×××年五月七日/購入から三百八十五日・2
「リリースのスケジュールを決めよう。アレンジをやってインストを録って、ミランダの歌を調整して」
「せっかちだな、アンディは。今日はライブで疲れたでしょ? とりあえず乾杯しようよ」
私はマリアと一緒に、キッチンから飲食物を持ってきた。ビールとワイン、ポテトチップスとチョコレート、チーズとミックスナッツ。
「自分がステージに立つわけじゃないから、体型も酒焼けも気にしなくていいのが気楽でいいな」
マリアは声を立てて笑った。割れてかすれた声でも、笑うことはできた。
アンディが自分の膝上でタブレットPCを起動させた。映し出された映像は、先ほどのライブを多方向から録画したものだ。
「また曲が作れるようになるとは思わなかったな。……あんたたちのおかげだよ、ありがと」
酔いが回ったらしく、マリアはいつになく饒舌だった。
「ねえミランダ、覚えてる? あんたがうちに初めて来たとき言ったよね。人造人間は過去の集積だ、って」
「もちろん、覚えてるよ」
私は人造人間なので、起動中に感知したことや発言はすべてデータとして保存されている。
「最初にあんたがあたしそっくりの声で歌ったとき、なるほど、これは過去そのものだなって思った。あんたがあたしの声で歌えば歌うほど、もう歌えない現在と未来をより思い知らされるみたいで、だから……最初は、正直ちょっとつらかった」
この告白は、私にとっては想定外だった。
マリアは失われていた創作のインスピレーションを取り戻した。だからマリアは、私が歌うことを心底歓迎してくれているものと推測していたのである。
「でもね、違った。違ったんだ。ミランダがあたしの歌を歌うことで、あたしの歌は誰かに繋がる。その誰かが、またあたしの歌を歌ってくれる。あたしの歌で生きる希望が湧いてきました、って人もいる。子どもの頃の私みたいに貧乏な子が、私もミランダみたいな歌手になりたいって言ってくれる。こんなに素敵なことってある? ミランダ、あんたはやっぱり未来だよ」
タブレットPCの映像が、満員の観客席を映し出す。皆が私と一緒に、マリアが作った歌を歌っている。
私は認識を改めた。
マリアの望みは、再び作曲できるようになることではなかった。自分が歌えなくても、自分の歌が他人に希望を与えることこそ、マリアの真の望みだったのだ。
マリアはビールを飲み、ポテトチップスをつまむ。人造人間の私は、飲食をしない。
「次の歌も、よろしくね、ミランダ」
「うん」
「おい、私にも『よろしく』はないのか?」
アンディが割って入った。マリアはおどけて「どうしようかなー」と笑い、頭をアンディの肩に委ねた。
マリアは幸福そうだった。一時は私の歌がマリアに苦痛を与えたようだが、結果的には彼女を幸福にする役に立てたようだ。
ただ、マリアと私とは一部認識が相違している。
私は過去の集積にすぎない。人間こそが未来だ。
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