第3話 生まれたて

『──ヒトダスケしてたんだって』


 それが自分の事だと認識した途端、聞きたくもない会話を耳が拾い始める。こういうのが人間の習性なら間違いなくバグだと思う。会話は続く。


『助けた? 襲ったんじゃなくて?』

『妖精モドキの言うことなんて信じるなよ。それに連れてきた奴、もうダメだって聞いたぞ?』

『やっぱり。じゃあおかしくなるの黙って見てたんだ〜、それなら納得』


 知りもしないことをいけしゃあしゃあと言って笑う声。

 せめて見えないところで言えよ、と心が逆立つのは止められないが今更だ。彼らは事実なんてどうでも良くてただユートを貶めたいだけなのだと知っているし、過去『妖精モドキ』と呼ばれた奴らが多くの人間を見殺しにしたのは事実だ。


 ただ──。


 妖精でも人でもないのなら自分は何者なのだろう、とたまに考える。

 自分は果たして人間なのだろうか、と考える。


『お前のせいだ』

 

 もう顔も名前も忘れた友達が残した言葉が、浮かんで消える。


(僕の、せいなのかな)


 答えなんて分からない。きっと一生分からないままだ。



   ◇

 


 人類が『空間侵蝕』と名付けた未曾有の災害が起こったのは、今から一世紀近く前のことだ。


 始まりは旅客機の墜落事故だったらしい。

 今となっては鉄の塊が空を飛ぶだなんて信じられないけれど、百年前は特に珍しいことでもなかったと聞く。とにかくその旅客機とやらが飛行中突然通信が途絶え、やがて目的地とは全く違う海域に墜落した。


 その一件を皮切りに航空機の墜落事故が続くことになる。墜落した航空機は全てある特定の海域・空域を通り、必ずそこで通信が途絶えた。通信障害が起こる領域を特定できたものの、事故の原因は明らかにならないまま、さらにその数週間後。


 世界的に大規模な通信障害が起こった。


 現在においては想像するべくもないが、当時の世界にとって通信ネットワークは個人・企業問わず生活基盤の多くを担っており、大規模な通信障害はあらゆる経済活動に深刻な影響をもたらしたらしい。だけど一番問題だったのは、それが少しも復旧しなかったことだ。


 調査の結果、海底ケーブルと呼ばれる太平洋を横断する通信用のケーブルが物理的に破損していることが判明した。しかもそれは例の通信障害が起こる特定の領域に該当し、ケーブルを所有する事業者は慌てて調査を開始したが、調査に向かった人間は誰一人として戻ってはこなかった。船は目的の海域で停止したまま、向かった調査ヘリも墜落が確認された。調査隊からの通信はいずれも、一定の海域に入ったところで途切れていた。


 調査は困難を極めたが、国家が正常に機能するためには、海底ケーブルの修復は急務だったらしい。調査隊も派遣できず復旧は進まないまま、各国ではあらゆる手を使って原因の解明が進められ、海底ケーブルの破損は海底の変形によるものだという、にわかには信じがたい事実が発覚した。

 

 その空間は人を狂わせる。


 まことしやかに囁かれるようになった噂は、嘘か真か。

 だが調査員が帰って来ないのは事実であり、安全な海路・空路の整備が急がれた。輸送の難易度が跳ね上がったため物資や資源は高騰し、通信が大幅に制限されたことによって経済はどん詰まり、株価は大暴落だ。それはさながら第二次世界恐慌の始まりであったが、そんな恐慌をせせら笑うような出来事が起こる。


 この未曾有の災害が、大陸内で起こったのだ。


 皮肉なことに、その空間で人が狂うのは事実だと実証された。

 汚染された地域では、住民の悉くが死んでいるのが分かった。助けに入った人間も誰一人帰らない。


 この出来事で、災害の起こった地域は地形が変わることも判明した。本来自然にはないビビッドな赤や青、黄が油彩画みたいに入り混じる大地。それはさながら別の空間に侵蝕されるようだった。目の前の風景と、どこかここではない空間が融け合うように、世界が崩れて、混ざり、侵されていく。だからその災害は『空間侵蝕』と呼称されるようになった。



   ◇



「百年もあってまだ環境に適応できないの? 馬鹿なの、ニンゲンって」


 ユートの部屋に我が物顔で居座っている妖精ことリッカは、長い雪白の髪を揺らして身も蓋もない感想を口にした。アイノと買い物から帰ってきてしばらく、リッカが『ところで空間侵蝕って何?』と尋ねてきたから、教科書の知識程でしかないが、覚えている内容を話した感想がコレだ。


 研究所の時と違って、こっちは全く腹は立たないし心がささくれることはない。妖精に思いやりなんてものは元々期待していないから楽なものだ。苦笑をこぼして答える。


「残念ながら僕たち人間には、君たちみたいなすごい力は備わってないんだよ」

「ふーん」


 ふよふよと宙に浮かんだリッカの真白のワンピースが視線の端で揺れる。アイノが選んだシンプルで真っ白なワンピースはリッカによく似合っていて、微笑む姿は絵本に出てくる人を惑わせる妖精そのものだ。ただし口から溢れる言葉には一切の思いやりがなく辛辣。


「でもこの都市の人間はちっとも怯えていないわ」


 まるで見てきたようにリッカが言う。


「この都市は浄化システムが働いてるから。特別なんだよ」


 人間は自身の身体を変えることはできないが、環境を整えることはできる。ティルナノッグはインスプリングの浄化機能が働いているから、人は狂わない。他の都市の人間と話したことはないが、概ね同じシステムを使っているのではないだろうか。


「妖精はいつからいるの?」

「あぁ。空間侵蝕が起きた当初に発見はされてたみたい。この災害が『空間侵蝕』と名付けれた一因は君たちにもあって、今まで地球上にいなかった未知の生命が溢れんばかりに出てきたから、別の空間から来たんだと思われたんじゃないかな。侵蝕された地域が『妖精域』と呼ばれるのも君たちの存在所以だね」


 とはいえ、妖精が本格的に調査され始めたのは侵蝕が起こってずいぶん経った後のことだ。主要都市が壊滅状態なのに、未知の生命体に割く余力など当時はなかったのだろう。妖精が人間に興味を持ち、人の姿を持ち始めてから初めて接触に至ったのだと伝え聞く。


「君たちのことを僕らは『妖精』と呼ぶけれど、これも人間が勝手につけた呼称だよ。君たちは発見された頃は姿を持たなくて、人と関わることによって形を獲得していったと言われている。その姿が、僕らの世界のおとぎ話に出てくる妖精によく似ていたからそう呼ばれたんだ。その呼称を生まれたばかりの君が知っているのも不思議な話だね」


 妖精たちのデータもアップデートされたりするのだろうか、と首をひねる。ティルナノッグにいる妖精たちの大半は、この世界の仕組みを理解している。リッカも空間侵蝕という単語については聞いてはきたが、この都市の外側にインスプリングが充満している事に関しては疑問に思う素ぶりもない。

 

 と、ユートの部屋が軽くノックされた。


「ユー坊〜、リッカ〜、夕飯用意できたよ〜」


 コルムだ。そういえばリッカの件でうやむやになっていたミートパイを、さっき食べ損ねていた。今行くよ、と返事をしてユートは立ち上がると、ふと気になってリッカを振り返る。


「そういえば、君は目が覚める前のこと何か覚えてたりするの? 何も知らないって言うけれど、何と言うか……、そうだな。自立に問題はない気がするし。意志もある」


 生まれたての妖精、というのに会ったことがないからユートにはよく分からない。騙されやすいって事だから周りには内緒ね、とアイノに釘を刺されはしたけれども、少なくとも目覚めた瞬間からリッカは自衛行動を行うことができた。あれは本能みたいなものだろうか。


「──覚えてる。仲間の声」


 凛とした、印象的な透き通る声に、ユートは思わず顔を上げる。


「ずっと聞こえてたわ。妖精の声も。色んなことを、教えてくれた。この世界と仲良くする方法。妖精のこと。止まった点と、奏でる線のこと」

「……それってどういう?」


 リッカの言葉は抽象的で、正直よく分からなかった。だけど説明する気はないらしく、説明のために口を開く気配もない。


(まぁ、意味のある言葉が返ってくるとは思ってないんだけどさ)


 妖精と人では価値観も構造も全く違う。見えているものだって違うかもしれない。そもそも妖精に感情はないと言われていて、彼らがしているのは人の模倣だ。恐らく彼らに備わった知識も人間が理解できるような事ではなく、感覚的だったり動物的だったりするのだろう。


 それ以上口を開くでもなく、ドアの方を見ていたリッカの触覚が不意にぴこんと揺れる。


「どうしたの?」

「何か、変」


 くんくん、と鼻を動かしてリッカはふわりと扉の前に移動し、ぱちくりと目を瞬かせる。かすかに触覚の先が明滅し──。


「ストップ!」


 危険を感じて咄嗟に少女の腕を掴んだ。不自然に広がった白い髪がふわりと落ちる。キョトンとしてこちらを振り返った妖精に、ユートはドアノブを回して扉を開いた。


「ドアは、開ける。扉は開けたり閉めたりできる。分かるか?」

「……あける、しめる?」

「そう。今君、扉ごと壊そうとしたろ?」

「うん」


 間髪入れずリッカが肯定する。はぁぁぁぁぁ、と盛大にため息をついた。良かった。家を壊したらアイノは笑って給料から天引いてくる。間違いない。


「これドアノブな。回したら開けられる」


 不本意な気持ちで、リッカの手を引っ張ると扉のノブに触れさせる。不思議そうにリッカはカチャカチャとノブを回し、意外と素直に頷いた。


「分かった。回す。あける。しめる?」


 聞いてくるので、廊下に出て閉め方も教えて差し上げる。


「これでわか……」

「焼けてるわ。あっち」

「聞いてないな?」


 真面目な会話を諦めて、台所へふらふらと漂っていくリッカの後を追う。ダイニングへ向かうと、コルムが焼きたてのミートパイを出していた。夕方焼いていたのを温め直したのだろう。


 ちなみにアイノはソファで爆睡していた。


「いらっしゃい。二人とも座って食べて」

「アイノは? 起こす?」

「いや、いいよ。また起きたらあっためなおすから。多分お酒の飲み過ぎ。強くないのに飲むんだよなぁアイノは」


 仕方ないなぁ、と言外に愛情みたいなものが滲み出ている。どう考えても弟か息子かみたいな見た目なのに、実際のところコルムはアイノの母親みたいだ。


「焼けてる。でも変だわ。これ?」


 いつの間に近くに寄ったのか、コルムの隣まで飛んだリッカが興味津々にコルムの手元を見ている。くんくん、と鼻がよく動いている。


「妖精って普通ご飯は食べないんじゃなかったっけ?」

「いや、食べる個体もいるよ。多分リッカはそっちかなぁ。いい匂い?」

「……いいにおい?」

「そう、だから鼻が動いてるんだ。ここは匂いを感じる器官なんだよ」


 コルムがリッカの鼻をつついた。


「匂い。うん、覚えたわ。これは良い匂い」


 片手でユートにパイの皿をコルムが出してくれる。ちょっと熱いかもしれないから、とリッカにはハンカチに包んでパイを差し出している。


 リッカは不思議そうにパイを見て、コルムから包みを受け取る。

 今気づいたがリッカの指先は少し尖っていて、一目で人間のものではないと分かった。細くて色白の指はパイの熱さで火傷しそうな気がしたが、そんな様子もなくリッカは丁寧に両手でパイを持つと、また指示を仰ぐようにコルムの方を見た。


(そうか。声の出し方も分からなかったんだっけ)


 不思議な気持ちでコルムの隣に浮かぶリッカを見る。コルムは優しくリッカに一から食べることを教えている。


「食べるんだよ。歯はあるだろ? 口開けて。うん大丈夫。ユー坊を見るといいよ」


 コルムに目配せされて、ユートは自分のミートパイにかじり付く。もぐもぐと動かしている口を指差す。こくん、と少し分かりやすいように動作をつけて飲み込んでみせて『歯で噛むんだよ』と慣れないなりに説明する。


「柔らかく細かくして、飲み込むんだ」


 リッカはじっとユートの様子を見ていたが、やがて手に持ったパイにユートを真似て大口でかじりついた。拍子にポロポロとパイ生地が床に落ちる。


「……、……っ」


 もきゅもきゅと口を動かすリッカの瞳が目に見えてキラキラし始めた。こくんと飲み込んでもう一口。パクパクと食べ進めるリッカに苦笑する。どうやらお気に召したらしい。


 台所で浮いたまま食事をしているリッカはお行儀よくはなかったが、コルムは嬉しそうにリッカの様子を見ていた。


「美味しい?」

「オイシイ?」

「その表情見てたら聞かなくても分かるな。もっと欲しくなったり、食べて嬉しい気持ちになるなら美味しいって事だよ」

「おいしいわ」


 こくりと飲み込んで、リッカが即答する。


(嬉しいって)


 妖精の感情は人間の模倣だ。そんな妖精に嬉しい気持ちだなんて少し滑稽だろう。

 そう思うのに、夢中でミートパイを食べているリッカを見ているとごく当たり前の、少し世間知らずな女の子に見えてきてしまうのも事実だ。


 だからつい、いつもなら言わないだろうに口を挟んだ。


「そういう時は『美味しかった、ありがとう』っていうと良い」

「オイシカッタ、アリガトウ」

「僕にじゃない。コルムに」


 そう言うと、リッカは丁寧に同じことをコルムに繰り返していた。根は素直なのか、疑うことも疑問に思うこともないようだ。


「ねぇ」

「うん?」

「これ、もうないの?」


 テラテラと油の付着した手に空っぽになったハンカチを握りしめて、リッカがコルムに問う。その口元にパイ生地の欠片がたくさん付着しているのを見て、コルムがおかしそうに笑う。


「もう一個あっためるよ。次は座って食べることを覚えろよ、リッカ。ユー坊の隣空いてるだろ?」


 リッカは首を傾げながらも、ユートの方にふらりと寄ってきた。椅子を引いてやると、ふわりとそこに腰を下ろしたリッカはユートに話しかけるでもなくコルムがパイを温める様子を見ている。


 これから自分がどうなるのかも、ユートがリッカに対してどんな感情を抱いているものかも、恐らくこの妖精にとっては何の意味も持たないのだろう。


 感情を向けられない。

 期待もされない。


(それが楽だって思うのは、人としてどうなんだろうな……)


 普通は寂しく思ったりするのだろうか。それとも自分はリッカが妖精だから平気なのだろうか。


 事あるごとに天秤にかけるみたいに正しい行動とは何か、みたいな事を考えるのは癖みたいなものだ。自分が人間なのかどうかなんて、きっと己の定義の問題だろうに。


(それでも、僕は──)


「……ん」


 不意に目の前に食べかけのパイが突き出されて、ユートは目を瞬かせる。


「え?」

「一口あげるわ。食べなさい」


 と言って突き出されてるのは、やはり食べかけのパイだった。呆然とするユートにリッカはもう一度食べかけのパイを突き出してくる。戸惑ったままパイとリッカを見る。


 ────。


 と、往々にして不機嫌な気配が精神に直接伝わってきて、ユートはハッとする。

 忘れていたがこの妖精はいきなり大の男を吹っ飛ばした危険物なのだった。神妙にリッカの手を掴むと、ユートはパイを一口かじる。これで良いだろうか、と黙って咀嚼しているとリッカに『それで?』と促される。それで、とは?


「オイシカッタは?」

「……美味しかった」

「アリガトウ」

「あ、ありがとう」


 おうむ返しのように繰り返すと、リッカが満足したように頷いてまた手元のパイを一口かじった。何だったんだ、とコルムの方を見るが、コルムもまた肩をすくめただけだった。


 やはり妖精というのはよく分からない。



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