第6話 西宮愛夢
追弔が始まった瞬間から美剣に対する疑問があった。フロウティスを纏う前に唱えた呪文。
彼は"瞋恚の炎(しんいのほむら)"と唱えていた。その意味は、燃えさかる炎のような激しい憎しみ、恨み、怒り。彼がそれを誰に抱いているのかと、頭の片隅でずっとそれが気になっていた。
その相手が愛夢ならばこんな場所に連れてきた理由もわかる。事故や自殺に見せかけられる。
美剣を真っ直ぐに見据える。
違うかもしれないが、でも、もしかするとそうなのかもしれない。話したくないが、これだけは聞かねばならなかった。これは愛夢の人生の宿題なのだから。
「美剣さんは、ご遺族の方ですか?」
「何?遺族?すまん、意味がわからんのだが・・・」
言い方が、聞き方が悪かった。愛夢はまた自分の頭の悪さに嫌気がさす。
「私の父親と呼ばれる人が、殺した方の、ご遺族の方ですか?復讐のために私を殺しにきたんですか?」
声が震えるのは、緊張のせいなのか、高所にいるための恐怖なのか、美剣の肯定が怖いからなのか愛夢にはわからなかった。
美剣は絶句している。愛夢には肯定か否定かわからなかった。だから勝手に、いつか来るであろう遺族だと思って、本当の心で話を進める。
「私には、どうしても恩を返したい人がいます。ですから命を差し出すのはそれが終わってからで構わないでしょうか?」
鉄の格子に、ぶつかりそうになるほど頭を下げる。
「西宮っ・・・愛夢!」
「もしお金をお望みでしたら時間はかかりますが保険に加入します。私の利用価値はそれくらいしかありません」
「やっ・・・めろっ!!!」
「私の体は、きっと人を満足させられません。そんなに綺麗ではありませんし、顔もブスだし。ですからこの体が倒れるまで働いてーー」
「それ以上っ、言うなっーーー!!!」
美剣の咆哮が、愛夢の言葉を遮り山頂に響き渡る。その怒号は四方の木々で安らぐ鳥たちが警戒し一斉に飛び立つ程であった。
頭をあげて美剣を見る。
アスピオンと戦っても、愛夢を抱いで鉄塔を登ろうとも切れなかった美剣の息が荒く乱れていた。
「違う!遺族なんかじゃねぇよ!!オレがお前を殺しにきた?殺されても、そんなことしねぇよ!」
「そうですか、でもさっきのが私の本音で、私のやらなきゃいけないことなんです。美剣さんと漁火さんのような素晴らしい人たちに、気にかけてもらう価値は私にはありません」
「どうしてそう思った!?ずっとオレのことをそうやって疑ってたのか?オレの言葉が、行動が、何かが、お前を傷つけたからか?それとも誰かが、お前にそう言ったのか?」
「いいえ、美剣さんはずっと申し訳ないくらい私に優しくしてくださっていました。もちろん漁火さんもです。私が勝手にそう思って生きているだけです」
「あんなっ・・・地獄みたいな場所で生きていて、いつか遺族が殺しに来るまで、ただ働くだけの人生を、過ごすつもりなのか?」
「はい、それが私にできる唯一のことですから」
ずっと心を殺して生きてきた愛夢とっては、表情を変えずに淡々と話すことは日常であった。それに対する美剣の表情は険しい。
「二年前のワクチン接種の後から、お前のことはずっと気にかけていたんだ。どんな環境だってアスピオンを追弔するよりはマシだと思ってた・・・」
そう言いながら、右手で両目を覆う。
「幸せに生きてくれるなら、このまま帰ろうと思っていた。でも、ごめん・・・。本当はもっと早くにお前に会いにくるべきだったのに・・・」
手を離し愛夢を見る彼の目は赤かった。傷つけると言ったのは美剣の方なのに、なぜだか彼の方が傷ついた顔をしている。
「美剣さんたちの方が、辛くて大変ですよ。私なんてお二人に比べたら、全然マシですから・・・」
「何でオレらの方がお前より辛いんだよ!?心を傷つけられてるお前の方が辛いに決まってるだろ?」
「アスピオンの追弔の方が、辛くて苦しいに決まってるじゃないですか!あんなに大変なのに、どんなに頑張っても誰にも知られなくて、感謝もしてもらえないなんて!お二人の方が可哀想ですよ!!!」
美剣につられて、愛夢の語気も強くなる。
「それは、お前のことだろう?西宮愛夢」
「えっ・・・?」
「オレは、お前が今まで何に傷ついて、どう生きてきたのか知っている。お前をLETに勧誘するにあたって素行調査をしなきゃならんかったからだ」
「そう、ですか・・・」
「全部、言おうか?お前ほど清廉潔白で真面目に頑張ってるやつはいないぞ、西宮愛夢?品行方正で授業が終わるとは環境保全、自然保護、清掃、その他、どれも汚れ仕事で今日日の女子高生がやりたがらない学校公認のアルバイトをして、そして寮に帰って誰にも見られないように飯を食ってー」
「もう、いいです!」
誰にも迷惑をかけないように生きる、大嫌いな自分の生活を聞きたくなくて大声で美剣の言葉を遮る。
「そうか、じゃあ聞きたいんだが、お前が一番に気に病んでるのは、おふくろさんのことか?」
「私を・・・産んだ人のことですか?」
「違う、育ててくれた方の、お前がいつもバイト代を振り込んでいる、おふくろさんだ。」
「あの人は、母ではありません!血が繋がっていないのに、私なんかを育ててくれたっ・・・。私なんかのために人生を無駄にした被害者です!」
「・・・分かった。じゃあ呼び方を変える。養母さんは、お前がそんなふうな生き方をしようとしてることを知ってるのか?」
「あの人は、そんなこと知らなくてもいいんです!私なんかのこと忘れて、幸せになるべきなんです!」
「またその、なんか病か・・・」
なんか病、美剣はなぜ当然に蚕の病のことを口に出すのかと愛夢は疑問に思った。
「私は、蚕じゃないので軟化病じゃないです」
「何!?蚕?なんか病って蚕の病気?そんな意味で言ってないんだが・・・それ、どうな病気なのかちょっと教えてくれないか?」
「軟化病は、悪い桑を食べた蚕がなる病気でっ・・・、食欲が無くなって、発育が悪くなったりして、体がぐにぐに、軟らかくなってっ・・・死んじゃう病気です!」
なぜ自分は今こんなに高い場所で、大して詳しくもない軟化病を美剣に説明しているのだろうと思った。
「おおー、すげぇな!よくそんなの知ってるな!ってか、まさしくそれ、お前のことじゃん!」
とても弱く、自然界では生きていけない。人の手を借りないと産まれ育つことさえできない、飛べない蛾。美剣はその可哀想な生物が愛夢だと言うが、全くもって違うということをわかってほしくて、つい大きな声が出る。
「私は、異常者の子供でっ!ど底辺でっ!バカでっ!ブスでっ!今もこれからもっ!誰のっ、何の役にも立てなくてっ!蚕の方が、私なんかよりマシで、まだずっと人の役にたっていますっ!」
身の程は弁えている。蚕は、最後に綺麗な糸を生み出して生きた意味を残して逝く。今日、携わった全てに関わった人々が、人に必要とされ、そして役に立ち、意味を持った人生を歩んでいるように。
きっと誰の何の役にもたてず死んでいく自分とは、比べものにならないことを、美剣はわかってくれただろうか。いつだって自分より惨めで哀れな姿を見ると相手は、喜んで気が済んで去っていく。これで日々アスピオンの追弔に勤しむ美剣の気が晴れるなら安いものだろうと、思いを言い立てた。
しかし美剣からの返答は、愛夢が今まで聞いてきたどの言葉とも違った。
「誰がお前にそれを言ったんだ?誰がお前に悪い桑を食わせて、なんか病にした?ぐにぐに、心を壊した?言えよ!オレがそいつらを全部、燃やしてやるから」
誰が?そう言われて今まで嘲り嗤われた記憶が呼び起こされる。
同じ学校に通う生徒たち、その保護者、近所の住人、教師に至っても"西宮さんだから仕方ない"と言って一緒に笑う。その全てを燃やすと美剣は言う。
「そんなこと望んでません」
本心からの答えだった。美剣にはアスピオンの追弔という大切な仕事がある。愛夢のために、絶対にそんな事はさせられない。
「・・・なぁ、西宮愛夢。ちょっと周りを見てみろ」
そう言われて下を見る。生い茂る森林と、心配そうにこちらを見上げている漁火が見えた。
「何が見えた?」
「漁火さんが、見えました・・・」
「違う、もっと遠くだ」
そう言われて愛夢は山頂にある高さ100mの鉄塔の上からの景色に向ける。
茜色の空と、どこかもわからない場所の街並みとビルが見えた。
「お前の学校が、どこにあるかわかるか?」
「ごめんなさいっ・・・!わからない、です・・・」
思いがけない質問に身を固くする。昔、バスでの遠足で同級生に、歩いて帰れと、泣くまで揶揄われたことを思い出す。美剣にもそう言われたら、どうすれば良いのかと、悪い方ばかりに考えが巡る。
「だろうな、オレにもわからん!あんな場所はどうでもいいからなー!」
そう、あっけらかんと美剣は言う。ではなぜ聞いたのかと、目線で訴えかける。
「あそこは、お前をイジメる奴らのいる汚ねえ泥水でいっぱいの金魚鉢みてぇな所だ。お前の帰る場所じゃねぇよ」
そう言い美剣は、愛夢の前で屈んだ。
「あんな狭っ苦しい場所から、もっと広くて、お前が心から笑える場所に、オレが連れて行くからさ」
美剣のその言葉で胸が熱くなり、自らの体重を支えてくれている足場の鉄の格子を強く握ることで、その熱を誤魔化した。
「でも今のままのお前だと、金魚鉢が学校から仕事に変わるだけだ。だから、すまんがオレは今のお前を壊さなきゃならない。ごめんな?」
やはり殴られるのかと思って眼を固く閉じる。
なんか、と言わないようにすれば殴られないのか。
勧誘を受けると言えば殴られないのか。ならば簡単だ。心を殺して我慢していればいい。
愛夢はそう決意し歯を食いしばって衝撃に備える。
「西宮愛夢、よく頑張ってるな!偉いぞ!」
突然の美剣からの賛辞に一驚する。
「あんな、地獄みたいな学校生活でお前が欠席をしたのは、ワクチン接種の日と、修学旅行だけだろ?本当すげぇよ!いい子過ぎるくらいだ!」
涙が一筋、頬を伝って格子の隙間を落ちていく。
「毎朝、誰よりも早く学校に行ってるお前が、遅刻しそうになった唯一の日は迷子の男の子を助けてた。でもお前は、頑なに、礼を断って逃げた」
その子は愛夢のことを知らないし、嗤わないから。大きな声で泣いていたから、放っておけなかっただけだ。どこに行けばいいか分からずに、誰にも助けてもらえずに泣いている迷子の男の子が、自分と重なったなんて思わないよう、言わないようにする。
「まだあるぞー!バイト中に、絶滅危惧種の植物の新しい生息域を見つけたのに、人に手柄を譲ったこと。ほぼボランティアみたいな額で、農家さんのお手伝いしてること」
人の役に立ちたかったから。ありがとうと言われたかったから。そんな不純な動機だ。
何のために生まれてきたか分からないから、生きた証をどこかに残したかった。死してから綺麗な糸になれる蚕のように。
生きる理由は遺族への贖罪だとしても、誰かに認めてもらいたい。ただ生きることを許されたかった。
「それにお前、体育の授業で手を抜いてるだろう?テストもわざと問題を抜かしたり間違えたりしてる。スポーツ推薦狙ってるヤツや、大学に進学するヤツらのためにだ。優しすぎる・・・」
出る杭は打たれるものだから。今まで結果を求めて努力していたものを、突然現れた底辺だと思っていた愛夢に負かされた彼女たちの顔を思い出してしまう。
全部お見通しだ、と言わんばかり美剣は優しいため息をつく。涙が雨のように自分の手に、格子に当たり地面へと落下していく。
「他にも色々あるが、お前のいいところは、挙げたらキリがないからな!オレは、そんな"お前だから"あいにきたんだ!」
放っておいてほしいのに、認めて欲しい。早く死にたい、消えてしまいたいのに、誰かに生きることを許されたい。そんな矛盾だらけの面倒な愛夢の心の殻に、美剣が亀裂を入れていく。
夕陽が微笑む美剣の赤髪を照らし、紅炎の色に染め上げる。愛夢は、今日見たこの色を忘れないと誓う。
「メテウスなんて持ってないほうが、本当はいいんだが。でも、もし誰かがメテウスを持つならオレは、そんな"お前がいい"と思ってる・・・」
美剣は愛夢が欲しい言葉を、全てくれた。
今の愛夢を、全て認めてくれた気がした。よく頑張ったね、生きてていいよ、と言われた気がして、嬉しさで体を震わせて泣きじゃくる。
「やべぇ!今度はオレが泣かしちまった!漁火に何て言われるか・・・」
「私っ・・・、なんかっ・・・」
「漁火とオレに泣かされちゃって、3階から一緒に飛び降りた、車の中でメテウスを持っている人間のことを真剣に探してくれようとした、オレのことをお巡りさんから守ろうとしてくれた、オマケに蚕の病気のことまで知ってるすげぇヤツがいるんだ!オレがずっと探してて、今日はソイツにあいにきたんだけど知らないか?西宮愛夢って名前だ!」
それは間違いなく愛夢のことだ。あの、アスピオンを一人で倒せる美剣が、愛夢のことを調べて、すごいと褒めてくれた。探してくれた。必要としてくれた。本当の心を知ろうとしてくれた。
美剣のその言葉で、ほんの少しだけだが、自分を好きになれる気がした。
飾り気のない美剣の言葉が、愛夢の殻の中にいる殺したと思っていた心を、ヒビから溢れ出させる。
「"西宮愛夢"は・・・私ですっ・・・!」
曲がったへの字口で、涙と鼻水でボロボロになった顔で美剣と向き合う。
「やっと本当のお前と話せるな・・・」
無意味で、無価値だと思っていた、愛夢の無色な人生を綴った透明の本が、美剣の紅炎によってその形が露わになり、今日というページがその色に染められる。
「それでは、改めて・・・。やっと、あえたな!"西宮愛夢"。政府特例機関LET、フロウティス部隊、隊長の美剣だ!よろしくな!」
今、美剣の前にいるのは間違いなく、殻を破り本当の心を受け入れた正真正銘の"西宮愛夢"だった。
夕陽に照らされた涙が落ちて、説明会、企業見学、面接のような奇妙な一日の終わりの始まりを告げた。
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