第4話 アスピオン

山頂 送電鉄塔建設現場


 蛇のような道を乗り越えた頂には、広い駐車場と鉄製の大きな扉型のフェンスがあった。フェンスの外側は、扉以外はしっかりとブルーシートで覆われており厳重すぎるほどに中にあるものを隠そうとしているのがわかった。

 三人が車から降りると駐車場には三台の自衛隊車両が停車しており、三十名ほどの自衛隊員が整列して待ち構えている。

 フェンスの奥には建設中の鉄塔とクライミングクレーンと呼ばれる重機が見えた。

 山林の送電鉄塔の大半は人間が立ち入らない場所に建設されるものである。本来はヘリなどで作業員や建設資材を運び入れるような場所に建てるソレは、異形ともとれる姿で愛夢たちの前に聳え立っていた。

「なーんか変な場所にデコイがあるとは思ってたが何だこりゃ?」

 早足で歩きながら美剣が漁火に問う。

 高さは優に100メートルを超える鉄塔、その形は女神を模してつくられていた。

 その女神は両手を軽く広げるような形でつくられており、工事の最後に通るであろう電線は彼女の両の手から延びるように設計されているのが一目でわかる。

 秋の青空の下に聳える女神が、場違いな自分に早くこの場を去れと言っているようで愛夢は怖かった。

「ここは知事が直接企画していて、新しい観光スポットおよびフォトスポットになる予定だそうです。我々の為に長めに工期を設定してくれたと聞いています」

 小走りで二人を追いかける愛夢を気遣いながら漁火が答えを言い終えると、同時に威厳のある声が響く。

「お疲れ様です!」

 鉄製のフェンスの前を守る自衛隊員が敬礼をする。

「迅速で完璧な封鎖、いっつも感謝してるぜ!コイツうちの期待の新人なんだ、一緒に連れてくわー」

「まだ未定ですよ」

 二人の会話に目の前にいる自衛隊員と整列をしている自衛隊員からの視線が愛夢に集まる。

「おっ・・・お邪魔します?」

 何と言っていいかも、何をしてもいいかも分からずにとりあえず挨拶をすると、美剣と漁火が忍び笑いを漏らす。対して目の前の自衛隊員はクスリともせずに扉型フェンスを開け三人を見送る。

「お気をつけて!迅(じん)し私(ひそ)かに!」

「迅し私かに還しこれを匿(かく)すことを誓う」

「同じく、迅し私かに還しこれを匿すことを誓います」

 宣誓の言葉を述べながら建設現場に入って行く二人に続く。会釈をしようと振り返る、先程の笑いもしなかった自衛隊員が何か呟いているのが見えた。

「化け物共がっ・・・!」

 吐き捨てるようなその声は扉の閉まる音にかき消され愛夢には届かなかった。


 5kmほどの森林を伐採して均しつくられた拓いた土地。そこに建てるられている女神鉄塔、その鉄塔よりも大きなクレーン、しっかりと種類ごとにまとめられている鉄塔の建設資材、そしてその中に大型犬ほどの大きさの黒い影がいた。

 正確には影だと思ったソレは、黒い瘴気のようなモノが全身にまとわりついた茶色のトラ柄の動物だった。

 

生気のない血走った目からはドロリとした眼球がこぼれ落ちそうになっている。鋭い牙を剥き出しにした口から涎が垂れ落ち、四肢からは鋭く骨が飛び出し爪も異常に長い。毛皮に至っては所々、肉離れのような裂け方をしておりその隙間から青黒くなった肉が見えていた。

 ソレが先程、説明会で漁火が見せてくれたメテウス《カラス》でつくられたデコイに向かい攻撃行動を繰り返し行っている。

 100m以上は離れてソレを見ているにも関わらずそのグロテスクさに吐き気がする。

 

「西宮愛夢、あれがアスピオンなー」

「はいっ・・・!」

 ワイシャツの、上二つのボタンを外しながら美剣が愛夢と漁火の前を庇うようにして立っている。学校でのイジメなど比ではない、畏怖という感情を久しぶりに感じた愛夢には、ぎゅっと喉が閉まるのを耐え返事をするのが精一杯であった。

「こちら漁火、アスピオンを一体視認しました。タイプはアニマビーストで猫だと思われます。周囲に他のアスピオン反応はありません」

 漁火は愛夢を庇いながらスマホを操作し、また何処かの誰かと通話を始める。

 美剣はスラックスのポケットから何かを取り出す。

 それはライオンリングと呼ばれるデザインの指輪でそれを右手の親指にはめた。男性らしくはあるが、その指輪は愛夢が知っているものと少し違っている。材質がシルバーではなく白い陶器のようなもので出来ており、口を開け牙を向いたライオン、伸びた立髪がリング状に形成されている。

 その指輪に美剣が話しかける。

「待たせたな、行こうぜ」

 その言葉を合図に美剣の手、正確には指輪から紅炎がおどりあがる。それは"遅い!"と言わんばかりの美剣への叱責の炎に見えた。

 斜め向かいで通話している漁火を見ると、特に驚いた様子もない。それどころか困った顔をしている。彼の話している内容から推察するに、どうやら玉突き事故が起こり仲間の一人がここにこられない、とのことでそちらの方に気を取られている。


「んじゃ、オレ今から追弔に行ってくるけど、コレが何かとかの諸々の疑問は全部、漁火に聞いてくれ!」

「はっ・・・、はい!」

 これは決して興味ではない。断る勧誘だが、車を降りてから、次から次へと疑問が浮かんで止まらない。今、愛夢の頭の中は闘いへ行く美剣の心配、アスピオンへの畏怖の念、漁火に教えて欲しいことで埋め尽くされている。

 通話を終えた漁火が美剣に話しかける。

「美剣さん、せめて溝呂木さんだけでも・・・」

「待たん!始纏唱(してんしょう)が終わったらデコイを解除していい」

 美剣に一蹴された漁火は短いため息を吐く。

「わかりました、いつでもどうぞ!」

 その言葉を合図にその場の空気が変わる。


 空気が熱く渦巻きねっとりと重たく感じる。

「終焉を告ぐ 瞋恚(しんい)の炎 昇華し 埋めろ」

 美剣が低く力強い声で呪文のようなものを呟く。一節を唱えるたびに紅炎が腕、脚、腰、肩におどり舞いあがりその身を包む。

 熱そうなそぶりなど全く見られない、彼は炎の中で愛夢に笑ってみせた。

「猛り吼えろ」

 洗練された声が周囲の熱を集める。彼はアスピオンに向き直り、走り出す。それは愛夢が知っている走りではなかった。

 王たる獣が獲物に狙いを定め狩り出す。

 美剣が駆ける速さは人間の最高峰であろう、金メダル級のオリンピック選手をも遥かに超えている。

 それどころか翔る一歩ですらも、走り幅跳びの世界記録を超えているのが一目瞭然であった。

「フロウティス ライオンハート!!!!」

 叫ばれた名が何かは知らない、でも解る。

 美剣がたった今、纏ったモノがその名なのだと。

 紅炎が消え現れた、気高き獣の王の名と、心に相応しい白の鎧。それは先程見たライオンリングと同じ材質の陶器のような素材であり、美剣の引き締まった筋肉質な体を包む。

 西洋の鎧騎士のように全身を守ることに重きをおいた白の鎧。胸当て、肘当て、膝当て、には獅子の刻印が施され、肩当てに至っては浮き彫りの牙をむいた獅子になっている。腰には戦闘の邪魔にならぬよう斜めに獅子の立髪のような白い毛皮が巻かれており、美剣が動くとたなびき、鎧の色と相まって白い獅子が疾走してようだった。


「デコイ、解除します!」

 今の今まで標的と定めていたカラスを失ったアスピオンは新たなメテウスを持つ標的、目の前に立つ美剣を睨む。

 美剣は右手を前に出し、紅炎を纏った人差しを曲げながらチッチッと2回舌を鳴らす。

「来な、ニャンコちゃん!撫でくりまわしてやるよ!」


「これより美剣、漁火で猫型アスピオンの追弔にあたります!」

静かな山頂で、漁火の声が開戦を告げた。


 アスピオンが放つ低い獣の唸り声は威嚇などというかわいいものではなかった。機械油を差していない重機の部品が擦れるような嫌な音がそのまま鳴き声になったような声で聞いているだけで耳が壊れそうになる。美剣は慣れているといわんばかりに、何食わぬ顔をし、スタンスの浅いゆるい構えでアスピオンと対峙している。


「すみません西宮さん、私は今から追弔と索敵に専念しますので質問があればこのままお願いします」

 前にいる漁火は戦闘から目を離すことなく愛夢に話しかける。庇うように立ってくれているために彼の背中越しに横から頭だけを出して愛夢も美剣を見守る。

 

先に動いたのはアスピオンだった。大型犬の体躯へと変貌した四肢が駆けると、突き出ていた骨が更に伸び、鋭い牙で美剣の喉笛を狙い飛びかかる。

 美剣はその牙を横にかわし、アスピオンの首へとアッパーを繰り出す。戦闘を見守る愛夢たちからはその攻撃は入ったように見えたが、アスピオンはその体躯に相応しくない猫らしい動きで体を捻り避け美剣から離れた場所に着地する。

 

やはりそんなに簡単に決まるものではないのだろう、なかなかつかない決着にもどかしくなり漁火に質問を投げかける。

「あの、さっきからお二人とも追弔って・・・、もしかしてお葬式の追弔ですか?」

「そうです、お若いのによくご存知ですね。さすがです、西宮さん」

 たまたまバイトで追弔式の料理出しを手伝う機会があっただけでそんなに褒められることではないのに、先程の車の中での漁火の叫びをまた思い出してしまい顔が火照る。漁火が美剣とアスピオンの戦闘に集中していて、索敵に集中していてくれるおかげで、この見苦しい顔を見られることがなかったことにほっとした。

「アスピオンも好きで黄泉返っている訳ではない、だから二度目の弔いということでアスピオンを倒すことを、追弔、または、還す、と我々は言っています」

 アスピオン側の気持ちなんて考えたことがなかった。今、美剣に牙と爪を向けているのはASPにより無理矢理に黄泉から返された可哀想な化け物。美剣と漁火は、誰にも知られず数少ない仲間たちと命がけで戦いただでさえ気苦労が絶えないであろうに。それでいてどこまでも優しいその思いやりに心が痛くなる。

「この力の発現条件は自身の血液から採取したメテウスを結晶化し、作り出された防具フロウティスと繋がることです。さきほどの美剣さんがつけていた指輪、あれが彼のフロウティスです」

 目の前に漁火のメテウス、カラスが現れforoúnという文字になる。

「フロウティスとは纏うという意味のその文字と、メテウスを合わせた造語です。フロウテスではなくフロウティスなのは、その方がかっこいいし、気分が上がるからだ、と名付け親の研究者が決めました」

 そう呆れた声で漁火は説明をする。部隊の名前にもなっているフロウティスがそんな冗談のような理由で名付けられたものだったとはと誰も思わないだろう。

流石の愛夢ですらその研究者に呆れる。

 

 フロウティスを身に纏った美剣はアスピオンを攻撃を完璧に見切りその全てをかわし続ける。体幹、脚、腕、の動きに無駄は何一つなく、拳に燃える炎が揺らめき踊る様は鎮魂の舞のようだった。

「美剣さん、火がついているのに熱くないんですか?」

「あの炎は美剣さんを焼くことはありません、しかし他のモノは容赦無く燃やし尽くします」

 美剣の炎の拳が、アスピオンの左脚の付け根を掠めた。その箇所にガスやアルコールがある訳ではないのに、炎はアスピオンの脚を火種とし爆ぜた。

 だが掠めただけの威力だからなのか、アスピオンの頑丈さが勝ったのかはわからないが、左脚を奪うことまでは叶わずによろけさせるだけに終わってしまう。

 しかし美剣がその隙を見逃すことは無く、そこから畳かけるような猛攻が始まる。拳、脚から繰り出されるラッシュは確実に、少しずつ、アスピオンの体を削っていく。攻撃はASPがいる頭部を狙ってはいるが一筋縄ではいかず、後退するアスピオンの肩、耳、顎が爆ぜていく。

 

 愛夢はただ、美剣の無事を指を組んで祈る。攻撃が当たるたびに、当たりそうになるたびに、体が緊張し強張る。その反応を背中で感じたのか漁火が話しかけてくる。

「西宮さん、先程からきちんと戦闘を目で追えているようですね。貴女の反応から察するにアスピオンの攻撃に動体視力が追いついている」

「ちょっと見えるだけです・・・」

「いいえ、常人よりもはるかに反応が早い。その反応速度、やはり貴女はメテウスを持っていますよ」

 もし仮に本当に愛夢にメテウスがあったとしても何も出来ないのはわかっているが、何かしたくて漁火に質問を投げかける。

「さっきの自衛隊の人たちに助けを求めてはいけないんでしょうか?」

「あそこにいる彼らには助力は頼めません。追弔への支援攻撃が認められているの はLETに選ばれた自衛隊員のみです。彼らは違うんです、本来、フロウティス部隊はスリーマンセルで追弔にあたるのですが、今日は見ての通りです」

 三人であたる追弔を今、美剣はたった一人で行なっている。彼は車の中で自分のことを三十近いおっさんと言っていたが、動きと技のキレを見てとてもそうは思えなかった。

 きっとこれが底上げされた身体能力で、メテウスを持つ者の力なのだろう。

 やはりどう考えてもとても自分なんかが美剣や漁火と同じ力を持っているとは思えない。

 自分はあんなに優しく素晴らしい人たちと同じであっていい訳がない。

 意図せず、偶然、たまたま、が重なって今日という奇跡のような出会いがあったのだ。

 何も期待せず、望まず、信じず、身の丈にあった生き方をするんだ。愛夢は自分に言い聞かせるように再びの決意をし、ただ美剣の無事を祈る。


 戦闘で舞い上がる土煙は、技の衝撃により消し飛び、そしてその衝撃はまた新たな土煙を産む。

 獣に備わる狩りの本能かアスピオンは美剣のラッシュの一瞬の隙をつき、その鋭い爪を喉笛に目掛けて薙ぐ。鎌のような爪が喉元に届く前に、体を後ろに反らせ攻撃を避けた美剣は、そのままサマーソルトキックでアスピオンの顎を蹴り上げる。

 3回の後方宙返りで距離をとった美剣のすぐ後ろは鉄塔の建設資材置き場だった。逃げ場のない場所に追い込まれたと、緊張が走る状況であるはずが美剣の口元は笑っている。

 彼の左足が地面に積み上げて横置きされている、鉄の斜材の端を踏み抜く。180cm以上身長があるであろう美剣より少し長い斜材が何本か起き上がる。そのうちの一本が美剣の左手に収まり、それをまるで棍棒を扱うかのようにクルクルと肩から背中へと回す。右の手にうつった斜材を低く構え、アスピオンに向かって再び煽るようにチッチッと舌を鳴らした。

 元は猫であり、ましては死骸に挑発などは無意味であろうが、それが合図かのようにアスピオンは牙を向きながら美剣に飛びかかる。

 顔面を食い千切らんばかりに大きく口を開くが、彼はその攻撃を斜材を真横にし受け止める。鍔迫り合いのような緊張状態が5秒ほど続いたのちに、アスピオンが先に、斜材を咥えたままで右の鋭い爪を美剣の心臓目掛けて突き刺そうとする。その瞬間、まさしく爪先が動いた刹那に美剣は斜材を左回しに回転させ、アスピオンの顎骨を外し、右爪の攻撃を逸らせた。

 美剣は即座にアスピオンを後方へ蹴り飛ばす。口から外れた斜材は、アスピオンの頑丈さを物語るようにぐにゃりと曲がっている。

 だらりと開いた口、牙を失なおうとその闘争心は折れることはなく、尚も爪で美剣を抉ろうとする。

 弧を描くように連続で振り下ろされる爪は、美剣の棒捌きによって全て受け止められた。

 鈍い金属を叩くような音が繰り返され、鉄の斜材は蛇腹状に変形していく。


「あっ、あぁー!なんて事を、また始末書だ・・・」

 漁火が酷く落胆して愛夢の前で肩を落とした。

「始末書って反省文のことですよね?アスピオンを倒すために頑張ってくれているのに、どうしてそんなものを書かなきゃいけないんですか?」

 またと言ったという事は過去にもこのようなことが起こったということだ。逆に彼らには表彰状をあげても足りないくらいなのにと、愛夢は納得がいかなかった。

「我々の追弔はなるべく痕跡を残さないように義務付けられています。建設工事現場というものは、ネジが一本無くなっても大騒ぎになるものです。ましてや、あんなに大きな鉄柱を曲げたとなると、もう私には言い訳すら思いつきません」

"迅し私かに還しこれを匿すことを誓う"

建設現場に入る前に彼らは、自衛隊員にそう誓っていた。

 アスピオンの追弔、匿すこと、それがいかに難しいことなのか。愛夢は胸が痛いほどに痛感した。

 漁火に、美剣に、あの優しい二人に、これ以上の重荷を背負わせないでほしい。せめてもっとメテウスを使える人間が増えてくれればいいのにと思い、愛夢はたった今思いついた自分に出来る唯一の役立てることを漁火に提案する。

「漁火さん、輸血はどうでしょう?私の血をたくさん使っていただいて構いません!そしたらメテウスを使える人が増えて、追弔も楽になって、始末書も書くことも、なくなるかもしれません!」

 血液からフロウティスが作れるなら、もし本当に自分の中にメテウスがあるのなら、役に立てるかもしれない。こんな忌々しい呪いのような血なんかでよければいくらでも差し出そう、そう思い興奮気味に捲し立てる。

「あぁ・・・西宮さんは本当に、本当にっ、いい子ですねっ・・・!私っ、貴女にはこちら側に来てほしくないなっ・・・」

 言葉に詰まり何とか吐き出すような、そんな漁火の言葉に目の前が真っ暗になる。

「えっ・・・あっ、ごめんなさい・・・」

 もとよりそんなつもりはないのに。

 そちら側にいけるなんて思ってもいないのに。

 漁火に拒絶された、その事実に胸がジクッと傷む。

「いいえ、こちらこそすみませんでした。もう試したんです、部隊の全員の血液で。希望してくれた勇気ある自衛隊員たちに、血液を抜いては入れての実験を繰り返して。何の反応も得られずに、半年でその実験は打ち切られました」

 愛夢も言葉に詰まる。ASPの調査には学生とは比べものにならないほどの頭の良い研究者たちがこぞっているのだ。自分なんかが思いつくようなことは、全て試したに決まっている。車中での反ワクチン派の質問から何も学んでいない自分に腹が立つ。

「西宮さん、私たちは輸血を受けることができないんです。差し出すことはできても、貰う事はできない。メテウスの力が弱まったり無くなってしまったら困るからです」

「ごめんなさい・・・」

 奪われてばかりの漁火たちに、守ってもらうばかりで謝ることしかできない。ある意味では自分も奪っている側の人間なのかもしれない。

 何の意味もないが、謝ることしかできない。

「謝らなくていいですよ、車の中でも言いましたが私は聞こえのいいことばかり並べて貴女を騙したくない。こんな殺伐とした場所ではないところで毎日、楽しく幸せに笑って暮らしてほしいんです」

「漁火さん、大丈夫です。私ちゃんとこの勧誘を断ります。あんなふうに、美剣さんみたいに戦うなんて私にはできませんから。」

 楽しく幸せに笑って暮らす。何て難しい。そんなふうに生きたことなんてない、これからも無理だろう、と諦めた自分の声が脳内に響いた気がした。

「そうですね、戦いなんて貴女には似合いません」

「美剣さんにも、ちゃんと自分で言います」

"絶対に笑った顔見てやるからな、覚悟しとけよー!"

 そう美剣に喧嘩腰に言われたことを思い出す。

 これからも、何も考えないように、感じないように、人を不快にさせぬように生きる。

 彼らの為に何かしたかったが、何もしないことが一番彼らの為になる。

 そうに決まっている。

 美剣が愛夢の笑顔を見る日はきっとこない。

 そう愛夢は自分に言い聞かせた。

「あぁ、そろそろ決着がつきそうですね」

 

少し西に行った太陽が、紅炎を纏った右手を振り上げる美剣と動けなくなったアスピオン照らした。

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