第17話 虚飾のカラスが神に鳴く①

 先日の事件からというもの、九郎は不気味な程に大人しかった。とは言っても別段執筆をしている様子もなく、代わりにマコトが部屋を訪れる機会がいやに増えた。

 そして半月程経ったある日、九郎は朝早くから啓介を自室へと呼び出す。


「失礼しまーす……」


 啓介が部屋に入ると、そこには既に身支度を整えた九郎が立っていた。黒の縦セーターに、グレーのジーンズという彼女の仕事着だ。その様子がかえって、何か只ならぬ意気込みのようなものを感じさせる。啓介は部屋着にエプロンの格好で来てしまった事を一瞬後悔した。


「で、出掛けるんですか⁉ 直ぐに準備してきます!」

「おっと、待ちたまえ。支度はしなくていいよ。先ずは朝食にしようじゃないかね」


 ダイニングキッチンに入ると、食卓にはマコト……そして、ルシアスが座っている。


「よう。久し振りだな」

「ルシアスさん……? どうして此処に?」


 啓介の横を九郎が通り過ぎて、ルシアスの隣の椅子に手を着く。


「ボクが呼んだのだよ。今回の仕事には師匠せんせいの力が必要だと踏んだものでね」

「仕事って……何をしに行くんです?」

「これから天園村に向かう。忌まわしい儀式を終わらせるのさ」

「終わらせるって……一体どうやって……?」

「方法は至ってシンプルだよ。村に乗り込んで、全ての肉芝仙を始末する。ボクの手に入れた新しい力を使ってね」


 九郎は肘から二振りの刀を引き抜くと、それを束ねて一つにする。ヤマノキ様を葬り去った、青い刃の刀剣である。


「成仏を望む魂を〈ボクの保有する境内チャネル〉へと送る、ムラクモとクサナギが進化した力だ。神に飲まれた哀れな人の魂を救い出す力を持つ神殺しの刃を、ボクは〈ハバキリ〉と名付けてみた」

「やり方は分かりましたけど……村にいたあの数を全部斬って回る気ですか?」

「大丈夫、実際に斬るのは一体だけだ。これは現時点で得られている情報から立てた仮説だが、ハバキリは神そのものをボクの境内チャネルに封印しているのではなく、〈神の境内チャネルに囚われた魂を、ボクの境内チャネルへと移している〉のだと思う。つまりは、信者を奪っているという訳だ。仮説が正しいならば、一体を斬れば全ての信仰を奪い取れる筈だよ。そして信仰を失った神は、現世に干渉できなくなるという寸法だね」


 それならば確かに、肉芝仙の殲滅も充分現実的な手段かもしれない。だが思い付く問題は他にもあった。


「でも……私とルシアスさんは男ですよね。それに九郎さんだって、村の人間に顔が割れてます。もう一度行っても、肉芝仙には会わせてくれないんじゃありませんか?」

「その点についても問題ない。今回は、ニグシモとして志願しに行くからね」

「……私とルシアスさんはどうするんです?」

「無論、一緒に参加するのだよ。そういう訳で啓介くんには、これから女になってもらう」

「……へ?」

「そうだね……胸はできるだけ大きい方が良い。顔の面影は敢えて残していこう。啓介くんは未亡人っぽくてエロい顔をしているし、バレてもむしろ喜ばれそうだしね」

「あの、話が全然見えてこないんですが!?」

「ほら、信仰信仰! 啓介くんは乳のデカい女になりたくなーる。なりたくなーる」


 九郎はまるでトンボにするように、啓介の眼前で指をくるくると回す。

 言われてみれば、啓介自身女性の身体に対して憧れを持っていない訳ではない。寧ろ九郎のような素敵な女性であれば、是非なってみたいと思うだろう。


「はい、オッケー。鏡見てみよっか!」


 九郎が指をぱきんと鳴らすと、目の前に姿見が現れる。そこに映っていたのは、九郎と同等のダイナマイトボディを持つスーツ姿の女だった。目元や口元の黒子は啓介の面影を残しながらも、しっかりと女の顔になっている。


「うひょおおおあ! エッロ! 女体化たまんないますねぇ!」


 横でマコトが興奮し、スマートフォンでばしゃばしゃと写真を撮る。


「偽装したのは見た目だけではないよ」


 九郎はそう言うと、手袋を外して綺麗な手を見せる。そしてネイルの施された爪で、女体化した啓介の胸の先端をがりっと引っ掻いた。


「————⁉︎」


 啓介は声にならない艶っぽい悲鳴を上げた。その声までもが、少し気弱そうな女性の声へと変わっている。

 単なる偽装である筈の胸には、確かに感覚が有った。それも、並ならぬ敏感さだ。


力で、【解読不能の愛ブラック・チェンバー】も進化したのだよ。速い話が、相手の肉体を〈ボクの望むままに〉変化させられるようになった。人間に対してしか使えない力ではあるがね」


 啓介が恐る恐る股間を触ってみると、在るべきものが無くなっている。 


「う、うわぁ……!」

「母乳も出るようにしておいたから、ニグシモとしての素養は問題ない筈さ。ね、師匠せんせい!」


 九郎と啓介が隣に目を向けると、そこにはルシアスの面影を残す絶世の美女が足を組んだ男らしい姿勢で座っていた。

 少し歳はいっているが、元が美形なのもあって、ハリウッド女優顔負けの美貌に仕上がっている。


「……逆に怪しくありません?」

「我が師匠ながら嫉妬してしまうね。師匠せんせいは顔が良過ぎるのだよ」


 するとルシアスはシャツのボタンを引き千切って身体を見せつける。


「馬鹿言え。カラダも良い」


 白く滑らかな肌の下から鍛え上げられた腹筋が浮き上がり、対面に座るマコトも息を飲む程に美しい。


「せめてその、エクソシストみたいな服だけでも着替えた方が良いんじゃないですか……? どう見ても村に巣食う悪魔を狩りに行っちゃってますよ……」

「心配するな。俺はお前さん達とは別行動だ」

「へ、一緒に行く訳じゃないんですか?」


 まだ作戦の全容を飲み込めていない啓介の為に、九郎が割って入る。


「儀式に参加するのは、ボクと君の二人だけなのだよ。師匠せんせいには万が一ボク達に何かあった際の、バックアップとして入ってもらう」

「成程……確かに全員で乗り込むと、一網打尽にされるかもしれませんよね……」


 啓介は此処でちらりとマコトの方を見る。


「マコトさんは?」

「お留守番ます! オイラおっぱい出ないますし」


 仮に出ても行かないのだろうが、敢えて口にはせずにおいた。


「啓介くんは今回、〈啓子けいこくん〉として行動しよう。源氏名というやつだね!」


 何故かテンションの高い九郎に対し、啓介は早くも緊張し始めていた。

 遂に決着を付ける時が来たのだ。忌まわしき神との邂逅に。



 一度訪れていたのもあってか、行きの旅路は前回よりもずっと速く感じた。

 九郎は態と見つけ易そうな場所に車を駐めると、村の中へと歩いていく。

 村の女達は二人を見つけると、奥の屋敷に向かっていった。程なくして、村長であるククが入口までやってくる。


「……これはこれは。あの時のお方ではありませんか。今日はどうされました? また水質に問題でも?」


 ククが尋ねると、答える代わりに九郎はその場でセーターを脱ぎ始める。そしてブラジャーも外し、乳房を露出させた。


「……カラダを捧げに来たんだ」

「ふふ。これは予想外でした」


 ククは九郎に近付くと、胸に手を伸ばす。その前に、乳首に付いたピアスをククはくりくりと外し始めた。


「あっ♡ 何を……♡」

「神に捧げる乳房にこんな物を付けて……きちんと躾けて差し上げないといけませんね」


 ぬちゅっと外したピアスをそこらの草むらに投げ捨て、なおもククは九郎の乳首を弄り続ける。


「大きさと感度は申し分ありませんね。乳首には下品さが足りませんが……まあ良しとしましょう」


 母乳が噴き出すと、ククは指に付いたそれをべろりと舐める。


「合格です。……で、そちらの方は?」


 ククはもう一人の女が啓介である事に、全く気付いていないようだ。前回は眼中にも無かったのだから、考えてみれば無理もない。

 啓介は意を決して、自分も服を脱ぎ乳房を晒す。


「わ、私も神様に身体を捧げに来ました……!」

「そっちのお方……顔はイマイチですけど、カラダの方はニグシ様が好みそうで素晴らしいですよ」


 ククは指ですりすりと、ぱんぱんに張った乳房の膨らんだ乳輪を撫でる。


「感度も良い……ほじくってあげましょうか?」


 段々と興奮してきた様子のククが、乳首の内側に指を突っ込まん勢いで生贄の乳首を責めると、母乳が滲み出てくる。


「吸われてもいないのに、よくもまあぼたぼたと……まぁ、母胎としては文句ありません。望み通り、今夜にでもお捧げするとしましょう」


 ククの後ろで待機していた黒装束の女達が九郎と啓介を立たせ、首に何かを装着し始める。それは鈴の付いた首輪であった。


「念の為に言っておきますが、その首輪には発信機と火薬が内蔵してあります。もし此処から逃げ出すような真似をすれば、頭が吹き飛ぶまではいきませんが頸動脈ぐらいは焼き切れると思いますよ」


 冗談のような内容の言葉に、思わず啓介は青ざめる。その様子を見てククは意地悪く顔を歪めた。


「一度此処から逃げ出したを、みすみす信じるかと思いましたか? この先儀式を拒否するようなそぶりを少しでも見せた場合、即座に殺させてもらいます。貴女達が助かる道は、もうニグシモとして天園に向かう以外にないんですよ」


 罠に嵌められたのだ。再度天園村に足を踏み入れた時点で、ククは初めから二人を殺すつもりでいたのである。肉芝仙の餌にするのは、せめてもの供養といった所なのだろう。


「……貴女達が此処に戻ってくるのは分かっていました。去り際の貴女は、此処をいつか潰してやるって顔をしていましたから。実は今までにも一人、同じような人がいたんですよ。フリーのジャーナリストだとかおっしゃっていました。口では大層な正義感や人間の尊さなんかを語っておられましたが、いざ脱がしてみればその乳房のでかくて醜いこと! 真っ黒でぶつぶつしていて、それはもう笑えたものです。乳首で長年自慰を続けていたらそうなったのだと、馬鹿正直に教えてくれました。結局死ぬ直前までみっともなく泣き喚いて命乞いをしながら、必死に乳首を触っていたのは傑作でしたよ!」


 下卑た高笑いを放ち、ククは悪意に満ちた顔で二人を見下す。


「貴女達は、どんな無様な死に方をしてくれるんでしょうねぇ?」


 あまりに露悪的な彼女の振る舞いに、ポーカーフェイスを貫いていた九郎も眉を据わらせていた。


「そういえば、貴女達が帰ってくるのを見越して服も用意しておいたんですよ。荷物を検めるのも兼ねて、この場で着替えてもらいましょうか」


 そう言ってククが部下の女に持ってこさせたのは、紐同然のビキニだった。おまけに布地は白と黒の牛柄であり、ご丁寧に耳と角が付いたカチューシャと尻尾まで用意されている。


「大昔……それこそ平家の時代には、肉芝仙の生贄として乳牛が用いられていたそうです。〈本草綱目ほんそうこうもく〉たる大陸の古書には、乳汁とは血液が〈化の信〉となったもの――つまり化け物としての性質を得たものだと書かれています。そして古代の大陸人達は、乳汁の事を〈仙人酒〉と呼んでいたのだそうです。乳牛は仙人に捧げる為の供物として最も相応しいものだと、理解して頂けましたでしょうか?」


 牛柄のマイクロビキニへと着替え終わった二人を見て、ククは満面の愉悦を浮かべる。それは勿論彼女の性癖などではなく、目の前の人間を辱めながら殺す事に快感を覚える変態性から来るものであろう。


「……良い趣味してるよ」

「それはどうも。……次に舐めた口を利いたら、死体にして肉芝仙の餌にする事になりますから、精々気を付けてくださいね」


 ククは部下に九郎と啓介を川辺の家へと運ばせると、自分は屋敷の方へ去っていくのだった。

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