第13話 由梨江さん、来襲


「ぎぃやあああああああああああああああああああ⁉」

 気配もなくいきなり背中から声をかけてきた何者かに、僕は喉も裂けそうなほどの絶叫を上げた。

 そして弾かれるように背後を振り返り、僕は思わず瞠目した。

 だって目の前にいるはずのない人間が──由梨江堀衣さんその人が、愉快げに口許を綻ばせて佇んでいたのだから。

「なんで⁉ いつからそこに⁉ ていうか、どうやって家に入ったんですかっ!」

「いやですわ、湖太郎さん。もちろん玄関からに決まっていますわ」

「んなアホな!」

 微笑を浮かべつつ飄々と答える由梨江さんに、僕は盛大にツッコミを入れる。

「そんなのありえませんよ! だってしっかりチェーンをかけてあったんですよ? ほんの数センチか空いていなかったのに、どうやって玄関から入ってきたんですか!」

「ありえないなんてことはありえませんわ。人間その気になれば、隙間なんて全身の関節を外しさえすればぬるっと入れますわ」

「なにその仰天人間⁉」

 特殊な訓練を受けた秘密工作員でも、そこまでの芸当は不可能だぞ!

「いや関節は外せても、顔までは普通無理でしょ! 赤ちゃんの顔ですら入りそうにないくらいの隙間ですよ⁉」

「顔の関節も、バキボキっと外せばいいだけのことですわ」

「顔の関節⁉ つーかそれ、完全に折れてますよね⁉」

 しかも、それだけやってなんで五体満足でいられるの⁉ もうやっていることが液体金属型ターミネーターと同レベルの侵入方法だよ!

「うふふ。本当に可愛いですわね、湖太郎さんは」

 と、僕が本気で戦慄しているのを見て、由梨江さんが可笑しそうに口許を緩ませて言う。

「あんなの、軽い冗談ですわ。本気にしないでくださいまし」

「え。じょ、冗談……?」

「ええ。インターホンを押したのは確かにわたくしですが、あれは湖太郎さんを玄関まで招く罠で、その間に裏手側の窓を割って入っただけですわ」

「あ、なんだ。びっくりし……えっ? 割って? 割って?」

 それ、普通に犯罪じゃないの?

 どうしよう。今すぐにでも通報すべきなんだろうけど、不法侵入した犯人が目の前にいる以上、下手な真似はできない。

 ここは一目散に逃げるのが最善手なんだろうけど、しかしそれも、こんな狭いところでうまくいくとは思えない。前は言わずもがな、後ろだって一旦ドアを開けるという手間だっているし、その隙を由梨江さんが見逃すはずがないからだ。

 だからと言って、僕みたいなへなちょこが由梨江さんに刃向かったところで到底敵うはずもない。返り討ちにされた上、野獣のように襲われるのが関の山だ。

 えー。なにこれー。僕、思いっきり詰んでるじゃないですかやだー。

「あら、どうしたんですの? 心なしか顔色が悪いですわよ?」

「いえ……。ていうか、よくここがわかりましたね。僕も姉ちゃんも住所なんて教えていないはずなのに」

「ええ。あの勝負のあと、密かに湖太郎さんを尾行していましたから」

 ストーカーじゃねぇか! と言いたくなったのを必死に呑み込んで、

「へ、へえ。そうだったんですかー」

 と、僕は引きつった笑みを取り繕った。

 なにしてんのこの人? あのあとカッコよく去ったかと思えば、こっそり僕を尾行していたなんて。どう考えても危険人物じゃん……。

「そ、それで今日は一体なんの用でここに? 姉ちゃんなら明日の再戦に備えて修行しているので、家にはいませんけれど……」

「野暮なことを訊かないでくださいまし。あんな釘宮病患者に用なんてありませんわ。あれだけアプローチしたのですもの、まさかわたくしの気持ちに気付いていないわけではありませんわよね?」

「ひ……っ」

 顔をほのかに紅潮させつつ、猛獣のような瞳で見つめてくる由梨江さんに、僕は小さく悲鳴を漏らした。

 確かに、つい悪あがきであんな質問をしてしまったけれど、由梨江さんがこの家に来た理由は大体見当が付いている。

 由梨江さんは、僕に会いに来たのだ。

 好きな相手と同じ時間を過ごすために。

 それだけなら可愛くも思えるのだけど、いかんせん、こんな常識というネジが一本どころか百本は飛んでいる人に慕われても、身の危険しか感じない。さっきから寒気が止まらないくらいだ。

 ていうか僕、なんでここまで由梨江さんに好かれているんだろう? 自分で言うのもなんだけど、僕なんて女顔で全然男らしくないし、異性にモテるタイプには思えないんだけど……。

「それはそうと、湖太郎さんはスイーツに興味がおありでしたわよね?」

「へ? ス、スイーツですか……?」

 突然話の方向性が変わって少し戸惑いつつも、

「まあ興味というか、普通に好きではありますけれど……」

 と、僕は返答した。なぜ僕の好みを把握しているのか、という疑問には対しては、あえて触れないでおく(なんとなく想像が付くので)。

「そうですか。それを聞けて安心しましたわ」

 そうはにかみながら言って、由梨江さんはそれまで後ろ手に隠していたバックを目の前に掲げて、こう続けた。


「それなら、今からたい焼きパーティーでもしませんこと?」



   2



 じゅ~。じゅ~。

 と、たい焼きの焼ける音が、僕のいるリビングまで響き渡る。

 台所から聞こえてくるその音は、芳醇な香りも一緒にリビングにまで流れ込み、昼食を取ってからそれほど時間が経っていないにも関わらず、たい焼きの甘い匂いに誘われるように腹の虫が鳴り出した。

 うん。そこまではいい。そこまではいいんだ。

甘い物は好きだし、チーズケーキを食べていた最中(捨てるには勿体ないので、余った分は冷蔵庫に戻しておいた)だったけれども、代わりにたい焼きが食べられるなら、特段問題視するほどのことでもない。

 だかしかし。しかし、だ。

「どうしてこうなった……」

 台所──そこで自前のエプロン(しかもフリフリなやつ)を着けてたい焼きを作る由梨江さんの背中を見やりながら、僕は今の心境を吐露した。

 なんだこれ? なんで由梨江さんが僕の家でたい焼きを作ってんの? なにがどうなったらこんな状況になるの? わけがわからないよ……。

「湖太郎さん。待っていてくださいませ。キュアップラパパっと作りますから」

「えっ。あ、はい」

 たい焼き器に集中したまま、こちらを振り向かずに声をかけてきた由梨江さんに、僕は困惑しつつも素直に返事をする。ていうか、キュアップラパパってなんだ? パパッと作るという解釈でいいのか?

 それにしても由梨江さん、超ノリノリだな。陽気に鼻歌なんて口ずさんでいるし、これもう絶対帰る気なんてないな……。

「本当に、どうしてこうなった……」

 思わず頭を抱えて、重い溜め息をつく僕。

 どうしてこうなってしまったのか。

 それは、数十分前まで遡る……。



「た、たい焼き……ですか?」

 由梨江さんの口から脈絡なく出た「たい焼き」という言葉に、僕は戸惑いを覚えつつ、単純にそう聞き返した。

「ええ、たい焼きですわ。もしかしてご存知ない?」

「いえ、さすがにそれは知ってますけど……」

 たい焼きとは、文字通りたいの形をした食べ物で、小麦粉を溶いた生地であんこを包んだ、古くから日本人に親しまれている和菓子である。

 なんて説明も不要なほど、日本人なら知らない人なんていないであろう日本の代表的なスイーツだ。

 でも、今はそんな常識的なことを論じたいわけではない。

 それより、僕が訊きたいのは──

「あの、なんでまた急にたい焼きパーティーをしようだなんて言い出したんですか?」

「ほら、わたくしと湖太郎さんって、まだ初めて会ってから日も浅いですから、これを機に親睦を深めようと思いまして」

「それで、たい焼きパーティーですか?」

 その通りですわ、と首肯する由梨江さん。

「でも僕の家、たい焼き器なんてありませんよ? 作り方も知りませんし……」

「安心してくださいまし。たい焼き器は持参してきましたし、作り方も熟知していますわ。わたくし、たい焼きが大好物で、よく自分で作るんですの」

「へえ。たい焼きが好物なんですか」

 今日も初対面の時と同じゴスロリ服だし、てっきり洋風の食べ物が好きなんだろうなと勝手に思い込んでいたけれど、日本人らしく和風のお菓子もちゃんと好きなようだ。

 あれかな。あくまでファッションと食の好みはまた別ってことなのかな?

 ていうか、自分で作るくらいたい焼きが好きとか、相当な通だな。僕もたい焼きは、出店なんかで売っていたらつい買ってしまうくらい好きではあるけれど、さすがにそこまでのこだわりはない。

「オーソドックスに餡子を持ってきましたけれど、今回はそれだけでなくカスタードやチョコ、少し変わっているものでクリームチーズやジャーマンポテトも持ってきましたわ」

「へえ~!」

 ジャーマンポテトなんて具もあるんだ! てっきり甘いのしかないとばかり思っていたよ。たい焼きって、思っていたより奥が深いんだなあ。

「──はっ!」

 って、いかんいかん! なにあっさりと由梨江さんのペースに乗せられてんだ僕!

 ちょっと気が引けるけど、ここはやっぱりちゃんと帰ってもらわないと。素直に応じるとは思えないけど、こんな危険な人をずっと家に入れておくわけにはいかないし、僕の身の安全のためにも、たい焼きパーティーは諦めてもらおう。

「あの、由梨江さん? 大変申しわけないんですけど、たい焼きパーティーはまた次の機会ということに……」

 なるべく相手を刺激しないよう、由梨江さんの顔色を窺いながら丁重にお断りすると、由梨江さんは残念そうに眉尻を下げて、

「あらー。ダメなんですの?」

 と、訊ねてきた。

「ええ。やはり、あまり面識のない人に台所を使わせるわけにもいかないので……。あとで両親になんて言われるかもわかりませんし」

「そうなんですの。そういう事情なら仕方がありませんわね……」

 ほっ。良かったー。どうやら諦めてくれるようだ。

 これなら、さして問題もなくスムーズに帰ってくれるかも──

「本当に残念ですわ。せっかく国産の高級苺をふんだんに使った苺クリームも持ってきていましたのに……」

「どうぞご自由に台所をお使いくださいませ」


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