吐き出した。こう言うことを聞くのは、リッカを利用しているようで少し気が引ける。だが状況が状況だから仕方がない。この様子じゃヴィルヘルムは戻ってこれないのだろう。


 ──どうするの?


「…………」


 出て行った方がいい、といくら言われようが、理由も知らずに出て行けるわけがない。ましてや都市全体が危ういと聞いて、自分だけ安全な場所に行けるはずがない。


(そもそも都市の浄化システムは、一体どういう仕組みで動いてるんだ?)


 今まで気にしたこともなかった。十一区画全ての真ん中に立つ白い塔。人類の生命維持装置。その全貌は十二年前この都市が設立されて以後もずっと秘匿されている。そして浄化塔のシステムを構築したのはオーガストだ。その功績により彼は市民の絶大の支持の元ティルナノッグの市長となった。この十二年間変わることなくずっと、この都市の責任者であり続けている。妖精を愛し、人を愛する、現代の英雄。


(だけど……)


 そうっとドアを開けて外へ出る。リッカの申告どおり、人の気配なかった。とりあえず表通りに向かおう、と裏路地を早歩きで進む。ヴィルヘルムがどうなったかも気になるが、ユートが心配するようなヘマを踏む奴ではないと信用していた。


 ──ユート?


「リッカ、少し協力してほしい」


 ──分かったわ。


 即答が返ってきて拍子抜けする。振り返るが、もちろんそこには誰もいない。肩に乗った手の感触で彼女がそこにいると分かるだけだ。


「まだ何も言ってないんだけど」


 ──理由を聞かないと助けられないの? そんな事どうでもいいわ。誰に協力するかをわたしが決めるだけ。お前は何をするか言えばいいだけよ。


「──」


 言葉を無くす。

 リッカが何を考えているかは分からないが、少なくともその答えはユートにとって手放しの信頼に等しかった。


 間を置いて、苦笑が漏れる。

 それは人の持つ信頼とは全く種類が違うものかもしれない。リッカの持つ感情は根本から人間とは異なるのかもしれない。そうだとしても、理由などなくとも良いのだと今リッカは言うのだ。


 ユートだから助ける、とそう言うのだ。


(君にとっては、僕が何かなんて本当にどうでも良いんだろうな)


 以前ならきっと素直にそれを喜べなかった。だけど今は違う。


(きっと僕も、君が何者かなんてとっくにどうでもいいんだ)


 肩に乗った手に自分の手を重ねて、ユートはありがとう、と小さく呟いた。そうして覚悟を決める。


 自分はきっと知らなきゃいけない。コルムやヴィルヘルムがユートにこの都市を離れろと言った理由を。オーガストがリッカを必要だという理由を。


「浄化塔に行きたい」


 それがどれだけ、残酷なことでも。

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