エピローグ



 姉ちゃんと由梨江さんの再戦も無事に終わり、僕にも元の平穏な日々がやって来た。

 いや、姉ちゃんが家に戻ってきた時に、仕事から帰ってきた両親とひと悶着(これで二度目の無断外泊だし、父さんと母さんが怒るのも無理はない)あったりもしたけれど、この一週間近くは概ねいつも通りと言える日常だった。

 やっぱり何事も平和に過ごすのが一番だ。ここ最近は不良に絡まられたりとか、姉ちゃんが修行でいなかった時の周りのフォローで胃を痛めたりとか、危うく由梨江さんのペットになりかけたりとか、そりゃもう肉体的にも精神的にも辛い日々が続いていたので、なおさらこの穏やかな毎日が愛おしくて仕方がなかった。

 ……なんで自他共に認める普通人のこの僕が、こんな理不尽な目に遭わなきゃいけないんだろう。真面目に誠実に生きてきたつもりなのに、なにか神様の気に障ることでもしたのだろうか。

 なんにせよ、もうあんなひどい目に遭うのはこりごりだ。これからは余計なトラブルに巻き込まれないことを願うばかりである。

 しかしながら。

 姉ちゃんという存在そのものがトラブルメーカーな奴がそばにいる以上、そんな僕のささやかな願いなんて、そうそう叶うはずもなく──



「くぎゅううううううううううううううう!」

「ほあああああああああああああああああ!」

 週が明け、月曜日の夕方。

 学校から帰宅してそのままリビングに行ってみると、なぜだか姉ちゃんが由梨江さんと一緒にアニメを観ている現場に出くわした。

 ちなみに観ているのは、昨日録画した『魔法少女プリティエース』で、ちょうどエースが紫っぽい味方キャラと一緒に決め技を放つシーンだった。

「………………なにこれ?」

 いや、本当になんなんだこの状況?

 なんで由梨江さんがここにいるの?

 なんで姉ちゃんと一緒にアニメなんて観てんの?

 なんで微妙に仲がいい感じになってんの⁉

「お? なんだ湖太郎、帰ってたのか」

「お邪魔しておりますわ、湖太郎さん」

「あ、はい。どうも──じゃなくて!」

 ごく自然な感じにこっちを見て声をかけてきた二人に、僕は持っていた鞄を床にぶつけて盛大に突っ込んだ。

「こんなところでなにをしているんですか由梨江さん! まさか、また性懲りもなく僕を狙って……」

「誤解してもらっては困りますわ」

 と、憤る僕に対し、由梨江さんは心外だと言わんばかりに首を緩く振ってこう続けた。

「確かに今も湖太郎さんへの気持ちは冷めておりませんが、この間の勝負に負けた以上、もう無理やり押し倒すような真似は致しませんわ。あの時はどのみちわたくしの物になるのならと、自分を驕ったがための愚行でしたの。その点に関しては素直に謝罪いたしますわ。本当に申しわけございませんでした」

「えっ? ああいえ……」

 予想外の低頭平身な態度に、逆に僕も恐縮してつられるように頭を下げる。

「僕もそこまで気にして……はいますけど、こうして素直に謝ってもらえればそれで十分ですから。なので顔を上げてください」

「はい。やはり湖太郎さんはお優しいですわね」

 にこっと、言われた通りに顔を上げて柔和に微笑む由梨江さん。

 うっ。変態ではあるけれど、こうして普通にしている分には魅力的と言うか、綺麗で気品のある人に見えるんだよなあ。思春期の僕には少し刺激が強くて困る。

「……ま、今後も襲わないとは確約できませんけれど」

「うぉい! 今なんか聞き捨てならないことをさらっと漏らしませんでした⁉」

「サア? 一体ナンノコトヤラ」

 などと、白々しくとぼけてみせる由梨江さん。あんたつくづく欲望に忠実な人間だな!

「もうヤダこの人! なんで姉ちゃんもこんな危険人物を家に上げちゃったのさ⁉」

「まあいいじゃん。前みたいに窓ガラスを破られるよりはさ。あの時だって適当にだれかのイタズラってことで誤魔化してくれたんだろ?」

「……父さんと母さんに知られたら、姉ちゃんと由梨江さんの再戦がご破算になるかもしれなかったからね。警察に通報されて」

 本当は僕自ら警察に通報しようかと思ったぐらいだけど、レジェンドさんから姉ちゃんの修行の様子を聞いて、やっぱりやめておこうと思ったのだ。

 あそこで由梨江さんが警察に捕まっていたら、姉ちゃんも不完全燃焼で色々と鬱憤が溜まっていたところだろうし。

「じゃあ今回もそんな感じでスルーしたらいいじゃん?」

「よかねえよ! いつまた僕を襲ってくるともわからないんだぞ! つーか、姉ちゃんもなんでそんなに由梨江さんに対して寛容なのさ⁉ 今まであんなに嫌ってたくせに!」

「湖太郎よ、私は気付いたのだ……」

 と、姉ちゃんは不意に視線を遠退かせて、そこはかとなく慈愛に満ちた表情を浮かべつつ言の葉を紡ぐ。

「殴られたから殴って、殴ったから殴られて、それで最後は平和になったりはしないんだって。力によって無理やり作った平和なんて、本当の平和じゃないんだよ」

「……なんか人生悟ったみたいな言い方してるけどさ、さっきから姉ちゃんの横から見える紙袋みたいな物はなんなの? もしかして、由梨江さんから賄賂を受け取ったとかじゃないのよね」

「ぎくっ」

「今『ぎくっ』って言った! あからさまに『ぎくっ』って言った! やっぱ賄賂なんじゃん!」

「ち、ちっげえし! 賄賂とかじゃねえし! ゴスロリが私にプレゼントしたい物があるって言うから、仕方なく家に入れてあげただけだし!」

「思いっきり誘惑されてんじゃねえか! どうせそのプレゼントってのも、姉ちゃんの好きなアニメグッズとかなんだろ⁉」

「エスパーかお前は⁉」

 本当にその通りだった。

 あっさり物で釣られてんじゃねぇよ!

「だいたい、こうして由梨江さんと仲良くしててもいいの? レジェンドさんに見られでもしたら、さすがに良い顔しないんじゃない?」

「その点に関しては問題ありませんわ。あの再戦の後日、菓子折りと共にご挨拶に伺いましから。わたくしが言うのもなんですが、とても喜んでいらしましたわよ」

「それ絶対ただの菓子折りじゃないですよね⁉」

 商人が悪代官に献上する、山吹色のお菓子的な意味合いですよね⁉

「ああ……。包囲網が……由梨江さんによる僕包囲網が着々と進行しつつある……。どうすればいいんだ……」

「ゆゆ式事態というやつですわね」

「うん。あんたが言うな」

 あとたぶん、字が違う。

「まあまあ湖太郎。そう邪険に扱ってやるなよ。ゴスロリだって腹を割って話してみると、案外良いやつだぞ?」

「それはわたくしも同じことを考えていましたわ。ただのウザい釘宮病患者かと思っていたら、意外と造詣が深くて関心させられましたもの。別段釘宮さん自体を嫌っていたわけではありませんでしたけれど、なんだかあなたと話している内にわたくしもファンになってしまいましたわ」

「おお! わかってんじゃんゴスロリ! 私も堀江さんは元から好きだったけど、お前の話を聞いてますます好きになったぞ!」

 あれ? なんだこれ?

 僕が思い悩んでいる内に、二人して和気藹々とした雰囲気が出来上がっているぞ?

 仮にも実の弟が、いつまたそこにいる変態に襲われるともしれないというのに?

 ………………………………。

 こんなの、絶対おかしいよ!

「よっし! じゃあ改めてこの間の『魔法少女プリティエース』を一緒に観ようぜ! ここのエースとマジカルの合体技がめちゃくちゃ燃えるんだよな!」

「ええ、同感ですわ。中の人も熱演されていて、感激の一言に付きますわね。釘宮さんも堀江さんも最高の声優さんですわ」

「くぎゅううううううううううううううううううううううううううううう‼」

「ほあああああああああああああああああああああああああああああああ‼」

「ああもう! 近所迷惑になるから大声で叫ぶなっ!」

 プリティエースのアニメを見ながら奇声を発する姉ちゃんと由梨江さんに、僕も声を張り上げて怒鳴り散らず。



 やれやれ。

 姉ちゃんの釘宮病ライフは、まだまだ終わりそうにない……。



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姉ちゃんが釘宮病な件 戯 一樹 @1603

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