断章 由梨江の画策
決戦を前日に控え、早絵が修行に励んでいた一方。
由梨江は体を鍛えることはせず、自室のテーブルに着きながらアルバムをめくっていた。
どう見ても隠し撮りとしか思えないアングルの、湖太郎の写真ばかり収められたアルバムを。
「はあ〜。どの湖太郎さんもステキですわ〜。半永久的に愛せますわ〜」
湖太郎の写真を見つめながら、熱のこもった吐息をこぼす由梨江。
その顔はうっすら紅潮しており、見るからにムラムラしている面持ちだった。
「どうして湖太郎さんはこんなにも可愛いらしいのでしょうか? これで中学生とは信じられませんわ。まさに奇跡としか言いようがありません」
奇跡という意味では、湖太郎との出会いも運命的だった。
「思い出しますわね。湖太郎さんとの初めての出会いを……」
瞼を閉じればすぐに思い浮かぶ。
少し前、とある町中でガラの悪い男に絡まれていたところを、颯爽と現れた湖太郎に凛々しく助けられた時のことを──
……なにか一瞬、記憶に齟齬があったような気もするが、たぶん勘違いだろう。
助けてくれたのは間違いなく湖太郎だ。どこぞの釘宮病患者なんて微塵も関係ない。関係ないったら関係ない。
閑話休題。
そういうわけで湖太郎に助けられた由梨江であったが──正直言うと、由梨江だけでも簡単にどうとでもできたのが、もはやそんなことは些事も同然だった。
湖太郎を一目見ただけで、恋に落ちた由梨江にとっては。
生来からショタ好きではあったが、湖太郎の見た目は好みどストライクだった。小学生じゃなくて中学生と聞いた時は驚いたが、すぐにどうでもよくなった。
これまでは十二歳以下の少年にしか興味はなかったが、湖太郎の可愛さに比べたら、年齢なんて些末な問題でしかない。いっそゴミ同然と言っていい。
そんな超絶好みの少年が、ある日突然目の前に現れたのだから、運命を感じずにはいられなかった。むしろこれを運命と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
そんな運命的な出会いを果たしておいて、湖太郎をみすみす見逃すなんてあっていいわけがない。かならずや湖太郎を手中に収めてみせるのだ。
当の本人には、ちょっとばかり嫌がられているのが気がかりではあるが。
まあ、それもどうせ最初の内だけだ。徐々に自分色に染め上げればいい。
じっくり、ゆっくり、ねっぷりと。
「ああ、湖太郎さん……。もう少しであなたをこの手にできるのですね……」
と、うっとりとした面持ちで写真の中で微笑んでいる湖太郎を指先で撫でる由梨江。
もうすでに勝った気分でいる由梨江ではあるが、実際あの程度の──それこそ昨日今日武術を習ったばかりの相手なんて、なんら脅威にもならない。
ただひとつ、気掛かりがあるとすれば──
「確かレジェンドとか言いましたか。あの方も唾棄すべき釘宮病患者のようですが、武術家としては一流の雰囲気を醸し出していましたわね……」
流派は違うとはいえ、堀江流を極めた由梨江だからこそわかる。
あのレジェンドという女性は、ただならぬ人物であると。
おそらく、由梨江もタイマンで戦ったら軽いケガだけでは済まされないだろう。それどころか、相打ちになれば良い方かもしれない。
きっと全力を出したレジェンドは、由梨江でさえ敵うかどうかもわからないのだから。
そんなレジェンドが弟子として鍛えている相手なのだ──なにかしら一発逆転の秘技を伝えていたとしてもおかしくはない。
「……わたくしも、少しくらいは修練した方がいいのでしょうか」
レジェンドと相対した時を思い出して、今になってそんなことを考える由梨江。
別にひょっとすると負けるかもとか、そういう心配をしているわけじゃない。本当に本当だ。誓って嘘ではない。
ただ、もしも本当にレジェンドから奥義のようなものを授かっていたとしたら、由梨江といえど、ただではすまないかもしれない。
いや、堀江流があんな釘宮病患者に負けるとは微塵も思わないが。
「とはいえ、万に一つという可能性もなきにしもあらずですか……」
堀江流は文字通り、由梨江が幼少期から崇め
なぜ由梨江が堀江流という武道を編み出したのかというと、ひとえに堀江さんへの感謝とリスペクトゆえである。
元々、幼い頃の由梨江は、自己主張が苦手な引っ込み思案の女の子だった。
見た目も今でこそゴシックロリータという派手な装いをしているが、昔は三つ編みに度の厚いクソダサメガネをかけた地味めの女の子であった。
もしも昔の由梨江を知っている者が今の由梨江を見たら、確実に気付くことはないだろうというくらいには。
そんな見た目と性格が同年代の少年少女の嗜虐心を刺激してしまったのか、由梨江はよくイジメを受けていた。
せめてあの頃、だれか庇ってくれる人がいれば少しは救われていたのだろうが、由梨江を助けたせいで標的が自分に移るのを恐れたのか、みんな憐憫の眼差しを向けることはあっても手を差し伸べてくれる者はひとりとしていなかった。
まあそもそも、相談できる友人なんてひとりもいなかったし、両親も共働きでいつも帰りが遅かったので、ただでさえ疲れている両親にいらぬ心労を掛けたくないという気後れもあって、イジメを受けていた件を由梨江の内に押し込んでいたせいもあるのだが。
では、なぜそんな由梨江が今のような派手な趣味に目覚めたのたのかというと、同級生にイジメられて辛かった時代に、堀江さんという偉大な声優を知ったからに他ならない。
由梨江が堀江さんという声優を初めて知ったきっかけは、某ニチアサ枠で放送されていた、とある魔法少女系のアニメだった。
堀江さんはそのアニメの中でヒロインのひとりを演じており、そのヒロインの凛々しい生き様に、由梨江は深く感銘を受けた。
そしてなによりも、勉学や人間関係などで悩むヒロインが、それでも前を向いてひたむきに努力して問題を解決する姿にとても励まされた。
イジメを受けてもなにも言い返せず、だれにも相談できずにいた由梨江の心を、太陽のように明るく照らしてくれた。
もしもあの時、あのアニメに出会えていなかったら、きっと由梨江は今でも弱気で塞ぎがちな人間になっていたと思う。
そうして由梨江は、その時ヒロインのひとりを演じていたのが、堀江さんという声優が演じていたのを初めて知った。
最初は、単なる「声が可愛い」という理由で、親に借りたパソコンで堀江さんのことを調べていた。
それから堀江さんが出演しているアニメを何本か観ている内に、堀江さんという声優時代に興味を持つようになり、いつしか堀江さんの声を聞くだけで昇天しそうなくらい幸福な気分になれるようになった。
それが堀江病という奇特な病に罹患していたと知るのは、ずっとあとのことになるのだが。
ともあれ、堀江さんという声優を深く知るにつれ、彼女も学生時代にあまり良い思い出がないという話に深く共感し、柄物の洋服が好みと知れば、由梨江も花柄やチェックのワンピースをよく着るようになった。
中でも黒薔薇保存会というユニットで着用していたゴスロリ系の服は衝撃的だった。世の中にはあんな素敵な服があるのかと知ったあとは、普段はわがままなんて言わない由梨江が親に何度もねだるほど、どハマりするようになっていた。
そうして堀江さんに熱中して、私生活もだんだんと堀江さんに染まっていく中、いつしか自分の意見をはっきり言えるようになれるくらい性格が変わり、次第にイジメを受けることも自然になくなった。
それどころか、数こそ少ないが同じアニメ好きの友人もできるようになり、イジメられていた時は想像できないくらい、毎日楽しい生活を送れるようになっていた。
これもすべて、あのニチアサ枠の魔法少女形アニメのおかげ──なにより堀江さんという声優に巡り会えたおかげだ。
その感謝と尊敬をなにかの形に残したいと考えるようになった由梨江は、のちに堀江流という拳法を生み出すことになる。
なぜ同じ声優を志すわけではなく、拳法という異端な道に行ってしまったのかというと、演技力が壊滅的だったせいというのもあるが、元々身体能力は高かったからという理由もあったりする。
それはともかく、改めてなぜ拳法という道を選んだのかというと、色々と試している内に、これが一番自分の身にしっくり来たからだ。
なぜ数ある中で拳法がしっくり来たのかは、自分でもうまく説明できないけれど、おそらく昆虫や動物の動きを模した象系拳と呼ばれる技と多少なりとも親和性があったからだと思う。
つまり、堀江さんが今まで演じてきたアニメのキャラの動きや技を真似る内、次第に由梨江自身も同じようなことができるようになっていたのである。
それから由梨江は、この拳法を自力で極めるようになり、のちに堀江流と呼ぶようになる。
とはいっても、己で編み出した流派のため、言うまでもなく歴史は非常に浅い。
ゆえに単純な技の数なら、自分より年長で始祖でもレジェンドの釘宮流の方が多いはず。その中には由梨江の想像を超えるような凄技があったとしても不思議ではない。
もちろん、釘宮病患者ごときに遅れを取る気なんて微塵もないが。
「……なにか、今日は釘宮病患者のことばかり考えていますわね。忌々しい……」
思わずそんな悪態が嘆息と共に漏れる。
いくら湖太郎を我が物にするとはいえ、どうしてあの釘宮病患者のことばかり考えなければならないのだろう。ただでさえ釘宮病患者なんてゴミにも劣る存在だというのに。
「釘宮さん自体は、とても素晴らしい声優さんなんですが……」
それこそ、堀江さんの次くらいに尊敬している声優さんだ。敬愛していると言っても過言ではない。
だが釘宮病患者だけはダメだ。あいつらとは決して相入れない。
なぜなら、過去に一度、釘宮さんが演じたキャラの行動にネット上で苦言を呈しただけで、
しかもあいつらは、こちらが堀江さんが演じているキャラを溺愛しているわかった瞬間に、自分の好きなキャラを贔屓しているクズと罵ってきたのてある。贔屓した覚えなんて一切ないのに。
あの時の屈辱と怒りは、数年経った今でも忘れられない。
だからこそ、由梨江は負けられないのだ。
湖太郎を手に入れるためという意味でも、二度と釘宮病患者に侮られないためという意味でも。
「そう……わたくしは負けるわけにはいきません。あの釘宮病患者に、堀江流の真髄を見せつけてやりますわ。圧倒的な力で」
テーブルの前にある姿見に自分の姿が映る。
決意に満ち満ちた、己の顔が。
「やはり、少しだけ体を動かしておきましょうか。いざという時に足を挫きでもしたら笑い話にもなりませんし」
そう言って、おもむろに椅子から立ち上がる由梨江。
少しとはいえ、体を動かすとなれば当然汗も掻くことになるだろうし、トレーニングウェアに着替え方がいいだろう。ゴスロリ服は普段着用と勝負服用と色々あるが、鍛錬としては使いたくない。
ゴスロリは由梨江のアイデンティティーのようなものなのだが、できるなら汗で汚したくはない。あれは自分にとって神聖なものだから。
そんなことを考えながら、由梨江は自身が着ていたゴスロリ服のチャックに手をかける。
と、そこで、たまたま目に入った湖太郎の写真に、由梨江はクスッと微笑をこぼす。
「イヤですわ、湖太郎さん。女性の着替えをそうまじまじと見るものではないですわよ。まあ、湖太郎さんならやぶさかではありませんが」
なんて
さあ、明日はいよいよ決戦だ。
明日になれば、すべてが決まる。
「必ずや、わたくしが勝利してみせますわ。だから待っていてくださいましね、湖太郎さん」
アルバムの表面を撫でなから、由梨江は艶然と口角を緩めた。
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