第20話 姉ちゃんと真のツンデレ波



 慌ててポケットから家の鍵と一緒にプリティエースのキーホルダーを取り出して、まじまじとそれを眺めた。

 これは以前、姉ちゃんがガチャポンを大人買いして、唯一当てられなかったキーホルダーだ。

 これを姉ちゃんに見せたら、あるいは──

「姉ちゃああああああああんっ!」

 プリティエースのキーホルダーを指でつまみながら、僕は姉ちゃんに向かって腹の底から大声を出した。

「姉ちゃん! これを見ろ! 姉ちゃんが欲しがっていたプリティエースのキーホルダーが、今ここにあるぞーっ!」

「なんどすて⁉」

 その大声に、姉ちゃんは目を瞠るほどの超スピードで僕の方を振り向き、プリティエースのキーホルダーを血走った双眸で凝視した。

 そして。



「エース! エース! エース! エースぅぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!

 あぁああああ……ああ……あっあっー! あぁああああああ!!! エースエースエースぅううぁわぁああああ!!!」



 姉ちゃんが壊れた⁉

「あぁクンカクンカ! クンカクンカ! スーハースーハー! スーハースーハー! 良い匂いだなあ……くんくん。

んはぁっ! プリティエースたんの桃色ブロンドの髪をクンカクンカしたいお! クンカクンカ! あぁあ!!

間違えた! モフモフしたいお! モフモフ! モフモフ! 髪髪モフモフ! カリカリモフモフ……きゅんきゅんきゅい!!」

 うわっ。

 うんわあ……。

 なにが起きているのかよくわからないけれど、まだキーホルダーを渡してもいないのに幻覚症状みたいなものが出ちゃってるよ……。

 あれでは、非合法なクスリをキメている危ない人のようにしか見えない。

「アニメ二十五話のエースたん可愛かったよぅ!! あぁぁああ……あああ……あっあぁああああ!! ふぁぁああああんんっ!!

 劇場版決まって良かったねエースたん! あぁあああああ! 可愛い! エースたん!可愛い! あっああぁああ! コミカライズ二巻も発売されて嬉し……いやぁああああああ!!! にゃああああああああ!! ぎゃああああああああ!!

 ぐあああああああああああ!!! コミックなんて現実じゃない!!! あ……小説もアニメもよく考えたら……

 エ ー ス た ん は 現 実 じ ゃ な い? にゃあああああああああああああん!! うぁああああああああああ!! そんなぁああああああ!! いやぁぁぁあああああああああ!! はぁああああああん!!

 この! ちきしょー! やめてやる!! 現実なんかやめ……て……えぇ⁉ 見……てる? キーホルダーのエースちゃんが私を見てる? キーホルダーのエースちゃんが私を見てるぞ! エースちゃんが私を見てるぞ! ミニキャラ化したエースちゃんが私を見てるぞ!! アニメのエースたんが私に話しかけてるぞ!!! 良かった……世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!

 いやっほぉおおおおおおお!!! 私にはエースちゃんがいるぅううううう!!」

「こりゃあかんわ……」

 未だ続く姉ちゃんの壊れっぷりを見て、僕は深い溜め息と共に頭を抱えた。

 姉ちゃんのテンションを上げるつもりでキーホルダーを見せたわけだけど、まさかこんな事態になってしまうなんて。これじゃあ完全に逆効果だ。

 くそっ。あんな理性を失った状態で、まともに戦えるとは思えない。このまま姉ちゃんが負けるところを眺めるしかないのか。

 由梨江さんのペットにされる未来しか、僕にはないと言うのか……!

「諦めるのはまだ早いよ、湖太郎くん」

 と、絶望感でうなだれる僕の背中を、レジェンドさんが励ますようにぽんと叩いて言う。

「早絵は今も戦っている。諦めずにああして必死に戦っているんだ。そんな早絵のカッコいい姿を見ずに、弟である君が俯いていてどうするんだい」

 なにより、とレジェンドさんはそこで一拍置いて、姉ちゃんの方を指差した。

「しっかりその瞳に焼き付けておきなさい。早絵が勝利する瞬間を。

 真の【ツンデレ波】の威力を──!」

「え……?」

 その言葉に、僕は伏せていた目線をゆっくりと上げた。

 果たして、そこには。



「はああああああああああああああっ‼」



 裂帛の気合いと共に、先ほどのとは比べものにもならない──一際でかいツンデレ波を放つ姉ちゃんがいた。

「な、なんですのこの力は⁉」

 突如として威力が倍増した姉ちゃんのツンデレ波に、由梨江さんがぎょっと双眸を剝いた。

 すごい! あれだけ姉ちゃんを苦しめていたエンジェルビームを、今じゃツンデレ波がとてつもない勢いで押し返している! いや、呑み込んでいると言っても過言じゃないくらいだ!



 これが真の【ツンデレ波】!

 釘宮流最大奥義‼



「くっ! こんなもので……っ」

 肉薄しつつあるツンデレ波に、由梨江さんが苦悶に顔をしかめながら、必死にエンジェルビームを放って反抗する。

 が、ツンデレ波の勢いは変わらず、それどころか徐々に由梨江さんを追い込んでいく。まるで少し前の姉ちゃんみたいな状況だ。

 仮にここであの吸収技(長いので正式名称は割愛)を使ったとしても、あれだけのとてつもないパワーなら、一度にすべてを吸い取ることなんて不可能だろう。ましてあれだけ勢い付いたツンデレ波を前にしてエンジェルビームを途中で止めようものなら、自分からむざむざ攻撃を喰らいにいくようなものだ。避ける余裕すら残されていない。

 どのみち、決着はすでについているも同然だった。

「くたばっちまええええええええええええええええええええええええっ!」

「こ、こんなものでええええええええええええええええええええええっ‼」

 目前まで迫ってきたツンデレ波に、由梨江さんがこれまで見たことのない形相で叫喚する。

 けれど、その最後の抵抗も虚しく、ツンデレ波が由梨江さんの全身を呑み込み、



「くぎゅうううううううううううううううううううううううううううううっ⁉」



 絶叫を上げながら、真後ろに吹っ飛ばされた。



「はあ、はあ、はあ……。か、勝った……」

 ツンデレ波を撃ち終え、すべての力を使い果たしたと言わんばかりに、がくっと膝を付く姉ちゃん。

 そんな悄然とする姉ちゃんに、僕とレジェンドさんはすぐさま駆け寄って、

「姉ちゃん!」

「早絵!」

 と声をかけた。

 見ると、姉ちゃんはいかにも疲弊しきった顔で青色吐息になっていた。大きなケガはないけれど、全身に目立つ痣や擦り傷が、その激しさを物語っていた。

 遠目からだとよく見えなかったけれど、こんなになるまで戦っていたのか。僕にしてきた数々のひどい仕打ち(勝手に僕を交渉材料にした件とか)に対してずっと文句を言ってやろうと思っていたけれど、今の姉ちゃんを前にしたら、そんな気もすっかり失せてしまった。

「姉ちゃん、大丈夫? 一人で動けそう?」

「……おお、湖太郎か。いや、疲れ過ぎて立てそうにもないな」

「そっか。ちょっと待ってて」

 言って、僕は姉ちゃんの腕を取り、それを自分の肩に回して「よいしょ」と持ち上げた。

 その行動が意外だったのか、姉ちゃんはきょとんとした顔で僕を見やり、

「どうしたんだ湖太郎。今日はやけに気が利くじゃんか。いつもならここで私の服をひん剥いて、下卑た笑声を上げながらルパンダイブしそうなところなのに」

「誤解を招くような言い方はやめろ」

だいたい、僕にそんな趣味は断じてない。

まして、姉ちゃんを襲うだなんてもっての外だ。

「ほら、元はと言えば姉ちゃんたちのせいで巻き込まれた勝負ではあったけれど、こうして必死に戦って勝ってくれたわけだし、一応労っておこうかと思って」

「ほほう。殊勝な心がけじゃん。こりゃ明日は血の雨が降るな」

 ニヤニヤと人をバカにしたような笑みを浮かべる姉ちゃんに、僕は「うるせえよ」とそっぽを向いた。

まったく、ちょっと優しくしたらすぐにこれだから困る。つーか血の雨ってなんだよ。流血沙汰でも起こす気か?

「ところで、由梨江さんは大丈夫なのかな……?」

 そこまで言って、僕は離れた位置にいる由梨江さんに視線を向けた。

 そこにはツンデレ波をまともに受けた由梨江さんが、仰向けになって意識を失っていた。

さっきからピクリとも動かないので、さすがに心配になってきたのだ。

「心配いらないよ。少しばかりあの状態が続くだろうけど、命に別状はないさ。胸はしっかり上下しているし、たぶん気絶しているだけだよ」

 と、なにげなく呟いた僕の疑問に、そばに立つレジェンドさんがそう返答してくれた。

 なんかたまに譫言で「メロンパン……メロンパン……つぶれたメロンパン……」とか言っているけど、本当に大丈夫なのだろうか。由梨江さん、実は精神が崩壊していたりしないよね?

「それはそうと早絵、最後まで諦めずによく頑張ったな。師匠として誉れ高いぞ」

「師匠……。あ、ありがとうございます!」

 レジェンドさんの称賛に、喜色満面の笑顔を浮かべる姉ちゃん。よっぽど嬉しかったらしい。

「しかしながら、今のままで満足してはいけないよ。いつまた強敵が現れるとも限らないのだからね」

「はい! これからも精進して釘宮道を極めていきます!」

 なんだ釘宮道って。次から次へと聞き慣れない単語が出てくるな……。

「うむ、その意気だ。さて、それでは帰るとしようか。早絵もゆっくり休ませてあげたいしね」

「そうですね。あ、でも由梨江さんはどうしましょう? さすがにこのまま放置するというのも……」

「え、別に放置でいいだろ。あんなの」

「私も早絵に同意見だね。どうせそのうち意識も戻るだろうし」

「………………」

 ナチュラルに鬼畜な二人だった。

 まあ単に気絶しているだけみたいだし、人が来る心配もないから、あのままでも特に問題はないか。

 なんて考える僕も、なにげに鬼畜だった。

「あ、ちょっと待ってくれ」

 と、この場を去ろうと踵を返しかけた際、僕の肩に腕を回したままの姉ちゃんが、ふとそんな風に制止をかけてきた。

「帰る前に、ゴスロリに言いたいことがあるんだ」

「由梨江さんに?」

 まだ気絶したままなのに、なにを言うつもりなんだろう? まあ姉ちゃんがこう言うのなら、別段止めるつもりはないけれど。

「お前はすげえよ。よく頑張った……。いい加減、嫌になるくらいにな……」

 由梨江さんの近くまで運んだところで、姉ちゃんが滔々とした口調で語り始めた。

「今度は良い奴に生まれ変われよ。私ももっともっと腕を上げて待ってるからな」

 ……いや、なんか死んだみたいな言い方しているけど、まだ生きているからね? 気絶しているだけだからね?

「それじゃあ、またな」

 姉ちゃんは最後にそう告げて、ここまで戦った由梨江さんを称えるかのように、額に二本指を立てて別れのサインを送った。



 こうして。

 激闘に及ぶ激闘の末、僕を懸けた不毛な勝負は、姉ちゃんの勝利で終わったのであった。



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