第5話 女神鉄塔

 蛇腹に曲げられた斜材は美剣の巧みな棒術に上乗せされ、黒い瘴気を漂わせる獣とせめぎ合っている。その様はまるで荒ぶる神を鎮めるための演舞のようであった。

 アスピオンの四つの脚による攻撃は全て横に流され、美剣の棒術と蹴り技のカウンターに変わる。

 右前脚の骨が折れてバランスを取りにくそうなアスピオンは、美剣への殺意を弱めることはなく外れた顎で牙をむき、ひび割れた爪で、尚も戦おうとする。

 その姿を哀れに思ったのか、美剣は手に持った斜材を真っ直ぐ地面に突き刺した。

 そしてただの猫に向けるような優しい笑顔で、アスピオンを見つめる。

 だが、死骸であるアスピオンにそんなものが通じるわけもなく、再び襲いかかると言う形で、美剣の優しさは無碍にされる。

 そうくることが分かっていたのか、彼の右手は斜材から離れてはいなかった。突き刺した斜材に足掛け、支柱とし、美剣の身体は宙を舞う。

 上空を獲った美剣の全体重を乗せた蹴り技がアスピオンの背骨を砕く。

 地に沈み再起不能だと思われたアスピオンは、前脚の力だけでまだ美剣の元へ移動しようとしている。

 斜材を地面から引き抜いた美剣は、アスピオンの首元にそれを突き刺す。頸椎を砕いた斜材に、肩甲骨が、肋骨が引っかかろうと、アスピオンはまだ前に進むことをやめなかった。

 炎を灯した美剣の右拳がアスピオンの脳天へと降りていく。紅炎が頭蓋骨を砕き、脳を潰し、ASPを破壊する。

 アスピオンの体は、崩れ、灰のようになり、やがてその存在自体がなくなっていった。

 墓標のように、蛇腹の斜材だけがそこに残る。

 今度こそ終わった。

 西を目指す太陽が、美剣の悲しそうな背中を照らす。

 

 なんて悲しい生き物なのだろうか。どうかあのアスピオンが生まれ変わるときは、次の生こそ幸せであってほしい、愛夢はそう思った。

 先日、自分に懐いてくれた猫も、あのアスピオンと同じ茶トラ柄だった。

 あのアスピオンがあの時の猫ではないことを願う。


「追弔完了しました。付近に他のアスピオン反応はありません。残余の回収をお願いします」

 誰かに連絡をする漁火のその言葉でようやく長かった緊張が解ける。それを出し切るように深く息を吐く。

 美剣から目を逸らすことのなかった漁火が、愛夢に振り返り優しく微笑む。

「あとは被害状況の確認や残余の回収だけです。怖い思いをさせてしまいましたが、これでお終いですよ」

 お終い。そうこれで二人とは、お別れなのだ。

"始纏唱って何ですか?"

"漁火さんのフロウティスは?"

"ドブネズミのアスピオンもあんなに大きくて強かったんですか?"

 こんなものではない、まだたくさん聞きたいことがあった。でもそんな余計な心を愛夢は殺す。

 美剣にも勧誘を断ることを伝えて、学校に戻って、またあの心を殺す日常に戻る。

 どうせ知ったところで、何も変わらないし、変えられないと諦める。だが、今日からは彼らへの感謝の気持ちで少しだけ心が強くなれるだろう、そう思い愛夢は自分を励ました。


 美剣がこちらに向かって歩いてくる。彼に纏われその身を守っていたフロウティスは、紅炎となって指輪の中へ消えていく。

「お疲れさん!どうだった?怖くなかったか?漁火にちゃんと色々教えてもらえたか?」

 あれだけの激戦だったにも関わらず、美剣の息は一つもきれていない。それどころか矢継ぎ早に質問を飛ばしてくる。

「追弔はちゃんと見たか?オレ凄かった?また泣いてないか?腹減ってないか?」

 どの質問に答えていいか分からずにいると、漁火が助け船を出してくれる。

「美剣さん、お疲れ様でした。まずは西宮さんのお話を聞いてあげてください」

「わかってるよ!で、どうした?西宮愛夢?オレに質問?こい!こい!」

 少年のような笑顔で、グイグイと前に出ようとする美剣を、漁火が手で制する。

「美剣さんの戦い、凄かったです。こんな風に守られていたこと、全然知らなくてごめんなさい。そして、こんなにも危険なアスピオンと戦ってくださり、本当にありがとうございました・・・」

「おう!気にすんな!できる事をやってるだけだ!」

「今日、追弔を目の当たりにして、自分には絶対に無理だと痛感しました。貴重な時間を割いてくださったにも関わらず、ここまで連れてきてくださったのにも関わらず、こんな答えしか出せなくてごめんなさい」

 深くお辞儀をする。美剣の表情も、漁火の表情もわからない。

「そっかぁ・・・まぁ、フロウティスは魔法少女っぽくないもんなぁ!始纏してみないとわからんが、女の子なんだからあんなゴツい鎧なんて嫌だよな!」

「・・・えっ?」

 顔を上げると、真剣な表現で悩む美剣と、呆れたように頭を抱える漁火と目が合う。

「鎧じゃないデザインもワンチャンあるかもだが、嫌なもんは仕方ねぇよな!ところで西宮愛夢、夕飯は何食いたいー?どこ行くー?」

 とんでもない見当違いをされている。愛夢はそんなどうでもいい理由で、軽い気持ちで断ったわけではないことを美剣にわかってほしかった。

「鎧が嫌なんじゃなくてっ!美剣さんみたいに強くないし、足も早くないし、力も強くないし、頭も良くないし、私なんかっ・・・本当に何にも出来ないし、何の役にも立てないんですっ!」

 全部、事実だが自分で口に出してしまったことで、殺していた悲しみが胸を支配する。

「西宮さん、そこまで思い詰めなくてもいいんですよ」

 漁火が励ましの言葉をかけるが、自分のしてしまった考えの及ばない質問のことを思いだしてしまい、さらに悲しみが増加して自己嫌悪が加速していく。

「漁火、預ける!持っててくれ。邪魔されたくない」

そう言って美剣は、胸ポケットに入っているスマホとワイヤレスイヤホンを漁火に渡した。

 学校にいるときと同じように、ただ自分の足元だけを見つめる。頭の上から美剣の声が聞こえた。

「西宮愛夢!またお前に触るが、いいか?」

 学校の応接室で、美剣が小指でおでこに触れたときのことを思い出す。

「かまいません」

 励ますために頭でも撫でようとしてくれるのだろか、優しい人だ、そう思って構えていると、膝の裏に、肩に、美剣の手が触れる。たちまちにふわりと体が浮き、すぐ近くで「よっ!」と美剣の声が聞こえる。

 応接室から飛び降りたときとは違い、今度はお姫様のように抱きかかえられる。

「えっ?あの、美剣さん?」

「漁火に聞かれたくない!ちょっと走るから舌を噛むなよ!」

 次の瞬間、強風に殴られたような感覚に襲われる。美剣が、追弔のときに見せた王たる獣の走りで女神鉄塔に向かって駆け出したのだ。愛夢を抱えているからか、フロウティスを纏っていないせいなのか、その走りに少しだけ優しさを感じた。

 早く走ることを風になると表現する言葉があるのだから、今のこの状況は、疾風になるといっても過言ではないだろう。美剣はそれほどに疾く、翔る。

「追ってきたか、漁火め!空気よめよ!」

 美剣の肩越しに後方を覗くと、10mほど離れた距離から、叫びながら走ってこちらを追ってきている漁火が見えた。

「今度こそ!!通報しますからねー!!!!!!」

 

 1kmほど離れたところには、先程アスピオンの追弔に使われた蛇腹に曲がった斜材と、その場の地面の砂を回収している自衛隊員たちの姿が見えた。

 きっとあれが残余の回収なのだろう。

 災害救助や国の守護だけでなく、アスピオンの追弔の後始末までをもしてくれている。

 今、あそこで働いてくれている自衛隊員にも、LETで戦ってくれている自衛隊員にも、これからフロウティス部隊を支えてくれる全ての自衛隊員たちへも感謝の念も忘れずに生きていこう。

 彼らだけではない。

 今日は本当に貴重な体験をした一日だった。学校からここに来るまでの道すがらに関わった、あらゆる物が追弔に必要不可欠だった。車、道路、スマホ、建設現場と資材、それらがなければ、アスピオンは今もまだ、ここにいたかもしれない。

 だから、それらに携わった人たちも、追弔の手助けをしてくれていることになる。電車と地下鉄だけではなかった。全ての人の仕事が追弔を支えているのだ。

「みんな、すごい・・・」

 自分以外の人々を頌(しょう)する。

 すると顔と身体に感じていた風がやむ。

「西宮愛夢」

 立ち止まった美剣に名を呼ばれ、視線を前に戻すとそこは女神鉄塔の真下だった。

「みーつーるーぎーさーんー!!!!!」

 引き離された漁火が、また10mほどの距離まで追いついてくる。

「オレの首にしがみつけ!絶対に離すなよ!!」

 突然、緊迫した声で命令される。普段ならば絶対に自らはそんなことはしないであろう。驚きと焦りを隠しつつ美剣の首に腕を回し、しっかりと抱きついた。

「自衛隊員の皆さーん!漁火が、女子高生のパンツを覗こうとしてまーす!!」

 美剣の叫びにより後方で残余の回収作業を終えて帰還しようとしていた自衛隊員たちが、一斉にこちらを目を向ける。

「はぁ!?」

 困惑し立ち止まった漁火の隙をつき、美剣は女神鉄塔に足を掛ける。そしてそのまま愛夢を抱いで、上へと登り始めた。


「違います!誤解です!断じてそんなことはあり得ません!残余の回収お疲れ様でした!ありがとうございます!!!」

 漁火は、しどろもどろになりながらも自衛隊員に頭を下げて礼の言葉を叫ぶ。敬礼をし去って行く隊員たちを見送ったあと、すぐさまに女神鉄塔を登る美剣を睨みつける。

 

 美剣の首に抱きつき下の様子を見ていた愛夢と、二人を見上げる漁火の目が合う。途端に漁火の顔は真っ赤になり、下を向いて顔を腕で覆った。

「見てません!!絶対に見ません!!!」

 愛夢は漁火の口から初めて聞く大声に、とても驚いた。同時に申し訳なさと、恥ずかしさに襲われる。

 そうしている間にも美剣は腕と脚の力だけで、鉄塔を登り続ける。三分の一ほどの場所まできただろう。

 愛夢の体は今、美剣に真横に抱かれて、彼と女神鉄塔の間にある。後ろにいる漁火からは見える事はない。上半身は美剣の首元に抱きつくことで支えられ両足は彼の右腕に乗っているままである。クラスメイトの女子高生たちとは違い、曲げて短くされていない愛夢の膝下スカートは、自身の膝裏と美剣の逞しい右腕に挟まれて動かないままでいる。

 どう頑張ってもパンツが見えることはないだろう。

 恥ずかしさと驚きと困惑。美剣と漁火、二人といると自分でも忘れていた感情たちが、押し殺していた感情達が、大きく声をあげて再び生まれてこようとする。それに気付かないフリをして堪える。


「美剣さん!!そっちがそういうつもりなら、こっちにだって考えがありますからね!」

 漁火が美剣に向かって大声で怒鳴り、スマホを操作し、画面に向かって何かを話しかける。

「なぁ、アイツ、今何してる?」

 耳元から美剣の声が聞こえる。問いかけはするが彼は、尚も上へ登ることをやめない。

「誰かと、通話?、をしてるみたいです。画面を私たちに向けています」

「通話?通報してねぇって信じたいが・・・」

 もし警察がきたら美剣は、何の罪になるのだろう。アスピオンを倒してくれた彼が捕まるなんて、あってはならないことだ。アスピオンのことは守秘義務があるから話せない。美剣の命運は愛夢にかかっている。

「私、警察の人に美剣さんは悪くないって、ちゃんと言います。アスピオンのことは言えないけど、助けてくれたんだって!守ってくれたんだって!伝えます」

「・・・そっか、ありがとうな!でも大丈夫だ!お巡りさんも、アスピオンのこと知ってるからな!」

 漁火の運転する車は、走行が優先されさらに法定速度を超えていた。通行止めも交通制限もされていたのだから、もっと早くに気付くべきだったのだ。警察も協力関係にあることに。

「えっ?あっ、すみません、私、またバカのくせに、余計なこと言って・・・」

「オレのために言ってくれたんだろ?バカじゃねえよ!嬉しかったから謝らないでくれよ!」

 自分の煩わしさに腹が立つ。もう何も、誰とも話したくない。美剣と、どれだけ睨めっこになっても構わない。愛夢は、早くいつも通りに枕に顔を埋めて泣きたいと思う。

「追弔の途中でここが見えてな!足場があるから座れそうだなと思ったらビンゴだ!」

 

いつの間にか美剣は愛夢を抱いたまま建設途中の女神のおでこ部分までを登り切ってしまった。ずっと浮いていた体は優しく足場に座らされる。

 鉄塔とモニュメントが兼用されているこの建設物の最大の見せ場である顔部分は、精巧な創りが要求されるのか、手作業のための広め足場が設けられていた。

 美剣も、格子状の女神の顔部分を越えて、愛夢のすぐそばに座る。

「まずは悪かったな!こんなところに連れてきて。ここなら誰にも聞かれずに、本音で話し合えると思ったんだ。高い場所、大丈夫か?怖くないか?」

 足場となっている鉄の格子の隙間から下を見る。

人生の中で体験したことのない高さ。地上から100m以上離れた女神の顔の中は、場違いな無知で厚かましい愛夢を、閉じこめる籠のようであった。怖くないわけがない。だが心を殺す。

 腰から下の感覚が無くなる。心臓が早鐘を打つ。手汗がひどい。美剣はこんなところに自分を連れてきて、本音で何を話させるつもりなのだろう。そう思い目線を彼に向けると、何の悪びれもない笑顔をこちら向けてきていた。

「怖がってもいいし、怒ってもいいから、お前の本当の心と話がしたい!聞かせてくれ!」

 愛夢は返事もせず、頷くこともぜずに、何もせずにただ美剣を見つめる。言いたいことはもう全部伝えたのに、美剣はまだ惨めな愛夢の本音が聞き足りないのだろうか、嗤い(わらい)足りないのだろうかと考えると、なぜだか胸が潰れそうなほどに痛かった。

「もう嫌か?オレと話すの?漁火ともか?」

 愛夢は目を瞑って頷く。

 高所の景色を見ないようにするためだったが、耳から聞こえる美剣の声が悲しそうだから、彼を見ないようにするために、再び開くことはしなかった。

「そっか、嫌われちまったか・・・。すまん、じゃあ聞くだけ聞いてくれ!まず、うちの部隊にこい、とは言ったが、これは何も戦ってほしいという意味で言ったわけじゃない!」

 嘘だ、と愛夢は思った。四人しか戦える人間がいないから、今もワクチンでメテウスを持っている人間を探しているのだろうに。どうしてメテウスは愛夢ではないもっと素晴らしい人物に宿らなかったのだろう。

「漁火みたいに、各所との連絡係とか、バイトとかでもいいんだぞ?アスピオンはメテウスに惹かれてちまうから念のために、発現してなくてもお前にはオレらの近くにいてほしいんだよ!」

 車の中で漁火がひっきりなしに通話していたことを思い出す。彼の口から防衛省、警察庁、交通省の名前が出ていた。自分がそんなところに勤める人たちと話すなんて、絶対に無理に決まっている。

 愛夢は大きくかぶりを振った。

「そっか、嫌か。じゃあさ、お前が住める場所を用意する。普通の仕事をしててもらっても構わないから、時々オレが様子を見に行ってもいいか?」

 それはとても魅力的な誘いだった。卒業後のことが何も決まっていない自分にとって、住む場所を用意してもらえることは、この上なく有難いことだ。

 しかし、その恩に報いることが愛夢にはできない。

 養母にすら恩返しが済んでいないのに、これ以上は与えられても、何も返すことができない。拒否の意思を示すために座ったまま後ずさる。

「危ないから、そこから動くなっ!」

 後ろを振り返ると足場の終わりだった。鉄塔の斜材の隙間は人が余裕で通れ、そのまま後ろに下がっていたら落下していたかもしれない。地上から100m上空の激しく強い風は、愛夢が顔を隠すため伸ばした長く重たい髪を巻き上げる。

 心配そうにこちらを見つめ駆け寄ってこようとする美剣と目が合う。

 愛夢は今のこの状況が本当は恐ろしかった。足場が崩れて下に落ちるかもしれない、怒った美剣に見捨てられこのまま一人ここに取り残されるかもしれない。本当は、やっぱりメテウスなんてなくて、こんなに良くしてやったのにと、がっかりされてしまうかもしれない。

 そんな人たちじゃないと分かっているのに、信じたいのに今まで生きてきた中でズタボロにされた心が、どうしても彼らを疑ってしまう。

 こんな自分が大嫌いで、これ以上近寄ってほしくなくて、心を掻き乱してほしくなくて、愛夢は自分にできる一番怖い顔をして、精一杯に美剣を睨む。流石の美剣も、たじろぎ近付こうとした歩みを止める。

「また殻に閉じこもっちまうか・・・」

 格子の上を歩く音は、もうしなかった。

「すまん、オレは今からお前を傷つけるかもしれん」

 美剣の苦しそうな、消えそうな声が聞こえる。

 傷つける。あのアスピオンの脳を砕いた拳で、優しく愛夢を担いでここまで登ってきた腕で、今から殴られるのかと身を固くする。

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