第19話 姉ちゃんのためにあるような切り札
「うわああああああああああっ⁉」
気付いた時には、僕は突如として襲ってきた激しい衝撃波に呑み込まれていた。
踏ん張ることすらままならず、後方へと吹っ飛ばされた僕は、なす術もなく元いた場所から引き離されていく。
いずれこのまま地面に落下し、体を強打してしまうのだろうかと恐怖で瞼を閉じていると、ふとだれかに腕を掴まれた感触がした。
そしてそれは吹っ飛ばされた勢いを殺すように力をぐいっと込め、先ほどまでとは逆方向……つまり元いた場所の方へと引き戻された。
わけがわからないまま、なされるがままその引っ張る力に身を任せていると、次第に宙を浮く感覚がなくなり、おそるおそる瞼を開けた時には、僕は慣れ親しんだ地面の上に降り立っていた。
「あれ? 僕、いつの間に……」
「大丈夫だったかい? 湖太郎くん」
いきなり声をかけられ、はっと横を振り向くと、そこには僕の右腕を掴んで凛然と佇んでいるレジェンドさんがいた。
状況から察するに、どうやらレジェンドさんが僕を助けてくれたようだ。しかもあれだけの衝撃波があったというのに、まったくと言っていいほど立っている位置が変わっていない。さすがは姉ちゃんの師匠と言うべきか。
「すみません、レジェンドさん。なんかまた助けて頂いたみたいで……」
「なに、これくらい感謝されるほどのものでもないよ」
言って、レジェンドさんは僕の腕から手を放した。今も姉ちゃんたちのいるところを中心に強風が吹き荒れているけれど、先ほどの衝撃波はよりは全然マシになっているので、手を放しても問題ないと考えたのだろう。
「それより、ケガも無いみたいで安心したよ」
「はい、おかげさまで。でもどうやって僕を助けたんですか? 結構な距離まで吹っ飛ばされていたように思えるんですけど……」
「大したことはしていないさ。ただ単に腕をとっさに伸ばして湖太郎くんを掴んだだけのことさ」
「へえ。腕を伸ばして……」
……ん? 腕を伸ばして???
「いやいやいやいやっ! その理屈はおかしい! だって数十メートルは離されていたんですよっ⁉ どんだけ腕を伸ばしたって言うんです⁉」
「見たまえ湖太郎くん! とんでもない勝負になっているよ!」
「説明しろよ⁉」
そこで説明を放棄されると、めちゃくちゃ気になるんですけども!
しかしながら、姉ちゃんたちの方もそれはそれで気になるので、僕は釈然としない思いを抱えつつも、前方へと視線を向けた。
見ると、姉ちゃんのツンデレ波……粒子砲みたいなやつと由梨江さんのエンジェルビームが衝突し合い、ちょうど真ん中付近で拮抗していた。まるでホースの先をつまんで出した水を、互いにぶつけ合っているのかのようだ(微妙な比喩だけど)。
「なんじゃあれ……」
最初は衝撃波に呑み込まれたせいでなにが起きたのかわからなかったけれど、こうして改めて今の光景を見ても、理解の範疇を超え過ぎていて、どのみちわけがわからなかった。いつからここは魔訶不思議アドベンチャーな世界になってしまったのか……。
けどそんな中で唯一わかったのは、前回姉ちゃんを一撃で倒した由梨江さんのエンジェルビームとツンデレ波が互角に渡り合っているという点だ。始めは不安視されていたツンデレ波も支障なく出せたみたいで、とりあえずは一安心といったところか。
とはいえ、こうしている間も二人の奥義がぶつかり合っているわけだけど、拮抗状態を保ったままで変化は見られない。この分だと最後は二人の体力勝負となりそうで、まだまだ気が抜けそうになかった。
「……なかなかやりますわね。わたくしの【あなたのハートにエンジェルビーム】を前にして一歩も引かないとは」
と、由梨江さんが奥義を放ちながら、姉ちゃんに向かって声をかけた。
「てっきり、すぐに勝負が決まるものと思っていましたわ」
「あっはっはっは! そんなしょぼい技で、この私が倒せるでも思ったか!」
そのしょぼい技で、前回あっさり倒されたのはどこのどいつだよ。
「おらおら! このまま一気に押し込んでやるぜ!」
そう威勢よく言って、姉ちゃんは一歩前進した。言葉通り、本当にこのまま由梨江さんを強引に押し込むつもりでいるようだ。
「姉ちゃんすげえ! これなら由梨江さんにも勝てちゃうかも!」
「──いや、それはどうかな」
ふと聞こえてきたレジェンドさんの呟きに、僕は「え?」と目を丸くした。
「……私の思い過ごしであればいいのだが、あの娘はたぶん──」
「まだまだですわね」
レジェンドさんの話を聞き終わる前に、由梨江さんが不意に玲瓏な声で言葉を発した。
さながら手のひらで踊る人形を見るかのような、傲岸不遜とした表情を浮かべながら。
「あまり強い言葉を使うべきではありませんわ。弱く見えますわよ?」
「なん、だと……?」
由梨江さんの不気味なほど落ち着き払った態度に、姉ちゃんは訝しげに眉を曲げる。
「私のどこが弱いって言うんだ駄犬。今もこうしてお前のエンジェルビームを押し返しているだろうが!」
「いつからわたくしの奥義がこの程度だと錯覚していたんですの?」
姉ちゃんの反論をこともなげに一蹴して、由梨江さんは心底可笑しそうに口許を歪めた。
「見せて差し上げますわ。正真正銘、百%のわたくしの力を!」
刹那──
由梨江さんのエンジェルビームが、その勢いを増すように肥大化した。
「な、なにいいいいいいいいいいいいいい⁉」
突如威力が変わったエンジェルビームに、姉ちゃんは驚愕の声を上げながら、そのまま地面を引きずる形で数メートル後退させられた。
姉ちゃんのツンデレ波が、ここに来て初めて由梨江さんのエンジェルビームに押され始めたのだ。
「いかがでしょう? 全力の【あなたのハートにエンジェルビーム】のお味は」
「ぐううううううっ!」
不遜な態度を取る由梨江さんに、しかし姉ちゃんは相槌を打つのもままならないのか、余裕のない顔で迫り来るエンジェルビームを必死に押し返そうと試みる。
けどいかんせん、今までとは技の質量が違う。さっきまでの拮抗が嘘のように、姉ちゃんのツンデレ波がエンジェルビームに呑まれようとしていた。
そんなバカな。じゃあ今まで手加減をしていたってことなのか?
修行によって前回よりも格段に強くなっているはずの、あの姉ちゃんを相手に⁉
「やっぱりか……」
と。
疑問が氷解したと言わんばかりに、レジェンドが若干焦燥を滲ませた声でそう口を開いた。
「途中から妙だとは思っていたのだ。一見互角に戦っているようで、あの由梨江という小娘から本気の念をいまいち感じられなかったから……」
「そ、それって、由梨江さんがわざと手加減していたってことですか……?」
「おそらくは、ね」
実に腹立たしい真似をしてくれるよ、と怒りで拳を震わすレジェンドさん。武道家にしてみれば、手加減なんて屈辱以外の何物でもないのだろう。武道に限らず、本気の勝負事で手加減なんてされたら、だれだって快くは思わないだろうけど。
でも、それより懸念すべきは──
「それってめちゃくちゃやばいじゃないですか! このままだと姉ちゃんが負けてしまうってことになりますよね⁉」
「まあね。ここであの小娘を超える力を見せない限り、早絵に勝機はないだろう」
「そんな……」
レジェンドさんの返事に、僕は思わず声を失った。
由梨江さんを超える力と言っても、姉ちゃんはあれがもう全力と言った感じだし、どう見てもここから一発逆転できる手段があるようには思えない。
それは姉ちゃん自身がよく知っているはずだと思うけど、今はただ、往生際悪く必死に喰らい付いているだけといった風にも見えた。ともすれば、そこはかとなく諦観し始めているようにも窺える。あれでは体力以前に気力の方が先に切れてしまいそうだ。
「しかしまあ、勝てる見込みがまったくのゼロというわけでもないんだけどね……」
と、絶望しかない未来に意気消沈としていると、レジェンドさんがふとそんな微かな希望を吐露した。
「えっ。そ、それってどういうことですか⁉」
「早絵の使っている【ツンデレ波】は【ツンデレ波】であって【ツンデレ波】ではないのだよ」
「え? ……え?」
言っている意味が、ちょっとわからなかった。
「つまり、早絵は【ツンデレ波】の真の力を引き出せていないのだよ。あれでは良くて六割と言ったところかな」
「じゃあ、その真の力ってやつが引き出せれば……」
「おそらく、あのエンジェルビームとやらにも勝てる。が……」
そこで区切って、レジェンドさんはいかにも深刻そうに重い口調で言葉を紡ぐ。
「あの様子だと、早絵がそのことに気付いているとは思えない。あれでは、どのみち負けは確定だ」
「だったら、今すぐ教えてあげないと! こうしている間にも姉ちゃんが負けちゃう!」
「……そうだね。本来ならこういった勝負に師匠が口出しすべきではないのだが……」
そう逡巡するようにしばし瞑目(お面越しなので若干見えづらいけれど)したあと、レジェンドさんは意を決したように両目をカッと見開いて、
「早絵! この程度で根を上げてどうするんだ!」
と、叱声を飛ばした。
「お前の持っている釘宮力を全部使い切るんだ! 後はもうないのだぞっ!」
「し、師匠……っ」
レジェンドさんの魂の叫びが届いたのか、姉ちゃんがツンデレ波を放ちながら、切迫した表情をこちらに向けた。
「あいつに思いっきり【ツンデレ波】をブチかましてやれ! そうすれば絶対に勝てる。絶対だ!」
「だけど師匠、私の釘宮力はもう半分くらいしか……」
「お前の釘宮を信じろ! そうすればお前の中の釘宮が釘宮し、必ず釘宮がくぎゅうとなって釘宮してくれるはずだ!」
なんのこっちゃ。
「……わかりました。私、やってみますっ!」
「わかったの⁉ あんなんで⁉」
すげえな! 僕には暗号か呪文にしか聞こえなかったぞ!
「はあああああああっ!」
レジェンドさんに叱咤激励された姉ちゃんが、気力を取り戻したかのように表情を凛々しくさせて、ツンデレ波にパワーを送る。
けど──
「……ダメか。以前よりパワーは増しているが、それでも全然足らない」
レジェンドさんの言う通り、少しだけ由梨江さんのエンジェルビームを押し返すことができたものの、実際には微々たるもので、完全に打ち負かすにはパワーが足りていなかった。依然として由梨江さんも余裕の表情を浮かべたままだ。
「喝を入れたつもりだったが、決定打にはなりえなかったか。なにか早絵の釘宮力を上げるような物があればいいのだが……」
「釘宮力を上げる物……ですか?」
要は、姉ちゃんのテンションを上げるような物を提示すればいいってこと?
でもそんな物、今この場で都合よく持っているはずが──
と、なんとなしにズボンのポケットをまさぐってみると、家の鍵と一緒になにかのキーホルダーのような物体が手に触れた。
そこで僕は思い出した。昨日由梨江さんからキーホルダーを貰った際、自分用の家の鍵に取り付けて、いつでも姉ちゃんに渡せるようにしていたことを。
しかして、そのキーホルダーとは。
「プリティエース……!」
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