第11話 姉ちゃんもレジェンドさんも由梨江さんも、一体僕をなんだと思っているのか


「その勝負、少し待った」

 突然頭上から現れた謎の人物。

 だれあろう、その謎の人物とは。

「これ以上、無益な争いはやめるんだ」

「レジェンドさん!」

「師匠!」

 僕たちの前に凛然と立つ女性──レジェンドさんに、僕と姉ちゃんは声を揃えてその名を呼んだ。

「し、師匠、なんでここに? 山に残って修行していたはずじゃあ……」

「そのつもりだったのだが、なんだか嫌な予感がしてきてね。それで急いで早絵を探していたら──」

 ご覧の通りだったというわけだ、と姉ちゃんの方を振り返って返答するレジェンドさん。

「早絵、私は君にさんざん伝えたつもりだぞ。いくら修行で強くなったとは言え、己の力を過信してはいけない、とね。血の気の早い君のことだ、大方些細な口論でケンカへと発展してしまったのだろう?」

「うっ。鋭い……」

 図星を突かれて、姉ちゃんは気まずげに目線を逸らす。

「いやでも、元はと言えばあのゴスロリが……」

「言い訳無用。感情に流されるようではまだまだ未熟としか言い様がないね」

 そう語勢を強めて、レジェンドさんはさらに続ける。

「武道は肉体のみを鍛えるものではない。精神も合わせて鍛えるものだよ。無意味な争いを避けて、平和的に解決しようとするのもまた一つの強さであると、肝に命じておきなさい。殴っていいのは、殴られる覚悟のあるものだけだ」

「はい……」

 おお、あの姉ちゃんが素直に反省しているぞ。僕はおろか、両親の説教ですら馬耳東風と聞き流すことが多いのに、レジェンドさんマジですげえ!

 って、関心している場合じゃなかった。

 いきなり弟子入りした上に姉ちゃんがこんな迷惑をかけてしまったのだ。直接は関係ないけれど、やはり身内としてちゃんと謝罪しておくべきだろう。

「……すみませんレジェンドさん。うちの愚姉が余計な心配をかけたみたいで。しかも結果的にレジェンドさんの手を煩わせる形になってしまって……」

「いやなに、少年が謝るようなことでもないさ。それにこれも師匠の務め……私自身、弟子を取るのは初めてだったからね。私の教え方も悪かったのだろう」

 かっけー!

 相変わらず変なお面を着けたままだけど、レジェンドさん、マジで超かっけー!

 ただ相手を責めるだけでなく、ちゃんと自分の不手際も認めるとか、目下の相手になかなかできるものじゃないぞ。素直に尊敬してしまう。

 社会人になったら、こんな素晴らしい上司の元で働きたいものだ。

「なにやらわたくしを置いて勝手に話し込んでいるようですけれど、結局あなたは何者なんですの?」

 と、それまで黙したまま僕たちの様子を窺っていた由梨江さんが、訝しげに眉をひそめてレジェンドさんに問うてきた。

「ああ、すまない。つい名乗り忘れたままになっていたね」

 言って、レジェンドさんは改めて由梨江さんと向かい合った。

「私はレジェンド。釘宮流師範、レジェンド・オブ・レジェンドだ。そこにいる不出来な弟子の師匠さ」

「釘宮流師範……」

 レジェンドさんの紹介に、由梨江さんは険のある表情を浮かべる。

 姉ちゃんと同じ釘宮病と知って、不快感を露わにしているのだろう。

「それで、その道端に転がるゴミにも等しい釘宮病患者さんが、一体なんのつもりでここにいるんですの? いくらそこにいる負け犬の師匠だからと言って、戦いの最中に割って入るとか、無粋もいいところですわよ?」

「確かに、突然乱入した件については詫びよう。しかしながら、すでに勝敗は決したはずだ。これ以上の戦闘はさすがに見過ごすわけにもいかない」

「わたくしもこれ以上続ける気なんてなかったのでしたけれど、そこのお弟子さんがまだ刃向かうつもりでいたものですから、わたくしはそれに応えようとしただけですわ」

「こんな立ち上がれもしない相手を前にしてかい?」

「ええ。あなたもわたくしと同じ武道を嗜む方ならわかるでしょう? いくら弱っているとは言え、負けを認めない以上、はっきりと敗北を知らせてあげないと相手のためになりませんわ。だからわたくしは全力でもって相手に応えてあげますの。たとえ、それが一方的に痛めつけることになったとしても」

 にやり、嗜虐的な笑みを浮かべて、由梨江さんは言う。

 あの様子から察するに、本当に手心を加えるつもりはないようだ。非情だが、言っていることはそれほど間違っていないのだから余計対応に困る。

「それで、あなたはどうされるんですの? もしもまだわたくしの邪魔をすると仰るのなら、今すぐにでもお相手になって差し上げてもよろしいんですのよ?」

「いや、やめておこう。騒ぎを聞きつけてか、だんだんとギャラリーが集まってきているからね」

 言われて周囲を見渡してみると、確かについさっきまで僕ら以外無人だったのが、どこからか湧いて出てきたように人がぽつぽつと増え始めていた。

 今のところ、遠くからこちらの様子を窺うように怪訝な視線を向けているだけで、目立った動きはないけれど、このままだと通報される可能性が出てきた。

 いかにもさっきまでケンカをしていたと言った態だし、さすがに警察が来るのはまずい。

 むろん、それは由梨江さんとて例外ではなく、

「……なるほど。どうやら、ここは素直に引いた方がよさそうですわね」

 と、眉根を寄せて言った。

「そうだね。しかし、どうだろう? また日を改めて再戦するというのは?」

「再戦……?」

 レジェンドさんの唐突な提案に、片眉を吊り上げて反復する由梨江さん。

 疑問を抱いたのは姉ちゃんも同じだったようで、

「師匠、それってどういう意味ですか?」

「言葉通りの意味さ。二人共、フラストレーションが溜まったままで終わりにはしたくないだろう? 私としても、一度君たちの勝負を見てみたい。だからこその再戦さ」

「おお! わたしは大賛成だ! やられっぱなしなんて、納得いかねえしな!」

 レジェンドさんに叱られて、さっきまでしおらしくしていたのが嘘のように、姉ちゃんが声を張り上げて挙手する。相変わらず、メンタルだけは鋼並みだ。

「……わたくしにはなんのメリットもない話ですわね。確かにそこのアフロには色々と教育の必要がありますけれど、とは言え、わざわざ別の日にまた戦うなんて、そんな面倒なことはしたくありませんわ」

 嘆息混じりに、由梨江さんは言う。

 姉ちゃんとは対照的に、ずいぶんと冷めた反応だ。あれだけ姉ちゃんをいじめる気満々だったのに、ここにきて怒りが収まってきたのだろうか。

「なんだよ、ノリの悪い奴だなー。だったらなにがあったら戦う気になるんだよ?」

「そうですわね……。たとえば、そこにいる湖太郎さんを賭けて勝負をするというのなら、再戦してあげてもよろしくてよ?」

「よっしゃ! 望むところだっ!」

「いや望むなよ⁉ 僕の意思を無視して勝手に即決するなよ⁉」

 なにしてくれとるんじゃ、こいつは! そんなもん了承できるか!

「ふむ。どうやら無事再戦が決まったようだね」

「レジェンドさん⁉ あなたもあなたで、なに普通に受け入れているんですか!」

「わかっておくれ、少年……」

 そう申しわけなさそうに言って、レジェンドさんは僕の肩に軽く手を置いた。

「私も心苦しく思ってはいるのだよ。君の意思を無視して、このような賭け試合を勝手に決めてしまって……」

 でもね、とそこで言葉を切ったあと、レジェンドさんは慚愧の念に駆られたような声音でこう告げた。

「それでも私は、この勝負を不完全燃焼のままで終わらせるわけにはいかないのだよ。絶対に最後まで見届けなければならない理由があるんだよ。

 あの娘の──釘宮病をバカにしやがったあの生意気な小娘の、屈辱に歪んだ顔を見るまではっ!」

「おもっくそ私怨じゃねえか!」

 確かに侮辱されてはいたけれど、なにげにずっと根に持っていたのかよ!

 割とあっさりと受け流していたように見えたから、全然気にしていないとばかり思い込んでたわ!

「個人的な理由で僕を巻き込まないでくださいよ! なんで僕が交渉材料にされなきゃいけないんですかっ!」

「人はなにかを得るのに、別のなにかを失わずにはいられない生き物だから……」

「いや、そういう高尚な話はしていませんから! 関係ない人間を余計なトラブルに巻き込むなってだけの話ですから!

 だいたい、平和的に解決云々って話はどうなったんですか! 姉ちゃんにあれだけ偉そうに説教垂れていたくせに!」

「これはこれ! それはそれ!」

「子供かあんたは!」

 さっきまで、器の大きい人だと尊敬していたのに!

 結局、あんたも姉ちゃんと同レベルなんじゃねえか!

「ふふ。どうやら交渉成立のようですわね」

 レジェンドさんと言い争っている間に、ひっそりと僕のそばへと来ていた由梨江さんが、そのまま耳元でこう囁いてきた。

「楽しみにしておりますわよ、湖太郎さん。あなたがわたくしの元に来てくれるのを、心の底から、ね……」



 ぺろり。

 と、由梨江さんは言い終わると同時に、僕の耳をいきなり舌で舐めてきた。



「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ⁉」

「あら~。なんて可愛らしい悲鳴なんでしょう。ますます欲しくなりましたわ」

 思わず姉ちゃんを置いてきぼりにしてすぐさま飛び退いた僕に、由梨江さんは愉悦に浸った表情で言う。コワイ!

「おいこら。まだ再戦してもいない内に勝った気分になってんじゃねえぞ」

 と、怯える僕を庇うように、姉ちゃんが由梨江さんの袖を不意に掴んだ。

「しかも、わたしの弟にまでちょっかいかけやがって。そんなに悲しみに向こうに逝きたいのかコノヤロー」

「ね、姉ちゃん……」

 まさか、僕の身を案じて由梨江さんを止めてくれているのか?

 上半身を起こすだけでも辛いはずだろうに、そこまで僕のこと想って──?

「いいか? あれはわたしのだ。いじめるのもこき使うのも貢がせるのも五臓六腑をブチ撒けるのもすべてわたしだけの特権だ! これ以上の好き勝手はわたしが許さん!」

「いや最後ぉぉぉ! 最後だけシャレにならないことになってるぅぅぅ!」

 わかってはいたけどねー!

 姉ちゃんが僕のことを心配するはずないって、わかってはいたけどねー!

 でも、もう少しだけ僕を大事に扱ってくれても、罰は当たらないんじゃないかなー⁉

「日取りは一週間後。場所はこの近くにある自然公園でだ。文句はねぇな?」

 その言葉に、由梨江さんは煩わしそうに姉ちゃんの手を振り払って、

「ふん。わかりましたわ」

 と返答した。

「どうせ無駄な足掻きとなるだけでしょうけど、約束通り来て差し上げますわ」

 言って、由梨江さんは興を削がれたように踵を返す。

「それでは皆さん、ごきげんよう」

 ──湖太郎さん、わたくしのものになる日を心からお待ちしておりますわよ?

 由梨江さんは最後にそう言い残して、静かにその場から去っていった。



 こうして姉ちゃんと由梨江さんは、勝手に僕を賭けの対象にして、一週間後に再び相まみえることになったのだった。

 って、ふざけんなあああああああああああああっ!


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