第8話 ヴィルヘルム・ライネ

 研究施設の最奥。一般人は立ち入り禁止のその場所には、周りを白樺に囲まれた木造のコテージがひっそりと建っている。


 本来ティルナノッグの市民は基本的に自分で家を持つことができない。資産の問題ではなく、土地面積の問題だ。


 すでに陸地の七割を飲み込んだ空間侵蝕はここ十年起こっていないが、都市の浄化範囲は限られていて、移住を希望する人たちは数知れない。資産によって広い家を持つことを許してしまえば、それだけ住める人の数が減るのだ。これは市長であるオーガストでさえ例外ではなく、彼は研究施設の一角に居を構えて住んでいる。


 だが一人だけ例外がいる。彼だけはティルナノッグで唯一、一軒家で一人暮らしをしている。完全に一人というわけではなく、玄関にはいつも見張りが立っている。銃くらいは携帯しているかもしれないが、表立って武装をしているわけではない。彼らは中の人間を守るためにではなく、見張るためにそこにいるからだ。

 

 警備員に声をかけて、中へ入ると彼は庭で射撃の練習をしていた。無論実弾ではないが、腕前は大したものだ。引き金を引くたびに、木にぶら下げた的が良く跳ねる。


「リビングで待っといてくれ。ついでにコーヒー淹れといて」


 入ってきたユートには当に気づいていたのだろう。

 こちらを見もしないで投げられた要求に苦笑して、ユートはキッチンへと向かった。お湯を沸かして、その間に人工豆を挽く。コーヒーの淹れ方はここで覚えた。丁寧に淹れないと文句を言われるもんだから、幼い頃は良く喧嘩になったものだ。


「よう、ユート。久しぶりだな」


 ちょうどコーヒーが出来上がった頃に、目的の人物はリビングに上がってきた。透き通るようなブロンドの髪に、グレー混じりの碧眼。彫刻の型でも取れそうなくらい鼻筋の通った顔立ちをしている混じりっ気なしの美形である。


 名をヴィルヘルム・ライネ。


 かつて空間侵蝕で市民を見殺しにしたと弾劾され、責任を取って都市を出て亡くなった市長の息子だ。



   ◇



 聖域、と言われる場所が世界にはある。

 空間侵蝕が始まって尚、地形変動も、大気汚染も起こらない人類にとって夢のような地。


 空間侵蝕はある一定を境に進行スピードが非常に緩やかになっていたが、いつ侵蝕が始まるかは全く分からず、絶えず人類の脅威であり続けた。ティルナノッグの前身となった都市もそれは例外ではなく、幾つかの聖域と連絡をとりながら、当時市長だったヴィルヘルムの父親は聖域への移住計画を進めていたらしい。


 その第一陣の移住が決行されたのが約十二年前のことだ。


 移住先への経路は何度もシミュレーションを重ねて決定された安全な道程だったらしい。当時は今に比べてもよりDDは貴重品で旅程を完全にカバーする必要量の確保は難しく、まだ浸蝕されていない地域を経由して行くことになった。そして、その経由地で空間侵蝕が発生したのだ。


 彼らは市長の指示で、誰一人として個別に薬を携帯していなかった。

 先導する人間がまとめて携帯し、必要な時に配布する形を取っていたらしい。それも原因の一つか、第一陣はみなインスプリングによる精神汚染で死亡。第一陣には年端もいかない子どもが多く含まれていて、市民は市長の罪を追求した。

 

 空間侵蝕は災害だ。薬は貴重品で全員分賄いきれなかったのは仕方がない。万全を期していたが、空間浸蝕が起きてしまった。それだけならどんなに理不尽でも、仕方がないと割り切ることも出来ただろう。


 だが問題はその後にあった。避難が間に合わなかった時の為に浄化システムを使った都市計画が水面下で進行したことが民間団体によって暴露され、これを市長が秘匿していたことに市民が憤慨したのだ。


 助かる可能性があるのに、無駄死にさせた。

 初めから都市計画を実行していれば、誰も死ななかった。


 そう市民は訴えた。

 市長を追放しろ、という声があちこちで上がった。殺した子供達と同じ目に遭って償え、と。


 市長はその座を退き、そして監視の目を潜り抜け、己の足で妖精域へと赴いたのだという。ヴィルヘルムの母はこれを追いかけて一緒に死んだのだと聞いた。


 ヴィルヘルムが一般市民の目に触れないようにされているのは、彼を守るためだとオーガストが以前言っていた。


 怒りや憎悪は常に人の心の奥で燻っている。安全が確保されたと言っても人間にとってこの都市の在り方は抑圧的だ。その矛先が残されたヴィルヘルムにいつ向けられるかは分からないのだと。

 

『まぁ、十中八九詭弁だろ』


 過去一度だけこの話をした時、ヴィルヘルムはそう言って笑っていた。


『移動路の確保は多分グレースの空間侵蝕予知を使って作られたものだ。それが起きてしまったのなら、どちらかというと侵蝕が起きることを狙って作られた移動経路だったんじゃないかと思うけどな』


 当時オーガストはヴィルヘルムの父の右腕として重宝されていた。

 

 都市計画の発案もオーガストのものだったが、これにヴィルヘルムの父はなかなか首を縦に振らなかったらしい。要するにオーガストにとってヴィルヘルムの父は政敵でもあったのだ。

 

 グレースの空間浸蝕予知は確実性のあるものではなかったから、オーガストは罪には問われていないし、妖精であるグレースは無論のこと罪に問えない。それでも疑問に思う人間は少なからずいたという。


『まあみんな失脚したけどな。子どもを殺すわけには行かないから俺は生きていて、そう言う連中にとって俺は良い旗頭だ。あのオッサンも自分の目の届く場所に置いときたいだろうよ』


 オーガストが恩人であるユートには何とも居心地の悪い話だった。


『市長のこと、憎んでるの?』


 ヴィルヘルムはユートの数少ない友達だった。当時人に嫌われることを極端に恐れていたユートは、この時も『恩人であるオーガストをヴィルヘルムが恨んでいたらどうしよう』という自分可愛さから残酷な質問をしたのだ。


 ヴィルヘルムの返事は簡潔だった。


『好きではない。けど憎んでもいない。どうでもいいんだ』


 その返答に、ユートは自分勝手にもホッとしたのだ。


 今でも、ヴィルヘルムは平気でオーガストの名前を口にする。自分の両親を殺したかもしれない人間を嫌いじゃないはずがないだろうに、ヴィルヘルムからは少しも嫌悪の匂いがしなかった。


 その感情の希薄さは、どこか妖精と似たものを思わせた。



   ◇



「ヴィレ。君この間七区にいなかった?」

「ん? いたよ?」


 ソファに座りコーヒーを飲むより先に尋ねると、事もなげにヴィルヘルムは同意した。

 この間迷子の妖精を探している時に、ヴィルヘルムらしい人物を見た気がしたのだが、やはり本人だったらしい。慌てたように入口の方を見る。あそこにはヴィルヘルムの見張りがいるし、そんな大声で肯定したら聞こえてしまうだろうと危惧したのに、当のヴィルヘルムは構う様子がない。


「……気をつけろよ。君一応要人なんだからさ」

「今の俺の顔が分かる奴なんていないだろ。特定する奴がいたら逆に見てみたいわ」


 ゲラゲラと笑って、ヴィルヘルムはユートの心配を一蹴する。


「どっちに出てることがバレたらヤバいって言ってるんだよ」

「んなの当に知ってるだろ、あのタヌキは。害がないから泳がせてるだけだって。お前がここに来てるのもバレてるよ」

「それは、うん。知ってる」


 それどころかよろしく言っといてくれ、と言われてしまった。恐る恐るそう言うとヴィルヘルムはそれ見ろ、と笑った。


「見張りは気にしなくていいよ。ここの会話は漏れないからさ」

「……また丸め込んだの?」

「あぁ、すごいだろ?」


 オーガストもそうだったが、ヴィルヘルムもそれ以上にウインクが様になる男である。しかもコイツの場合、自分が美形であることを知っての所作だからタチが悪い。


 ヴィルヘルムの見張りは半年くらいの周期で変わっているらしいが、ヴィルヘルムはこれを毎度簡単に懐に入れてしまう。

 今回はひと月前に変わったばかりの気がするが、もう丸め込んだらしい。オーガストはこの男がどれだけ天性の人たらしなのかを恐らく把握していない。そこを一番把握すべきだと思うのだが、ヴィルヘルムは友人だから流石にオーガストにも売る気はない。


 緊張していたのがアホらしくなって、はぁ、とユートは座り心地の良いソファに身体を預けた。 


「で、何か面白い話はあったか?」


 いつものようにヴィルヘルムに尋ねられて、ユートは最近の近況を一通り話した。妖精域でのことも洗いざらいだ。この友人に話して困ることはユートには特にない。


 ユートの近況についてヴィルヘルムは大抵話半分で聞いているだけだったが、リッカの話になると急に目の色を変えた。促されるままにリッカが人とほぼ同じ大きさの妖精であることや、この二日の様子を話し終えると、ヴィルヘルムがソファに背を預けて唸った。


「どうしたの?」


 何か変なことを言っただろうかとユートが尋ねると、やがてヴィルヘルムは神妙な面持ちで口を開く。


「そうか。ユートもついに妖精を囲ったか」

「言い方。言い方が良くない」


 その言い方は大いに誤解がある。


「だって少女型だろ? 好きな奴はごまんといるぞ? 妖精は感情はないって言われるけど快楽中枢だけは存在するから……」

「断じて! そういうのじゃない!」


 あんまりな言い分に思わずユートは声を荒げた。名誉毀損で訴えたい。


「大体妖精はほとんど少女型だから」

「あのおとぎ話の挿絵みたいなのは女とは言わん」


 ヴィルヘルムの発言は言葉の通りの意味だ。

 ほとんどの妖精はその高い声質から少女型といえるが、とても概念的に人を模している。目があり、鼻があり、口があり、身体からは手足がのびる。大体の構造はあっているが、完全に人間を模しているものは稀なのだ。オーガストの側にいるグレースは非常に人に近しいが、コルムやリッカはそれ以上に人に近しい。ユートもたまに妖精であることを忘れてしまうことがある。食事をするし睡眠も取る。コルムに至っては妖精だと思えないくらい人間らしい。


「で、可愛いのか?」

「……」


 ヴィルヘルムの軽口に閉口する。アイノといい、どいつもこいつも同じような事を聞いてくる。しかも聞いてくる人間が揃いも揃ってユートが妖精が苦手なのを知っている連中ばかりだ。一体どうなってるのか。

 

「……暇なのか?」

「あぁ、暇だぞ。知ってるだろ?」


 ユートの皮肉にも、平然とヴィルヘルムは返してくれる。やめよう、舌戦でこの男に勝とうとするのはあまりに愚かだ。


「まぁ冗談はさておき、ユート」


 軽口の延長でヴィルヘルムが問う。


「その子のことは苦手なのか?」

「……それは」


 予想外な質問に言葉を濁す。

 

 ヴィルヘルムは知っている。ユートの母親が死んだ時、ずっと妖精の笑い声が聞こえていたこと。だからユートが妖精の甲高い声を苦手としていること。そしてファズであるが故に、妖精自体に複雑な感情を抱いていることも。


「俺はお前が妖精と一緒に暮らしてる、って聞いて安心したけどな。ちょっとは客観的に突き放せるようになったのかってな。過度な嫌悪は、裏返せば執着とそう変わらない感情だ。お前と妖精は違うさ、全然違う」

「……どうしてそう言い切れるんだ?」

「妖精って言うのはもっと得体の知れないものだからだよ。この都市の連中はお気楽なもんだけどな。中途半端に理解したつもりにならないほうがいい。同一視なんてもっての外。あ、これはお前に言ってるぞ?」


 何でもない事のようにヴィルヘルムが淡々と言う。


「つまり、調子に乗るなってこと?」

「ハハッ、お前どんだけ自分に自信ないんだよ! 上下で考えるなよ、別枠で考えろってことだ。だからお前が妖精をそばに置くって言うのは、自分を見つめなおすのに丁度良いんじゃないかってそれだけだ」


 ヴィルヘルムの言っていることは分からないでもない。ユートが妖精を嫌うのは、自分が人間と違い妖精に近いものではないかと、どこかで思っているからだ。そう言われてきたからだ。それさえなければもっとフラットな気持ちで妖精を受け入れられるかもしれない。リッカのことも。


「……そんなに分かりやすく嫌ってるかな、僕」

「あぁ、分かりやすい。だってお前、さっきから一度も拾った妖精の名前を呼んでないからな」

「……」


 図星を見抜かれて、頬が熱くなる。

 その通りだ。自分で名付けておいて、ユートはリッカの名前を呼ばない。必要以上に近づきたくなくて、ずっと呼ぶのを避けている。


「ムキになるのはためにならないぞ。誰のために意地を張ってるのかって、まぁ自分のくだらんプライドのためだろうしな」

「ないよそんなもの」

「あるよお前には」


 分かりきったような口調に、ユートは何ともいえない表情になる。


「案外妖精の方も期待してるかもしれないぞ」

「それはない」


 今までリッカがそういった類の感情をユートに見せたことはないし、今後もきっとない。期待とは、都合のいい未来を想像できて初めて起こる感情だ。そんな高度な情動は妖精には存在しない。


「そうだ、今度ここに連れてこいよ」

「はあ?」


 急に何を言い出すのかと思ったが、ヴィルヘルムの目は割と本気だった。


「本気で?」

「あぁ。会ってみたい」


 ヴィルヘルムの隣に立つリッカを想像すると、なるほど絵になるだろうな、とユートは他人事のように思う。だが一応ユートはリッカの保護者である。


 そういう目で見ないなら、と言うと見るかよ! とまたケラケラとヴィルヘルムは笑った。俺はどっちかっていうと色っぽくて危なっかしい年上が好きなの、とついでに要らん情報を教えてくれた。そうかよ。


「……そろそろ帰らないと」


 気づけば時計の針はもう十五時を指していた。朝からリッカを預けている。夕方になるのは流石に心苦しい。立ち上がったユートを見送る気がないのかヴィルヘルムは座ったままだが、それもいつものことだ。


「──なぁ」


 だが帰ろうとした矢先、何か大事なことを思い出したかのようにヴィルヘルムがユートを呼び止めた。


「その妖精。もうあのオッサンには会わせたか?」


 オッサンとはオーガストのことだろう。いや、と首を振ると、ヴィルヘルムが目を細める。


「じゃあ話は?」

「引き取ったことは言ってないよ。妖精域での顛末は研究所の事情聴取で話したから伝わってるけど。それがどうかした?」


 そうか、とヴィルヘルムが呟く。そしてふいに真剣な表情でユートに告げた。


「その妖精、あのオッサンには会わせないほうがいい」


 え、と喉の奥で声が引っかかる。それはユートが、今日オーガストに会った時にリッカの事を話さなかった違和感に重みを乗せるような言葉だった。


「どうして、そう思うんだ?」


 ユートの疑問に、ヴィルヘルムはにっこりと笑う。


「今度その妖精に会わせてくれたら教えるよ。俺の思い違いの可能性も高いしな」

「ヴィレ?」


 何かが引っかかった。

 喉に引っかかった小骨のように取れないその違和感を拭えないまま、時計を見てそろそろ帰らなくては、とユートは思う。


 結局ヴィルヘルムはそれ以上は教えてくれず、違和感の正体は最後までわからなかった。


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