第2話 妖精都市ティルナノッグ

 妖精共栄都市ティルナノッグ。


 絵の具をぶちまけたメルヘンな大地に広がる大きな湖に囲まれた都市は、東西に約一二キロメートル、南北に約八キロメートルの横長の都市だ。


 天然の境界線となっている小高い丘に囲まれた地形は空間侵蝕によって作られたもので、侵蝕以前の面影はあまりないらしい。都市の外周部は浄化システムが行き届かない可能性を考慮して、居住地区はもう少し狭く内側に区切られている。外周部は研究所の管轄区で、インスプリングの影響を受けない農産物のプラントや家畜が飼育されている。


 外周部を通り抜ければ、ようやく都市への検問所だ。


 そこでチェックを受けて問題がなければ、都市に入ることができる。検問所の職員は大抵ガタイが良く愛想は悪い。彼らの役割は外部へ出ようとするのは自殺志願者を止めることだし、不用意に外部から侵入しようとする人間を見張ることだから多少は仕方ない。


「ユート・オリミヤです。外部調査から帰りました」


 検問所でパスを見せると、検問官が胡散臭そうな顔でユートの背後に目を向けた。


「そいつは?」

「あぁ、この子は拾った妖精で──」

「妖精だぁ? お前外に出過ぎて、ついに頭おかしくなったのか?」

「え?」


 検問官が顎で指し示したのは、積荷のようにロープで縛って狭い後部席押し込んだ男のことだった。隣に乗っていた妖精はいつの間にか忽然と姿を消している事に気づいて、ユートは引き攣った。


(い、いつの間に……)


 いなくなるなら一言断ってくれ、と心中で悪態をつきながら、曖昧に笑って『すみません。要救助者です』と言い直すと、明らかに渋い顔をされた。


「何で要救助者を縛りあげてんだよ」

「ちょっと外で襲われたので」


 今度こそアホを見るような目で見られた。襲われた人間をどうしてご丁寧に運んできているのか、という目だ。言いたいことはよく分かる。だが放置する事は見殺しにする事とイコールだし多めに見てほしい。これはれっきとした人道的処置なのだ。


「なら行き先は研究所か?」

「とりあえずは。実はちょっとこの人汚染されかけてて、薬が間に合ったか分からないんです。医療部門の方に連れていきます。背負っていくのは大変なので、バギー借りていいですか? 後で返しますから」

「…………」


 ユートの説明を聞いても、男は胡散臭そうにユートを見下ろしていた。


「……銃はここで預かる。ほら、とっとと行け」


 ありがとうございます、と言って持ち出していた拳銃とライフルを検問官に渡す。都市内の銃火器類の持ち込みはご法度だ。持ち出した分はきちんと記録されていて、都市に入る前に決まった場所に預けるのが通例だ。


 検問を通過する直前『ファズが……』と忌々しそうに検問官の口が動いたのが分かった。聞かなかったことにして笑って礼をすると、ユートはそのまま通り過ぎる。


 この手の当て擦りはもう慣れっこだ。

 とりあえず笑っとくのが一番良いと知っている。無害で馬鹿なふりをしているのが、一番安全だ。さっきの検問官にしてもユートが『妖精モドキ』であることが町中に広まっていないだけ職務に忠実な方だろう。ここは感謝するところだと己に言い聞かせる。


 ティルナノッグに入ると、妖精共栄都市という触れ込みの通り人と共に暮らす妖精の姿が多く見られる。その多くは人型を取っているが、大きさは様々。人と寸分変わりない大きさは珍しく、絵本の挿絵で見るような手のりサイズから小型犬くらいのサイズまでの妖精が多い。


 市中で走るバギーが珍しいのか、見かけた子どもたちが手を振ってくる。笑って軽く手を振り返しながら、ユートは目的地である研究所にハンドルを切った。

 


   ◇



 結局ユートが身を置いていてる職場に着いたのは一六時を回った頃だった。ティルナノッグに帰ってきたのが十二時過ぎだから、研究所で三時間近く拘束されたことになる。しかもそのほとんどが待ち時間である。


 研究所はユートにとってあらゆる意味で居心地の悪い空間なのだ。待合に放置されている時間はお世辞にも愉快だとはいえない。嫌がらせかと思ったし、実際半分は嫌がらせなのだろう。


 だからこそ事務所に帰るとホッとする。


「ただいま」


 調停屋とプレートが吊られた扉を開けると、括り付けられたベルがチリンチリンと可愛らしい音を立てた。


 調停屋はユートが働く民間企業だ。ティルナノッグには妖精が多く暮らすが、妖精は人と価値観の違う高等生物な訳でペットと同じというわけにはいかない。


 人の社会に入れば妖精が問題を起こすことも多く、そういったトラブルは枚挙にいとまがない。多くのトラブルは役所に持ち込まれるが、役所では受け付けてもらえない案件も数多くあり、自然そういったトラブルに対処する民間企業が出来上がった。それが調停屋だ。


「あれ? 誰もいない?」


 主人は留守なのか、店の中はがらんとしていた。

 事務所はそんなに広くはない。カウンターと相談スペースが一つだけ。穴場のカフェのような雰囲気の小さなお店だ。


「いるいる! おっかえり〜、ユー坊」


 と、カウンターの奥から能天気な声と共にひょこりと一人の妖精が顔を出した。背が低いからいつもカウンターの裏に簡単に隠れてしまって、気付かないのだ。


「ただいま、コルム」


 コルムはこの調停屋の主人についている妖精である。褐色の肌にユートの腰くらいまでの身長。尖った耳とチョウチンアンコウを思わせる触角を二本揺らしながらユートのそばまで歩いてくると、なんだ元気ないのかぁ、とずんぐりとした手でユートの背中をバシバシと叩いた。


「うんうん、肉付き良好。怪我もないな。今回もお仕事ご苦労様。ちょうどミートパイが焼けたんだ。もうそろそろアイノも帰ってくるからご飯にするけど、先にお茶でも出そうか?」


 人と同じ声による伝達。人間よりも人間らしい気遣いに溢れた出迎えに、ユートは苦笑する。何しろ先程同じ妖精様の洗礼を受けてきたばかりだ。コルムに初めて会った時は自分が知る妖精の印象とは随分と違って驚いたものだ。『コルムはうんと変わり者だからね〜』と彼のパートナーが苦笑しながら教えてくれたのを覚えている。


「それにしても遅かったじゃないか。行動連絡票には今日の昼に帰るって書いてたけど」

「それがちょっと一悶着あって」


 苦笑して、荷物を床に下ろす。ふーん、とコルムが鼻を鳴らす。


「今回の探索は西の方? うんと西側に行けば他の居住区もあるんだろ?」

「そこまでは行ってないよ。あまり他の居住区には近付かないようにしているし」


 空間浸蝕に汚染された地域、通称『妖精域』と呼び表される領域は、現在大陸の大半を占めている。人間の住める場所は随分と少なくなっているから、自然、外部からの来訪者には敏感になる。どこの都市も資源は有限で、誰でも受け入れられる訳ではないのだ。


 そもそも妖精域に出るには通常薬が必要だし、薬のWe-Dは貴重品だ。結果的に人間が妖精域を歩いていることなんてほとんどなく、保守的な都市だと不用意に近づいたら攻撃されるという噂もある。


「ティルナノッグはあまり他の都市と連絡を取り合っている感じもないしね。僕も他の都市には入ったことがないなぁ」


 コルムが出してくれたミネラルウォーターをお礼を言って受け取る。そしてカップに口をつけようとした時だった。

 

 ──お前、妖精?


 突然ユートの脳内にうるさい思念が割り込んだ。

 ギョッとしてコルムがユートを見る。ということはコルムにも聞こえたらしい。僕じゃない、と首を振った。だが予想は出来る。何せこの思念には酷く覚えがある。

 

 ユートの背後で空気がにじむ。ゆらりと揺れうごいた空気はやがて一人の少女の姿を形作った。唖然とするコルムの目の前で、真白の妖精が軽い足取りでその場に降り立つ。


「え、ええええええええええ⁉︎」


 素っ頓狂な声を上げたのはコルムで、突如現れた少女の妖精を凝視している。ユートも唖然としたまま、目の前に降り立った少女の妖精を見つめる。


 ──何?


 白の妖精はユートのジャケットを羽織ったまま、首を傾げて見せる。いくら妖精に羞恥心がないからといって、細部まで少女の身体である妖精が真っ裸で助手席に座っているのは色々支障があったから、バギーに乗せる前に着てもらったのだ。そのまま着ていたらしい。


「え、なに、どうなってるの? ユー坊が? 妖精を? 連れてる?」


 そりゃあコルムが驚くのも無理はない。何せユートはあまり妖精が好きではない。喧伝しているわけではないが、親しい人なら知ってる。そもそも親しい人が少ないのはご愛嬌。


 ため息をついて、諦めたようにユートは説明する。


「……今回の依頼の帰りに、西側に回って侵蝕があまり進んでないって聞いてた都市を見てきたんだけど。その時拾ったんだ」


 だがこの妖精は都市に入る時姿を消したきり、聴取の時も一切出てこなかったのだ。興味がなくなってどこかへ行ってしまったのだと思っていたが、どうやらいなくなってなかったらしい。


 何で今出てきたのかは皆目見当もつかなかったが、ユートが聞くまでもなく妖精は不満げに答えを口にした。


 ──だってお前、わたしをどこかに引き渡そうとしていたでしょう?


「その方がいいかと思って」


 ──それでは約束が違うわ。とても不快。


「……もしかしてずっとそばにいた?」


 ユートの問いに肯定が直接思念として返ってきた。

 ということはユートが延々聴取を受けていたのも見ていたはずだ。自分のことも散々言及されたのに、一度もコレは姿を現さなかった。それなのにこの妖精は全く悪びれる様子がないし、逆に自身の都合を押し付ける傲慢さも感じない。

 

 きっとユートが困っていた事実に関心がないのだ。なるほど、今は単にコルムに興味が沸いたから出てきたのだろう。


「……ごめん。理解したよ。次からは気をつける」


 諦めてユートがそう答えると、妖精は満足そうに頷いた。そもそも妖精に道理を説くなんて時間の無駄だ。道理を説いてなるほど、と頷く妖精なんてユートの知る限りコルムくらいだ。

 

 ──お前は、わたしと同じ?


 再度妖精がコルムに問いかける。

 コルムはチラリとユートの方を見たが、ユートが諦めの気持ちで首を横に振ってよろしく、と対応を委ねると、おずおずと妖精の方に向き直った。動揺は治まったらしい。変なことを聞くね、とこぼして頭をかく。


「目の前にいたら分かるでしょ。オイラは妖精だよ」


 目で見て、という単純な意味だけではない。

 妖精はそれがどんな姿をしていても互いが妖精だと認識できるらしい。だけど目の前の妖精はコルムの答えに納得できなかったようだ。少し考えたそぶりを見せて、さらに疑問を重ねる。


 ──ニンゲンと同じように話しているのに?


「君だって話せるだろ。まぁ常に発話してる妖精はあんまり見ないけど……」


 コルムの言葉に妖精は不思議そうに首を傾げた。

 その仕草にユートは怪訝な表情をコルムに向けたが、コルムは何かしら合点がいったらしい。遠慮がちに妖精の方へ歩み寄ると、自分の喉に手を当ててみせた。


「ここだよ、ここの器官を使うんだ。吸うと開く、閉じて息を吐くと震える。分かるかな?」


 あー、あー、と何度かコルムが目の前で発声を繰り返して見せる。それをじっと妖精は見ていた。そしておもむろに自分の首に手を当てる。

「……ぁ、ぁー」


 それが初めて聞いた妖精の声だった。まだ幼さが残る、小さなベルを鳴らしたかのような可憐な声。

 自分の喉に手を当てて、妖精は不思議そうに宙を見つめている。それからまたあー、あー、と声を出し目を丸くした。そうしてもう一度同じ動作を繰り返す。


「あー、あー」


 声は先ほどより少し明瞭になった。しばらく夢中になって声を出している妖精の様子を、小さな子を見守るみたいにコルムは眺めていた。何度か発声練習をすると満足したらしく、妖精はコルムの方を向く。


「これでいい?」

「うん、上手だよ」


 コルムが笑うと、満更でもなさそうに妖精の口元が緩んだ。


「オイラはコルム。こっちはユートだ。君、名前はある?」

「なまえ? 名前はないわ。わたしはわたしだけだもの。それで十分でしょう」

「そう言うわけにもいかないよ。ここには君以外もいるんだから」


 コルムの友好的な口調に、ユートは内心舌を巻く。

 出会い頭から命令形のお前呼ばわりで、成人男性を軽くぶっ飛ばした。ユートはこの妖精を子どもだとは全く思えないが、コルムにとってはそうでもないらしい。


 と、絶妙なタイミングで玄関が開く音がした。


「た〜だいまぁ!」


 明るい声と共に今に入ってきたのは、この家の主だ。身体のラインに沿ったベージュのパンツスーツを違和感なく着こなし、見た目だけなら文句なしの美人である。


「いやぁ、つかれたつかれた! 毎日本っ当面倒な客ばっか!」


 息をするように不平を口にしながら買い物袋を豪快にドンっと机に置く。

 サイドに結わえたライトブラウンの髪を後ろに払うと、ズレた眼鏡を直す。そこでようやく見慣れぬ妖精の存在に気付いたらしい。明るい碧眼がぱちくりと瞬いた。


「え? 誰これ?」


 瞬間、ちょっと作ってた甲高い声が台無しになるような、素のテンションの声が飛び出した。絵に描いたような見事な変化に、見慣れたユートも思わず感心してしまう。


 アイノ・マキネン。

 ユートの保護者であり、この事務所の主人だ。黙っていれば癒しのお姉さん、口を開けば残念美人というのが出会った時から特に変化のないユートの評価である。


「おかえり、アイノ。その子は迷子の妖精。外に出てたユートについてきちゃったみたいなんだ」

「ほう、迷子」


 コルムの説明に何やら意味ありげな視線でアイノは妖精をじっと見つめる。アイノを見返す妖精がまだユートのジャケットを羽織っていることに気付いて、ユートは大体この後のやり取りの予想がついた。


「誤解のないようにもう一度言っとくけど、勝手についてきたんだからね」


 とりあえず変な方向に話が飛ばないよう、釘を刺しておく。だがアイノは聞く耳がないのか、にまっといやらしく笑った。


「なぁに〜? ユート、こんな可愛い子を初対面で家に連れ込んじゃうとか隅に置けないじゃ〜ん?」

「話聞けよ」


 家じゃないし。事務所だし。

 ヤダ辛辣〜、とふざけて笑いながら、アイノは着ていたスーツをポイポイ脱ぎ捨てていく。コルムが苦笑しながら、慣れた様子でアイノが脱ぎ捨てた服を拾い集める。事務所で脱ぐなよ。


「アイノ、この子多分生まれたてだよ」


 コルムが遠慮がちにかけた言葉に、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターの容器に直接口をつけたまま、アイノが振り返る。


「ふーん」


 珍しく考え事をするように目を細めて、アイノは水の容器をそのまま冷蔵庫に突っ込んだ。先程から黙っていた妖精の所へ歩いてくると、妖精の前でひょいと腰をかがめる。


 妖精は十二歳くらいの容姿で身長も高くない。アイノは身長が高い方なので、並ぶと親子のような身長差だ。口にしたら多分殴られるから言わないけれど。


「こんにちは、お嬢さん。少しこっち向いてくれる?」

「お前は何?」

「ん〜? 人間よ。アイノって呼んで。ここにいるコルムのパートナーなの」

「パートナー?」

「この町ではね、妖精は誰か決まった人間につくのが一般的なのよぅ」


 歌うように言って、アイノはまじまじと妖精の瞳を覗き込んだ。深い紫紺の瞳。ユートも見惚れたその瞳の奥には星のような粒が浮かんでいる。片目に一粒ずつ。妖精核だ。コルムの琥珀の瞳にも浮かぶそれは、妖精の生命炉と言われている。身体を持たない妖精達が唯一実体として持っている器官。


「綺麗な目ね」


 そう言ってアイノは笑った。妖精は容姿を褒められたことには特に頓着はないようで、キョトンとしてユートの方を見てきた。


「褒められてるんだよ」

「そう」

「ありがとう、って返すといい」

「アリガトウ」


 おうむ返しだったが、アイノはあら可愛い、とニコニコ笑う。そして当然の疑問を口にした。


「で、この子どこで拾ってきたの?」

「あぁ、それね」


 かいつまんで今日あった出来事をアイノに説明する。アイノは落ち着いてユートの話を聞いていたが、三時間研究所で拘束されたくだりを話すと、非効率の鑑じゃ〜ん! と他人事みたいに爆笑した。

 

「三時間もいたなら興味深〜い話もいっぱい聞けたんじゃない? ん?」

「何それ皮肉?」

「そうそう。ほら、みんな噂話好きじゃない? 娯楽、ないものねぇ」


 アイノの物言いに苦笑を溢した。


 遠回しにユートが研究所の人間に嫌われている事を揶揄しているのだろう。こう言う事をデリカシーなく言ってしまう所が、アイノの良いところでもあり悪いところでもある。


「ご期待通り、聞きたくもない陰口をたらふく聞いてきたよ」


 当て擦りを込めて返すと、お疲れ様、とアイノは笑う。


 ただユートはアイノのこう言う所が嫌いじゃない。くだらない、と笑い飛ばされている方が、下手に同情や憐憫を向けられるよりもずっと楽だ。

 ただその後アイノが口にした言葉は、ユートにとって予想の斜め上だった。


「ま、じゃあ早い話ユートはこの子を引き取る責任があるわね」

「は?」


 思わず間抜けな声が出る。


「何で?」


 率直に返すと、あら、と零してアイノはシンプルに返してきた。


「行き場のない女の子を拾って連れて帰ってきたのよ〜? 帰る場所がないんだもの。責任を持って世話をしてあげなきゃ」

「行き場のない女の子を拾ったら普通警察に届けるでしょうよ」


 この子の場合は妖精なので警察ではなく研究機関になる訳だが。いや、もしかすると市役所の妖精窓口か? どちらでもいい。少なくとも家に連れて帰るのは正解ではない。それこそ本当に行き場のない女の子だったら、警察にしょっ引かれる事案だ。


「ていうか市役所の妖精窓口、知り合い多いだろ? 手続きしといてよ」

「パートナー登録の?」

「違う」


 パートナー登録というのは、ティルナノッグで妖精と一緒に暮らす人間のための制度だ。


 ペット登録みたいなもので、妖精の方には何の責任も義務も生じない。ただ登録しておけば、妖精が町中で問題を起こした際に、公的機関からの補償が受けられるから、特定の妖精と長く一緒にいたい場合は人間にとっては益となる。

 だが少なくともユートにその意思はない。


「そうじゃなくて都市で暮らしたい妖精は登録が必要なんだろ一応」

「あー、パートナーの斡旋ね。お見合いみたいよねぇ。でも一緒に暮らす妖精のパートナー登録は住民側の義務なのよ?」

「一緒に暮らす場合はね?」


 ハァ、これ見よがしにため息をつくと『あなたも困るわよねぇ』とアイノは妖精に向き直る。


「勝手に連れてこられたのに引き取る気がないだなんて……無責任よね。近頃の若者ってば全くもう、お姉さん呆れちゃう」

「おい」

「ね、あなたはどうしたい?」


 ユートを無視してアイノが妖精に問う。


 コルム曰く『生まれたて』の妖精にその質問は難解だったらしい。妖精は小首をかしげるだけだったが、珍しくアイノは丁寧に言葉を重ねた。


「さっきも言った通りね。この都市で生活をするのであれば、誰か人間についた方が都合がいいの。私がコルムとパートナーを組んでいるようにね。もちろん外で生きていくことも出来るわ。あなたであれば妖精域は脅威にならないもの。だけどもし、あなたが望んでユートに付いてきて、この都市にいたいと思うのであれば、あなたの意思を示す必要があるの」


 気まぐれな妖精に、こんなに丁寧に意思確認するアイノを見るのは珍しい。妖精はじっとアイノを見ていたが、やがてチラリとユートを見る。


「わたしはお前を助けたでしょう?」

「…………」


 嫌な予感しかしない。


「つまりお前はわたしを引き取るセキニンがある」


 キッパリと言い切った妖精に、ユートは無言で頭を抱えた。妖精は気まぐれだ。今言ったことが十分後にひっくり返ることなんて珍しくない。その気まぐれに付き合わせられる方はたまったものではない。


「いやでも、僕の家ここだからさ。僕がこの子の面倒を見るってことは、自然アイノが面倒見るってことに……」


 この建物は事務所兼アイノの住居で、同時に居候しているユートの家でもあるのだ。


「私は構わないけど? まぁ、実質世話をするのはコルムだし?」

「オイラは全然構わないよ」


 瞬く間に包囲された。めまいがしそうだ。

 こめかみを軽く押さえていると、アイノがにんまりと笑う。


「パートナー登録、明日代わりにやっといてあげようか?」

「あのね……」


 アイノは調停屋の主人だが、市役所の臨時職員でもある。職務は妖精課のアドバイザー。簡単に言うが登録には本来本人の来庁が必須だから、これは公文書の偽造だ。犯罪だ。だがやると言ったらこの人はやるのだろう。


「コルムが言った通り、この子はまだ生まれたての個体だから。右も左も分からないと思うのよ、どう?」


 自然近づいてきたアイノがユートにそっと小声で耳打ちする。


「──それに本当のところ研究機関に預けて丁重に扱われる保証はないわよ」


 それが決め手だった。


(この人は……)


 ユートの泣きどころをしっかりと把握した一言だった。

 昔からユートは人として不誠実な行いが出来ない。潔癖な訳では決してない。正義感が強い訳でもない。ただ人道に外れた行為をする事に、どうしても忌避感が拭えない。そしてアイノの発した言葉には一定の説得力があった。何せアイノが妖精課の

 アドバイザーをしているのは、昔研究所の研究員だったからだと聞いている。


「……分かったよ」


 苦々しくそう言うと、パッとアイノが表情を明るくする。


「決まり! じゃあ名前を決めなきゃ。どうする? ユート」

「えぇ、僕なの?」

「当然よ。あなたが引き取るんだから」

「ユートってば責任重大だね」


 他人事だからとコルムがおかしそうに囃し立てるのを、恨みがましい目で睨む。当の妖精は何を話し合われているのか、いまいちピンと来ていないらしい。それでもコルムやアイノに釣られて、視線をユートに向けた。その目が期待に揺れているように見えるのは、恐らくユートの脳内補正だ。


「名前って言われてもな……」


 そうボヤきながら、妖精に目を向ける。真白の髪に透き通った肌。瞳はまるで宙のよう──、それはまるで窓から見たあの日の雪景色のような。



 その色は、遠い記憶を刺激して。


『 ゆうと。みて。とってもきれいね 』



「──六花」


 キョトンとする妖精に、諦めたようにユートは息をついてもう一度繰り返した。


「リッカでいい? 君の名前」


 妖精はゆっくりと自分を指差す。


「リッカ」

「そう、リッカ」


 妖精はコクリと頷く。どうやら認めてくれたらしい。

 アイノがあらいい名前、と笑う。


「じゃあリッカ。そうと決まれば、まず服を用意しなきゃねぇ。流石にその見た目で、いつまでもユートの服を着ているわけにはいかないでしょ?」

「服?」

「そうそう」


 女の人はいつだってこういうことが楽しいらしい。帰ってきたばかりだというのに、出かける準備を始めるアイノにユートとコルムは目を合わせて苦笑する。


「下着もいるわよね。ユート、パンツはかせた?」

「むしろ僕が持ってたらびっくりするよね⁉︎」


 不意打ちで飛んできた悪意のない質問にユートが呻く。そのユートの側で、リッカは小首を傾げてみせた。


「ぱんつって何?」


 アイノが吹き出した。

 ユート、と面白そうに名前を呼ぶアイノを睨むと、流石に冗談だったらしく笑いを噛み殺しながら、アイノはリッカの手を引いて何事かを教えている。小声なのはユートへの配慮だろう。


 本当に何も知らないらしい妖精とのこの後の生活を思うと、早速目眩がした。


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