第19話 虚飾のカラスが神に鳴く③
肉芝仙はククを飲み込んで腹が満たされると、他の女達には興味をなくしたのか彼岸の方へと戻っていく。その背中に九郎は、神殺しの剣であるハバキリを向けた。
「満腹のところ悪いが、中のククごと真っ二つにさせてもらうよ」
下から上へと斬り上げる独特の軌跡で振るわれた刃が、肉芝仙の分厚い背中を縦一文字に切り裂く。その手応えに、九郎は違和感を感じた。
軽いのだ。まるで素振りでもしたかのように。
「――なっ」
肉芝仙は斬られた事にも気付いていない様子で、数秒間に渡って喉を膨らませると、河の方へと向かって村中に響き渡る鳴き声を轟かせる。
すると崖の下から、無数の巨大な手がべたべたと這い上がってきた。かつて九郎達が彼岸の向こう側で見た無数の肉芝仙達が、この場所へと集結していたのである。
怪物の群れは、その場で呆然と立ち尽くす女達の熟れた乳房を眺めて吟味すると、舌なめずりをする。そして彼女達の下へと殺到し始めた。
「まずい――啓介くん、一旦引くよ!」
「は、はい!」
九郎は黒い羽根で自分達の姿を消すと、一先ずその場を離れて茂みに隠れる。
振り返った先で、どうしてハバキリが先程肉芝仙に効かなかったのかを、彼女は思い知った。
肉芝仙達に覆い被さられて乳首をしゃぶられている女達は、先程のククの末路を目の当たりにして尚、恍惚として表情で艶やかに嬌声を上げていたのである。この瞬間を待ち望んでいたかのように。
自ら股を広げ指先で性器を掻き回して淫靡な水音を立て、乳腺を吸い取りやすいように乳首が改造されていく痛みに感じて、だらしなく舌を垂らしながら汚い喘ぎ声を上げている。
「あっあっあっ……♡ 吸っで♡ もっと吸っでぇぇ……♡ 最後の授乳ぎもぢいいよぉぉ……♡」
「夢みだいぃ……♡ おらなんががニグシ様のお眼鏡にがなうなんでぇ……♡」
「あっ♡ イグッ♡ はやぐ食い殺しでぇぇぇ……♡ このままいがせでぇ……♡」
肉芝仙に食われての死と幸福が結び付いてしまっている彼女達からの信仰を奪う事は、九郎の能力を以てしても不可能だった。
「可能性として考えていなかった訳ではないけど……まさか本当にハバキリが効かないとはね。どうやら最後の手段に頼らざるを得なさそうだ」
「まだ何か策が有るんですか……?」
「
「えっと……確か土蜘蛛の流れでしたっけ。土蜘蛛は平家の呪いだとか何とか」
「そう、それだ。その話題の中で、日本三大怨霊の一つである平将門公に関する話もしただろう」
「は、はい」
九郎と啓介が共に暮らし始めてから、初めて訪れた
「平将門公の怨念は、今では東京を守っている巨大な霊的結界の礎として機能している。その結界というのは、とある二つの路線によって構築されているのだよ」
「路線……?」
「東京の中央を走る環状線である〈山手線〉と、東京を横断する〈総武線〉。この二つが合わさる事で、東京の大地には巨大な〈二つ巴〉が刻まれているのさ」
二つ巴と言われれば、啓介には白と黒の勾玉二つが合わさったような陰陽太極図が浮かぶ。
「この巴のマークというのは、不知ず森神社にも祀られている〈八幡の神〉のシンボルでね。本八幡という地名は、八幡の神を表す巴を東京に刻む為の〈根本〉になった事が由来とされているそうだ」
「八幡の神……もしかして、神社の奥にいた鎧の人ですか?」
「いや、あれはあの場所に供養されていた平家の祖霊だろうね。将門の時代の平家は、武神である八幡の神に認められる事で、強大な権力を得た一族なのだよ。故にその死後も、八幡の神に仕える守護霊として東京の結界の礎となっているのさ。……あの土蜘蛛には、その守護を穢す役割があったという訳だ」
「つまり……東京の結界が弱まっていたって事ですか……⁉︎」
「おそらくは、天園村が作られる直前からね。そうでなければ、こんな悍ましい怪異が東京に蔓延れる筈はないのだよ」
その時、啓介の頬を一粒の雨が打つ。見上げると空には黒雲が立ち込め、天園村を包囲するように迫っていたのである。
「流石は
「ルシアスさんが別行動していたのは、結界を元に戻す為だったんですか……!」
遠く離れた東京の端で曇天を見上げながら、男の姿に戻って煙草を燻らせるルシアスがにっと笑う。
「造作もない事だ。英国紳士にとってはな」
やがて東京の上空を雲が完全に覆い、雷鳴を轟かせ始める。
すると地上の肉芝仙達は女達を犯すのを止め、一斉に上空を見上げた。不気味に鳴り続ける雷鳴に対抗するように、大声で鳴き喚き始める。
先程まで犯されていた女達は儀式が中断してしまい、不安げに肉芝仙を見上げている。その悪い予感は、最悪の形で的中する事になる。
不意に肉芝仙は喉奥から管を吐き出し、女の性器や尻に挿入したのである。
「ひぎっ……⁉︎ く、苦しい……!」
管が彼女らを持ち上げると、肉芝仙達は大きく口を開く。既視感のある光景に、女達は自分達の運命を悟った。
「い、嫌だああああ! せめでニグシモとしで殺しでえええっ! 天園にイがせでえええっ!!」
恐怖に満ちた叫びがそこら中でこだまし、阿鼻叫喚の中で、彼女達は生きたまま肉芝仙に呑まれていく。痙攣する身体が飲み込まれてしばらく経つと、腹の中から汚らしい消化管の震える音が鳴り、泣き叫ぶような女達の断末魔が響き渡った。
肉芝仙は顔を下に向けると、吐瀉物のように喉奥から泥を吐き出す。その中にはまだ新しい人骨が入っており、それを骨格として四足歩行の泥の塊が誕生する。
「あれは、土蜘蛛……?」
「……いや、もっとまずいもののようだよ」
泥を纏う骨はがしゃがしゃと這って歩き出すと、一箇所に集まっていく。そして粘土細工のように、泥を媒介として合体し始めたのである。
全ての土蜘蛛が一つになって巨大な人形を成すと、泥を掻き分けて奥から黒ずんだものが姿を現していく。
それは数百倍にも拡大された、人智を超えたサイズの人骨であった。
肉芝仙達が手を合わせると、骨格に纏わり付く泥が赤い肉へと変わっていく。そして遂には、一人の女の肉体となって完成したのである。
九郎には、その正体が分かっていた。
「見たまえ、啓介くん。あれが原初のニグシモだよ。かつて巨大な骸骨の怪物を従えて朝廷と源氏に戦いを挑んだ、平将門公の娘——
その長い髪は血のように赤く、額からは二本の黒い角が伸びている。
一糸纏わぬ身体には異常に肥大化した乳房が六つも垂れ下がっており、巨大な乳首が一つの乳房に数え切れない程も備わる異形である。
肉芝仙達は彼女の乳房へと殺到し、張り付いて母乳を吸い始める。その色は赤く、まるで血を流しているかのようだ。
「肉芝仙達が人間を欲していたのは、これが理由だったのだね。必要なのは乳房ではなく、彼女達の骨だったんだ。本物の仙人酒を生産できる、たった一人の
乳首を吸われ、滝夜叉姫は舌を出してびくびくと身体を痙攣させる。数千ぶりに肉体の感覚を味わい、その快楽を享受していた。
仙人酒を飲んだ肉芝仙達はその身体を更に巨大化させていき、赤子のようだった顔は瞬く間に皺が刻まれて翁面のように変化を遂げ、白い髭と眉を漂わせる。
儀式は遂に完遂され、肉芝仙達は現代に神として完成したのだ。げっげっという歌が周囲に響いて勝鬨を上げる。これからは自分達の時代だと言わんばかりに。
肉芝仙達は、息を荒げて身体を震わせる滝夜叉姫の勃起した乳首から口を離すと、大地に下りて闊歩し始める。
「こんな化け物が日本の山奥で育まれていたなんて……! これはもう、軍隊でもないと倒せませんよ!」
「軍隊か。それは良い考えだねぇ。では、神の軍隊なんていうのはどうかね?」
九郎が頭上に指を向けると、黒く分厚い曇天を青い雷光が裂く。その閃光は止む事なく、二つに裂けた天を押し広げていく。
雲の奥から姿を現したのは、〈鬼神〉と形容するに相応しい異形の巨人であった。雷光は次々と雲を切り裂き、無数の鬼神達が地上を覗き込む。
細い稲妻が大気に奔り始めると、啓介にはそれが、鬼神達の構える弓のように見えた。
「あ、あれは……!」
「あれがかの有名な、将門公の生首さ。かつて京都で晒し首にされた将門公の首は、雷鳴と共に目を開いて、己の胴体と戦場を求めて東の都へと飛んだのだそうだ。それを雷光で撃ち落とした八幡の神とその神官達は、彼を鬼神として祀り上げる事で、都を襲う厄災を最強の結界へと転じさせたのだよ」
「まさか……神の軍隊というのは……!」
「古来より神の裁きとくれば、相場が決まっている。という訳だから、耳を塞ぎたまえ」
九郎と啓介が耳に手を当てた刹那。視界が青く染まり、天の裂け目から注がれた無数の落雷が地上の肉芝仙達を穿つ。通常雷光というのは一瞬で過ぎ去るものだが、肉芝仙達を襲った雷はいつまでも絶える事なく永劫の責め苦を与え続ける。
地上で蹲る肉芝仙達の中心では、滝夜叉姫もまた全身を雷で責められ、村中に絶叫を轟かせた。
これだけの神罰を身に受けながらも皮膚が焦げる様子さえない所は、神という存在の度し難さを体現していたが、初めは藻掻いていた肉芝仙達も次第に動かなくなってくる。終わる事のない地獄の苦痛が、彼らを完全に封じ込めたのだ。
九郎は黒い羽根を耳に詰めて栓にすると、ハバキリを抜き放つ。
「これは最後の慈悲だよ。神として得た永遠の生へ、地獄の苦痛を味わう為だけにしがみ付くのか。はたまた全てを諦めて、心穏やかに眠るのか。命を得た今の君達になら、自分の意志で選択ができる筈だよ」
返事の言葉など待たずに九郎は横一文字の軌跡を描くと、切っ先を地面に向けて天を仰ぐ。
「かしこみかしこみ八幡の神よ。そして鬼神将門公よ。貴方の娘は、ボクに弔わせてもらうよ。もう二度と、現代の人間によって忌むべき過去の墓標が暴かれない為に」
そして切っ先は空に舞う。残酷な現実を殺せるのは、電網探偵明石家九郎が吐く慈悲深き嘘だけだ。
天へと昇る光の柱に異形の神々達は包まれて、跡形も無く消えていく。その光が曇天に届くと、厚い雲も舞台の幕が上がるように掻き消えていった。
そして九郎と啓介以外の命を残さず、天園村に静寂が訪れる。数多の命を吸って肥え太り続けた平家の呪いは遂に、終止符を打たれたのだ。
辺りには真っ黒な長い髪だけが、地面を埋め尽くす程に散らばっていた。
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