第4話 姉ちゃんとレジェンドさんの出会い


「いけないなあ。いけないね。こんな幼気な子供たちに暴力を振るうなんて」

 突然目の前に現れた謎の女性に、ぽかんとあっけに取られる僕と姉ちゃん。

 そんな唖然としたままでいる僕たちに、その女性はゆっくりこちらへと振り返り、

「怪我はないかい? 君たち」

 と、なぜかカエルのお面を装着した姿で、そう声をかけてきた。

「あ、はい。助けてくれてありがとうございます」

 唐突に現れた救世主……コミカルな絵のカエル面がめちゃくちゃ気になるところではあるけれど、不良から守ってくれたその女性に、僕は素直に頭を下げてお礼を述べた。

 ちなみに吹っ飛ばされた不良の方はというと、近くのゴミ収集場──そこのゴミの山に体を埋めて、気を失っていた。

 今気が付いたことだけど、どうやらこのカエル面の女性が後方から僕たちを飛び越す形で飛び蹴りを繰り出し、間一髪のところで不良を撃退してくれたみたいだ。さらっと説明したけれど、しかし、とんでもないジャンプ力である(いくら僕たちの背が低かったとはいえ)。

 不躾ながら改めて全身を眺めてみると、なんて言うか、とてもしなやかな体付きをした女性だった。

 少し赤みがかった綺麗な黒髪。実際は肩先まであるのだろう長い髪を、側頭部付近で結んで片ポニーにしている。

 格好は黒のレザージャケットにダメージジーンズとロックな装い。全体的に細身ではあるが、大人の女性らしく出ているところは出て、腰回りもきゅっとくびれている。背も高いので、モデルと言われたら信じてしまいそうだ。

 顔はカエルのお面に隠れていてわからないけれど、体付きからして二十歳そこそこぐらいだろうか。学生なのか社会人なのかはわからないけれど、きっと厳しい教育を受けてきたんだろうなと言った姿勢の良さが見るからに感じ取れた。どこか名のある家の人なのかもしれない。

「なに、武道を嗜む者として、ああいう無益な暴力を放っておけなかっただけさ」

 僕のお礼に、カエル面の女性がハスキーな声でそう軽く応える。

 へぇ、武道をやっている人なのか。どうりで立ち振る舞いが毅然としているわけだ。どことなく隙がないように見えるのも、きっとそのせいなのだろう。

 それに何より声が良い。バトル漫画の主人公役をやったら、すごく様になりそうだ。

 これだけで十分カッコいいと言えなくもないけれど、この人の手にしている物とか背中に括り付けた大きい荷物が、どうにも目に引いて仕方がなかった。

 そしてそれは、どうやら姉ちゃんも同じようだったみたいで、

「おお! そのDVDの入った袋に、背中に括り付けているでっかいパネル! ひょっとしてあんたも『魔法少女プリティエース』の信者か⁉」

 と、嬉々とした顔でカエル面の人に訊ねた。

 そうなのだ。

 さっきからずっと気になってはいたけれど、このカエル面の人、僕たちとまったく同じ物……つまりアニメグッズを持っていたのである。

 イベントの時は見かけなかったけれど、どうやらこの人も姉ちゃんと同じ等身大パネルを目的に、あのアニメショップでDVDを買いに来ていたようだ。

 というか、こんな目立つ人がいたら絶対気付くと思うんだけど、なんであの時には見かけなかったんだろう。それとも、イベントの時だけお面を外していたのだろうか。

 そもそも、なんでこんなお面をしているのかというのが疑問なところではあるけれど。

「やはり君たちもそうだったか! そこの少年がもっているプリティエースのパネルを見て、すぐにティンと来たよ。それがなかったら、正直不良にからまれているのも気が付かなかったよ」

 なるほど。どうやらこのパネルのおかげで難を逃れたらしい。

 人生、なにがきっかけで命拾いするか、案外わからないものだ(死ぬほど恥ずかしい思いをしたけれど)。

「特に主役である釘宮さんの演技が素晴らしい。というより、釘宮さんという時点で最高過ぎる。あの人の声を聞いて何度昇天しかけたことか、もはや数えきれないよ」

 うふふふ、と妙にねっとりした笑い声をこぼすカエル面の人。

 あ、この人、姉ちゃんと同類だ。間違いなく釘宮病患者だ……。

「めちゃくちゃ話のわかる奴じゃないか! さてはあんたも釘宮病だな? けど釘宮さんの素晴らしさはその女神のごとき美声だけでなく、少年役でも悪役でも変幻自在に成りきるその演技力にこそあると思うぞ?」

「ほほう。君もなかなかの釘宮通じゃないか。まさかこんなところで同志に会えるとは、なんだかワクワクしてきたよ」

 同じ釘宮病と出会えた嬉しさからか、楽しそうに会話を始める二人。

 でもまさか、偶然にも姉ちゃんと同じ釘宮病の人に助けてもらえるなんて。あれか、スタンド使いと同じようなもので、釘宮病同士も離れた距離でも引かれ合うとか、そんな感じなのだろうか。

「……いって~。てめえこの野郎、よくもいきなり蹴ってくれやがったなゴルァ!」

 と、それまで気絶していたはずの不良が、ゴミの山から体を起こして、僕たちに怒号を飛ばしてきた。

 どうやら、僕たちが話し込んでいた内に目が覚めてしまったようだ。

 くそ。うっかりしてた。こんなことならさっさとここから離れていればよかった。

 けれどカエル面の人は、僕とは違い平然とした態度で、

「おや、起きてしまったのかい? そのまま寝ていればよかったものを」

 と、不良にそう言ってのけた。

「んだとゴルァ! あんま付け上がるなよ、このクソガエルがゴルァ!」

「クソガエルなどではない。私の名前は──」

 そこまで言って、カエル面の人はプリティエースが登場する時と同じポーズ……顔の横で両手をハートマークにしたあと、舞台女優みたく声高に告げた。



「レジェンド。私の名前は、レジェンド・オブ・レジェンドだ!」



 どのみちおかしな名前だった。

 ていうか、絶対偽名だろそれ。

「なめてんのかゴルァァァァァァァァァァ!」

 カエル面の人……レジェンドさんの名乗りを聞いてバカにされたと受け取ったのか──まあ無理もないよな──不良が激昂した顔で猛然と襲いかかってきた。

 それも、そばに転がっていた空のビール瓶を手にした状態で。

 って、あれは本気でまずい! 僕たちといた時はまだ理性を保っていたけれど、あれは完全に怒りで我を忘れている!

 このままだと、怪我だけでは済まされないぞ!

「大丈夫かカエルの人⁉ あいつ、殺る気満々だぞっ⁉」

 さすがの姉ちゃんも危機を感じたのか、依然として僕らを守るように前に立つレジェンドさんに、ひどく慌てた様子で問いかける。

 けれどレジェンドさんは、こんな状況でも微塵も動じたりせず、

「大丈夫だ。問題ない」

 と、親指を立てて見せた。

「ちょうどいい。君たちもそこで見ていたまえ。釘宮病を極めし者の力をね」

 なに言ってんだ、この人。

 姉ちゃんもそうだけど、釘宮病になった人は、みんな言動がおかしくなってしまうものなのだろうか?

「あ、そうだ。そこの少年くん、この袋だけ持っていてくれるかな? DVDが入っているから、大事に持ってもらえると助かる」

「あ、はい──っていやいやそうじゃなくって! いくら武道を嗜んでいるからと言っても、凶器を持っている人に素手で挑むなんて危険過ぎますよ!」

「心配無用だよ、少年くん。私はかな~り、強いからね」

 そう言って、レジェンドさんは両の手を銃の形にして、胸の前でクロスさせた。

「存分に味わうといい。実家が家事で燃えていた時も、構わずにずっと山奥で修行してようやく得た、この新しい拳法の力を!」

 いや、そこは実家に帰っておけよ! 二つの意味で居場所を失くすぞ!

 などとツッコミを入れる前に、不良がレジェンドさんの頭めがけて、大きくビール瓶を振りかぶり──



「釘宮流……【風穴、あけるわよ】‼」



 次の瞬間。

 不良に向けて勢いよく突き出したレジェンドさんの人差し指……正確には銃を模した手から、空気の弾丸のようなものが飛び出した。

「「「ええええええええええええええええええええええええええええええええ⁉」」」

 思わず、双眸を剥いて大声を上げる僕と姉ちゃん(それと不良)。

 けどそんな驚愕も束の間、両の指から放たれた二つの弾丸が不良の腹部に直撃し、不良はくぐもった呻き声を上げたあと、そのままくの字に折れ曲がった。

 それのみに終わらず、弾丸は勢いを失わないまま不良の体を後方へと押し出し、そのまま無様にも地面の上を転げ回った。

 しんと静寂が流れた。どうやら不良は今の攻撃でまた気絶してしまったようで、地面の上で大の字になったまま、ピクリとも動かなくなった。

 まさにあっという間の出来事だった。結局レジェンドさんは不良に反撃の余地すら与えず、なにがなんだかよくわからない技で、あっさり撃退してしまった。

 ていうか、本当になんだったんだあれは。あまりにも現実感がなくて、脳の処理が追いつかない。

 一体どうやればあんな風に人体から真空波みたいなものが出せるんだ。ここはアニメかマンガの世界だったのか? それとも僕は夢でも見ているのだろうか。

「──すっげええええ! 今のってどうやったんだ⁉」

 非現実的な光景を目の当たりにして、茫然自失とする僕とは違い、すぐに正気を取り戻した姉ちゃんが、瞳を爛々に輝かせてレジェンドさんに訊ねる。

「私の中にある釘宮力を空気の弾丸として具現化させたのだよ。簡単に言えば、釘宮さんを愛する想いが形になったと言えばわかりやすいかな?」

 必殺技のポーズを解き、こちらへと振り返って姉ちゃんの問いに返答するレジェンドさん。いや、その例え方は余計わけがわからないんですが……。

 だいたい、釘宮力ってなんだ。魔力みたいなものか?

「なるほど! 愛か!」

 通じたー! なんでか姉ちゃんにだけは通じたー!

「ふふ。さすがは同じ釘宮病。理解が早いね」

 姉ちゃんの言葉に、レジェンドさんが嬉しそうに笑声を漏らす。

 そっか。きっと釘宮病の人にしかわからない言語で話しているんだ。そりゃ一般人の僕にはわからんわー。

「あ、そうだ。これ、お返しします」

 そういえば袋を預かったままなのをふと思い出して、僕は今さらながらレジェンドさんに袋を手渡した。

「ああ、ありがとう。助かったよ」

「いえ、こちらこそ危ないところを助けていただいてありがとうございました」

「いやなに、当然のことをしたまでさ」

 ぽんぽんと、僕の肩を叩くレジェンドさん。

 お面で表情はわからないけど、きっと見惚れるような笑みを浮かべているに違いない。

 すごく変わってはいるけれど、なんてカッコいい人なんだろう。女性でこんなにカッコいいと思ったのは初めてだ。

「超カッコいい……」

 と、僕と同じような感想を漏らした姉ちゃんが、うっとりとした瞳でレジェンドさんを見つめていた。

 そういえば姉ちゃん、アニメだけじゃなくて特撮(プリティエースと同じ日朝枠)も好きだったりするんだよな。姉ちゃんにしてみれば、テレビの世界から特撮ヒーローが出てきたようなものだし、興奮しない方がおかしいか。

 となると、姉ちゃんの物怖じしない性格から言って、次に出る言葉は──

「なあカエルの人! いや、レジェンド師匠! わたしにもその拳法の使い方を教えてください! お願いします!」

 慇懃無礼、傍若無人を地で行く姉ちゃんが、レジェンドさんに向かって深く頭を下げた。

 あの姉ちゃんがここまで礼儀正しく頼みごとをするなんて、明日は雨じゃなくて槍でも降るんじゃなかろうか。

「釘宮流を、かい?」

「はい! もちろんです!」

「しかし、この拳法はまだ未完成なんだ。なんせ私がこの釘宮流を編み出してからそう年月の経っていないものだからね。武道家として、未完成の拳法を人に教えるというのは気が引けるな。素質は十分あるように見えるけれどね」

「だったらなおさら稽古を付けてくれ! 後継者がだれもいないよりは、一人くらいいた方が安泰だろ?」

「それはそうかもしれないが……」

 姉ちゃんの懇願に、困惑した様子を見せるレジェンドさん。

 まあ、そりゃそうだよな。同じ趣味をしているというのもあって気も合うようだけど、初対面の人間に武道を教えてくれと言われても、すぐに返答できるはずもない。未完成の拳法ならばなおさらだ。 

 まず間違いなく断られるだろうな──そう思ったのだが、対するレジェンドさんの回答は意外なものだった。

「──よし、わかった。君を門下生と認めようじゃないか」

「よっしゃあああああああああっ!」

 うそぉ⁉ まさかの了承⁉

「い、いいんですかレジェンドさん? うちの姉ちゃん、武道どころかスポーツもなにもやっていないド素人ですよ? 運動神経は昔から良い方ではありますけど……」

「運動神経があるだけでも御の字だよ。それに、この子には素質がある。重度の釘宮病という、なによりの素質がね」

 重度の病で素質とは一体……?

「しかしながら、辛く険しい道だよ。それでも君はいいのかい?」

「はい! 覚悟の上です!」

「うむ。いい返事だ。して、君の名前は?」

「凪宮早絵です!」

「早絵か。いい名だ。早速だが、山奥にある私の武道場まで来てもらうぞ」

「はい! 師匠!」

「ちょ、待った待った! 今から山奥って、いつまで修行するつもりなんですかっ? あと姉ちゃんも、考えなしに即決で頷くな!」

「では行くぞ! 私の後にしっかり付いて来い!」

「はい! どこまでも付いて行きます!」

「聞けよ話を!」

 なんて僕のツッコミも虚しく、レジェンドさんと姉ちゃんは一度もこっちを振り向くことなくどこかへと走り去っていった。

 プリティエースのパネルを背負ったままの僕を一人置いてきぼりにして。

 って、おいこら! せめてこのパネルを運び終えるまでは一緒にいてくれよ! 一人でこんな物を持たせて帰らせるなんて、どんな罰ゲームなんだよおおおおおおおおおっ!

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