第13話 黒塗りの家は壊れない①

 午前七時。いつもより一時間早く、啓介は自室から出てブロウン荘の廊下を進む。

 部屋着ではなくスーツ姿。背中には外行きのリュックと、手には朝食を携えて。

 九郎の部屋の扉をノックしてから中に入ると、中にはブラウス一枚の際どい格好で九郎が歯を磨いていた。


「んひゅ。ひょふひへは、ひょふはははひひはっはへ」

「な、なんて格好でまた……」


 九郎はとてとてと洗面所に入っていくと、口を濯いで戻ってくる。


「おはよう、啓介くん。こんな朝早くから来るとは、感心感心!」

「そう言う九郎さんは寝起きみたいですけど……」

「そんな訳無いとは思わないかね? ないのだよ、啓介くん」

「朝ご飯の準備してますから、ゆっくり準備してください」

「よしきた!」


 厚切りベーコンとチーズスクランブルエッグを取り分け、昨日の晩から用意していた冷やしおむすびを出す。キウイフルーツ入りの野菜サラダも添えて、栄養バランスを考えた献立である。


 九郎は黒のセーターにダークグレーのジーンズを履いて、胸元に十字架のネックレスを付けた出で立ちで戻ってきた。前腕に幾つも嵌めた輪っかの装飾品が、ミステリアスな雰囲気を演出している


「スクランブルエッグに白米という和洋折衷の欲張りセット……好きだよ、ボクは」


 牛乳を注いだ硝子のコップを、九郎はネイルメイクの施された爪でこちこちと叩く。黒塗りに先端だけを青くアクセントにした彼女の爪は、白く綺麗な指と相まって独特な色気が有る。

 爪を見るだけでどきんとできるのは、中々稀有な福利厚生と言えよう。


 談笑を交えながら朝食を終えると、九郎は卓上のノートパソコンをくるんと回して啓介に画面を向ける。スムーズに回せるように、つい先日購入した回転式のスタンドが早速働いていた。

 モニターに映し出されていたのは、東北地方の地図だ。


「さて。現在ボクはとあるオカルト雑誌から、地方のローカル怪談に関する記事を書いてほしいという依頼を受けていてね。実地調査を行って、その体験を元に素晴らしい記事を書いてやろうという訳なのさ」

「町から出るとは聞かされてましたけど、地方という事は結構な遠出ですか?」

「A県の某所に、オカルティストには有名な場所があってね。そこは県内の心霊スポット危険度ランキングで上位を総舐めする程に、物騒な噂が絶えない街なのだよ」


 既に不穏な予感が漂いながらも、準備を終えた二人は九郎の運転する車で出発する。


「因みに片道七時間だ。到着は午後の三時頃だから、途中で休憩も挟みつつドライブを楽しもうじゃないかね」


 首都高速中央環状線から常盤自動車道を経由して太平洋側を北上し、東北自動車道で盛岡まで出る。そこからは一般道で向かうルートだ。かなりの長丁場になる為、啓介は昼食用の弁当も今朝から準備して持参していた。


「で、お目当ての場所は何処なんですか?」

「〈黒塗りの家〉と呼ばれる場所でね。数年前に取り壊された心霊スポットなのだが、それが最近になってまたらしいのだよ。該当のチャネルをブックマークしてあるから、君のパソコンで確認してみたまえ」


【黒塗りの家が最近また目撃されている件について】


 大師「数年前にも此処で話題になった、黒塗りの家って皆さん憶えてますか?」

 七師「あー、確か取り壊された所だっけ? 当時チャネラーとか配信者達が凸し過ぎて、社会問題にもなったんだよな」

 七師「あのブームは異常だったわ。大人数で凸するのを避ける為に凸宣言の文化が生まれたのも、この事件がきっかけだよな」

 七師「アカチャネルがテレビのニュースで取り上げられる程の大騒ぎだったからね。一時は反社会的勢力だの、カルト宗教だのとあらぬ疑いを掛けられてたし」

 七師「結局はチャネラー達のせいで貴重な心霊スポットが一つ失われたんだもんなぁ」

 大師「私も当時リアルタイムでチャネルを見ていて、衝撃を受けたのを憶えてます。それで此処からが本題なんですけど、どうも最近県内で、黒塗りの家に関する目撃情報が増えてるみたいなんですよ。私も先日友人の一人から報告を受けて、調べたら県内のオカルトコミュニティでも同じような事例が何件も話題になってるみたいで。それでチャネルを立ててみようと思ったんです」

 七師「俺も県内の師だけど、知り合いに見たって奴がいるよ。歩いてたら突然現れたらしい」

 大師「それです。私の友人も同じ事を言ってました」

 七師「最近見始めた師なんだけど、黒塗りの家って何なの? 誰か教えて」

 七師「元々は秋田の古い村に在った一軒家でさ。昭和初期頃に家主が突然発狂して、家族全員を毒殺した後に首吊り自殺をしたらしい。以降誰かが新しく住んでは直ぐに出ていく事の繰り返しで、いつからか廃墟になってしまったんだそうだ。そのうち村も廃村になって、県道を敷く計画の為に取り壊しが決まったそうなんだが、取り壊し業者に不審な事故が相次いで、結局その家を迂回する形で県道が作られたんだとさ。結果、道路の脇の茂みの中に一件だけぽつんと立っている、不気味な廃墟が誕生したって訳だ」

 七師「ほえー、怖い」

 大師「説明助かります」

 七師「有名になる前は近所の子供達の間で噂になっている程度だったんだが、数年前に此処で黒塗りの家に関するチャネルが立ってな。結果数多くのチャネラー達が凸を敢行して、その盛り上がりに目を付けた動画配信者も挙って訪れるようになったんだ。その結果、地域住民からの苦情が無視できないレベルになってしまって、事態を重く見た県の決定で取り壊される事が決まったんだよ。それでアカチャネルの存在が、メディアにも取り上げられるようになったって訳だ」

 七師「今マップの仮想ビューで確認してみたけど、現地では今も更地が広がってるだけなんだよな。新しい黒塗りの家は何処に在るの?」

 大師「それがどうも、人によって目撃場所が異なるみたいなんです。私が聞いた話では目撃したのは友人の息子さんで、帰り道の通学路を歩いている時に、目の端に変な物が映ったらしいんです。通り過ぎてから初めて気付いた強烈な違和感に半ば反射的に後ろを振り返ってしまったらしくて、その先に在ったのが壁や天井を黒いもので塗られた不気味な家だったんだそうです。玄関のドアは壊れて無くなっていたらしくて、一目でそれが廃墟だと分かった男の子は前庭を通って玄関を覗いてみたんです。そしたら、玄関の床中にクッピー人形がばら撒かれていたんですって」


 クッピー人形というのは、人間の赤ん坊のような愛くるしい外見と玉葱のような髪型が特徴的な、妖精のキャラクターをモデルに作られた掌サイズのソフビ人形である。はいはいをしているような四つん這いの姿勢が可愛らしく、ぽっこりと出たお腹を押すとピーっと音が鳴って、それが鳴き声のようだと人気になった玩具だ。今でもご当地名物とコラボさせた様々な恰好のクッピー人形が売店などで売られていて、定番のお土産となっている。


 大師「どれも黒く汚れていて、死体みたいで気持ちが悪かったって。……それで奥の廊下に目を遣ったら、玄関だけじゃなくて廊下中にクッピー人形が敷き詰められていたらしいんです。ただそれだけなんですけど、男の子は恐ろしくなって直ぐに敷地の外へと逃げ出しました。それでもう一度振り返ったら、そこにはいつも通りの民家が立っていて、黒塗りの家は跡形も無くなっていたんです」

 七師「俺の知り合いが体験したのも同じような話だよ。そいつは玄関を遠目に見ただけで逃げ帰ったらしいけどな。ただ、場所は別の国道沿いだったらしい」

 大師「まるで取り壊された家屋の亡霊が彷徨っているみたいで、恐ろしいですよね……」


 都内から約七時間の道のりを踏破し、九郎達を乗せた車はA県へと到着する。長い山道を越えて人里に出ると、起伏がなだらかで空の広い景色が広がり、左手側には球場が出迎えてくれた。


「啓介くん、窓! 窓! 外の空気を吸ってみよう!」

「あ、はい」


 窓を開けると、冷たい風が一気に流れ込んで鼻の中がつんと冷える。


「うーむ。空気が美味しいねぇ」

「確かに澄んだ感じがしますけど……流石にちょっと寒いです!」


 この日の気温は氷点下二度。雪こそ降っていなかったが、もう直ぐ春へと差し掛かろうという月にしては寒過ぎる。

 国道を下りて道沿いに在る市役所前の大きな駐車場に車を停めると、二人は車から降りて歩き始めた。今日は啓介もスーツの上から、グレーのロングコートに身を包んでいる。


「あのチャネルの内容を見る限り……例の黒い家に遭遇する為には、ひたすらに市内を歩くしかないって感じですよね」

「いや、そうでもないよ。この前の天園村の一件でも思った事だが、啓介くんの霊感はボクよりも鋭いらしい。その力を発揮できれば、何か手掛かりを掴める筈さ。それに、チャネルにも新しい情報が上がってきたみたいだ」

「何です?」

「黒塗りの家は、人気の無い通りに出現する可能性が高い。要するに、二人で行動しても見つからないという事さ」

「つまり……」

「此処からは別行動だ」

「ですよねぇ……」


 九郎と別れて歩き出すと、啓介は営業マン時代の不安が沸々と蘇ってきて苦い気分になる。自分を信用していない彼にとって、誰かに頼れない仕事は最も苦痛を伴う行為だった。

 そしてもう一つ憂鬱なのは、今自分が探しているのが目撃例多数の境内チャネルだという事だ。遭遇する確率は九郎と自分で二分の一だが、彼には貧乏くじを引くのは自分だという嫌な確信が有った。

 その予感は、幸か不幸か十分そこらで的中する。ふと視界の端に妙な既視感を感じ、振り返った先に件の家屋が姿を現したのである。通り過ぎる前は、絶対に其処に無かった筈の家屋がだ。

 昭和初期の家らしく木製の壁に、半分程が剥がれてしまっているトタン屋根の平屋だ。広さもそこまでではなく、内部を見て回るだけならば三十分と掛からなそうだ。屋根や外壁を見ると赤茶色の塗料らしきものが見え、その上から黒いコールタールのような物体が雑に塗りつけられている。少なくとも、塗装のプロによる仕事ではない。

 啓介はスマートフォンを取り出し、九郎に電話を掛ける。


「……もしもし。見つけました」

『随分と早いね。流石は啓介くんだ。場所は何処?』

「一つ目の曲がり角をずっと奥に進んだ先の道沿いです。右には空き地が在って、もう一つ隣には〈たるま〉って店が在ります。何の店かは分かりませんけど」

「奥から回り込んだ方が早そうだね。直ぐに向かうよ」

「お願いします」


 通話中も、啓介は視界から黒塗りの家を外さないように立ち回っていた。一人で探索する勇気は無くとも、せめて怪異を留める錨程度の役割は果たさなくては。

 そう思った矢先、黒い家屋の敷地が端から消えていくように、元の景色へと戻り始める。


「嘘だろ……人を呼んだからか⁉」


 このままでは逃げられてしまう。そう思った時、啓介の身体は敷地に向かって動き始めていた。自分でも何をやっているんだという気持ちになるが、黙ってみている訳にもいかなかったのだ。彼は扉を抉じ開けるように、現実と境内チャネルの境界線へと上半身を突っ込む。


「と、閉じるなー!」


 自分には、境内チャネルへと自由に干渉できる力が有る。自分の事を信じられない啓介でも、それが九郎からの評価であれば信じる事ができた。

 その信仰が届いたのか、閉じようとしていた境内チャネルの入口が押し返され、抉じ開けられていく。


「九郎さん、早く――」


 瞬間。啓介の背後から黒い羽根が舞い、姿を現した九郎が彼を両腕で抱き上げて境内チャネルの中へと突入する。


「お手柄だ、啓介くん。ボクの事を信じてくれたのだね」


 二人が境内チャネルに侵入すると、境界も安定して啓介はようやく一心地つけた。


「九郎さんを信じるのが、私のアイデンティティですから」

「もう立派な信者だねぇ。初対面の時に教祖だと名乗ったのも、強ち嘘ではなくなってきたかな」

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