第5話 姉ちゃんは修行から帰ってきても何も変わっていない(要するにバカヤロウ)
姉ちゃんがいきなりレジェンドさんに弟子入りして、六日が過ぎた。
その間、姉ちゃんが家に帰ってくることは一度もなかった。一応スマホにちょくちょく連絡は来るので、元気にやっているのだけは知っているけれど、その代わりどう両親に説明したものか、かなり苦心した。
もう高校生とは言え、未成年が素性もよく知らない大人と一緒に泊りがけでどこかに行ってしまったのだ。修行という大義名分(?)があるにせよ、そんなものが世間一般に通じるはずもない。
なので、姉ちゃんから頼まれたのもあるけれど、ただでさえ仕事で忙しい両親をくだらないことで心配させるわけにはいかないと思い、
『しばらく友達の家に泊めてもらうらしいよ。なんでも、その友達と連日かけてアニメのDVDを観るんだってさ』
などと、僕の方で誤魔化しておいた。
最初は訝しんでいた父さんと母さんではあったけれど、姉ちゃんのアニオタっぷりは嫌というほど知っているので、どうにか納得してもらえることに成功した。
まったく、本当に手のかかる愚姉だ。結局あのあとも──姉ちゃんがレジェンドさんに付いて行ったあとも、一人だけでプリティエースのパネルを運ぶ羽目になるし。
今度会ったら、絶対ただじゃおかない。交換条件だったコンビニスイーツだってまだ奢ってもらってないし、なにかしら埋め合わせをしてもらわないと割に合わなさ過ぎる。
それはそれとして、一体姉ちゃんはいつまで修行をするつもりなのだろう。学校には性質の悪い風邪を引いたということにしてあるけど、それでも、これ以上はさすがに怪しまれかねない。
いい加減そろそろ帰ってきてくれないと、もしもこの嘘がバレた時、共犯である僕だってきっとただじゃ済まなくなる。こっちにしてみれば、とんだ迷惑だ。
「まったく、あのバカ姉は……」
なんて愚痴をこぼしながら、日曜日の午後を掃除や洗濯などの家事(姉ちゃんがいないので、全部僕一人の負担だ。ちきしょうめ)をこなしていた最中、それは唐突にやって来た。
「凪宮家よ! わたしは帰ってきた!」
バターンっ! とけたたましく玄関のドアが開いたと思えば、そこから背に眩しい光を受けた姉ちゃんが、両腕両足を大きく開げて立ちつくしていた。
「ね、姉ちゃん⁉」
玄関近くで掃除機をかけていた僕は、思わず取っ手を床に落として驚愕の声を上げた。
「今までなにしてんだよ姉ちゃん! こっちは色々と大変だったんだぞっ!」
「ルイズルイズ」
なにかわけのわからないこと(おそらく、馬を落ち着かせるのに使う『どうどう』的な意味合いだと思われる)を口走ったあと、姉ちゃんはそのまま薄く笑みを浮かべて、
「ひとまず、私の話を聞け湖太郎よ」
「……わかったよ。で、今までなにしてたのさ?」
「わたしも色々と大変だったんだよ。師匠と一緒に山奥まで行ったあと、みっちりマンツーマンでしごかれていたからな」
「ずっと修行してたってこと? この五日間ずっと?」
「ああ。辛く、苦しい修行だったよ。くそ重たい亀の甲羅を背負わされたままランニングさせられたり、釘宮さんが出演しているアニメを観たり、音も光も届かない洞窟の中を歩かされたり、釘宮さんが出演しているネットラジオを聴いたり、呼吸しにくいマスクを着けられたままで普段通りの生活をするよう言われたり、釘宮さんのミュージック映像をガン見したり、本当に大変だった……」
途中、何度か遊んでいる描写があったような感じがするのは気のせいか?
「しかし、そんな過酷な修行を乗り越え、わたしはようやく釘宮流の技をいくらか習得することができた。まだまだ師匠には遠く及ばないが、他の人にはない特殊な力を身に付けることができたのだ!」
そう言って、万感の思いを込めるように頭上高く拳を上げる姉ちゃん。
見た目にはどう変わったのかわからないけど──せいぜい生傷があちらこちらにあるくらいだ──姉ちゃんがこれだけ自信満々に言っているんだから、それなりに得るものはあったのだろう。姉ちゃんにとっては。
「特殊な力って、たとえばどんなことができるようになったの?」
「ふふふ、心して聞くがいい」
焦らすようにそうワンクッション置いたあと、姉ちゃんはキリッと眉を立てて僕にこう告げた。
「私が修行して得た力……それは、どんなキャラクターでも釘宮さんの演じた声ならすべて聴き分けられるという素晴らしい能力だ!」
ほぼ衝動的に、足元の掃除機を持ち上げて姉ちゃんに詰め寄る僕がいた。
「タ、タンマタンマタンマ! 怖いから! その無表情かつ無言の圧力がめちゃくちゃ怖いから! 殺意の波動が半端ないことになってるからっ!」
「だったら真面目に答えろよ。拳法を習いに行ってたんだろ。そうでなかったら海より広い僕の心も、ここらが我慢の限界だぞ」
「わかったわかった! だから少し落ち着けって! そうだ! とりあえず続きはご飯でも食べながらにしようぜ! もうすぐお昼だろ?」
色々と問い質したいことや姉ちゃんがいない間に僕がどれだけ苦労したかを言って聞かせてやりたいところだったけれど、確かにもうすぐお昼の時間だ。そろそろ準備しておかないと。
どうせ姉ちゃんのことだから、すべて僕に丸投げだろうし。
「……はあ。わかった。続きはご飯の時にまた聞くよ」
「よっしゃ! じゃあ無事に修行が終わった祝いに、特上寿司でも頼もうぜ!」
「調子にのんな」
そんな贅沢品を頼めるだけの財力なんて、我が家にはない。
「ちぇー。焼きそばかー。寿司とまで言わなくても、せめて国産の松茸とか腹いっぱい食いたかったなー」
「値段跳ね上がってんじゃねぇか」
不満そうにしながら焼きそばを啜る姉ちゃんに、僕はジト目になって突っ込む。
確かに在り合わせの物で作ったものだから、それほど凝った物でもないけれど、なんだかんだ美味しそうに食ってんだし、文句を言われる筋合いはどこにもない。
むしろ文句があるくらいなら、自分で作りやがれって話だ。
「で? 結局レジェンドさんとなにをしてたの?」
僕も自分で作った焼きそばを食しながら、姉ちゃんに訊ねる。
うん。自画自賛ではあるけれど、なかなかの出来栄えだ。
キャベツも人参も程よくシャキシャキしているし、肉や麺もソースによく馴染んでいて美味しい。
「んあ? なにって、さっき言った通りだよ。師匠と一緒に山奥の武道場でずっと釘宮流の修行してた」
「……前から気になっていたけど、そもそも釘宮流ってなんなの? 釘宮病となにか関係しているっていうのだけはわかるんだけど」
「わたしも全部わかっているわけじゃないけど、釘宮病患者の中に秘めた力……つまり釘宮力を爆発的なエネルギーに変換させて相手を圧倒する拳法のことだ。ほら、亀仙流だって己の気をエネルギー波に変えて攻撃したりするだろ? あれと理屈は同じだよ」
「な、なるほど……?」
とりあえず頷いてみる僕。
なにを言っているのかいまいちわからなかったけれど、これ以上は突っ込むだけ野暮だということだけはなんとなく察した。
たぶん、あれだ。考えるな感じろってやつなのだろう。深く考えるだけ無駄だ。
「それで、具体的にはどれだけ強くなれたの? レジェンドさんと互角に戦えるぐらいにはなったの?」
「さすがにそこまではいかねえよ。まだ弟子になってから日も浅いんだから。レベル2からチートだった師匠と比べるのもおこがましい話だ」
「いきなりレベルとか意味不明なことを言うな」
いや、釘宮病患者の重症度をレベルで表しているというのなら、理解できなくはないけれど、
「でも、ま、師匠に相手をしてもらえるだけの技術は身に付けたけどな」
そこまで言って、姉ちゃんは箸を置いて「ふい~」と満足そうに一息ついた。
見ると食べカス一つなく綺麗に焼きそばを食べ終えている。相変わらず、食べるのだけはだれよりも一人前だ。
「ふーん。じゃあ今後、前みたいに不良に絡まれても平気ってことだね。これでためらいなく姉ちゃんを盾にできるよ」
「いや、うん。その指摘は間違ってないけど、お前もなにげにゲスなこと言うよな?」
ゲスとは失礼な。戦力的にも戦略的にも一番無難な方を選んだだけだ。
まあ、さすがにピンチとなれば、僕みたいな貧弱もやしっ子でも姉ちゃんの壁くらいにはなるつもりだけどさ。
「でも、そっか。レジェンドさんくらいとまでは行かなくても、それに近いだけの力を身に付けたってことになるわけか。ちょっと見てみたいな気もするな……」
思い出すのは、僕たちのピンチに颯爽と現れ、あっという間に目の前の不良を倒してみせた、レジェンドさんの勇ましい姿。
変な人ではあったけれど、昔見た特撮のヒーローみたいにとてもカッコよかったのを、今でも鮮明に覚えている。
そのレジェンドさんと同じ拳法を使えるようになった姉ちゃん。興味が湧かないわけがない。
「だったら、今からでも見せてやろうか?」
レジェンドさんの姿を想起していると、姉ちゃんがなにげない口調で、僕にそう言ってきた。
「え? いや、別にいいよ。見たいとは言ったけど、さすがに痛いのは嫌だし」
「だれがお前で試すって言ったよ。湖太郎みたいな雑魚じゃ話にならんだろ」
言い返したい気分になったが、大体合っていたので、僕は口を噤んだ。
「そうじゃなくて、外に出かけようって言ってんの」
「外? 外に行ってなにをするの?」
「んなもん決まってんじゃん」
そう言ったあと、姉ちゃんはニヤリと口端を吊り上げて、こう続けた。
「不良狩り、だよ」
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