第7話 由梨江さんは堀江病
今さらこんなことを言うのもどうかという気もするけど、正直なところ、姉ちゃんが修行をして強くなったという話を聞いて、僕はそれほど真剣に受け止めてはいなかった。
いくらあのレジェンドさん直々に稽古を付けてもらったと言っても、そんな簡単に強くなれるものなのだろうかと、疑問を抱いていたのだ。
昔から姉ちゃんは運動神経だけは良い方だったけれど、別段レジェンドさんみたく超人というわけでもない、ごくごく普通の人間だ。
そんな普通の人間が釘宮流を──レジェンドさんみたいな人間離れした技を扱えるだなんて、にわかに信じがたかったのだ(表立って姉ちゃんの言葉を疑うような態度は取らなかったけれど。余計な口論になるだけだろうし)。
だから、姉ちゃん一人で不良たちのところへ向かった際、僕はいつでも助けに行けるように心の準備すらしていた。
地面に向けて放った姉ちゃんの拳から、凄まじい爆発が起きるまでは。
「「「「ぎゃああああああああああああああああああ⁉」」」」
爆風に巻き込まれ、絶叫を上げながら紙切れのように吹っ飛ばされるオールバックたち。
ある者は塀に激突し、またある者は街路樹に引っかかったりして、四人共ギャグマンガみたいなポーズで気を失っていた。むしろあれだけの目に遭っておいて、ほとんど目立った外傷もないのが不思議なくらいである(いや、死なれでもしたら逆に困るけども)。
「………………………はっ! えっ、なに⁉ 今の爆発は一体なに⁉」
ややって、現実離れした光景にただ放心するばかりだった僕は、今さらのように驚愕を露わにした。
本当になんだったんだ、今のは。
幸いこっちに被害はなにもなかったけれど、まるで地雷でも起爆したかのような光景に、僕は終始唖然とするしかなかった。正直理解の範疇を超えている。
というより、非現実的すぎて夢でも見ているのかと自分の頭を疑いたいところではあるけれど、とにもかくにも、常識で当てはめようと思うだけ無意味な行為には違いなかった。
きっと僕は、いつの間にかアニメかマンガの世界に迷い込んでしまったのだ。そう思っておくことにしようそうしよう。その方が精神衛生上にもいい。
「あれ、そういえば姉ちゃんは……?」
完全に理解を放棄したあと、今になって姉ちゃんの姿が見えないのに気が付いて、僕は慌てて周囲に目を凝らした。
辺りはまだ、さっきの爆発で煙が立ち込めたままの状態になっていた。視界が悪い中、どうにかリーゼントとゴスロリの人だけは無事を確認できたけれど──僕と同じで、爆発から離れた位置にいたおかげだろう──姉ちゃんだけはどこにも見当たらなかった。
くそ。爆発が起きたところだけ煙が濃すぎて見えづらい。なんの躊躇もなく放った技なんだからきっと無事だとは思いたいところだけど、しかし楽観はできない。
まさか、実は自爆技だったなんてことはないよな……なんて嫌な考えが過ったその時、
「あっ! 姉ちゃんだ!」
少しして煙が晴れてきたところで、やがて姉ちゃんと思わしきシルエットが見えてきた。
どうやら爆発が起きたあとも、ずっとその場に留まっていたようだ。
「おーい、姉ちゃーんっ。無事~?」
「おー。湖太郎かー。全然平気だぞ~」
僕に向かって大きく手を振る姉ちゃん。普通に返事もできているし、特に問題はないみたいだ。
ほっと胸を撫で下ろし、煙の向こうから歩いてやって来る姉ちゃんを待っていると──
なぜだか、アフロヘアーの姉ちゃんが姿を現した。
「アイエエエエ⁉ ナンデ⁉ 姉ちゃんナンデ⁉」
「ああ、これか? わたしもなんでかは知らんけど、この技を使うと、どうしてもアフロになっちまうんだよ。やっぱ爆発のせいなのかな?」
「服や体は傷一つないのに⁉」
なにその魔訶不思議現象⁉
「……それ、本当に大丈夫なんだよね? 実はすごいダメージを負っていたりとか、そんなことはないよね?」
「安心しろ! へいき、へっちゃらだ! ついでに言っておくと、アフロヘアーだからって鼻毛で戦ったりはしないから安心しとけ!」
よかった。ちょっとなにを言っているかはわからないけども、いつも通りの頭のおかしい姉ちゃんだ!
「な、なんだ今のはゴルァ! この間のカエルの奴といい、お前ら一体どうなってんだゴルァ!」
平然とした顔で僕のところへと戻る姉ちゃんを見て、リーゼントが瞠若したように怒号を発する。
まあ二度もあんな非常識なもん見せられたら、無理もないよね。僕なんてもうなにも考えないようにしているし。
「で、どーすんだうんこリーゼント。あとはお前だけになってしまったぞ?」
「くっ……!」
姉ちゃんの言葉に、リーゼントは気圧されたように一歩後ずさった。
たぶん、今の爆発を見て姉ちゃんに恐れを抱いてしまったのだろう。まともな人間なら、戦意すら失っているところである。
さて、そんな追い込まれた悪役が最後に取る行動と言えば──
「そこから動くんじゃねえぞゴルァ! この女がどうなってもいいのかゴルァ!」
突然リーゼントがそう声を荒げたあと、そばにいたゴスロリの人の首に後ろから腕を回し、片方の手で懐からナイフを取り出した。
当然、刃先は女ゴスロリの人の顔に向けられていて、リーゼントは僕たちから離れるように後退していく。きっとこのままゴスロリの人を人質にして逃げるつもりなのだろう。
「なんか、予想通りの展開になってきたね……」
「つくづくテンプレートな真似をする奴だなー」
刑事ドラマの犯人みたいな行動を取るリーゼントに、呆れた顔で話す僕と姉ちゃん。
それにしても、一体どうしたものか。下手に刺激すると本当に刺しかねないし、あまり大胆な真似はできない。
ここは今度こそ警察に通報すべきだと思い、リーゼントから見えない位置でひっそりポケットに入れてあるスマホを取り出そうとして──
「あらあら。ずいぶんと野蛮な方ですこと」
それまでずっと閉口していたゴスロリの人が、人質にされているにも関わらず、はっきりと……ともすれば余裕すら感じさせる口調でそう言った。
「武器も持たない女性相手にナイフを向けるなんて、ことごとく見下げた男ですわ」
リーゼントに拘束されながら、艶然と微笑むゴスロリの人。不良たちばかりに気を取られていてあまり意識していなかったけども、こうしてちゃんと見たらとても綺麗な容姿をした女性だった。
腰まで伸びる美しい銀髪。カラーコンタクトかどうかはわからないけど、澄んだ海のような碧眼。どちらかと言うと日本人寄りの顔だけど、どのパーツも非常に整っているので、銀髪碧眼でもなんら違和感がない。
年齢は姉ちゃんと変わらない十六歳くらいに見えるけれど、そこはかとなく漂う妖艶な雰囲気が大人の女性のようにも見える。
そして一番目立つあの服だけど、黒を基調した華美なドレスにところどころ白のレースがあしらっていて、まるで貴族のお嬢さまみたいな風貌だった。これでロングハットを被せて豪奢な傘でも持たせていたら、さぞや見栄えしたことだろう。
それくらい完成度の高い──奇抜なファッションも含めて──だれもが思わず見惚れてしまいそうなくらいの美麗な女性だった。これだけ綺麗な人なのに、今まで全然意識していなかったのが不思議なくらいだ。
「あまり見慣れない格好をしていたものですから、わたくしと同じくファッションにこだわりのある方だと思って少しばかり付き合って差し上げましたのに、とんだ時間の無駄でしたわ。これならその辺の雑草でも眺めていた方が幾分有意義でしたわね」
やれやれ、とこれ見よがしに溜め息を吐いてみせるゴスロリの人。
「おい見ろよ湖太郎。あのゴスロリ、さっきからずっとナイフを向けられているのに、平気な面してリーゼントをディスってんぞ。あいつ、状況わかってんのか?」
「めちゃくちゃ度胸があるよね……」
つーか、あんなことを言って本当に大丈夫なんだろうか? あれではリーゼントに逆上しろって言っているようなものだぞ。どう考えても自殺行為だ。
「……て、てめぇ! 言わせておけばゴルァァァァァァァァァァァァ‼」
まずい! 懸念していた通りの事態が起きてしまった!
今まさに激昂したリーゼントが、逆手に持ち直したナイフをゴスロリの人に振り下ろそうとしている!
「姉ちゃんっ!」
「わかってら! まったく、言わんこっちゃないっ!」
そう悪態をついて、リーゼントの元へと全力で駆け出す姉ちゃん。
これも修行したおかげなのか、アスリートばりの速さで疾走する姉ちゃんではあったけれど、それでもリーゼントがナイフを振り下ろす方が断然早い。
くそっ。こんなことなら、さっさと警察に通報すべきだった……っ!
そんな先に立たない後悔をしている間にも、ナイフがまっすぐゴスロリの人の首元へと向かい──
「堀江【ほりえ】流……【盛るぜ~超盛るぜ~】!」
と。
ナイフが突き刺さる前に、リーゼントの体が宙高く浮いた。
「…………………………、は?」
二度目の現実離れした光景に、再び唖然としてしまう僕。
だって、そりゃそうだろう。
突然ゴスロリの人の周りから噴出した、大量のフライドポテトなんて目の当たりにしてしまったら。
……うん。なにを言っているかわからないと思うけど、自分でもなにが起きたのか、よくわからなかった。
ただわかったのは、噴水のごとく地面から出現した大量のフライドポテトが、リーゼントの体を軽々と吹っ飛ばしたということぐらいだ。
その後、リーゼントは落下した先にあったゴミ入れ用のポリバケツに頭から突っ込み、そのままピクリとも動かなくなった。よくよくゴミに縁のある人である。
飛ばされた先が僕のいるところから程近い場所だったので、一応息をしているかどうか確認しに行ってみると、他のオールバックたち同様、これといった外傷もなく気絶しているだけだった。
ただ、なにやらうわ言で「みのりんみのりんみのりん……」と意味不明なことを呟いていたので、別の意味でダメかもしれなかった(頭の方が)。
「なんかもう、悲哀すら感じさせる負け方だね……」
「もしゅもしゅ。いかにも雑魚キャラみたいな負け方だなもしゅ」
「うん。つうか、姉ちゃんは姉ちゃんでフライドポテト食いながらこっちに来てんじゃねぇよ」
ちょっとは躊躇えよ。なにでできているのかもわからない物なのに。
「まったく、くだらないことで体を動かしてしまいましたわ」
そう嘆息混じりに呟いて、先ほどまでリーゼントに掴まれていた部分を汚れでも取るかのように手で払うゴスロリの人。
一時は命の危険すらあったのに、あんなにも悠々としていられるなんて、どれだけ肝っ玉の据わった人なのだろう。すごいというかなんというか、もはや言葉が見つからない。
「ああ、そうそう。忘れるところでしたわ」
と、ふとなにかを思い出したように言って、ゴスロリの人が不意に僕らの方へと楚々とした歩調で近寄ってきた。
正確には、少し僕寄りの距離で。
「先ほどは助けていただいてありがとうございました。とても嬉しかったですわ」
「ああいえ、僕はなにも……。ていうか、助けたのは姉ちゃんの方ですし」
にこりと相好を崩してお礼を述べてきたゴスロリの人に、僕は少し困惑気味に応える。
なんか僕までお礼を言われてしまったけれど、本当になにもしていないんだよなあ。ずっと近くでオロオロとしていただけだったし。
「いえいえ。心配そうにずっとわたくしの方を見ていてくれたではありませんの。それだけでも嬉しいものですわ」
「はあ……」
そういうものなのだろうか。結果的には姉ちゃん一人に任せる形になってしまったし、男としてこんなに情けない奴もいないと思うんだけどなあ。
まあそれはともかく、どうしてこの人、さっきからずっと僕の方ばかり熱っぽい視線を向けてくるんだろ? 助けたのは姉ちゃんの方なのに。
「あの、ところであなたは一体……? それにあの技は……?」
「ああ、そういえば、まだ名乗っておりませんでしたわね」
妙な雰囲気に耐えきれなくなって、話の流れを変えるためにそう問うてみると、ゴスロリの人はたおやかに微笑んで、
「わたくしは
と、流麗にドレスの裾をつまんで、恭しく会釈をした。
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