第14話 黒塗りの家は壊れない②


 前庭を見渡すと、赤い実を付けたグミの低木が幾つも植えられている。廃墟であるにも関わらず庭はよく手入れがしてあるように見え、それが何かの存在を感じさせずにはいられなかった。

 チャネラー達からの報告通り、玄関の扉は壊れて中が丸見えになっていた。そして不気味なのが、周囲がまだ夕方前なのにもかかわらず、内部が夜中のように暗い事だ。玄関には辛うじて光が届いているが、奥は前庭からでは伺い知れない。

 玄関に入ると、足の踏み場も無い程に敷き詰められた大小様々なクッピー人形達が二人を出迎える。それらは皆黒く汚れており、それが家全体に塗られた黒色の物体と同じものであると容易に予想できた。というのも、家の外側だけでなく内側の壁や床までもが、同じものでべったりと塗り潰されていたからだ。


「うう……この光景だけでもなんて怖さだ……ただ人形が置いてあるだけなのに……」

「人間は事で進化してきた生き物だからね。空に瞬く星や落雷……流転する万物に何か大きな存在の意図を見出し、それを行動の指針としてきた。仮に何の変哲もない人形であったとしても、それが無数に集められていれば人間は何かの意図を想起する。それが大いなる存在に対して人間が持っている、根源的な恐怖を呼び起こしているのだよ」


 九郎は恐怖を感じる事はできないが、恐怖を言葉として説明する事には並ならぬ造詣を有している。人間に対する一般論を語っているのに何処か他人事なのが、彼女という存在をよく表していた。


「……啓介くん、聞こえるかね。水の音がする」

「本当だ。蛇口の音……ですかね」

「音の発生源を目指してみようか。何かがいるかもしれない」

「普通は避けるものだと思うんですけど……」

「何を言っているのだね。ボク達は此処から無事に帰る為ではなく、祟られて死ぬ為に来ているのだよ?」

「生きて帰って記事にする為でしょ!」


 持参した懐中電灯で先を照らし、足元の人形を掻き分けながら廊下を進むと、直ぐ左手側に部屋が見えてくる。九郎がひょいっと覗き込むと、そこには廊下と同じように人形が敷き詰められた六畳程の部屋が在った。奥の襖は紙が全て破かれており、お化け屋敷さながらの荒れようである。床には大きな穴が開いており、二人は近付いて下を覗いてみる。

 どうやら床が腐って抜けてしまったようで、そこにも人形が落ちて底を埋め尽くしていた。その中に九郎は縄のようなものを見つけ、状況を察する。


「成程。どうやら此処で、誰かが首吊り自殺をしたようだね。死体からの分泌液が床板を腐らせて、此処だけ大きな穴が開いてしまったのだろう」


 その光景を想像してしまった啓介は、反射的に穴から離れようと後退る。その時にクッピー人形を踏んでしまい、周囲に「びーっ!」とけたたましい音が鳴り渡った。


「うぎゃわああああっ!」


 臆病な啓介はその音に驚いて絶叫する。


「あはは! 良いね良いねぇ。今の慌て方は参考になるよ」

「……お役に立てたみたいで何よりです」

「この部屋には何も無いよ。首吊りをした人物も、既に成仏しているようだし」


 気を取り直して廊下に戻ると、右手側にも部屋への入口が有る。近付いてみると、どうやら先程の水音はその奥から聞こえているらしかった。

 明かりを入れて中を確認すると、そこは広めのリビングになっていた。足元は相変わらずクッピー人形で埋め尽くされているが、机や棚などが残っており、風化しながらも生活感を感じられる。

 その奥。台所と思われる場所から、蛇口の音がずっと鳴っていた。不思議なのは蛇口から水が出ていく音ばかりで、水がシンクを打つ音が聞こえない事だ。

 台所へ光を向けた九郎は、直ぐにその理由を知る。シンクの前には干からびた人間の死体のようなものが縋りついており、蛇口から流れる水をその口で受け止め続けていたのである。

 先程とは違い明らかに死体だと分かる存在を目にし、啓介はひゅっと息を詰まらせる。恐ろしかったのはその外観だけではなく、死体から漂ってくる声ならぬ声が聞こえてしまったからだ。


「渇いた……渇いたって、ずっと言い続けてます」

「ボクにも聞こえるよ。……あれは悲痛な願いだ」


 九郎は黒い羽根を散らして腕を交差させ、肘から二振りの日本刀を引き抜く。


「かしこみかしこみ聖十字くろすの神よ。偽りの楽園に、哀れな魂を迎えたまえ」


 彼女が振るった刃は十文字の軌跡を描き、前方へと放たれて縛られた魂の残響を切り裂く。十文字に切り裂かれた死体は塵となって消え去り、後にはシンクを打つ水音だけが残った。

 九郎は台所へ歩いていくと、栓を捻って流れ続ける水を止める。


「啓介くん。此処でかつて起こった事件の概要を憶えているかね?」

「一家の主が家族を毒殺して……自分は首を吊ったんでしたっけ。あ、さっきの首吊り現場はもしかして主人の……?」

「いや、あれは比較的最近のものだ。この家がまだ国道沿いに在った当時は、首吊り自殺の名所として忌み嫌われていたそうだからね。それよりも重要なのは、家族の死因の方さ。……当時家族は、水道水に毒を盛られて死んだんだそうだ。それも即効性の猛毒ではなく、少しずつ衰弱していくタイプのものでね。少しずつ体調が悪化していく中、毒入りの水で薬を飲んで亡くなっていったのだよ」

「狂ってる……どうして主人はそんな事を……!」

「マコトからの情報だと、此処の亭主は売れない芸術家だったみたいでね。今で言う、現代アートのようなものを作っていたらしい。特に題材として好んでいたのが、クッピー人形を使った作品だったそうだ」


 九郎が見せたスマートフォンの画面に映っていたのは、家のミニチュアの中に指先サイズのクッピー人形を配置したジオラマのような作品だった。その全体は黒い塗料で塗られており、そこが作品のコンセプトなのだと思わせる。


「これって……この家みたいじゃないですか」

「彼は自宅を使って自分の作品を再現しようとしたのだろうね」

「だ、だからって家族を殺すなんておかしいでしょう。どうしても家を使いたかったのなら、他の場所に引っ越すとか……」

「彼にとっては邪魔だったんじゃないかな、家族の存在が。勿論、物理的にではないよ。さっき彼は売れない芸術家だと言ったが、それでも一家の大黒柱だからね。家族を食わせていく為に、創作活動は余暇に留めて農作業に従事していたらしい」

「そんな理由で家族を殺してしまうぐらうなら……結婚なんてしなければよかったのに」

「当時の日本は現代と違って、結婚して子孫を残す事が第一とされていた時代だよ。適齢期になればお見合いをして、例え望まない結婚であってもするのが当然だったのさ。そうやって個々の自己実現を諦めて社会の発展に従事してきた先人達がいたからこそ、ボクのように自由気ままに生きても許される、今の世の中があると言ってもいい」


 ここの主人は、その犠牲者だったのかもしれない。今となっては、全てが黒いコールタールの底に沈んでしまった事だが。


「それでも家族の命を奪う事に、正当性が生まれる訳ではない。彼は結局他人の人生を踏み躙り、自分の欲望を優先させた訳だからね。その罪を裁く事はできないが、せめて此処に囚われて苦しんでいる魂だけでも供養してあげよう」


 九郎は他の家人を探しに部屋を出ていく。その時啓介は、先程まで亡霊が苦しんでいた場所の露出した床板に、妙な違和感を覚えた。

 だが幽霊のいた部屋に一人残されるのも怖いので、急いで九郎に付いていく。廊下は突き当たりまで進んだ所で右に曲がっており、そこから先が複雑に入り組んでいた。


「……九郎さん、まだ水の音が聞こえますよ」

「近いね。順番に祓っていこうか」


 一番近い音は、小さな扉の奥から聞こえてくる。それが何の部屋であるかは、粗方予想が付いた。

 九郎が扉を開けると、人形に囲まれた和式の便器の上に乾ききった死体が膝をついており、排水用のタンクに頭を突っ込んで水を飲んでいる。その体躯は小さく、子供のものであると分かった。


「酷い……自分の子供まで。それもこんな所で……!」

「下がっていたまえ。此処は狭くて刀を使いづらい」


 九郎は早々に除霊を済ませ、手も合わせずに次の部屋へと移動する。こんな状況から一刻も早く解放してやりたいという、彼女なりの優しさに見えた。啓介は代わりに手を合わせ、供養の気持ちを捧げた。


「此処までの二人はどちらも水場にいましたけど、残る水場となれば風呂ぐらいでしょうか」

「昭和初期の田舎に内風呂なんてものは殆ど無いよ。当時は行水をしたり、外で薪を使って湯を焚くタイプの五右衛門風呂が大半だったそうだ」

「あ……次の部屋が最後みたいですね」


 最後の部屋は襖の奥だった。間取りから考えて、恐らくは寝室だろう。九郎が勢いよく襖を開けると、啓介はすかさず懐中電灯の光を差し込ませて奥を照らす。

 部屋の中には何も無く、奥に見える縁側の方から小さく水の音が聞こえる。足元に注意を払ってゆっくりと近付いてみると、家の外に口を開けている排水管から流れ出る白い排水を口で受け止める小さな死体が人形に囲まれて四つん這いに屈んでいた。

 悪い冗談のような光景に、啓介は思わず眉間に皺が寄ってしまう。その時ふと頭上から小さなノイズを感じ、彼は上を見上げる。

 そして塀の上から上半身を出してニヤニヤと此方を覗き込んでいる、真っ黒な異形の存在と目が合ってしまった。その全身はコールタールを被ったように黒く、髪は縮れて長い。異様に大きくて左右非対称な眼球と、人ならざる本数の歯が並ぶ大きな口が、何が可笑しいのかニヤニヤとした笑みを浮かべている。


「……あ」


 九郎からに関する話を聞いていた啓介は気付いてしまった。あれが自分の作品を外から鑑賞している、この家の主人であるという事に。

 異様に長い首には、くっきりと縄の跡が付いて鬱血している。あれは首を吊って、自重で引き千切られて伸びたものだろう。

 その時。絶えずニヤニヤと笑みを浮かべていた主人の顔から不意に笑みが消える。彼の視線の先では、九郎が家人の亡霊を除霊していた。その下に広がる人形の無い隙間を見て、啓介は先程自分の感じた違和感の正体を理解する。


「違う……なんかじゃなかったんだ……!」


 その呟きと啓介の姿勢から、九郎も頭上の怪異に気付いて身を翻す。同時に、塀の外から部屋を覗き込んでいた家の主人は、悍ましい声で絶叫し始めた。


「彼は作品作りの為に邪魔だったから家族を殺害したんじゃない……使から、殺して屋敷の中に縛り付けていたんです! 態と惨たらしい殺し方をして、苦しみ続ける姿を残す為に……!」


 作品を壊され、主人は言葉にならない叫びを上げながら塀の内側へと身を乗り出してくる。同時に、周囲のクッピー人形達も一斉に九郎目掛けて襲い掛かった。その心中は数十年間に渡って愛で続けてきた作品を壊され、憤怒で渦巻いているに違いない。

 だが九郎の怒りは、それを水たまりの波紋程度に感じさせる程、重たく濃く周囲の空気を逆巻かせる。


「極めて不快だよ――三流創作者」


 十文字の構えではなく、刀を一本にして腰へと居合の如く構えて鞘へと収める。


「君が生前鳴かず飛ばずだったのは、時代のせいでも環境のせいでもない。死に美しさを求める者として、致命的なまでに愛と理解が不足しているからだ。この黒い塗料は、死を大雑把な感覚でしか表現できない、君の薄っぺらな人生哲学そのものなのだよ!」


 九郎の抜いた刃は横一文字に景色そのものを切り裂き、黒い羽根として散らせていく。羽根が散り去った後には、元通りに戻った民家の前へと帰還した三人の巡礼者チャネラーのみが残されていた。


「家が消えた……!」

「彼は自分の作品を永遠に眺めていたいと御所望だったからね。望みを叶えてあげたよ。……但し観客は、永遠に彼一人だけだ」

「家が取り壊されてもなお、自分の作品を見てもらいたくて彷徨っていたんでしょうか。そうだとしたら、これ以上の罰は無いでしょうね」

「ボク達創作者は、時に現実の幸福よりも創作の完成を優先するものだ。それは限り有る自分の命よりも、後世に残り続ける作品こそが〈本当の自分〉なのだと錯覚するからでね。その幻想は幸福なものだが、留意しなくてはならない。どんなに独創的な創作も、結局は現実という神の被造物から発想を得た代物に過ぎないのだよ。現実を見ずして、優れた創作など作り得ないという事さ」


 創作の嗜みが無い啓介にはどこか遠い世界の話に聞こえたが、九郎とあの男が違う価値観を持っているのは喜ばしい事だと思った。

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