断章 早絵の修行
由梨江との決戦を控えた前日。
早絵は今、とある山奥の切り株の上にて、坐禅を組みながら瞑想に入っていた。
チャイナ服で。
しかも、酢昆布を口にくわえながら。
「アルフォンスアルフォンスアルフォンスアルフォンスアルフォンスアルフォンス──」
念仏のように何度も同じ言葉を繰り返しながら、手を合わせて瞑目する早絵。
「アルフォンスアルフォンスアルフォンスアルフォンスアルテマティア……あれ? アルテマティアで合ってたっけ? 確かアルテマティアの中の人は、くぎゅじゃなく上しゃまだったし、なんならくぎゅが演じたのは同作品のギルゼア様だったような……」
なんて、一部のオタクにしかわからないようなネタを口にしていた、そんな時だった。
「早絵」
と。
いつの間にか正面に立っていた人物──黄色いカエルの仮面を付けた成人女性に、早絵はうっすらと瞼を開けた。
「レジェンド師匠……」
「やあ早絵。調子はどうだい?」
「……正直、いまいちです」
レジェンドの問いに答えつつ、早絵はおもむろに立ち上がった。
「いまいち、か」
「はい。まだ師匠に教わった奥義も完璧に使えていませんし、それに──」
そう言って、早絵は数メートル先に離れた場所にある岩に視線を移した。
それは高さ2メートル弱、幅は1メートル強はある大きな岩だった。
「あの岩を、まだ少しも動かせていませんから……」
「私が早絵に課した、最後の修行か……」
はい、と渋面になりながら口惜しむ早絵に、レジェンドは優しく肩に手を置いて、
「そう気に病む必要はない。あの岩を110メートル先まで動かせと言ったのは私が、私でさえも一カ月近くはかかった事だからな」
「一カ月とはいえ、本当に110メートルも動かしたんですか!? さすがです師匠……!」
「いやいや、その前の滝行や丸太を三本担ぐ修行だって、普通の人間にはそう簡単にこなせるものではないぞ。もっと自分を誇りなさい」
そう言われてもみると、確かにめちゃくちゃすごいことをしているような気がする。特に丸太三本担ぐとか。
さらに言うなら、レジェンドに弟子入りして最初にした修行にしたってかなり過酷なものだった。
とてつもなく重い甲羅を背負いながら山中を歩き回るとか、自衛隊のレンジャー訓練かと内心ツッコミを入れてしまったくらいだ。
それ以外にも重い道着を着ながらサルを捕まえたりとか、呼吸しづらいマスクを付けたりとか、木刀で岩を割ったりとか、今にして思えば常軌を逸した修行ばかりだったような気がする。まともな人間なら数日どころか数時間で音を上げるほど。
そんな辛い修行に耐えられたのも、くぎゅこと釘宮さんへのマリアナ海溝より深い愛があってこそだ。
もしもこの世にくぎゅという女神が誕生していなかったら、こんな拷問と変わらない修行なんてさっさとトンズラをかましていたところである。
もっとも今は、別の目的のために再度レジェンド指導による修行をこなしているわけなのだが──
「いえ、やっぱりこのままじゃダメです。丸太三本担げたところで、きっとあのゴスロリには到底通用しない……!」
「ゴスロリ……あの由梨江という女性のことか」
レジェンドの呟きに、早絵はこくりと頷く。
「死ぬほど認めたくはないですが、あいつの強さは本物でした。師匠に鍛えられて、そんじょそこらの奴らには負けない強さを得たと思っていたのに、上には上がいるのだというのを痛感させられました。プラチナむかつきますけどね!」
「気持ちはわかるよ。私も釘宮病をバカにされた時は怒りが限界を超えた限界を、さらにその先の限界を超えそうな心境だったが、怒りだけではどうにもならない時もあるからね。その怒りは由梨江を倒すためのパワーとして蓄えておきなさい」
「はい! 師匠!」
レジェンドの高説に、早絵は力強く頷く。
「でも、あいつに勝つには一体どうしたらいいんでしょう? 明日にはゴスロリとの再戦だっていうのに、全然勝てるイメージがありません……」
奥義だってまだ習得できていませんし、と不安を漏らす早絵に、レジェンドは「ふむ」と呟いて、
「私の目から見ても、今の早絵ではかなり厳しい戦いになると思う」
「やっぱり……」
「けどそれは、あくまで現段階での話だよ」
言いながら、レジェンドは岩の前に立った。
「早絵、釘宮力については、以前にも解説したことがあったね?」
「あ、はい。釘宮病患者に秘められた力のことですよね?」
「その通りだ。では、早絵はその釘宮力をどうやって発現させているんだい?」
「え? それはもちろん、今までくぎゅが演じてきたキャラを妄想して萌えたりとか……」
「なるほど、それもひとつの解だ。けどね──」
そう言って、レジェンドは岩の正面に両手を置き、両足に力を込めた。
「釘宮力を最大に発揮する方法は、釘宮さんが演じてきたすべてのキャラに萌えるだけでなく釘宮さんへの愛を──その偉大さとエモさと可憐さを全身の血流に行き渡せるイメージを持つことだ!!」
その直後──
早絵がどれだけ押しても微動だにしなかった岩が、ゴゴゴという地鳴りのような音と共に動き出した。
「い、岩が動いたー!?」
「まだまだぁ! 私のくぎゅ愛はこんな程度ではなああああああい!!」
驚愕する早絵をよそに、レジェンドは全身から湯気が立つほど発汗しながら、大きく息を吸い上げた。
「はなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
と。
レジェンドが雄叫びを上げた瞬間──
レジェンドに押されて少しずつ動いていた岩が、すさまじい轟音と共に、数十メートル近くまで一気に離れていった。
このとんでもない光景に、終始あっけに取られた顔相で呆然する早絵。
やがて、額の汗を拭いながら平然とした様子で戻ってくるレジェンドに、早絵は瞳を輝かせながら「すんげぇ!」と感嘆の声を上げた。
「レジェンド師匠マジですんげぇ! 超リスニングっす!」
「それを言うならリスペクトだね」
「そうでした! スペシウムでした!」
「うん。さらに遠のいたね。なんだか光の巨人が出す必殺技みたいになってるね」
などとツッコミを入れつつ、レジェンドは「さて」と話題を変えた。
「私が教えられるのはここまでかな。どうだい? なにか掴めそうかい?」
「うーん……」
レジェンドの問いに、腕を組んで沈思黙考する早絵。
なんとなくコツは掴めたような気はするが、あくまでも気がするだけだ。想像するのと実際にやるのとではわけが違う。
──確か師匠は『くぎゅが演じてきたすべてのキャラに萌えるだけでなく、くぎゅへの愛を全身の血流に行き渡せるイメージ』だって言っていたな。
つまり、キャラ萌えだけでは釘宮力を最大に引き出せないという話になる。
ということは、キャラ萌えだけでなく、中の人も意識すれば、釘宮力を存分に奮えるのだろうか──?
「よし。いっちょやってみっか!」
ぱんっ、と気合いを入れるように頬を叩いたあと、早絵はそばにもうひとつある岩へと歩み寄った。
そして何度も深呼吸しながら、早絵は静かに瞑目した。
「全身の血流にくぎゅ愛を行き渡らせるイメージ……全身の血流にくぎゅ愛を行き渡らせるイメージ……」
レジェンドに教わったやり方を復唱をしつつ、言葉通り脳内で釘宮さんへの愛を全身に漲らせる。
イメージするのは、2024年に釘宮さんが久方ぶりに主題歌を担当した、とあるオープニング曲。
それは、とあるケモ耳キャラが愛らしく踊るオープニング映像だったのだが、それ以上に萌えたのは、釘宮さんのコメントだった。
釘宮さんは、あのオープニング曲についてこう語っていたという。
頭が沸騰しそうなくらい恥ずかしかった、と。
その刹那。
早絵は格ゲーの確定演出のようにカッと目を見開いた。
「くぎゅのコメントの方がよっぽど可愛いやんけぇぇぇぇぇぇぇ!!」
蒼穹に向けて咆哮しながら、早絵は目の前の岩に勢いよくガッと両手を当てた。
そして──
「ふぇんりぃぃぃぃぃぃぃぃぃす!!!!」
裂帛の気合いと共に、早絵は自身の身の丈を悠に超える岩を両手で押し込む。
すると、レジェンドが来る前はまったくうんともすんともしなかった岩が、僅かながらに地を削りながら動き始めた。
この光景に、成り行きを静観していたレジェンドも
「お、おお!」と色めき立った。
「今まで微動だにしなかった岩が、ついに動いた!」
「はあはあ……。で、できました師匠!」
「ああ! しかとこの目で見たぞ! ついにやったな早絵!」
と、肩で息をしながら振り返った早絵に、賛美の言葉を送るレジェンド。
「師匠! 師匠のおかげで釘宮力の真髄を知ることができたような気がします! 今ならゴスロリにも勝てるかも!」
「あっはっはっ。気が早いぞ早絵。だが、その心意気やよし──さらに釘宮力の練度を上げるためにも、このまま修行を続けるぞ早絵!」
レジェンドの言葉に、早絵は満面の笑みで「はい師匠!」と快活に頷いた。
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