第14話 由梨江さんとたい焼きパーティー


 以上、回想終了。

 ……うん。わかってる。僕がどれだけバカな真似をしたか、自分でもよくわかっている。

 窓ガラスを割って家に入ってくるような危険人物を受け入れてしまったのだ。これで由梨江さんに襲われたとしても、なにも文句は言えまい。

 でも、仕方がなかったんだ。

 だって高級苺だよ? それを苺クリームにして、たい焼きの餡として使ってるんだよ?

 こんなの、美味くないわけないじゃん!

 スイーツ好きとしては、食わないわけにはいかないじゃん!

 などと、だれにしているのかわからない言い訳を心中でしつつ、それとなく由梨江さんの様子を窺う。

 由梨江さんは依然としてたい焼きにかかりっきりだけど、すでに数種類はできているようで、白い皿の上に出来上がったばかりのたい焼きが並べられていた。

 どうやら、持参してきた餡を全部使うつもりでいるらしい。ずいぶんと豪勢なことだ。

 などと由梨江さんの後ろ姿を眺めながら、テーブルの上にあるプリティエースのキーホルダーをいじって暇な時間を潰す。

 誓って言うが、これは僕が買った物ではない。元は由梨江さんがここへ来る途中にガシャポンで手に入れたらしい物なのだが、

『わたくしの欲しかった物ではないのですけれど、捨てるのも憚れるものがあったので』

 とのことで、僕に渡してくれたのだ。

 正直僕もいらなかったので、最初は断ろうかと思っていたのだけれど、よくよく見るとそれは姉ちゃんが前に欲しがっていた物だったので、どうせならと、ありがたく頂戴したのである。

 由梨江さんから貰った物だと言ったら嫌がって受け取らないかもしれないけど、そのへんは適当に誤魔化しておけば、姉ちゃんも素直に受け取ってくれるだろう。というか、自他ともに認める釘宮病患者の姉ちゃんが、プリティエースのキーホルダーを前にして拒絶するはずがない。

 それにしても由梨江さん、どうして僕なんかにここまで尽くしてくれるのだろう。会って間もないし、共通の趣味があるわけでもないのに、つくづく不思議でならない。

「湖太郎さん。お待たせいたしましたわ」

 と。

 すべての餡を使い終わったのか、たい焼きが乗った皿を両手に持ちながら、由梨江さんが微笑を浮かべて僕のところへとやって来た。

 テーブルの上のキーホルダーをポケットに仕舞い、まじまじと目の前まで来たたい焼きを眺める。

 皿の上には合計七個のたい焼きが並べられており、出来立てを証明するかのように、ほくほくと白い湯気が出ている。ほのかに漂う様々な甘い香りが僕の鼻腔をくすぐり、胃袋を誘惑させる。お世辞抜きでめちゃくちゃ美味しそうだ。

「右端から、餡子、カスタード、チョコ、クリームチーズ、ジャーマンポテト。そして苺クリームですわ」

 テーブルにそっと皿を置いて、僕の横に座ってきた由梨江さんの説明に、僕は「ほ~」と感嘆の吐息を漏らす。見た目はどれも普通のたい焼きな感じだけど、一つ一つ違う味なんだなと思うと、なんだか不思議な気分になった。早く食べてみたい。

 しかしまあ、それはそれとして。

「……由梨江さん。ちょっと近過ぎやしませんか?」

「気のせいですわ」

 間髪入れずに言い切る由梨江さん。

 本当にそうだろうか。肩と肩が触れ合うくらいの距離にいるんだけど、本当に近くはないのだろうか……?

 ともすれば今すぐにも食われそうなほど身の危険を感じるのだけど、しかし、僕のためにここまでしてもらった手前、離れてくれと言うのも決まりが悪い。

 極上のたい焼きを食べるためだ。多少の我慢くらいは甘受すべきだろう。

「さあ湖太郎さん。ぜひご賞味くださいまし」

「あ、はい」

 由梨江さんに笑顔で言われ、僕は皿の上に乗っているたい焼きの一つ──苺クリーム味を手に取った。

 そして頭を上にし、そのままたい焼きにかぶり付いた。

 瞬間、爆発的な甘味が口の中に一気に広がった。

 なんだこれ。ちゃんと苺の味はするけれど、でも僕が普段食べているような物とは違って甘味と酸味のバランスが絶妙に合わさっていてすごく美味い! クリームの中に苺の果肉が残っているのもあって香りも引き立っているし、喉越しも最高だ。

「……やばい。めちゃくちゃ美味しい。こんなに美味しい苺クリームは初めてだ……」

「ふふ。喜んで頂けたようでなによりですわ」

 あまりの美味に恍惚とする僕を見て、由梨江さんは心底嬉しそうに破顔する。

「あの、由梨江さんは食べないんですか? まだたくさんありますよ?」

「わたくしはあとで頂きますわ。今は幸せそうにしている湖太郎さんの顔を堪能したいんですの」

「はあ……」

 言葉通り、口許を綻ばせてじっと熱い視線を注いでくる由梨江さんに、僕は気まずさを覚えながらも、そのままたい焼きを食べる。正直、視線が気になってすごく食べづらい。

 それでもどうにか食べ終えて、僕は余韻に浸るように「ほう」と瞑目して一息ついた。

「最高だった……。食べた瞬間、全裸になる自分の姿が脳裏に浮かびましたよ」

「本当に裸になってもよろしいんですのよ?」

「いえ、遠慮しておきます」

 きっぱり断る僕。そんな野獣を前にして、いかにも食べてくださいと言わんばかりのアピールなんてできるはずがない。

「それにしても由梨江さんって、料理上手だったんですね。見るからにお嬢さまと言った雰囲気なので、なんだか意外です」

「親が社長なのであながちその表現も間違いとも言えませんが、そうですわね。世間に出ても恥ずかしくないようにと、色々と習わされてはいますわね。お料理以外にも、華道とか茶道とか合気道とか」

「へえ。なんでもできるんですね」

「なんでもはできませんわ。できることだけです」

 そう謙遜して、由梨江さんはたい焼き器と一緒に持ってきた急須を持ち、これまた持参してきた湯呑みの中に抹茶を注いだ。

「どうぞ、湖太郎さん」

「あ、これはどうも」

 由梨江さんから湯呑みを受け取り、抹茶に口を付けた。

 うん、美味しい。程良い苦味で、まるで和菓子と一緒に口にすることを想定したかのような味わいだ。これがあれば甘い物に飽きやすい人でも、いくらでも和菓子を食べられることだろう。

 やっぱ、和菓子には日本のお茶だよなあ。

「それはそうと湖太郎さん。ぜひ一番左端の方も食べてみてくださいまし」

「一番左端、ですか?」

 言われて、僕は一番左端にあるたい焼きに視線を向ける。一見は他となんら変わらない普通のたい焼きだ。

「そういえば、これだけなんの味だか聞いていませんでしたね。これはなにが入っているんです?」

「ふふふ。それは食べてみてからのお楽しみですわ」

「…………?」

 妙に含みのある言い方に首を傾げつつ、僕は言われた通りに一番左端にあるたい焼きを手に取って、口に運んだ。

「あ、餡子だ」

 たい焼きの中から出てきた餡子(ちなみに粒あん)に、僕は見たままを口にした。

 普通の餡子より甘さが控えめだけれど、どことなく上品というか、いくら食べても飽きが来ないように計算された味だ。そんじょそこらの大豆では決して再現できない味わいである。

 でもさっきの苺クリームと比べてどうかと言われたら、やっぱり僕は苺クリームの方が断然好みだった。これはこれで美味しいけれど、なぜ由梨江さんがこれを薦めてきたかは判然としない。

「まあ、そこらのスーパーで売っているような物に比べたらこっちの方が美味しいですけれど、この餡子になにか秘密でもあるんですか?」

「ええ。そのたい焼きだけ、愛の蜜を混ぜておきましたの」

「愛の蜜……?」

 なんだそれ? ハチミツの商品名?

 けどその割に、ハチミツっぽい味はしない。隠し味程度にしか使わなかったのかな?



「別名、愛液とも言いますわね」

「ぶううううううううううううううううううううっ⁉」



 まだ口の中に入れたままのたい焼きを盛大に噴き出した。

「げほげほっ。あ、愛液って! まさかあれじゃないでしょうね……⁉」

「イヤですわ、湖太郎さん。乙女の口からそのような恥ずかしいセリフを言わせたいんですの? 湖太郎さんも思春期の男の子なら知らないはずないでしょうに」

 いけずな方ですわ、と赤くなった頬を両手で押さえながら、いやんいやんと体をくねらせる由梨江さん。

 この反応からして、絶対間違いない。

 あれだ。女性が切なくなると分泌されるという、あのエッチな液体のことだ……!

「本当はわたくしも言うか言うまいか迷っていたんですのよ? こういうのは秘密にしておいた方がステキミステリーでしょうし。ですが、わたくしの内に溢れる湖太郎さんへの想いをどうしても抑えきれなくなってしまいまして……」

「そこは抑えてくださいよ! ていうか、いつの間にそんなものをたい焼きに入れていたんですか! 僕が見ていた限り、そんな素振りは一切ありませんでしたよ⁉」

「前もって採取しておいた愛の蜜を、たい焼きを作っている間に入れておいたんですの。さすがに湖太郎さんの目の前でそのようなはしたない真似はできませんわ」

「用意周到⁉」

 なにこの人怖い! やっていることがバレンタインチョコの中に自分の髪や血を混ぜる女性のそれと同じ行動原理だよ! どう考えてもヤンデレだよおおおおおおお!

「あっ。もしかして、これ全部にその愛の蜜とやらが入っているんじゃ……!」

 どうしよう。苺クリームのも合わせて、もう腹の中に入っちゃったよ……。

 大丈夫だよね? あとでめちゃくちゃお腹を壊したりしないよね⁉

「いえ、先ほど湖太郎さんが口にした分だけですわ。いくらわたくしでも、そこまで濡れやすい方ではありませんわよ? 実を言うと、今まさにグチョグチョに濡れている最中ではありますけれど……」

「だれもそこまで訊いていませんから! あとそれっぽく股間を抑えないでください!」

 全力でツッコミを入れつつ、僕は一目散に台所へと駆けて、水道の蛇口をひねって口の中をすすいだ。

 向こうからしたら失礼な真似かもしれないけど、知ったことか。

 なにかしらの病気にならないとも限らないし、さっき食べたたい焼きにしか愛の蜜が入っていないのなら、まだセーフのはずだ。ほんと、呑み込む前にすぐ吐き出しておいてよかった……。

 それにしても、由梨江さんもとんでもない真似をしてくれたもんだ。そういう行為に喜ぶ男がいるのは知っているし、僕だって健全な男の子なのでまったく興味がないわけじゃないけれど、しかし今回に限って言えば、完全な悪手だ。

 ほとんど面識もない相手にこんな異常としか言えない真似をされて、嬉しく思うはずがない。ただひたすらにドン引きだ。

 と、ある程度口内を洗ったあとで、

「──湖太郎さん」

「ひいやあああああああっ⁉」

 いきなり背中から声をかけられ、僕は跳ね上がるようにして由梨江さんの方を振り返った。

「ゆ、由梨江さん? どうしたんですか? こんなところまで……」

「ふふふ……湖太郎さぁん」

 な、なにか様子がおかしいぞ……?

 いや、いつもおかしい人ではあるけれど、なんか顔が妙に紅潮している上に息がやたら荒いし、瞳の焦点も定まっていない。まるで危ない薬でもキメているかのような反応だ。

 そんな由梨江さんが、なぜか両手をわきわきして僕に詰め寄ろうとしている。

 まるで、今にも僕に飛びかかろうとしているかのように。

 や、やばい。なんかやばいそ、これは……!

「由梨江さん……? ひ、ひとまずちょっと落ち着きましょうか……?」

「落ち着いていますわよ。

 落ち着いて、湖太郎さんをどう襲うか算段を立てていますの」



 ぼくは、にげだした!

 しかし、まわりこまれてしまった!



「逃げても無駄ですわよ、湖太郎さ~ん」

「ぎゃああああああああああ! 嫌だああああああああああああ‼」

 由梨江さんに腕を掴まれ、僕は涙声で悲鳴を上げる。

 必死に由梨江さんの腕を振り払おうとするも、さながら万力のようにがっちり掴まれて、一向に離れることができない。

 この人、本当に女の子か⁉ こんな細腕でどうやってこれだけの力が出せるんだよ⁉

「やめてええええええ! 離してえええええええええええ! なんで急にこんなひどいことをするんですかああああああ!」

「わたくしも明日になるまでは決して手を出すまいと考えておりましたが、湖太郎さんを間近で見ている内に、やはり据え膳食わぬは乙女の恥かと思い直すようになりまして」

「思い直さなくていいですよ! 恥でもなんでもありませんから!」

 もしかしてこの人、僕といる間ずっとそんなことを考えていたのか⁉

 もうこの人、檻の中にでも閉じ込めておいた方が世のためなんじゃなかろうか……。

「だいたい、どうして僕なんですか! 由梨江さんくらい綺麗な人なら、もっと年上か、もしくは同年代の素敵な人だって十分狙えるはずでしょう⁉」

「わたくし、同年代や年上の方には興味ありませんの。わたくしが好きなのは、そう……湖太郎さんのような可愛いらしいショタ少年だけですわ」

「えええええええ⁉ いやいやショタって、僕もう十四ですよ? もうショタなんて言える年齢じゃないですよ!」

「ええ。それは湖太郎さんと初めて会った時に調べましたので、十分存じておりますわ。他にも誕生日や血液型、お風呂に入った時にはまず右足から洗うことも、ここ数日の調査ですでに把握済みです」

「むしろ、どうやって調べたんですかそんなの⁉」

 家まで探し当てるくらいだから、他にも色々と調べてあるんだろうなとは覚悟していたけれど、まさかここまでだったとは。もはや正気の沙汰ではない。

「わたくしとしても、中学生男子なんてショタとして認めていないところではあるのですが、湖太郎さんの時は違ったんですの。一目見た瞬間からストライクガンダム、もといストライクでしたの」

「ス、ストライク……?」

「はい。身長こそわたくしが認める範囲より少し高めですが、まるでこの世の穢れなんて一切知らなそうなあどけない顔に、少女のような綺麗な瞳。そして、中学生男子とは思えないくらい澄んだ声色。身長だけ除けば、どれもわたくしの許容範囲内──むしろ、完璧と評していいショタっぷりなのですわ~!」

 と、心底うっとりした顔で宣う由梨江さん。

 あかん。この人はマジであかん。ちょっとシャレにならないタイプの性癖を持った変態さんだ!

 などと、怯えた目で見ていたせいなのだろうか。由梨江さんは僕の心情を察したようにふっと表情を曇らせて、

「……湖太郎さんの言いたいことはわかりますわ。わたくしだって変だという自覚はありますもの。それでも自分の気持ちには嘘をつけませんから……」

「由梨江さん……」

 そっか。由梨江さんもちゃんと自覚があった上で──世間的には風当たりが冷たい趣味だとわかっていて、それでもやめることはできなかったんだ。

 それくらい、好きなものだったから。

 なんだか、ちょっと悪いことをしてしまったな。一方的に危ない人だと決めつけて、少し辛く当たってしまったかもしれない。

 窓ガラスを割ったことや僕にした仕打ちは決して許せるようなものではないけれど、由梨江さんだってきっと僕の言動に内心傷付いていたはずだ。

 そうだよな。だれだって好きな人に遠ざけられるような真似をされたらショックを受けるよな。こればかりは僕の配慮が足りなかったと言わざるをえない。

 たとえ相手が、少し問題のある人だとしても。

「すみません。僕、由梨江さんの気持ちをろくに考えずに、さっきから嫌がるような言動ばかりしてしまって……」

「いいえ。湖太郎さんが謝るようなことではありませんわ。すべてはわたくしが招いた結果……湖太郎さんへの気持ちを抑えきれず、このような強引な行動を取ってしまう自分にこそ非がありますから。それに……」

「それに?」

「それに……嫌がる湖太郎さんを見るのも、これはこれで乙ですわ!」

「あんた、実は全然反省してないだろっ!」

 がっかりしたよ! 由梨江さんは由梨江さんで苦労しているんだなって、ちょっとだけ同情心も湧いてきていたのに!

「やだああああああ! やっぱりショタ好きの変態なんじゃないですかああああああ!」

「あら、心外ですわね。わたくしがショタ好きなのは認めますが、今まで小学生の男の子に手を出したことなんて一度もありませんわよ? 世の中には小学生男子とわかっていて交際する初恋モンスター、もとい女子校生もおられるようですが、わたくしはそこまで節操のない人間ではありません。イエスショタ、ノータッチを信条にしておりますの」

「でも現に、こうして僕に手を出しているじゃないですか!」

「湖太郎さんは例外ですもの。わたくしが認めるショタは十二歳以下と決めてありますけれど、湖太郎さんだけは許容できましたの。むしろ、今まで出会ってきた男の子の中でも最高クラスに入りますわ。ですから、たとえ年下であったとしても、女子高生と男子中学生なら世間的に全然セーフ! 合法で犯せますわ!」

「どこが合法だ! 犯すと言っている時点で完全にアウトじゃねえか!」

「湖太郎さんと、合体したい!」

「言い直してもダメですから!」

 なにこのインモラリスト! 親御さんは今までどんな教育をしてきたの⁉

 と、言い合っている内に、いきなり由梨江さんから足払いを受け、僕はそのまま床に背中を打ち付けた。

「あだっ!」

「うふふ。こ・た・ろ・う・さ・ん♪」

 馬乗りになった由梨江さんに両腕を押さえ付けられ、僕は抵抗もできないまま、バンザイの格好を取らされた。

 そうして、お互いの鼻が触れ合いそうなほど由梨江さんが顔を寄せる。

 総毛立つような、獰猛な笑みを覗かせて。

 シチュエーションだけ見たら、世の男どもが憧れそうなエロ同人(ネットのカット絵ぐらいしか見たことないけど)みたいな感じだけど、やられている側にしてみたらサイコホラーでしかない。気分は猟奇殺人鬼の餌食になる脇役Aだ。

「半永久的に愛してなんて、独りよがりなことを言うつもりはありませんわ。ただ湖太郎さんは、わたくしの愛を永遠に受けとめるだけで十分です」

「思いっきり独りよがりなんですけど⁉ だいいち、僕に選択の余地は⁉」

「はいかイエス。もしくはオーケーで大丈夫ですわ」

「拒否権がなに一つとして存在しないんですけど⁉」

 冗談じゃねえ! そりゃ僕にだって人並みに性欲くらいあるけれど、こんなムードもへったくれもないまま純潔を散らすなんて絶対にごめんだ! 強引にでも、この危機的状況から脱しないと!

 とは言え、情けなくも僕に由梨江さんを強引にどかすだけの力なんてない。だとしたらここは、どうにかして説得するしか他ないだろう。

「だいたい、姉ちゃんとの約束はどうしたんですか⁉ 了承した覚えはないですけれど、姉ちゃんとの勝負に勝ったら僕をもらうという約束のはずでしたよね⁉」

「約束はしましたけれど、その間に手を出してはいけないとまでは言及していませんわ」

「なにその詐欺師みたいな手口⁉」

 汚い! さすが由梨江さん汚い!

「それでは、わたくしたちの戦争セックスを始めましょう!」

「いやあああああああああああああああああああああっ!」

 宣言と共に、由梨江さんは静かに瞼を閉じて、その艶やかに潤った唇を僕の口へとゆっくり焦らすように近付けていく。

 ああ、僕の純潔もここまでか。どうせならもっとロマンチックなところで果てたかったな……。

 なんて、乙女チックなことを考えていた、その時だった。



「颯爽登場!」



 そんな勇ましい声が、僕と由梨江さんしかいないはずの家に響き渡った。

 突如として聞こえてきたその声に、僕も由梨江さんも弾かれるように真横──リビングの方を振り向いた

「あ、あなたは……っ」

 窓から差す陽光を背中に受けながら、悠然と腕を組んで佇むその人物に、由梨江さんは面喰らった様子で声を発する。

 果たして、その人物とは。



「ここからは、私のステージだ!」



 ──姉ちゃんの師匠、レジェンドさんその人だった。


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