第5話 妖精モドキ
「君、この子を探したりは出来ないよね?」
帰り道にダメ元でリッカに尋ねてみた。不思議な妖精パワーとかで何とかならないものかと思ったが、当然リッカは首を横に振った。
「これじゃ無理よ。直接見ていないから、個体を識別できないの」
見つけられないのは予想通りだったが、予想外の情報も混ざっていた。
「その言い方だと、直接会ったら分かるってことになるけど」
「分かるわ」
当然だというようにリッカは言う。
「その紙では識別出来ないけど、実際に会えば覚えられると思う。二度目は探せるわ」
「……つまり今コルムがどこにいるかは分かる?」
すぐに肯定が思念としてユートに返った。
これは役に立つかもしれない、という率直な感想がユートに湧き上がった。
今後の参考にと幾つか質問を重ねたが、結論としてやはり人間の識別や物の識別は出来ないらしい。人間はぐちゃぐちゃだから無理、というよくわからない回答が返ってきた。
ポケットに手を突っ込んで、そういえば、と思い出す。
リッカを保護した際、あの男が持っていた拳銃をポケットに突っ込んだ記憶があるのだがどこへ置いたのだろう。
(マズいな。どこかに落としたかな……)
基本的に銃の所持はこの都市では禁止だ。
取り扱いの講習を受けて、許可証が出れば所持できるが一般人にはまず許可が降りない。ユートは許可証を持っているが、区内での所持は禁止されている。持って行って良いのは外へ出る時の特例だ。
(……あの時は上着をそのままリッカに貸して)
帰り道に外で落としたか、リッカがどこかへ落としてきたかの二択だ。出来れば妖精域で落としたのであって欲しい、と願う。街中で落としていて、一般市民が拾っていたら揉め事の種にしかならない。
と、考え込んでいた矢先、視界の隅に映り込んだ人影にユートは足を止めた。
「……ん?」
「どうしたの?」
リッカがユートの顔を覗き込む。知った顔を見た気がしたのだが、そもそもこんな所にいる訳がない人物だ。かぶりを振って、何でもない、とリッカに返事をする。
「とりあえず今日は第五区画の方で聞き込みしてみるよ。付いてきてくれる?」
当然リッカは頷いた。ずっと思っていたが、リッカはユートに付いていくことに全く不満はないらしい。ユートの知る限り猫のように気ままに振る舞うのが妖精の習性だ。やはりこれは生まれたてというのが影響しているのだろうか。
「『妖精域』には探しに行かないの?」
ふとリッカが聞いた。昨日一通りの説明はしたからリッカもある程度の単語は覚えている。
「行かないよ。依頼主の、あの男性が言ってただろう? あんまり外に出る子じゃない、って。だったら人の多いところをフラフラしてお気に入りのスポットを見つけてしまったんじゃないかな」
そうなれば一週間くらいそこに留まっている、なんてことはザラにある。
それに妖精域に出ているならユートもお手上げだ。妖精域で一匹の妖精を探すなんて、それこそ砂漠に落とした豆粒を探すような話である。帰ってくるのを待つ方が絶対に早い。
「それに昨日も話したけど、人間は妖精域では基本活動できないんだよ。薬はあるけど、ものすごく貴重な物だから簡単には手に入らないし」
「ユートは要らないでしょう?」
「まあ、そう……」
それがあまりに当然のように告げられた言葉だったから、反応が遅れた。
一拍おいて、身体の芯がスッと冷えていくのを感じた。呼吸を忘れる。驚きに目を見開いて、ユートは立ち止まってリッカを見つめた。
「なん、で……」
呆然とそばにいる妖精を見下ろす。そこには無垢の瞳があった。脅えもない、驚きもない。だけど同情も、嫌悪もない。
およそ感情と呼べるものを全て廃した透明な瞳に、人には持ち得ない星がポツリと浮いているのがやけに鮮明だった。
コクリと喉が鳴る。
「……いつから、気付いてたの?」
「初めから」
淡々と妖精は言った。
「でもお前はわたし達とは違うから、不思議に思っていたのよ」
────お前、ニンゲン?
出会った時にかけられた言葉が蘇った。
(そうか、あの言葉は……)
そのままの意味を指していたのだ。ユートが人であるか、判断が出来なかったから尋ねたのだ。
インスプリングには人間を狂わせる作用がある。比較的子どもは症状の進行が遅い傾向があるが、十歳以上になれば個体差はあるもののいつかは例外なく狂い死ぬ。
だがユートには、インスプリングの毒性が作用しない。『
十五の時にユートが調停屋で働くことになったのは、その体質ゆえだ。ユートは自由に外へ行き来ができるが、ユートの素性を知る研究所はユートを嫌悪しているから追い出したかった。元々自立したかったし研究所の居心地は最悪だったから、その事に不満はない。実際貴重品である薬を調達する必要がないのは助かるし、時間制限がないのも便利だ。
ただ、ひとつだけ──。
インスプリングが妖精に効かないのは、妖精には『壊れる精神性が存在しない』からだと言われていた。
それが本当なら、自分には人としての心が備わっていないのではないか。と。そうずっと、心の片隅に引っかかっていて。
「……何でだろうな。僕にも、分からないよ」
かろうじて、それだけ絞り出した。
曖昧に笑うユートの表情に、リッカは怪訝そうに眉根を寄せた。そして小首を傾げる。
「何故かなんて聞いてないわ。どうでもいいもの」
あんまりな返事に一瞬カチンとした。そのどうでもいい事で、今までユートがどれだけ悩んできたか。そんな言い方はないだろ、と言いかけて口を噤む。
「……」
リッカは妖精だ。
事実を確認しただけで、何故そんな体質なのかなんて言葉通り気にもしない。どうでもいい、と悪意なく口にしてしまえるのが彼女たちだ。
感情を出して、必死で否定する方が惨めになる。いつもみたいに笑えばいい。かぶりを振って、揺らぎかけた自分を補強する。
(怒っても、無駄だ)
嫌味でもなんでもなく、リッカにとっては本当にどうでもいいのだ。他意はないのだ。間に受ける方がどうかしている。
だがリッカはつまらなさそうに息をついて、予想外の言葉を口にした。
「お前のそれはただの体質よ。気にするだけ無駄」
「……え?」
弾かれたようにリッカを見る。リッカは鼻を鳴らして、ふいと顔を背けた。
(なんで……)
妖精は、感情を持たない。全て人間の模倣だ。
それなのにユートが欲しい言葉を簡単に投げて寄越すのが、何故他でもない妖精のリッカなのだろう。
「妖精域には行かないのね?」
リッカは何事もなかったかのようにユートに尋ねてくる。本当に、露ほども今の会話を気にしていないようだった。悪意がない代わりに、気遣いもない。だけどそれが思っていた以上に楽だと感じるのも事実で。
だから何とか動揺を押し隠して、ユートもうん、と頷く。
「もし君が行きたいなら、一人で行ってくれて良いよ」
リッカが人のそばにいる方が好きなのか、インスプリングの方を好むのかを直接聞いたことはない。だが通常の妖精は気ままに妖精域に出かけていくものだ。そう思って口にした言葉を、リッカはあっけなく否定した。
「わたしはいいわ。必要ないもの」
「そっか」
歩き始めたユートの後を、リッカは当たり前のようについてくる。ふと気付けば、リッカは初めこそ飛んでいたものの先ほどからユートに合わせて歩くようになっている。
(こうしてると本当に人間みたいだな……)
ピョンピョンと歩くに合わせて跳ねる触角があるからすぐに妖精だと認識できるが、リッカは人型の中でもかなり人に近い形を取っている。
だからだろうか。心が揺れる。
『ねぇ、聞いた? あの子の話』
『妖精モドキなんでしょ? 本当に人間なのかしら?』
ユートにとって、自身の体質を知られることは恐怖だった。真白い羊の群れにたった一人、羊の皮を被った自分。そんな羊の群れを嘲笑うように眺めては跳ね回る、醜悪な何かが妖精だ。中身が同じ羊なのか、それとも妖精なのか自分でもずっと分からないまま、ユートはこの都市にいる。
(違う。同じなんかじゃない)
だけどもう忘れかけた記憶の中で、妖精の甲高い声が嗤う。お前には人の心などないのに、と嗤うのだ。
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