第6話 勇者失格


 アリアに呼び止められた僕は、結局帰らずにアリアの部屋に留まることを選んだ。


 正直呼び止められて嬉しかった。


 そっとベッドの端に腰を下ろし、アリアの隣に座る。


 部屋は静寂に包まれ、外の風の音だけが遠くで聞こえる。月明かりが窓から射し込み、アリアの顔を優しく照らしている。


 彼女と僕だけの秘密の時間、その距離の近さが、僕の心を高鳴らせた。


 アリアと二人きり。それも同じベッドの上。

 おまけに酔いの影響か身体も熱を帯びている。


「僕は大丈夫だけど、アリアは大丈夫なの? ほら、疲れてるだろうし……」


 僕はドキドキする心臓の鼓動と、何かを期待している邪な想いが込み上げる。それをどうにかアリアに悟られないように取り繕い、何故呼び止めたのかアリアに尋ねた。


「大丈夫……もう覚めたから」


「そっか……」


 駄目だ。

 緊張して思考がまとまらないし口も思ったように動かない。


 すると、そんな僕の気持ちを察したのか、アリアがゆっくりと話し始めた。


「私ね、あんまり友達とかいないの。昔は村にもいたけど、何年も聖女として村の外にいたから少し関係も遠くなっちゃったし、王都で会った人たちも、あんまり深い話できるほど仲も良くなくて……」

「だから、一番仲が良くて、信頼できるディオスにどうしても私の話を聞いてほしかったの」


 アリアの声には真剣さが滲み出ていた。これから彼女が話すことは、きっと他の誰にも話せない重要な内容だろう。


 そして、僕に打ち明けたいと思ってくれたということは、彼女からの信頼の証でもある。


 僕はアリアの瞳を見つめ、信頼に応えようと誠実な表情で応えた。


「わかった。僕で良ければ話を聞くよ」


 正直アリアの綺麗な顔を見続けるのは心臓に悪い。うっかり照れて鼻の下を伸ばしてしまいそうになる。


 でも、今だけは、アリアの話を聞くために身体中の筋肉に力を入れて、真剣に話を聞く状態を全力で維持した。


「ありがとう、ディオス」


 すると、アリアが笑った。

 どこかホッとしたように、儚く美しく。


 そして———


「みんなに婚約を破棄されたことはもう話したけど、実はこの話には続きがあるの……」


 アリアはゆっくりと重い口を開いた。


「婚約が白紙になった後。私のところに村長さんが別の相手との縁談を持ってきたの」


「……え?」


 話を聞いて僕は息を呑む。

 しかし、アリアの話は尚も続いた。


「相手は私の村一帯の領地を治めている貴族の長男——女癖が悪くて愛人もいるという噂はあるけれど、まだ正式な結婚はしていないお方だそうよ」


 アリアの話を聞いて、僕は脳が破壊されるような衝撃を受けた。


 アリアがまた婚約? それも、あまり良い噂のない貴族と……?


 僕は衝撃から立ち直れず、上手く情報を整理できなかった。


「……アリアは、本当にその婚約に納得しているの?」


 どうにか絞り出した声で、僕はアリアに訊ねる。


 アリアの表情には複雑な感情が浮かんでいた。

 

 彼女はしばらくの間、言葉を選ぶかのように黙っていたが、やがてゆっくりと話し始めた。


「正直言って、納得しているわけではないの。でも、婚約を受け入れたら、貴族家から村にたくさんお金が入って村のみんなも幸せになれるって言われたら断れなかった……」


 アリアの声は少し震えていた。

 表情も悲しげで、瞳には涙が滲んでいる。

 それは、アリアが直面している現実の重さを物語っていた。


 きっと、貴族との婚約をすぐに断らなかったのも、辺境にある貧しい村のみんなに少しでも豊かな暮らしをしてほしいという想いからだろう。


 彼女にとって、自らの幸せを追求するよりも、多くの人々のためになることだ。


 その優しさがあったから、アリアは聖女に選ばれた。


 けれど、その優しさに漬け込まれて、アリアが犠牲にされそうになっているように感じた。


 ずっと想っていた人に裏切られて、今度は最低な部類の貴族の婚約させられるなんて……。


 僕は我慢できなかった。


 アリアの手をそっと握り、力を込めて言った。


「アリア、本当にそれでいいの? 君自身の幸せも大事だよ」


 この婚約話は、ずっと想っていた幼馴染とのものではない。アリアにとっては全く望んでもいないものだ。


 それに、アリアの故郷の村一帯を治めている貴族の噂は僕も聞いたことがある。


 ——家族を人質にすると脅して気に入った村の娘に無理矢理愛人関係を迫った。


 ——王国で禁止されている奴隷貿易にこっそり手を出している。


 そんな、黒い噂が絶えない家だ。


 ——あの家は貴族としては最低の部類だ。当主は愚鈍、次代はそれ以上のロクデナシ。同じ貴族として恥ずかしい。


 なんて、王宮の人たちも良く噂していた。


 そんな家に行って、アリアが幸せになるとは思えなかった。


 けれど、アリアは僕の手を握り返し、感謝の表情を浮かべながらも、どこか悲しげに答えた。


「私……私ももうすぐ二十二歳になるもの。これで村のみんなから行き遅れ扱いさなくて済むと考えたら、意外と悪くないわ」

 

 嘘だ。

 そんなこと思っているはずがない。

 実際、アリアはどうにか明るく話そうとしているけれど、僕にはそれがかえって痛々しく見える。


「アリア……」


 それでもアリアは精一杯、儚い花が咲いたような笑みを浮かべて、


「だからね、ディオス……私の結婚式楽しみにしていてね!」


 とても寂しい言葉を僕に告げた。

 アリアの意思は固そうだった。









 この日の僕は、いつもに比べて色々とおかしかった。


 きっと、初めて飲んだお酒のせいだろう。


 いつもなら、想いを心の奥底に押し込めて、固く鍵を掛けて封じ込めることができたはずだ。


 アリアの幸せを純粋に願う、上っ面だけの思ってもいない「結婚式を楽しみにしているよ」みたいな勇者ディオスとしての完璧な言葉を言うことだってできたはずだ。


 でも、この日の僕は違っていた。


 脆くなった理性の鎖は簡単に本能によって壊された。


 押し込めようとした想いは心で渦巻き、瞬く間に溢れ出した。


 僕は、ずっとアリアのことが好きだった。

 他には何もいらないからアリアの愛が欲しかった。


 でも、アリアに想い人がいるなら、アリアの幸せのためにこの想いは諦めて捨てようと思っていた。


 でも、もうアリアに想い人がいないなら、僕ももう素直になってもいいかなと思った。


 もう、言ってもいいよね。

 もう、愛を囁いてもいいよね。

 もう、隠さなくてもいいよね。


 なんて思いながら、僕はこの日、勇者としてあるまじき最低なことをした。

 

 僕は想いを抑えきれなかった。

 本能のままに熱を帯びた身体を動かして、婚約を破棄され、望まぬ婚約を打診されている傷心の女性を——アリアを激情に身を任せてベッドの上に押し倒した。


 そして———



————————————————————

次回はアリア視点でお送りします。

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