第12話 姉ちゃんのいない一日


 姉ちゃんと由梨江さんの再戦が決まってから、六日が過ぎた。

 つまり、今日は再戦前日。明日はいよいよ姉ちゃんと由梨江さんが再びぶつかり合うというわけだ。

 その姉ちゃんはと言うと、現在家にはいない。

 最初の二日間だけ傷を癒すのに自宅で療養していたけれど、回復したらさっさとレジェンドさんのいる修行場へと行ってしまったのだ。それも今日の夜までみっちり修行するつもりでいるらしい。

 なんでも姉ちゃんいわく、

『今のままじゃダメだ。修行してもっと強くならないと。カエルを潰さずにその下にある岩を粉砕できるくらい、強くならないと!』

 などと意味不明な供述をしており、言っていることは理解できないまでも、由梨江さんとの再戦に燃えているのだけはよくわかった。

 実を言えば、由梨江さんがおとなしく立ち去ったあと、姉ちゃんは怪我をおしてすぐにでも修行をするつもりでいた。

 でもそれはしなかったのは、ひとえにレジェンドさんが、逸る姉ちゃんを止めてくれたおかげだ。

 もしものあの時、

『焦る気持ちはわかるが、まずは傷を癒してからだ。今無理に修行をしたところで逆効果にしかならないよ。大丈夫。時間ならまだある』

 と、レジェンドさんが冷静に諭してくれなかったら、今ごろ姉ちゃんは自分の体をいたわることなくいじめ抜いていたことだろう。

 色々あって、レジェンドさんに対する評価が内心ただ下がりな僕ではあったけれども、そこだけは素直に感心した。

 交渉材料にされてしまった僕を、止めるどころか賛同しやがった点だけは決して許すつもりはないけどな!

 そんなこんな、すったもんだの一日を終え、ここ数日はトラブルのない平穏な日常を過ごさせてもらっている。

 もっとも、そうなるまでにまたもや両親やらなんやらに口八丁手八丁で説明しなければならなかったので、相手を納得させるまでにかなり苦労を強いられたけれども。

 ようやく帰ってきたかと思えば、またすぐにどっか行ってしまうんだもんなあ。例によって、両親の説得を僕にだけ押し付けやがるし。

 まあ、ただでさえ最近無断外泊した上に、ようやく帰ってきたかと思えばひどい怪我をしていたわけなのだから、あのまま姉ちゃんの口から説明したところで、父さんたちと揉めていた可能性の方が高かったとは思うけれど(怪我をした経緯を訊かれた時も、ちょっとした口論になっていたぐらいだし。姉ちゃんらしく強引に誤魔化してはいたけども)。

 しかしながら、それで真実を隠して説き伏せなければならない側にしてみれば、迷惑この上ない限りである。

 本当はなにもかも正直にぶちまけてやりたいところだったんだけど、それをやったら最後、姉ちゃんにどんな恨み言を吐かれるかわかったものじゃないし、仕方なく協力するしかなかった。

 まったく、つくづく困った姉だ。なにか見返りでもなければやっていられない。

 だからこそ、こうしてコンビニで買ってきたチーズケーキを食べている僕を、だれも責めることはできないはずだ。

 本来ならこんな割高な物、普段は買ったりしないのだけど──両親から当面の生活費を預かっているので、できるだけ節約を心がけているのだ──一度こういうスイーツを買えば毎日おやつとして要求してくるであろう姉ちゃんもいないことだし、日頃家事と勉強の両方をこなしている自分へのご褒美だと思って買ってきたのだ。

 結局、姉ちゃんから奢ってもらう予定だったコンビニスイーツも、未だに買ってもらえていないことだしね。

 スイーツはいい。疲れた体を癒してくれる。超いい最高の食べ物だ。

 そうしてだれにも邪魔されず、リビングでチーズケーキを堪能していると、

 ピンポーン。

 と、不意に玄関からインターホンの鳴る音が響いてきた。

「……? だれだろう?」

 時刻は昼過ぎ。今日は土曜で学校も休みなので、友人が訪ねてきたとしても不思議ではないのだけど、僕の知り合いは事前に連絡を入れる常識人ばかりなので、遊びに来たとは考えにくい。

 ついでに言うと、両親の知り合いという線も薄い。お客さんが来るとわかれば、前もって両親が僕や姉ちゃんに伝えているはずだからだ。

 アポイント無しにきたお客さんという可能性もあるけれど、今までそんな人が訪れたことなんてないし、これも考慮する必要はないだろう。

 となると、残るは姉ちゃんの知り合いという線だけだが、これも考えにくい。

 姉ちゃんは友達が多い方ではあるけれど、あくまで広く浅くの関係を築いているので、休日までわざわざ家にまで遊びにくる友達なんていない。

 なんでも、他人に時間を割くよりもオタクな時間を優先したいとかで──ああ見えて、姉ちゃんは人間関係に対して結構ドライな方なのだ──それは昔から徹底しているのだけれど、だからこそ姉ちゃんの友人が訪ねてくる可能性なんてゼロに等しかった。

「そうなると、宅配か郵便かな……?」

 なにはともあれ、あまり長々と待たせては失礼だ。ぶっちゃけチーズケーキを食べている最中だったので、後ろ髪引かれる思いでいっぱいではあったのだけれど、来客を無視するわけにもいかない。

 しぶしぶ僕はフォークを皿の上に置き、やれやれと玄関へと向かう。

 ピンポーンピンポーンと急かすように鳴り続ける呼び出し音に、僕は「はいはい」と嘆息混じりに返事をしながら、インターホンの受話器を取った。

「はい。凪宮ですが」

 ………………………………。

 へんじがない。ただのしかばねのようだ。

 というのは冗談だけど、返事がなかったのは本当である。

 それ以前に、備え付けのカメラ映像を確認してみても、玄関前の代わり映えしない景色が映し出されるだけで、そこにだれ一人としていなかった。

 なんだろう? ひょっとしてピンポンダッシュ? 今どき、そんな古臭いイタズラをする奴なんて未だにいるの?

 だがまあ、イタズラなら構う理由はない。

 若干イラッとは来たけど、無視してさっさと至福の時間に戻るだけだ。

 そう考え、受話器を元に戻そうとして──



 ピンポーン。



 と、またしてもインターホンが鳴った。

 それも、そのインターホンのカメラ画面には、相変わらずだれも映っていない状態で。

「………………、なにそれこわい」

 たまらず、そんな独り言が僕の口から漏れる。

 えっ? なんなのこれ? なんで急にホラー展開? オカルト系とか大の苦手なのに、僕一人で対処しろとでも?

 ふざけんのも大概にしろよ超怖いだれかいますぐ来て!

 いやいや、ひとまず落ち着け僕。冷静に状況を分析するんだ。

 確かに画面にはなにも映っていないし、それなのにインターホンは鳴っているけれど、カメラにだって死角はある。

 どうしてこんなことをするのかは判然としないが、カメラに映らないようにインターホンを鳴らしているとすれば、別段不思議なことではない。

 だから、これは怪奇現象でもなんでもない、単なる性質の悪いイタズラでしか過ぎないのだ。

 謎はすべて解けた。真実はいつも一つ。そんなオカルトありえません!

 しかしながら、人なら人で恐ろしいものがある。目的がはっきりとしないだけに、このまま無視するのもかなり勇気がいる。

 なにより、危険人物が家の周りに張り付いている可能性だってあるし、何事もなかったかのように放っておくわけにもいかなかった。

「はあ……。怖いけど、確認しないわけにもいかないかあ……。なにかあってからだと遅いし……」

 なにかというのは、むろん帰宅した両親や姉ちゃんが事件に巻き込まれることだ。

 僕の思い過ごしという線が一番いいけれど、もしも害意を持った者なら、警察に通報しなければならない。そしてそれには、まず玄関を確認する必要がある。

 今この家を守れるのは、僕しかいないのだから。

 そう自分に言い聞かせ、僕は不審者を確認するために、そっとドアノブを握る。

 もちろん、チェーンをかけるのを忘れずに。

 ここで一旦深呼吸。気持ちを落ち着かせたあとで、内鍵のつまみを回してロックを外す。

 そして、緊張で心臓をばくばくさせながらも、意を決してドアを開けた。

 すると、そこには──



 だれもなにも、いなかった。



「へ…………?」

 その拍子抜けな展開に、僕はそんな気の抜けた声を漏らす。

 チェーンがかけてあるので少ししか隙間がないけれど、それでもドアの向こうに、人影らしきものは見当たらない。

 ひょっとしてどこかの陰に隠れているかもと思って、しばらく息をひそめて様子を窺ってみたものの、野良猫一匹姿を現すことはなかった。

 やっぱり、ただのピンポンダッシュだったのだろうか。その割にはしつこくインターホンを鳴らしていたように思えたけれど……。

 まあ、いいや。いないならいないで。変質者だったりしたら僕一人で対処しなくちゃいけないところだったし、ぶっちゃけかなりほっとした。

 そうして、安堵で胸を撫で下ろしたあと、ドアと鍵を閉めてリビングに戻ろうとしたところで──

 突然、ぽんぽんとだれかに肩を叩かれた。


「ごぎげんよう、湖太郎さん♪」


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